第3話 裁判
私は胸を掻き毟られるかのような悔しさでいっぱいだった。
それに連動するかのように手に力が入って荷車の板に爪が食い込んだ時、不意に猫が口を開いた。
『着いたよぉ』
「えっ」
途端、急ブレーキが掛かる。今まで慣性で動いていた私の体が、法則に従って動き続けようとして、内臓がぐるんと掻き回された気がした。
この猫は……っ!
と、思った矢先。
猫は、急ブレーキで浮き上がった荷車をそのまま横に振り回し、それと同時に私はふわりと空中を“飛んだ”。
「え、え?!」
『わっちの仕事はここまでだよぉ。全くウザったくてしょうがなかったねぇ。』
まだ記憶に新しい落下の感覚を覚え、私は驚愕に目を見開き、見上げる事になった猫の姿を見つけて泣き叫んだ。
「いやあ゛あ゛あ゛ぁあああああッッ!!!!」
やだ!!やだ!!また死にたくない!!!
眼下に見えたのは石畳の通路だ。衝撃を和らげてくれそうなものは一切無い。
死の直前に感じた衝撃を思い出して体が強ばった。
ちくしょう!あの猫生まれ変わっても一生怨んでやる……!
ぎゅっと瞼を閉じて衝撃に備えた時。
乱暴に腕をつかまれガクンと落下の速度が落ちたと同時に、私の肩もゴキンッと不吉な音を鳴らした。
「っあいっつ……ッッ!!」
激痛が肩に走った。音からして肩の骨が外れたと思う。しかもこの状態で宙ぶらりんだ。
「~~ッッ!!!」
痛い、痛い、痛いッッ!
声にならない呻きを上げてもその手を離してもらえず、痛みからくる涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
お願いだから手を離して!
と心中で叫んだ時、どしゃりと石畳の上に投げだされた。
「全く“火車”は……。罪人の扱いが乱暴で困る。大王の前に血みどろの人間を出させるつもりか。」
落ち着いた男性の声が呆れたように言う。
痛みで震える身体を何とか持ち上げ、声の方を振り返るとそこには1体の“鬼”がいた。
身長は2メートルを超えてるかも知れない。ゆったりとした着物を着ているのに、その上からでも分かるほど膨れ上がった筋肉。髭が生えた厳つい顔に尖った牙、烏帽子を被った頭には鋭そうな2本の角が生えていた。
そんな誰がみても明らかな鬼が、険しい顔で私を見おろしている。
「ひっ」
一瞬痛みを忘れて、傍から見れば息遣いだか窒息だか分からない、乾いた悲鳴が漏れた。
「あぁ、肩が外れたのか。全く、人間は脆くて嫌になる。」
しかし、その鬼は私の様子もお構い無しにずんずんと歩み寄り、肩と二の腕をガシッと掴んだ。
折られる!
「い、いやぁあああアアッッ!!!!」
「うるさい。」
ゴリンッと鈍い音がして肩が嵌った。とたんに耐えきれない程の激痛が、ジンジンと熱が篭ったような痛みに落ち着く。
だけど私の心臓はパニックでちっとも落ち着かない。
「立て。」
「ひぃっ」
鬼は私のセーラー服の襟首を掴んで引き上げた。彼の動作自体に力の入ったところは見受けられないのに、凄い力でひょいと持ち上げられてしまう。
「とっとと歩け。閻魔大王がお待ちだ。」
「閻魔大王……。」
その言葉でやっと私は周囲の景色を見渡した。
私が立っているのは、石畳で整備された一本道で、左右は塀で隔たれている。そして目の前には見上げるほど巨大で立派な門がそびえ立ち、門戸が開かれた先には、朱色で染め上げられた中華風の城が視界を支配していた。
この先に、閻魔大王がいる。
とたんにふつふつと怒りが込み上げてきた。
火車だとかいうあの猫も、この鬼も、無罪の人間に対してよくもこんなに酷い仕打ちをしてくれたものだ。
何もかも閻魔大王とやらが冤罪を叩きつけてくれたおかげ。
私は痛む肩を押さえながら歩き出し、怒りに焼け付いた心を抱え、待ち受ける門を潜った。その後ろを鬼が見張るように付いてきている。
門を潜った先は傾斜の低い階段が続き、更にそれを上ると城の入口へとたどり着いた。そこには門番らしき鬼が2体いたけれど、とにかく閻魔大王に会うことでいっぱいの私には、その鬼達が私の後ろにいる鬼に慌てて頭を下げた事の意味も、よく分かってなかった。
門番の鬼が何か操作したのか、ガコンっと大きな音がしたあと、ゆっくりと扉が開いていく。そして徐々に開いてきた視界の先に、その人はいた。
大理石の大広間にまた数段段差があり、その上座の豪華な装飾の机について、こちらを睨み据える人物が。
彼が地獄の支配者、閻魔大王。
大きい。私の後ろにいる鬼も大きいけれど、それよりも一回り巨体だ。更に達磨みたいなギョロ目、太い眉、髪と同化した豊かな髭、そしてドラマなどで見る、昔の中国の王様が被るような王冠が、目の前の人物の貫禄を際立たせていた。
ごくりと生唾を飲み込む。正直、目の前の彼の姿を見て今までの怒りが引っ込んで、逆に恐怖が込み上げてきた。
昔の人が描いた地獄の裁判の絵。それに描かれた閻魔大王、そのままの姿なのだ。あの顔が怒りに真っ赤になったらどんなに恐ろしい事だろう。
「罪人が参ったようだな」
大王が口を開いた。普通に喋っているだけなのに、お腹の底から響く様な、低くどっしりとした声だった。
すっと私の横を鬼が通り過ぎた。
彼は段差を上り、1段下座で立ち止まると、何処からか現れた別の鬼がそっと差し出した巻物を受け取って、紐を解き広げた。
「整いましてございます。」
うむ、と大王が重々しく頷くと、そのギョロ目で私を見下ろし、宣言した。
「では、これより裁判を始める。」
閻魔大王の言葉に私の体は強ばった。緊張で膝が震えてくる。
「罪人、名を『砂河伊織』(さがわいおり)、間違いないか?」
大王がはるか頭上から見下ろしながら私に尋ねてきた。いけない、緊張してる場合じゃない。きちんと説明しなきゃ!
「いいえ、違います」
「なに?」
声が震えてしまったけど、ちゃんと否定出来た。けれど大王が訝しげに片方の眉をピクリと上げる。
「私罪人じゃないですから。」
「……。」
続けて私が言った言葉を聞いて、大王の眉間に皺が寄る。しかし怒鳴りつけることはなく、逆に口を閉ざしてじっと私を睨みつけていた。
ただ怒鳴りつけられるより、眼力でじわじわ心を削られていくようで胃がキリキリ痛む。
しかし数秒で大王の方が口を開いた。
「貴様の言い分を聞く前に、まずはこちらの見解を申す。」
その声には有無を言わさぬ響きがあった。若干苛立ちが混じっていたのもあって、私の心臓はビクンっと縮み上がる。
ひとまず私の聞く姿勢が出来たと判断したのか、大王はそのまま下段にいる鬼へと目配せをし、その彼は再び巻物へと視線を戻して手元の内容を読み出した。
「砂河伊織、****年**月**日**時**分頸椎損傷にて死亡、享年15歳。家族構成は両親と本人の3人家族であり、親は共働きで大手企業に務める社員。本人は地元の公立中学校に通う。
死亡に至った原因には直前の同級生との口論が原因と考えられる。クラスメイトに諫められた事に逆上して相手を社会的に貶めようと考え、いじめを苦にして自殺した被害者を装い、屋上から飛び降りたと考えられる。」
「ちょっと待って!!」
あんまりな内容に思わず大きな声が出た。だって、だって肝心な所が間違ってる。
「偽装?!違います、私は本当に虐められてたの!!だって皆に無視されたり、悪口を言われたり……それに!死ぬ前だって一方的に殴られたじゃない!!喧嘩なんかじゃない、虐待よ!」
説明を遮られた鬼はその厳つい顔を更に顰め、苛立ちを吐き出すかのようにため息をついた。
「お前は思い違いをしている。」
代わりに閻魔大王が口を開く。
「いいか、お前をここに連れてきた『火車』はすでに有罪が確定した罪人を運ぶ役割を担っている。お前が通常の段取りもなくここに連れてこられたのは、無罪か有罪かを判別するためではない、罰の重さを決めるためだ。すなわちお前がいくら便宜を説こうと、それはお前の罪の深さを表す指標でしかならない。」
「そんな――!!」
驚愕に目を見開き言葉を失った私の隙を狙うように、閻魔大王がバシィンと鋭い音を鳴らして笏を机に叩きつけた。
「判決を下す。」
大王は重々しく口を開いた。
「被告人 佐河伊織 享年15歳、死因は高所からの落下による頸椎損傷。
同級生に冷遇されていた報復としてその中枢にいた人物を社会的に貶めようと目論み、自殺した。
結果それに成功し、報復の対象となった人物は苦難の現状にある。自殺の起因となった同級生からの冷遇も本人の身の振る舞いから発生したことであり、情状酌量の余地はない。
すなわち己の身の振り方も鑑みず相手の反論に逆上し被害者を貶めたのである。
また被告人に己の行動に対する反省は見られない事からより罪が重いものと判断する。
よって被告人を刑罰20年、等喚受苦処(とうかんじゅくしょ)の刑に処す。」
えっ……
等喚受苦処(とうかんじゅくしょ)って何?
いや、そんな事より、刑罰20年って……?
え、そんな、私、罰を受けるの?
しかも20年って……っ
ほんとうに?
ホ、ントウ、ニ?
「ぃいやあ゛ああああああッッッッ!!」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッッ!!!
なりふり構わず涙がボロボロと零れて私は泣き叫んだ。
「な、な゛んでよぉおおおッッ!!わたし何もしてないじゃないッッ!!!なんであっちが悪いのに私が罰を受けるのよ!!なんでッッ!!!」
怯えも忘れて大王を見上げるけれど、大王は眉間に皺を寄せた険しい顔で私を睨みつけるだけだった。
「黙れ!」
両腕をがっしりとした手が掴む。見れば目の前の鬼よりかは少し背が低いが、まさに鬼の形相の鬼二人が、金棒を片手に持った状態で私を捕らえていた。先程の怒鳴り声はこの片方の鬼が叫んだのだ。
「判決は下った。とっとと罪人を刑場に連れて行け。」
「はっ!」
大王の隣にいた鬼が、疲れたように鬼二人に告げた。それに私を捕らえる鬼は頷く。
判決は下った。
その言葉を聞いて私は力なく膝を付いた。誰も私の言葉に味方してくれない。誰も助けてくれる人がいない。
これから私はどうなってしまうんだろう。いや、もうおしまいなんだ。判決は下ってしまった。これからずっと責め苦を受け続けるんだ。
それでも涙と疑問の言葉は止められなかった。
「なんで……なんでよ!なんで私が――!!なんでよぉ……。」
ガンッと後頭部に衝撃が走り、同時に視界が白1色に塗りつぶされる。
「──ッッ!!!」
ついで襲ってくる激痛。
痛みでうごけなくなった私を、二人の鬼はその場から引きずり出した。
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