第405話 真由美さんという存在

「真由美さん…」


「お母さん…」


「こ、これは奥様、大変ご無沙汰しておりますな」


「ええ。山梨常務もお元気そうで」


 通路の陰からいきなり現れた真由美さんは、俺と沙羅さんにチラリと目配せをしただけで、何事もないかのように常務さんとの会話を開始。

 二人の間に流れる空気は、若干微妙そうな、何とも言えない雰囲気があり…


「いえいえ。奥様も相変わらずお綺麗でいらっしゃる」


「そんなつまらないお世辞なんてどうでもいいわ。そんなことより、今の発言がどういう意味なのか…ぜひ私にも教えて欲しいわね?」


「その前に私からもお聞かせ願いたいですな? 今お嬢さんから伺った話は、一体どういうことなのか」


「どうもこうもないわよ。さっき沙羅ちゃんが言った通り、この二人は交際してるの」


 俺とのときより二割増しで大袈裟な会話姿勢を見せる常務さんに対し、余裕すら感じさせる不敵な笑みで言葉を交わす真由美さんは…その目だけは、全くと言っていいほど笑っていない。

 寧ろ常務さんを鋭く射抜くような、最初に会場内で一悶着あったときの姿とまるで比べ物にならない、全てを圧倒するような迫力に満ち溢れており、そのせいなのか、常務さんの方は声ほどに余裕を感じていない様子が見てとれ…


「そうでしたか。それでお二方は、まさかそれを認めているとでも?」


「当たり前でしょ? 沙羅ちゃんがやっと出会えた運命の相手なんだし、それを邪魔するなんて親がするべきことじゃないわ」


「運命の…はは、それはまた大きく出ましたな」


「あら、何がおかしいのかしら? 私は事実を言ったまでよ?」


 二人は会話を重ねる度に声のトーンがどんどん下がり、何やら目に見えない火花のようなものが飛び散り始めているというか、明らかに剣呑な空気が漂い始めており…


 ひょっとして、この二人は仲が悪かったりするのか?


「まぁ、百歩譲って学生の内はそれでもいいとしましょう。ですがお嬢さんには、もう少しご自身の立場というものを考えて頂かないと…」


「それなら心配ないわね。一成くんは私達の養子になるんだから、名実共に薩川家の一員ってことになるし」


「…は?」


 実にアッサリと核心を言い放った真由美さんの一言に、ここまで一応の余裕を伺わせていた常務さんの表情が遂に崩れ始め…


 ただそれはそれとして…


 今の話って、トップシークレットじゃなかったのか!?


「本当はこの後正式に発表するつもりだったんだけど、仕方ないから常務にだけは伝えておくわね。この子は…一成くんは、近い将来私達の養子になるの」


「よ、養子っ!? そ、それはまさか…まさか!!??」


「常務の考えている通りよ? 一成くんは薩川家の養子になって、将来は沙羅ちゃんと結婚する。それで全てが収まるところに…」


「ちょ、ちょっと待って頂きたい!! そんな重大な話を、なぜ私達に何の相談もなく…」


「は? なぜ私達のことをイチイチ役員などに相談しなくてはならないのですか? 寝言は…」


「沙羅ちゃん、話がややこしくなるから今は私に任せて?」


「…はい」


 泡を食ったように捲し立てる常務さんに横槍を入れた沙羅さんを、真由美さんがやんわりと諌め…でもそれは俺も全くの同意見であり、なぜ俺達二人の話をイチイチ会社の人間に通さなくちゃいけないんだと。


「…奥様、本当に二人をこのまま結婚させるおつもりですか? こう言っては何ですが、まだお互いに高校生でしょう?  そんな時期の色恋を、そこまで深く結びつけるなど…」


「あら、でもこの二人はもう婚約してるし、沙羅ちゃんの薬指は見なかったの?」


「…あれは、単なる虫除けのフェイクかと」


「まぁ普段の沙羅ちゃんしか知らない人間ならそう思っても不思議ないでしょうけど…でも残念。あれは一成くんが自分で働いて買った、正真正銘の婚約指輪よ? そして沙羅ちゃんはそれを受け取ったの」


「っ!?」


「なっ!?」


 真由美さんの説明を聞いた常務さんと息子さんが、今度は俺に向かって驚愕の表情を浮かべ…でも常務さんはまだ余裕を残しているのか、一つ咳払いをして直ぐに体裁を整えると、再び真由美さんに目を向ける。


「この際ですから、まだ高校生の二人がどこまで将来のことを本気で考えているのかは置いておくとしましょう。それよりも奥様は…専務もですが、本当にこの話が受け入れられるとお思いで?」


「受け入れられるも何も、この二人の関係に誰一人口出しなんかさせるつもりはないわよ? その為に養子縁組までするんだし」


「仮にそこまでしたとしても、それで全てが丸く収まるとお思いですか? お嬢さんの立場を踏まえた上で彼を養子に迎えるということは、つまりそこまで考えていらっしゃるということですよね?」


「勿論よ。私も政臣さんも…何なら会長や私の母だってそう考えているわ」


「か、会長に大奥様まで!?」


 何やら分かるような分からないような、大袈裟に思えるくらい驚きを露にする常務さんの姿に、俺も思わず困惑を覚えてしまい…


 この話は、そこまで他人に驚かれるようなことなのか?


「どうも勘違いしてるみたいだから一つ言っておくけど、私達は企業として役員の立場を用意してはあっても、今回の件に関して口を出させるつもりは毛頭ないの。普段表に出ない私がここまで言ってることの意味、まさか分からないなんて言わないわよね?」


「そ、それは…」


「と言うか…」


 真由美さんはそこまで言うと、一呼吸置き・・・


 見ているこちらが寒気を感じる程の、怒りをあらわにしたときの沙羅さんを上回るほどの、凍てつくような鋭く冷たい視線で常務さんを見据え・・・


「さっきから黙って聞いてれば、私の可愛い息子を随分と下に見てくれてるようだけど…いい度胸ね?」


「っ!?」


「それとも単に焦ってるだけかしら? 候補で名乗りを挙げてくる人間が妙に社内優先されてるみたいだし、自分の息子がダメだった場合、息の掛かった人間の関係者で何とか納めたい…とか?」


「い、い、一体何を言って…」


「あまり私を舐めないことね? 政臣さんのときも陰でコソコソ動いてたみたいだけど、お父さんがいなくなったからって好き勝手出来ると思ったら大間違いよ」


「くっ…」


 正に蛇に睨まれた蛙の如く。見ている俺ですら素直に怖いと感じてしまう程の、普段と全く違う真由美さんの凄まじい迫力に、常務は口をつぐんでしまい…その後ろでひたすらオロオロとしている息子さんの姿も、今の真由美さんを前にすれば仕方ないことと思えてしまったり。


「真由美? それに沙羅も…山梨常務?」


 そこにひょっこりと…少し前の光景を思い出させる様子で政臣さんが姿を現し、完全に凍りついていた場の空気に少しだけ緩みが生まれる。

 そしてこの状況をまたしても不思議そうに眺めている政臣さんは、相変わらず呑気に首を傾げながら…いや、何が起きてるのか知らないんだから仕方ないけど。


「はぁ…政臣さんの詰めが甘いから、私が尻拭いをしてるのよ」


「は? えっと…そうなのか?」


「そうなの!! 全く…油断しすぎよ!!」


「す、すまん?」


 もう完全にご立腹な真由美さんに謝罪の言葉をかけ、政臣さんは訝しげに常務さんを見ながら…


「常務、何か話でも?」


「専務…養子の件は本当でしょうか?」


「…真由美?」


 絞り出すような声音の常務さんからそう聞かれ、サッと表情を引き締めた政臣さんが、何かを確認するような視線を真由美さんに向け…それにコクリと真由美さんが頷くと、それで全てを悟ったのか、政臣さんの雰囲気も直ぐに一変。


「…あぁ、本当だとも。まだ少し先の話だが、ここにいる一成くんは私達の養子になる」


「いきなりそんなことをすれば、どうなるのか本当に分かっているのですかな? 何の根回しもなく、ましてお嬢さんへのお見合いや縁談の申し込みが殺到しているこの状況下で、そんな発表をすれば…」


「問題ない。既に"必要な箇所"への根回しは済んでいるし、この後控えているサプライズ発表を聞けば、もう誰であろうとこの件に口を挟むことは出来なくなる。例え執行役員であろうと…常務であろうと、だ」


 こちらも実に堂々と、今まで見たことがないくらいの貫禄と迫力で話す政臣さんの姿に対し、先程から若干腰が引け気味に見える常務さんは、ポカンと呆けたように口を大きく開け…


 でもそれはそのはす。

 だって、政臣さんが言った台詞の意味は、つまり…


「は、はは、ははは…そうですか、よく分かりましたよ。貴方がそこまで言うのであれば、私も先ずはそのサプライズとやらを待つことにしましょう。話はそれからでも遅くない」


「ええ。それを見た上でまだ何か言う余裕があるのであれば、どうぞお好きに。但し…そのときは、相応の覚悟が必要になると思いますがね」


「覚悟…なるほど、肝に命じておくとしょう。それでは一旦、この場は失礼させて頂くとしますか…行くぞ、幸人」


「えっ!? わ、分かりました。その、沙羅さん、また後…」


「あの…いい加減にして貰えませんか?」


「…は?」


 ここで突然、俺が口を挟んだことに、男性は分かりやすいくらい驚きと戸惑いの表情を浮かべる。

 今までは話したくても話せないことが多くて見ているしか出来なかった俺だけど、この人に悪気があるのかどうかは別としても…


 これが単なる独占欲だと分かっていても…


「貴方が本気で沙羅さんを好きだって気持ちはよく分かりましたけど、でも沙羅さんは嫌がってますよね? それに自分のことを名前で呼ぶなって何度も言ってますし」


「そ、それは…だが、君にそれを言われる筋合いは…」


「有りますよ。誰が何と言おうと沙羅さんは俺の婚約者ですし、そんな沙羅さんに他の男が色目を使って言い寄ってきたら不愉快に思うなんて当たり前じゃないですか。もし貴方の恋人に他の男が言い寄ってきたら、嫌な気分にならないんですか?」


「う…」


 なるべく強い言い回しにならないように言葉を選びつつも、言いたいことだけはしっかりと伝わるように落ち着いて話をしていく。

 本当なら彼氏としても婚約者としても、ここはキッチリと怒りたい気持ちがない訳じゃないけど…否定したい気持ちは多々あるけど、最低限、この人が沙羅さんを好きだという気持ちそのものに俺が文句を言う訳にはいかないから。


 でもせめて、一つだけ…


「あとこれだけはハッキリ言わせて貰いますけど、沙羅さんを"沙羅さん"って呼んでいいのは俺だけですし、身内以外の男で"沙羅"と呼び捨てにしていいのも俺だけです。これは何より沙羅本人がそう望んでいるんですから、いい加減理解して下さい」


 こういう言い回しは下手をすると「傲慢」や「不遜」といった、あまり宜しくないイメージが湧いてしまうかもしれないと自分でも分かっているけど…でもこれだけは俺も譲れない一線だし、ここまで言わないと多分この人は理解してくれない。

 そもそも人の心を他人がどうこう出来る訳がない以上、現実として認めて貰う以外に手段がないので…


「一成さんの言う通りですよ? 例え貴方が私に好意を抱いていたとしても、私は一成さん以外の男性から向けられる好意など一切不要です。これ以上貴方と話をすることなど何もありませんし、ましてこの手合で一成さんのお心を煩わせるなど冗談ではありません」


「そ、そこまで…」


「ええ。私は一成さんを心から愛しておりますし、この先の人生も、一成さんと一緒にありたいと本気で願っておりますから」


「沙羅、それは別に願わなくても、俺だって…」


 これからもずっと、どこまでも沙羅と一緒に居たいと思う気持ちは、俺だって全くの同じだから…沙羅がそれを願わなくたって、寧ろ俺の方からお願いしたいくらいで。


「ふふ…嬉しいです、あなた♪」


「あらあら…これはもう勝負にすらならないわね」


「く…くぅぅ…」


「…行くぞ、幸人」


「…はい」


 呆然と立ち尽くしながら、それでも悔しそうに俺を睨みつける男性を半ば強引に引っ張り、常務さんは早足でこの場を立ち去ろうと歩き始め…


「あぁそうだ。常務。今の話は…」


「…他言はしませんよ。まだリスクが分からない以上、迂闊に動くのは悪手でしかありませんから」


「結構。それではまた後で」


 後ろから掛けられた政臣さんの釘指しに淡々とした返事をすると、常務さんは一度も振り返らず、スタスタと立ち去っていく。


「…こちらもいよいよ大詰めね」


「あぁ。後々のことを考えておくのも、親としての役目だからな」


 既に姿が見えなくなった常務さん達の方を向いたまま、ポツリと呟くように交わされた二人の意味深な会話が…


 いつまでも、俺の耳に残った。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


















はい。

という訳で、一応の前哨戦が勃発したということでした。

やはり沙羅さんの指輪も、現時点ではあまり効果を発揮していないということが分かってしまいましたが、それも二人の関係が発表されるまで・・・でしょうね。


さて次回ですが、深刻な砂糖成分不足を私自身も感じておりまして、ちょっと息抜き的に一つ話を追加したいと考えております。

そもそも沙羅さんと真由美さんがここに来た理由なども語られておりませんし、会長と絡むのかどうか含めて、気になっている読者様もいらっしゃるでしょうから・・・このままスルーするのもつまらないかなと。

まぁその分、また一つパ-ティーが長くなるんですが(ぉ


そろそろ年末の繁忙期もあり、なかなか執筆の時間が取りにくくなっていますが、何とか年内にもう一回・・・できれば二回くらい更新できればいいなと思っております。


それではまた次回~





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る