番外編

ホーリィとエド4

 シーズン最後の夜会が終わると、まもなく本格的な夏を迎える。

 夏になれば、王都はその風の通りにくい構造上の問題もあり、非常に暑くなる。故に、貴族は避暑を兼ねて領地に戻ることが多い。政府や軍で要職についている者でない限りは、シーズンオフの間はずっと領地にいる、という者も珍しくない。


 そんなわけで、本日開かれている茶会は、シーズンの間の交流を感謝する意味合いのある、大変規模の大きな物だった。

 この茶会を最後に領地に戻る者も多く、庭園で開かれたガーデンパーティのあちらこちらで、夏の間の息災を願い合う会話が交わされている。


「なぁ、ホーリィ。領地に戻る前に、遠乗りに出かけないか? うちの別荘、庭に大きな池があるんだよ。二人で、水遊びでもして……さ」


 扇子を広げて庭園の端で佇むホーリィに、そう声をかけたのは、今までに何度か遊んだことのあるさる侯爵家の令息だった。貴族令嬢の間では、スタッグランドで五本の指には入ると謳われる貴公子である。

 確かに見目が良い。身長もすらりと高くて、身体つきも引き締まっている。この男にダンスに誘われたいと願う令嬢は、たくさんいることだろう。


 だが如何いかんせん、ホーリィはこの男の誘いに応えなければならないほど、相手に不自由していない。彼が含みを持たせて告げた最後の「水遊びでもして……さ」に、背中が痒くなる思いをしながら、ばさりと扇子を振った。


「結構よ」

「なんだよ。最近付き合い悪いぞ、ホーリィ」


 小さく舌打ちをしながら、彼は立ち去っていった。

 しつこく言い寄って来なかったことは評価に値するが、何せ下心が見え透いている。舌打ちをしたいのはこちらの方だ。


 水遊びの後、どうなるのか。それが想像できないほど、ホーリィはうぶではない。


「なぁに、ホーリィ。断っちゃったの?」

「マルガレーテ」


 ブレンダ伯爵家の令嬢マルガレーテだった。

 マルガレーテは手にレモネードのグラスを二つ持って、ホーリィの隣に並んだ。一つをホーリィに差し出すと、自分のグラスに唇を寄せながらふっと笑う。


「最近、全然殿方の誘いに乗らないのね。噂になっているわよ? 『社交界の華』にもとうとう身を収める先ができたんじゃないかって」


 それはつまり、婚約間近なのではないか、ということだ。

 貴族は噂が大好きだ。世間は、ホーリィが婚約を前にして、身辺整理をしている……とでも思っているのだろう。

 その手の話には、尾ひれに背びれ、胸びれまでつけて流布するのが貴族の常で、どこかでちゃんと噂を断ち切っておかないと、最終的にとんでもない話になっていたりする。


「そんなわけないでしょ。婚約の『こ』の字もないわよ」


 ホーリィは小さくため息をついて、グラスのレモネードに口をつけた。甘さよりも酸味の方が強い冷たい液体が、喉から身体を冷やしていく。

 レモネードを飲みきってから、ホーリィは扇子の先でマルガレーテを差した。


「ちゃんとみんなに言っておいてちょうだい。ホーリィ・ラローザはしばらく婚約するつもりはない、って。どうせ誰かに聞いてきてって言われたんでしょ?」

「はいはい。賜りました」


 マルガレーテは、親友の気安さで、真剣味に欠ける返事をすると、視線を庭園へと巡らせた。

 本日の茶会はブレンダ伯爵家主催の物だ。庭園の真ん中ではブレンダ伯爵とその夫人が、訪れた招待客一人一人と、シーズンの間の労をねぎらい合っている。


 本来なら公爵家か侯爵家の茶会をシーズンの最後にすることが多い中で、これだけの規模の茶会を開けるというのは、ブレンダ伯爵家が相応の力を持っていることを示している。

 特に今年は、主に政府派の貴族が、当主の交代を余儀なくされたり、謹慎の処分に処せられたり……と何かと慌ただしかったために、茶会にまで手が回らないらしく、夏前のこの時期にしては、招待状が例年の半分ほどだった。


 次のシーズンが始まる頃には、貴族の勢力図も変わっていることだろう。

 老獪ろうかいな貴族たちが作り出す深く歪んだ海の中を、ほとんど身一つで泳ぐホーリィは、今まで築いてきた交友関係を、また一から築き直すことになる。


 次のシーズンが始まる前に下調べが必要だな、などと、庭園をぼんやりと眺めながら考え込んでいると、一緒に庭園を眺めていたマルガレーテがちらりと、横目でホーリィを見た。


「お姉様はお元気?」

「どちらの姉かしら?」

「そうね。麗しいエメリア様のお加減も、とても気になるけれど。今はレリッサ様の方よ」


 なるほど、とホーリィは納得する。


(本当に聞きたかったのは、こっちね)


 ホーリィの噂なんて、大した用事ではなかったのだ。

 ちらりとマルガレーテの肩越しに、向こうのテーブルで集まって談笑している令嬢たちの方を見る。何人かが、こちらを、ちらちらと気にしているのが見えた。


「本当に……貴族って嫌ね。本当の友人関係も築けないんだから」


 吐き出したため息には、苛立ちが混じった。

 聞きたいことがあるなら、自分で聞きに来れば良いのだ。


 マルガレーテが肩をすくめて見せた。


「あら心外。私は、ホーリィの親友だと思っていたわ。違って?」

「違わないわ。でも、だとしたらご愁傷様。貴女に伝書鳩代わりをさせるなんて、私ったらなんてひどいお友達なのかしら?」

「ふふ。だったらご褒美をもらわなくちゃ、ね?」


 マルガレーテは口元を扇子で隠しながら、小さく頭を傾けた。

 ねだるようなその仕草に、結局聞きたいのは彼女も一緒か、と嘆息する。


 ホーリィは近くを通ったボーイに空になったグラスを渡すと、扇子をゆったりと振って自分に風を送りながら、横目でマルガレーテを見た。


「それで? お姉様の何が聞きたいの?」

「そうね……。例えば、あの噂は本当かしら? レリッサ様が、新しい国王陛下との婚約間近……というお話」


 例えば、どころか、それが本命だろう。

 貴族とはつくづく面倒くさい言い回ししかできないものだ。


 ホーリィは庭園に視線を巡らせる。

 ここに集まった貴族たちの口に登る話題の、おそらく大半が、今年は新しい国王に関するもので占められている。


 やれ、第二王子であった陛下は、どこへ行かれていたのか。

 やれ、陛下に取り入るには、何を献上するのが良いか。

 やれ、陛下の趣味嗜好はどんなものか。


 新しい国王は国を一新するつもりでいる。

 となれば、その動きに取り残されないよう、賄賂でもなんでも使って、国王の特別の配慮を得たい。と思うのは、悲しいかな貴族のサガだ。何せ家の繁栄が何よりも大事なのは、どこも同じなので。


 そして同じくらい、新しい国王が誰を婚約者とするのか、というのは貴族にとっては家の繁栄に直結する重大な議題だった。


 もちろん、今現在、唯一名前が挙がっているのはレリッサである。

 シーズン最後の夜会で、あれほど派手なことをやらかしたのである。国王が『リオネル・カーライル』と名乗っていた頃からの二人を見ていれば、その寵愛ぶりがうかがい知れるというものだ。


「そうね……皆様にはこうお返事してちょうだい」


 ホーリィは扇子で風を送るのをやめて、その扇子を畳んだ。

 そしてにこりと笑う。


「見ていたらわかるでしょう? って」


 マルガレーテは目を丸くして、それから可笑しそうに、ふふふと笑った。




 ホーリィは素直じゃない。それは自分でも分かっている。

 もともとそういう性格だったのに、貴族同士の裏を探り合う会話を覚えてからは、それに拍車がかかった。


 だから、そう。

 そのせいで、余計な遠回りをした。


「私ね、よく分かったの。貴方とかお姉様みたいな、そういう人種の人たちには、いくら裏から攻めてもダメなんだって」

「……待って、なんの話? なんで俺、ホーリィに胸ぐら掴まれてんの?」


 エドが両手を上げながら、何事かと目を見開いている。


 王宮の一室である。

 エドがリオネルの従者として王宮に住まうようになってからは、青いスカーフで互いに連絡を取り合う方法は使えなくなった。

 何せ、エドがリオネルに貼り付いていて離れる暇がないのだ。


 新たな国王となったリオネルは多忙で、必然的に従者であるエドも今まで以上に、リオネルの手足、耳目となって動き回っている。


 エドが情報を集めていたのは、リオネルを『王』にするためだった。

 その目的が達成されたなら、情報を集める必要がなくなる。


 それはつまり、ホーリィとエドが交わした、口約束の契約もなかったことになる、ということだ。


(冗談じゃないわ)


 キッとホーリィはエドを睨み上げる。

 エドがびくりと肩を震わせた。


「ホ、ホーリィさん……? なんか、怒って……る?」

「当然でしょ」


 きっぱりと言い切ると、エドが視線を彷徨わせ始めた。


「え、俺、なんかした? あれかな? 前にラローザ邸でホーリィの気に入ってる鏡を割っちゃったこと? それともホーリィが大切にとっておいた、パティスリー・バルマンのチョコレートボンボン、一個勝手に食べたから……」

「ちょっと!」


 胸ぐらを握る手に力を込めれば、「ぐぇ」とエドが呻いた。


「私のチョコレートボンボン食べたの!? あれ、大切に大切に、取っておいたのに!」

「えー! だってさ、厨房の棚の中にポンって置いてあったんだもん! 食べて良いと思うじゃん!?」

「思わないわよ! っていうか、人ん家の厨房に勝手に入るんじゃないわよ!」


 そうじゃない。

 全てがそうじゃなかったが、ホーリィの頭が一瞬、屋敷の厨房に大切に管理されているはずの、お気に入りのチョコレートに占有される。


(すぐに帰って、残りの数を確かめなくちゃ)


 チョコレートの管理を、料理長に任せきりにしておいたのが悪かった。

 そんなことを思っていると、胸ぐらを掴まれているエドが、しゅんと肩を落とした。


「ごめんって、ホーリィ。今度、同じの買ってくるから……」

「……もう良いわ」


 はぁ、とため息をつく。


 せっかく勢いをつけて来たというのに、すっかり気がそがれてしまった。

 エドに話があるからと、リオネルに頼んでエドの手を空けてもらい、確保した休憩時間は十五分。その十五分がこんなくだらないことのために終わるなんて、何のために来たのか分からない。


(こっちは、結構いろいろ気合いを入れて来てるんだから)


 髪には普段よりも香り良いの香油を撫で付けて。

 ドレスは下品でない程度に露出のある、上質なもの。

 化粧も濃くなりすぎないように、唇に潤いを持たせた紅をさした。


 いつも、彼と会うときは気合いを入れる。

 気づいて欲しいから。

 ちょっとでも、『女』だと思って欲しいから。


 出会った時、ホーリィは十四で、彼は二十六だった。

 彼からすると、ホーリィはいつまでも子供かもしれない。


 それでも目一杯の背伸びをした。彼の視界に入りたかった。


(私は、もう十分『女』なのよ)


 出会った時みたいに、男と女の事情に赤面するホーリィは、もういない。

 彼に欲があるのなら、いくらでも受け止められる。

 だから、『そういう対象』になり得るのだと気づいて欲しい。


 胸ぐらを掴んでいると、自然とホーリィとエドの顔は近くなる。

 エドは戸惑った表情でホーリィを見ていて、困っているように見えた。


 こんなに近くにいても、顔を赤らめもしない。

 それが腹立たしくて、悲しい。


 これでは、完全にホーリィがエドの『対象外』なのだと、まざまざと見せつけられただけだ。


 胸の中に、苛立ちが沸き起こる。

 この鈍感。無神経男。デリカシーがなくて、歩幅を人に合わせることもできないくせに。


 何で。

 何でこんなに好きなんだろう。


 きっと、出会った最初から。


「……悔しいわ」

「え? なんて?」


 ホーリィばかりが好きで。彼はそのことに気づきもしていない。


 それなら、とホーリィは胸ぐらを掴む手を引き寄せた。


「ホー……――!」


 名前を呼ぼうとしたエドの、その唇を塞ぐ。

 これ以上ないくらい近づいたエドの目が、見開かれる。


 ホーリィは顔を離すと同時に、掴んでいた胸ぐらから手を離した。

 どさりとエドが尻餅をつく。


 何が起きたのか分からない。

 そんな顔をしているのも、また腹立たしい。


「言ったでしょ。分かったって。貴方やお姉様みたいに鈍感な人たちには、これくらい分かりやすくしないと伝わらないのよ」


 そう言うと、ホーリィは部屋の扉に手をかけた。


「帰るわ。お義兄様の仕事の邪魔をしたいわけじゃないから」

「え…? ホーリィ? え? 今の……なに?」


 頭の上にたくさんの疑問符を浮かべて、エドが情けなく尻餅をついたまま、ホーリィを見上げている。

 ホーリィは、べっと小さく舌を出した。


「しーらないっ。自分で考えたら? 鈍感男さん」


 じゃあね、とホーリィは部屋から出た。

 そこは執務室にほど近い、従者が仕事をするための部屋だ。限られた者しか立ち入ることの許されない王宮の最上階。リオネルに事情を話して、特別に十五分だけと言う許可を取り付けた。


 執務室の前に立っている近衛が、ホーリィに敬礼で挨拶をする。

 一瞬、リオネルに挨拶をしていこうか、と思ったけれど、忙しい義兄の手を止めるのも申し訳なくなって、ホーリィは近衛に小さく頭を下げて、その前を素通りした。


 階段を降りていけば、レリッサが待っていた。


「お姉様」

「ホーリィ、用事は終わったの?」


 レリッサは胸元に本を抱えている。

 彼女は現在、王妃教育の真っ最中だ。こうして数日に一度王宮に来て、大臣やその道の専門家の講義を受けている。

 ホーリィは、そのレリッサに便乗する形で王宮にやって来たのだった。


「なぁに? また新しい本なの?」

「ええ。外交には、他国の情報が必要でしょう? スタッグランドと他の国ではいろいろと違うこともあるから、とても勉強になるわ」


 そう言って本を抱きしめるレリッサは、生き生きとしている。

 ホーリィは今自分が降りてきた階段を振り返った。


「お義兄様にご挨拶しなくて良いの?」


 レリッサは少し困った顔で眉を下げた。


「リオン様はお忙しいから。今日はやめておくわ」

「お姉様が良いなら、私は良いけど……」


 ちらりと、レリッサに向けて優しい笑みを落とす義兄を思う。

 おそらくリオネルは、レリッサが顔を見せないことを残念がるだろう。


 そうは思ったが、ホーリィの一番の優先順位はいつだってレリッサだ。

 ホーリィはレリッサの腕に腕を絡ませた。


「じゃあ帰りましょ。この時間なら、まだサマンサとライアンが帰ってないから、二人で庭園でお茶をするのはどう?」

「良いわね。ホーリィの好きな料理長のマドレーヌ、用意してもらいましょうか」


 仲良く腕を組みながら王宮を出る。

 馬車に乗り込むと、対面に座ったレリッサがくすりと笑った。


「ホーリィ、今日は機嫌が良いみたい」

「そう?」


 ホーリィは馬車の窓枠に肘をかけて、外を眺めた。

 覆い茂る並木道が去っていく。


 頭の中に、尻餅をついてこちらを見上げる、エドが思い浮かぶ。


 ホーリィはそっと口角を持ち上げた。


(悩めば良いわ)


 悩んで悩んで、いっぱい考えれば良い。

 そうしてホーリィで頭をいっぱいにしておけば良いのだ。



**********



 リオネルはペンを置いて、時計を見上げた。小さく息を吐いて、立ち上がる。

 執務室を出れば、護衛の近衛がついて来ようとしたのを、手で制して、執務室から数部屋離れた一室へと向かう。


 エドに用事がある、と訪れたホーリィは少し前に帰って行った。

 扉の前を通り過ぎたのを気配で感じたから分かる。

 だがエドの方は、それから一向に帰ってこなかった。


 エドとホーリィが話をしていたはずの部屋の扉をノックする。

 返事はない。

 だが、中に確かにエドの気配はあって、リオネルはためらわず扉を押し開いた。


「おい、エド……」


 扉の向こうに、エドが尻餅をついて座り込んでいた。

 口元を手で押さえる、その顔は。


「真っ赤だぞ」


 どうした、なんて聞いてやるつもりはない。

 エドと話したいと、そう言ってきたホーリィの真剣かつ思いつめた表情を見れば、何があったのかは大体察せられた。


 リオネルはエドの前に座り込んで、その額を小突いた。


「だから言っただろ。自分で気付けって」

「いや……だって、ホーリィが……。……いや、は……?」


 エドは混乱している様子で、しどろもどろになりながら、なんとか言葉を口に出そうとしている。


 まさかホーリィが自分を、だなんて思いもしなかったのだろう。

 そう思うと、ホーリィが可哀想になってくる。

 リオネルは完全にホーリィ側の立ち位置だ。


『お義兄様を見習うことにしたわ』


 エドと話したいと言ってやって来たホーリィは、強い瞳でリオネルを見て言った。


 なるほど、と思う。

 彼女らしいやり方だった。


 リオネルはふっと笑って、いまだに顔を赤くしてるエドを見た。


「分からないなら、分かるまで考えれば良いんじゃないか? それが、彼女に対する誠意だと俺は思うけど?」

「え……えぇ……?」


 彼女は、エドのことを想い、悩んで惑って、時には間違った道を通りながら、ここまでやって来た。

 それに応えるなら、エドもやすやすと答えを得てはいけないのだ。


「ま、頑張れ」


 リオネルは笑って、エドの肩を叩いた。



 エドが彼女の気持ちに気づくまで、あともう少し。

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リリカローズは王国の華 かがり 結羽 @yuwaishere

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