第2話 地獄


サイレンの音がうるさい。



あれだ、パトカーの......



ゆっくりと私の瞼が開かれるように視界がクリアになってくる。



私は校庭の端っこに座り込んでいた。



サイレンの方向を見ると丁度校門の方からパトカーが何台も侵入してくるところだった。



あれ......?なんでこっちにくるの......?



他に誰かいるのか辺りを見渡そうとしてすぐそばの『それ』に気付いた。



「あ、あぁあっぎゃぁああぁあああぁッッッッ!!!」



醜い悲鳴を上げて私は思わず後ずさった。



そこには私がいた。首が変な方向に曲がり血を吐いた自分の姿が。傍らには砕けたスマホが転がっていた。



一気に吐き気が押し寄せてくるが全然吐き出せない。胸の辺りでずっとえずいてる感じだ。



グロテスク画像なんてネットで度々見たことはあるけど、それを自分の体で見るなんて誰が想像するのか。



私がパニックになっている所に、パトカーから警察官の人が下りてきて『それ』になった私を見て顔を顰める。



「誰がどう見ても分かる即死だな。全く飛び降りは毎回現場を見るのが嫌になる。」


「無駄口を叩くんじゃない。急いで仏を運べ!」



もう1人いた警官が片方を叱りつけ、私にビニールシートを被せた。



「急いで現場を封鎖しろ!野次馬どもを近付かせるんじゃないぞ!!」



そう激が飛ぶとあっという間に私の周囲は黄色いテープで囲まれた。



即死



その言葉がエコーになって私の頭の中に鳴り響いた。



「あ、あたし......死んじゃった......。」



自分で望んでやった事だ。それなのに襲いかかる喪失感、後悔。



津波のように恐怖が沸き起こって、今まで見たことが無いくらい自分の手が震えていた。



「どうしよう......どうしようどうしようどうするの......?!」



私どうしたらいいの?!



『どうもできないよぉ』



地面から不気味な声が響いた。ビクッと体が反応して振り返るけど、そこには誰もいない。いつの間にか周囲の喧騒も徐々に小さくなってくる。驚いた私は辺りを見渡してみたけど何故か景色は夕闇のように薄暗くて、『それ』になった私も、取り囲んでいた警察官も居なくなっていた。



どういうこと?!



『あんたもう死んでるだろぉ?』



またあの不気味な声がくぐもって聞こえた。なんだろう......人が喋ってるようには聞こえない。獣が無理やり人間の言葉を喋ろうとしているかのような......



『さぁて、断罪の場へ案内してやるよぉ。』



そう、声が楽しげに笑った気がした。



その時、私の座り込んでいた地面がガパッと開いた。



いや、“口を開いた”



鋭い牙が並ぶ大きな口が、重力に従って落ちていく私を咥える。



「いや、いやぁああああああああッッッ!!!」



喰われる!!そう思った私は牙から逃れようと暴れるが、



「うぐっ!!」



その矢先、私は何か硬い物に叩きつけられる。触れる肌はささくれた棘でチクチクした。これって......?



恐る恐る目を開けると、そこには赤毛の巨大な猫がいた。とはいっても近所で寝てる野良猫みたいに可愛いものじゃない。牙を剥き出しにして毛を逆立たせて、瞳孔が鋭く尖った金色の目で私を睨んでいた。



『わっちはあんたみたいな甘ちゃんが1等嫌いなのよぉ。優しく運んで貰えると思うなよぉ?』



運ぶ......?そう言われて気付いた。私が叩きつけられたのは荷車だ。引手はあの猫が首に掛けている。



『逃げるなよぉ?逃げられないけどなぁ。』



そう言われて私は自分が全く動けない事に気付いた。金縛りみたいに指先一つ動かせない。



動揺する私を鼻で笑うと猫は引手を咥えた。



そして1度跳躍すると、私が乗った荷車を振り回しながら地面に突っ込んだ。



ぶつかる!!



と目をぎゅっと閉じたら衝撃はなく、恐る恐る瞳を開くとそこには真っ暗闇が広がっていた。私と猫と荷車しか見えない、そんな果ての無い暗闇。



猫はどんどん駆け下りていく。闇の中なのに下りていくのが何となく分かる。



なぜなら進む度に何かが聞こえてくる気がするからだ。とても怖気がするようなものが近づいてきている。



私が感じた恐怖はまだ序の口だった。そう思わせる本能的な恐怖が私の魂を震わせた。




『聞こえるかぃ?』



暫く駆け下りると荷車を引いた猫が言った。何が、と聞く前に答えが分かる。微かに風が唸る音がしたからだ。



『風じゃぁないよぉ』



けれど私が口を開く前に猫が否定した。



『わっちの脚ならじきに“着く”。おまえさんの目ん玉でじっくりと答えを見ることだねぇ』



え、着くってどこに......?



と思ったらぐんっと体が引っ張られ、視界が一気に派手な色に塗りつぶされる。



今まで何もなかった周囲から、一気に感覚が戻ったかのように襲ってくる五感。荷車がガタガタ揺れる音が耳に叩きつけられ、生臭さと鉄さびが混じったかのような匂いが鼻を刺し、真夏より暑い熱風が肌を焦がして、吸う息はひたすらに吐き気を催した。



今まで経験したことがないほどの強い不快感。



暑さのせいではない汗が全身から吹き出すのが分かった。



刹那、灼熱の風が顔を炙る。ごうっと真っ赤な炎が視界を一色にして吹き上がって来た。



避けて!!



思考が一気に弾けてその言葉のみが頭を支配し、私の体が恐怖に強ばった。このままじゃ荷車ごと燃やされてしまう。



けれど荷車を引く猫はまるでそこに何も無いかのように炎の中に突っ込んだ。瞬間炎がメラメラと包み込んで私の肌を撫でていく。



「っあっつ......ッ!痛いっなんで......?!」



避け無いの?!という前に荷車が炎から飛び出した。



『ちょうどいい感じに温まったじゃあないかぃ』



猫が可笑しくてたまらないみたいに言った。目を向ければ猫が私を見て笑っている。目を細め、ズラリと並んだ牙をニタリと吊りあげて。ゾクッと身震いがした。



『ご覧なぁ。いい眺めだよぉ』


「......っひ」



その言葉と共に猫が視線を下に向ける。それにつられて見えた景色に私は凍り付いた。



金属の巨大な針がつき立つ丘が見え、その針に人が突き刺さっていたのだ。



丘の形に沿って針が立ち並び、その下は炎の海だ。その熱で炙られ焼き付いたのか、針は赤錆た色がこびり付いている。突き刺さった人間の血が。



ピクリとその人が動いた。男の人だ。その人はこちらを見て驚いたように目を見開きぱくぱくと口を開け閉めした。けれど炎が燃え盛る音で何を言っているのか分からない。縋るように震える手が伸ばされようとした時、ごうっと炎が吹き上がってその人を包み込んでしまった。



「あっ?!」



と思った時には既に炎は去っていった。そこに“物”と化した人間を置いていって。体積が半分となった真っ黒な人の形をした物が、棘に突き刺さったままバラりと崩れ、そして形を保てなくなっていき炎の海の中へ消えていった。



「っ~~ッッ!!」



声が出ない。人間が無残に死んでいく光景に全身がガタガタと震え始め、涙が溢れて視界が滲んだ。



怖い怖い怖い怖いッッ!!!



『なぁ?いい眺めだろぉ?』


「ひぃっ......!」



その不気味な声にびっくりして我に返った。私が乗る荷車を引く猫は私の怯える様子を見て更に口端を三日月型に釣り上げる。



私は更に涙がこみ上げて嗚咽が口から漏れた。



尋常じゃない!なんで人が焼け焦げて笑っていられるの?!私もああなるの?!嫌だ!あんな死に方したくない!



「もう帰してよぉ......」


『なぁに言ってるかねぇ。お前さん帰る場所なんてないだろぉ?』



嗚咽混じりの言葉に猫は返した。



『お前死んでるじゃあないかぁ』



ぐるぐると喉を鳴らして猫は笑った。



『お前さんはここで炎に焼かれながら罪を償っていくのさぁ』


「は......?」



今この化け猫は何を言ったんだろうか。



「罪を償うってどういうこと......?」


『そのままの意味に決まってるじゃあないか』



なに、それ......



「何よそれ!!冤罪よ!誰かと勘違いしてるんじゃないの?!私何もやましい事なんかしてないよ!!ふざけんなッ!!!」



今までの恐怖も相まって私はヒステリックに叫んだ。



「そうだ!あいつと勘違いしてるんだ!私を殴った奴!!私は被害者よ!難癖つけられた上に皆の前でさらし者にされて!それで殺されてるっていうのに!!!なんで私が罰を受けなきゃいけないのよ!あいつが受けるっていうなら納得だけどね!!!」



『殺されてる......?』



その時猫がクワッと目を見開いた。金色の目の瞳孔が糸のように細くなってギロリと私を見る。



『あんたどぅしようもないねぇ』


「どうしようもないのはあんた達でしょうが!!!人を勘違いでこんな所に呼び込むなんて何考えてるのよッ!!責任とってよ!!早く私を元の場所に帰して!!!ほら!早く!早くしろよ、この──」



ガオンッッ!!



と衝撃波が風のハンマーとなって私を叩きつけた。

視界が真っ白に塗りつぶされ、耳鳴りが針となって鼓膜を何度も突き刺しているかのようだ。



な、何が......何が起こった?



『大声出させるんじゃないよぉ。』



その言葉でやっと分かった。この化け猫は私に向かって馬鹿でかい唸り声を浴びせたのだ。



猫の癖になんて唸り声だ......っ



『あんたなんかの罪なんて知るかねぇ。わっちはわっちの仕事をこなすだけさ。あんたを裁判の間まで連れて来いと言われたから連れていく。それだけのことよぉ』



ダメだ、この猫話にならない......。



『あんたの罪は“閻魔様”が裁いてくださる。それまで大人しく乗せられていることだねぇ』



ちくしょう......!それしか無いのか。閻魔様とかいう人に訴えなきゃ私は帰れないのか......っ!



「誰か私を助けて......ッ!」



猫は私の掠れた声には何の反応も示さず、止めていた足を再び動かして空を駆け出した。



徐々にスピードも上がり、周囲の景色もぐんぐん過ぎ去っていった。今はそれが助かった。もう人が殺されている所なんて見たくない。それが私にも課せられる“罰”だなんて考えたくない。



“閻魔様”......地獄の裁判官、そして支配者。それぐらいは私でも知ってる。



もし、もし本当にここが地獄だとしたら。



その人はこの地獄で最も偉い人。だったら彼ならこの状況を何とかしてくれる......私を助けてくれる......ッ!



だったらこれは誤解なんだってきちんと説明しなきゃ。裁判官なんだ、人の話をきちんと聞く耳は持っているはず。私がひどい目にあったって事、正直に話せば分かってくれる。



だってそうでしょう?虐められてた側が地獄に堕ちるなんて道理に合わない。



堕ちるのは虐めた側、つまり“あいつ”でしょう?!

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