48. その後の顛末2(終)
王都の中心部から馬で駆ける。街並みを通り抜け、森を抜けると高台に出た。
そこにひっそりと、腰ほどの背丈の石が並ぶ。
リオネルは馬を下りて、馬の背から荷物を降ろした。酒瓶と小さな花束だ。
立ち並ぶ石の表面には、人の名前が刻印されている。
それを無感動に眺めながら、石と石の間を、足が記憶しているままに歩く。
一番奥に二つ仲良く寄り添った石があった。
目的のそれを視界に入れて、しかしリオネルは立ち止まった。
先客がいたからだ。
故人の名を冠した石の前。
生きている者が時に、死した者に語りかけるために置かれた墓石の前で、セドリック・ラローザは胸に手を当て、長く目を伏せていた。
彼が目の前にする墓に刻まれた名は、ハインツ・ディ・レ・スタッグランド。
かつての彼の親友の名前。
「…閣下。気付かずに…申し訳ありません」
彼は程なくして目を開くと、少し離れた場所で見守っていたリオネルに気がついて、場所を空けた。
リオネルは二つ並んだ墓石の前に、酒瓶と、花束を置く。
父の名の横にある石は、母の名を冠している。
ここは王族の墓地だ。
寂れて廃れたこの場所の、この一角だけがいつも整然としている。
リオネルは少しの間目を伏せて、もう頭の奥底にしか記憶のない両親に語りかける。
父親の姿だけは、先日、国王に見せてもらった姿絵のおかげで、いくらか鮮明だった。
リオネルが目を開けると、セドリックはまだそこに立っていた。
彼はリオネルが立ち上がるのを待って、横に並んで墓石を見下ろした。
「早いものだ。もうすぐ二十年になりますな…」
その年月の重さを想う。
いずれ、自分は両親の生きた長さを超えるだろう。…そうでなければならない。だがそれも、不思議な感覚だった。
「閣下」
墓石に視線を置いたまま、セドリックが囁くように呟いた。
「将軍の職を、辞したいと思います」
リオネルは、何も言わない。
セドリックはちらりとリオネルの横顔を見て、そしてまた視線を戻した。
「娘は貴方の妃となり、息子は貴方の側近として常にお側に。その上で、私が将軍であるとなれば、貴族の勢力図が偏ります。…それは、この後のスタッグランドの為を思えば、避けなければならない」
「…この後、どうするつもりだ?」
「領地へ戻ろうかと。長く息子に代行を頼んでおりましたが、私もまた一領主でありますので。…領地から、貴方をお支えしたく存じます」
セドリックはリオネルの傍に跪いて、胸元に拳を置き、臣下の礼を取った。
「…貴方を、やっとこう呼べますな。…殿下。その御世に繁栄があらんことを」
「…長くご苦労だった」
セドリックが立ち上がって去っていく。
それは、決して歴史書に残ることがない、誰も知らない歴史の裏側。
十九年間、脇目も振らずに一人の王子を守り続けた、男の背中だった。
**********
時が流れるのはあっという間だった。
陽はいつの間にか長くなり、凍えるばかりだった朝が、鳥の鳴き声とともに緩やかな暖かさに包まれ、空は高く、木々には葉が覆い茂って、花々が咲き誇る。
「誰か! 花の香油を持ってない!?」
「こっちよ! ちょっと誰かドレスを支えててちょうだい! 背中の紐を結ぶから!」
「サマンサ様はどちら!? また瞑想されてるの!?」
上から下まで、バタバタとラローザ邸の廊下を侍女が駆け回っている。
彼女たちは夜中から起き出して支度に奔走している。
今日は、特別な日だ。
「よくお似合いですわ」
廊下の騒々しさとは無縁なレリッサの部屋の中で、マリアがレリッサの髪を結い上げて言った。
きっちりと結い上げた髪には、所々ダイヤが輝く。胸元から下は、山吹色のドレス。いつかにリオネルが贈ってくれたものの一着だ。
「最後にこちらを。今朝早くに届いたものですわ」
マリアが手に取ったのは、棘を丁寧に削ぎ落としたリリカローズの花。
長さを鋏で調節して、レリッサの髪に差し込んだ。
「今回は、きっちりと固定しておきましたから」
「ふふ、ありがとう。マリア」
マリアをはじめとした侍女たちが、スカートをつまみあげて深く礼を取る。
「お嬢様。いってらっしゃいませ」
「いってきます」
にこりと微笑んで、レリッサは部屋を出た。
セルリアンが王位継承権を放棄し、国王が、長く姿を消していた第二王子に王位を譲位することは、新聞の一面に載ったことで、瞬く間に国民の知るところとなった。
貴族間の反発はあったものの、リオネルがすぐに内政に参入して、王都郊外に住む貧民たちに国庫を解放し、仮住まいを与えたこと。その迅速な対応と、何よりアイゼルフット侯爵をはじめとした多くの大臣がリオネルの王位継承を後押ししたことで、次第にその反発は収まっていった。
一方国民はのんびりとしたもので、今まで大して存在感のなかった国王が今更変わろうが、どうせ生活が変わるわけでもない。特に大きな反発はなかったものの、ただ、生活の保障はして欲しいし、当然、不利益を被るのはごめんだと、言いたい放題言うのを、あちらこちらで聞いた。
レリッサは馬車に乗り込んで、ラローザ邸から王宮へと向かう。
馬車寄せに着くと、王宮の扉から階段を駆け下りてやってきたのは、パトリスだった。
「レリッサ。やっと来たか」
「やっとと言うほど、遅れたつもりはありませんが…」
戸惑うレリッサの手を、パトリスが掴む。
「リオネルが待ちかねてる。戴冠式に間に合わないんじゃないか、ってね」
「まぁ」
あくまでもレリッサの歩調に合わせながらも、パトリスが忙しなく、慣れた様子で王宮を闊歩して、たどり着いたのは、謁見の間の隣にある王族の控え室だった。
ラローザ家の応接間と同程度の大きさの部屋の奥で、リオネルが待っていた。
「レリッサ」
「リオン様」
腕を広げて待つリオネルの、その腕の中に駆け寄る。
「間に合ったね」
「もちろんですわ」
リオネルは、もう軍服を着ていなかった。正典用の白い正装だ。いつも黒を纏っていた彼が違う色を着ているのを見るのは、不思議な気分だった。
彼は軍の元帥の職を離れ、ここ数ヶ月は第二王子として王宮で暮らしている。
「君の父上は?」
「先に屋敷を出ましたので、すでに謁見の間に入っていると思います」
父は、リオネルが軍の元帥を辞めたのと同時に、将軍の職を辞した。
今は王都と領地を時折行き来しながら、長くパトリスに任せきりだった領地の運営に力を入れている。
「お二人さーん。もうすぐですよー」
抱き合うレリッサとリオネルに、かかる声があった。
いつも通り、地味な色の、けれど普段よりも上質なフロックコートに身を包んだエドだった。
「エド様」
エドは、そのままリオネルの侍従として仕えている。爵位があった方が何かと動きやすいだろうと、リオネルが一代男爵の爵位を与えようとしたのを、彼は断った。
平民には平民の、守るべき立ち位置がある。彼によれば、そう言うことらしい。
謁見の間に繋がる扉から入ってきたエドは、珍しく硬い表情だった。
「すごいよ、隣。めっちゃ人いる。あんな中で戴冠式すんの?」
「各部の大臣を含め文官数十名に、軍からも将校数十名。三十四領の領主に、他国から来賓多数ですからね…」
そう読み上げたのは、リオネルの側近として王宮に勤めだしたパトリスだ。
彼も落ち着かないのか、ずり落ちてもないのに、何度も眼鏡を持ち上げている。
「二人とも落ち着いたら? 君たちが戴冠するわけじゃあるまいし」
エドの後ろから、普段のものよりも豪華な
手には玉虫色の宝玉のついた杖を持っている。
ディートルはリオネルと共に王宮に居を移した。今は政府直轄の魔術師機関を作るため、リオネルの指示の元、大いに文句を垂れながら働いている。
「時間だよ。王サマ」
ディートルはローブの袖をしゃらりと鳴らして、謁見の間に繋がる扉を開いた。
リオネルがレリッサを抱きしめていた腕を解いた。
「行ってくるよ」
「ここで見守っています」
本来ならレリッサは戴冠式に参列する立場にはない。
けれどリオネルたっての希望で、こうして控え室から見守ることになった。
謁見の間では、すでに儀式が始まっていた。
国王と王太子が、文武両官の今までの労を労い、別れの言葉を述べる。
扉を開いてすぐには
その隙間からのぞくと、謁見の間には大勢の人が詰め掛けていた。エドが緊張した面持ちで入ってきたのも頷ける。
数ヶ月前、ここで国王とリオネルが剣を交え、戦いが繰り広げられていたとは考えられないほどの荘厳さ。
広大に感じたその部屋が狭く感じるほど、人で溢れている。
「今まで、よく余に尽くしてくれた」
そう述べる国王は、あれから見違えるほど体調が良くなった。もともと溌剌とした老人だったのだ。身体に不要な物を入れず、必要なものだけを口にすれば、身体に肉がつくのは当然のことだ。まだ細くはあるが、それでも健康的な身体つきになったと言える。
ただ、
今も、錫杖がその手には握られている。
国王の次はセルリアンの番だった。
今日も銀色の輝く髪を後ろにまとめ、涼やかな瞳で大勢の聴衆を眺めている。
「私の至らなさが、皆に混乱を与えたこと、深く反省している。こんな私に長く仕えてくれた者たちに感謝する」
セルリアンは今後、臣籍降下し、カーライル公爵として名を改めることになった。
この戴冠式をもって王宮から去り、今後はひとまず王都の南にある離宮で祖父である国王と共に暮らすことになっている。
セルリアンの挨拶が終わり、国王が玉座の前に立った。
「では。新しい王を呼ぶとしよう。…リオネル」
隣で待機していたリオネルが、レリッサを見下ろした。
行ってくる、と彼は目線で告げて、レリッサはそれにこくんと一つ頷いて返事をする。
リオネルの背中が、謁見の間へと進んでいく。
堂々とした足取りで玉座の前に待つ、国王の元へと歩んでいく。
「いよいよだ…」
レリッサの前に立つディートルが、興奮を抑え込んだ声でつぶやく。
「リオネル。ここへ」
国王の前に至ると、リオネルがその前に跪く。
国王が今まで自分が
今日のために、磨き上げられ、輝きを増した王冠がリオネルの頭の上に乗せられた。
「それっ」
ディートルが、トンッと杖で床をついた。
その途端。
「わぁっ…」
レリッサの声が、謁見の間に響く歓声に混じって消える。
リオネルが王冠を戴いた瞬間、謁見の間にキラキラと光が舞い降った。
魔法の光が王冠に飾られた宝石を煌めかせる。
神々しいほどの輝きだった。
見守っていた人々の歓声が、やがて拍手に変わる。
新しい王が誕生した瞬間だった。
**********
戴冠式の後は、バルコニーに出て聴衆へのお披露目がある。
エドは戴冠式の途中まで見守ると、控え室を出て、王宮前の広場と、広場を臨むバルコニーの両方を見渡せる場所に移動した。パトリスも一緒だ。
広場には、多くの国民が集まっていた。
王都の下町に長く住む者、王都に仮住まいを与えられた貧民たち、今日のために他領から訪れた人々。王の誕生の瞬間を見守りたいという純粋な興味と、野次馬根性のない交ぜになった複雑な感情が、熱気をここまで運んでくる。
聴衆は、新たな王がバルコニーに姿を現わすのを待っている。
新たな王の誕生に、王都の人々はそこまで期待をしていない。
どうせ王が変わっても、今日も明日も大きく変わらない。そんな諦めに似た空気が、この広場にも広がっている。
唐突に現れた第二王子が王位を継承したことで、新聞に載った情報以上のことを邪推する者も多い。
貴族平民もろとも、決して、諸手を挙げて歓迎されているわけではないのが実情だ。
人が立てる声が、物音が、ざわざわとしたうねりとなって広場を満たしている。
それが、不意にバルコニーに近い位置から次第に収まり始めた。
バルコニーに続く扉が開かれたからだ。
「来るぞ」
エドとパトリスは顔を見合わせて頷いた。
その姿を、おそらく本人以上に夢見ていた。
彼が王冠を戴くその日を。
彼こそが『王』に相応しいと、信じてここまでやってきた。
『王』が、姿を見せる。
その頭上に輝く王冠が、陽の光を照り返す。
リオネルが姿を現した瞬間、聴衆はシン…と静まり返った。
だが、どこかから声が聞こえた。
「…リオン様…?」
「おい、リオン様じゃないか…!?」
王都の下町に住む者たちだった。
その声が、やがて期待を込めたものに変わる。
「リオン様だ!」
「新しい国王は、リオン様だったんだ!」
「ほら言ったろ。あの方は、やんごとなき方だって!」
拍手が、歓声が、次第に広がっていく。
決して希望をもって集まっていた訳ではなかった人々の目に、希望が宿っていく。
それはやがて、地面を揺るがすような歓声に変わっていった。
「…リオン…良かっ…」
パトリスが眼鏡の内側を指で揉みながら、浮かび上がった涙を誤魔化している。
エドはパトリスの肩に手を置いた。
思うことは一緒だ。
良かった。
リオネル。
お前が、一人一人、決して見捨てず、置き去りにせず、すくい上げていった結果が今だ。
『今、目の前にいるたった一人さえ救えないなら、これからも誰も救えない。そのたった一人を積み重ねるから、やがて沢山の人が救えるんだ』
あの日の、琥珀の瞳が
聴衆の歓声は、リオネルがバルコニーから姿を消した後も、しばらく止むことはなかった。
**********
夜には夜会が催される。
ちょうど時期は初夏。これが、今シーズン最後の夜会だった。
王族の入場は招待客が全員広間に入った後だ。
レリッサは王族の控え室でリオネルと共にソファにかけている。昼間の戴冠式から、王宮にずっと滞在しているのだ。
「ごめんね。一緒に入場できなくて」
もう何度目か、リオネルがまた同じ言葉を繰り返して眉を下げた。
新しい王は若く、どこからともなく突然やってきた。それが多くの人の持つ印象だ。
そこに戴冠とともにレリッサとの婚約を発表すれば、余計な混乱と
だから今夜レリッサは、一人で入場する。あと少ししたら、この控え室を出て広間へと向かわなければならない。
「でもファーストダンスは君と踊るから。他の男の誘いを受けてはいけないよ?」
「もちろんです」
やはりこちらも数度目の会話を交わしていると、リオネルの側近として慌ただしく動いているパトリスが入ってきた。
「そろそろみんな揃いそうだ。レリッサも広間に移動した方がいい」
「わかりました」
レリッサが立ち上がると、リオネルがレリッサの手を引いて、唇で手の甲に触れた。
「また後で」
「はい、お嬢様借りてくよー」
余韻に浸る間もなく、エドがレリッサの肩をくるりと回した。
リオネルがエドを睨む。
「エド、レリッサに触るな」
「お、嫉妬ですか? あー、怖い怖い」
エドはちっともそう思っていない声色でそう言うと、レリッサの肩を押して控え室を出た。
広間には、すでに貴族のほとんどが入場していた。
新しい王の姿を見ようと、いつも以上に賑わっている。
「お姉様、こっちよ!」
広間に入るとすぐに、ホーリィが優雅に手を挙げてレリッサに呼びかけた。
周囲には多くの男性が『社交界の華』に声をかけるタイミングを見計らって、円を描いている。その中を分け入って、レリッサはホーリィに近づいた。
ホーリィの隣では、サマンサとライアンも待ち疲れた顔をして立っていた。ちなみにエメリアは、今日も今日とて、城下町で市中警備をしていて不参加だ。
「戴冠式、お疲れ様。姉さん」
「ディートルの魔法、どうだった?」
リオネルの戴冠の様子よりも、ディートルの魔法について尋ねてしまうのがいかにもサマンサらしかった。
レリッサは小さく苦笑いをして、「素敵だったわよ」と答える。
広間の奥から、ざわめきが立った。
楽団がずっと鳴らしていたスローテンポな曲を一旦やめたのだ。それは、王族が間もなく入場してくることを示している。
「いよいよね」
ホーリィが意味ありげにレリッサを見る。
高らかな金管楽器の音が響く。
広間の奥の、金で縁取られた扉が緩やかに開く。
まずは先王となったアンドローガ。そしてそれを支える元王太子セルリアン。その後ろから、迷いのない足取りで、リオネルが入ってきた。
シン…と広間の中が静まった。のは、一瞬だった。
あちらこちらから、囁き声が聞こえ始める。
「ねぇ、あれって…」
「あの人じゃない…? ほら、ラローザ家のお嬢様の…」
ちらりちらりと、レリッサにもその視線が向けられる。
「静粛に」
声をかけたのは、アイゼルフット侯爵だった。今日も白い巻き毛を後ろに撫で付けている。
彼は、シンプトン公爵の後、新たな宰相となったのだ。
「陛下からの御言葉を頂戴する」
リオネルが歩み出る。
広間に佇むすべての者が、その発声を固唾を飲んで見守った。
「ここに招待された者の中には、私の顔に覚えの者もあるだろう。リオネル・ディ・レ・スタッグランド。貴君らの新たな王だ」
リオネルはぐるりと広間を見渡した。
すぐにレリッサを見つけて、少し目を細めて微笑んだ。
「長く王宮を離れていたが、こうして戻ってくる運びとなった。長々と話すつもりはない。ただ、一つだけ」
リオネルが口の端を持ち上げた。
「今までと同じではいられない。この国は変わらなければならない。そのために、皆にも意識を変えてもらう。不平不満は受け付けないが、問題点に関する有意義な議論は歓迎する。必ず対案を持って私の元に来るように」
それでは、とリオネルは手を広げた。
「今シーズン最後の夜会だ。楽しんでくれ」
広間の中は、静まり返って動かない。
曲の再開を促された楽団が、戸惑うように楽器を宙に浮かせている。
パン…と拍手が一つ響いた。
レリッサは音の出所を追って、それが父の鳴らしたものだと知る。
父は軍服ではなく夜会服に身をまとって、誇らしげにリオネルを見つめながら手を打っていた。
続いて、セルリアンが、そして先王が手を打つと、波打つように人々が手を打ち始める。
気づけば広間に拍手が響き渡って、広間に灯されていた灯りが呼応するように光を増した。どこかでディートルが操っているのだろう。
リオネルは満足げに笑うと、迷うことなく足を踏み出した。
人の波が割れていく。
リオネルはレリッサの元に一直線にやってきた。
人々の視線が、レリッサとリオネルに注がれる。
羨望と好奇心が多分に含んだ視線を受け流して、リオネルがレリッサに手を差し出した。
「踊っていただけますか。ラローザ伯爵令嬢」
琥珀色の瞳が、悪戯に輝く。
レリッサは微笑んでその手に手を重ねた。
「レリッサですわ。喜んでお供いたします、陛下」
楽団が音楽を奏でる。
見守っていた人々もまた、自分のパートナーと共に音楽に乗って踊り始める。
レリッサとリオネルも音楽に身を任せた。
身にまとう山吹色のドレスの裾がふわりふわりと舞う。
「そのドレス、よく似合ってる」
「…誰かさんの瞳の色のドレスですわ」
レリッサが少し視線を伏して言うと、繋がれた手に力が入った。
「俺の喜ばせ方を、よく知ってるね。レリッサ」
リオネルが、レリッサの腰に手を添えて持ち上げた。
くるりくるりと舞う。
周囲がぐるぐると回ると、世界がリオネルだけになる。
その満足げな笑顔に、彼にその顔をさせたのは自分なのだと胸の内が震える。
音楽の終わりと共に、リオネルが腕の中にレリッサを抱きかかえて、さっと唇にキスをした。
「…陛下…!」
「リオンで良い。君はずっとそのままで」
リオネルが楽しげに笑う。
どこか幼さを感じるその笑顔に、レリッサはつられて笑った。
**********
ファーストダンスの後の国王には、貴族の挨拶を受けるという長い苦行が待っている。
レリッサの元を名残惜しげに去るリオネルと入れ違いに、アイザックはレリッサに近づいた。
すれ違い様、リオネルに肩を軽く叩かれたのは、「任せた」なのか「分かってるな」なのか。
どちらにせよ、意味は大して変わらない。
「あの人も本当に困った人だな…」
嘆息して言ったアイザックに、レリッサが首をかしげる。
こちらにもため息を落として、アイザックは、ツンとレリッサの額を指で突いた。
「お前は自分の物だと、手を出すなって周りに牽制したんだろ」
レリッサが顔を赤らめる。
その表情に、チクリと胸の奥が疼く。
こんなに間近で、彼女と彼の仲睦まじい姿を、どれだけ自分の目に焼き付けても。
それでも彼女への想いは簡単には無くならない。
そんな軽い気持ちで彼女を好きだったわけじゃないから、それも当然のことだ。
「踊らないか」
アイザックがぶっきらぼうに差し出した手を、レリッサが笑って握る。
踊り出すと、レリッサは気遣うようにアイザックを見上げた。
「お父様のこと、大変ね」
「あれは完全に自業自得だからな。同情の余地もない。突然家を継がされた俺の身にもなって欲しいもんだ」
父親は、軍と政府の厳しい聴取の末、この数年間に渡る数々の悪行を洗いざらい吐き出した。不正に横領、権力の濫用、犯罪教唆など、その悪行は多岐に渡ったが、結局はテルミツィアへの情報流出と、先王へ毒を盛ったことが何よりの決め手だった。
処刑が妥当というのが大概の意見だったが、リオネルはそれを却下した。
結局、生涯牢への幽閉という形になった。
ちなみに、ミルドランド公爵は爵位を剥奪され平民に身を落とし、先王の毒殺を教唆したマグフェロー公爵は老いた身に幽閉は厳しかろうと、公爵位剥奪の上で、常に監視をされながら屋敷にて生涯囚われることとなった。これには、先王による、弟の罪をできるだけ軽いものにという陳情が多分に考慮された。
アイザックも政府からの聴取を受けたものの、結局は何も知らなかったので、何も答えようがなく、すぐに無罪放免となった。
アイザックに、何も知るべきではないと言ったリオネルの言葉は正しかったのだ。
自動的に、爵位はアイザックの物になった。
シンプトン公爵としての仕事に加え、新たな将軍付きとなったアイザックは多忙で、レリッサの顔を見るのは久しぶりのことだった。
「元気そうだな」
「ええ。貴方は、少し痩せたわね?」
ちゃんと食べてる? と、いつだったかと逆の質問をされて、アイザックは苦笑いをする。
レリッサもそのことに気づいたのか、ふふと笑った。
その笑顔を、やはりもう少し見ていたい。
彼女の一番が自分でなかったとしても、構わない。
『辛いと思うわ』
いつだったかのホーリィの声が頭に響く。
そうでもないさ。
アイザックはあの時と違う答えを返した。
彼女を幸せにするのが、最も尊敬する人であるのなら。
それはそれで、悪くない。
それを見守るのも、一つ、男の甲斐性だろ。
とアイザックは独り言ちた。
音楽が終わる。
彼女のドレスの裾がふわりと落ちて、レリッサがアイザックにとびきりの笑顔を向けた。
「楽しかったわ」
その笑顔に、心からの同意を。
「俺もだ」
**********
夜会が終わり、王宮を退場する長い列が広間から馬車寄せまで伸びる。
それを窓の外に見ながら、レリッサは後ろを振り向いた。
そこはもう長く使われていなかった王の執務室だ。
もともと、かなり華美な装飾だったものを、彫刻だの絵画だの飾りだのと色々と取り払い、とても事務的なシンプルな内装に生まれ変わった。
執務室のソファには、硬い表情でリオネルとパトリス、そしてディートルと父が座っている。
「レリッサも疲れたでしょ。今日はもう部屋に戻って」
リオネルに促されたものの、「でも…」とレリッサは父たちの表情を伺う。
今宵は、そう、戴冠式の夜だ。
それでも、やはり不安は拭いきれない。
『呪』が本当に解除されたのか。
それを見届けるため、今は一領主となった父も、今宵は全員で寝ずの番をするのだと言う。
レリッサも心配で、無理を言って今晩は王宮に留まらせてもらうことになっている。
本当ならみんなと一緒に一晩を過ごしたかったが、これにはパトリスが猛反対した。
「未婚の令嬢が、男と一晩なんて、絶対だめ」
と言うわけだ。
リオネルがレリッサを安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だ。きっと、何も起こらない」
部屋に戻って、と重ねて言われれば、従わないわけにはいかない。
レリッサは執務室を辞して、近衛に案内されながら西の棟に用意された客室に移った。
一晩を、どこかで悲鳴が聞こえるのではないかと、耳を澄ましながら過ごした。
寝台の中で、布団にくるまりながら、ただ祈りながら時が経つのを待つ。
けれど王宮の中は、どれだけ待っても静けさに包まれていた。
次第に頭の中がぼんやりとして、眠っては目覚め、眠っては目覚めて、やがてレリッサは、隙間を開けておいたカーテンから陽の光が差し込んでいることに気づいた。
「朝…!」
寝台から起き上がる。
王宮の侍女が用意しておいてくれた服に手早く着替えると、レリッサは部屋を飛び出した。
お淑やかさなんて、二の次で。
確認したかったのは、彼が心を壊していないか。ただそれだけだ。
「レリッサ!」
王宮の中央部と西側の棟を繋ぐ、庭園を臨むガラス張りの回廊の向こう側から、リオネルが走ってくる。
「リオン様!」
彼が広げた腕の中に駆け込む。
ぎゅっと強く抱きしめられた。
「リオン様、『呪』は…」
「大丈夫だ」
何も。何もなかった。
リオネルはそう告げた。
「良かった…」
スタッグランドの王家を長く縛ってきた呪いが解けたのだ。
ここから先、もう二度と同じ惨劇は起こらない。
「レリッサ」
耳元でリオネルが囁いた。
「必ず君を幸せにする。君の家族のように、笑いの絶えない、素敵な家族になろう」
「喜んで」
ガラス戸が、朝陽を反射して輝く。
廊下が白く染まる。その幻想的な光景を視界の端に捉えながら。
二人は優しく唇を重ねた。
完
――――――――――――――――――
ご愛読ありがとうございました。
これにて、本編終了となります。
一旦完結とさせていただき、今後は番外編を時折入れていければと思っています。
番外編は、これからの彼女たち、もしくは過去の彼女たちの話になるかと…。
(この後、夕方に番外編を1本上げます)
まだまだ彼女たちのこれからを書いていきたいと言う思いもあり、続編を書くか迷いました。
おそらくここまで書いてきたのと同じだけの分量のストーリーを書ける。そのつもりでいます。
ですが、綺麗に終わったこともあり、一旦ここで区切りとしたいと思います。
途中、重々しい展開になることも多々あり、どシリアスな内容でしたが、ここまで読み切ってくださった方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
最後にもう一度、心からのお礼を。
本当にありがとうざいました。
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