第404話 常務
『まだ少し話が残ってるから、表でちょっとだけ待ってて貰えるかな?』
政臣さんにそう言われ、一足先に特別室を出た俺は、通路のソファーに腰を下ろして取り敢えずはホッと一息。
何だがあっという間に話が終わり、最初こそ不穏な空気が漂っていたものの、終わってみればワリと気楽に話が出来たような気もするのは…やはり沙羅さんを実の孫のように思っているという会長さんの優しさが、間接的に俺にも反映されていたのではないかなと思う。
ただそれはそれとして、今回、政臣さんが正式に次期社長の座へ着くという話を図らずも聞いてしまった訳だが、俺的に気になるのはその先のこと…政臣さんが正式に社長へと就任した際、俺達の生活にも何らかの変化が訪れるのか訪れないのか…
でも一つだけ言えることは、これまで創業家一族という立場であった真由美さんに「社長夫人」という新しい肩書きが追加され、その娘である沙羅さんにも、やはり「社長令嬢」という肩書きが追加されることになるという…
…ん?
ちょっと待て。
それってつまり…
政臣さん達の養子になる俺も…なのか?
いや、でも血は繋がってないし…
うーん…?
「おやおや、これはまたタイムリーなお客さんだ」
「え?」
ソファーに深くもたれ掛かり、漠然とそんなことを考えていた俺に、いきなり話し掛けてきたのは…政臣さんよりも一回りくらい年上に見える、グレーのスーツに眼鏡を掛けた、少し恰幅のいい男性。
そしてその後ろには、同じくこちらを眺めている、さっきの三人組と同じくらいの年齢に見える若い男性が一人いて…
「あの…?」
「あぁ、心配しないでくれ。君がここに居るということは、会長に呼ばれたかそれ相応の用事があるということだろうし、別に不審がっている訳じゃないんだ。それに君の姿は、さっき専務や奥様方と一緒にいるところを見ているからね」
「は、はぁ…そうですか」
何やら芝居がかった台詞回しはさておき、どうやら先程の三人組と違い、いきなり問い詰められるということはなさそうだけど…なんだろう、似たような話になりそうな気配だけはビンビンに伝わってくる。
「取り敢えず自己紹介をしようか。私は山梨幸彦…この佐波エレクトロニクスで常務を勤めさせて貰っている者だ。宜しく」
「よ、宜しくお願いします。お…自分は、高梨一成です」
「高梨…高梨…ふむ、私の記憶している限り、高梨という名の役員や役職の者は存在しないが…お前は誰か心当たりがあるか?」
「いえ、私の知る限りでも高梨という人物はいません」
「そうか…まぁいい」
山梨と名乗った男性…常務さん(?)は、そう言いながら後ろの若い男性と何やら目配せをして…またしても俺のことを興味深そうにジロジロと眺めてくる。
うーん…居心地が悪いぞ。
「あの、俺に何か?」
「ん? いや、私達も特に何か用事があって話し掛けた訳じゃないんだが…」
「そうですか。それじゃあ俺は…」
「ただ…私達はこのあと、専務のお嬢さんと一席設けさせて貰えるように会長からも口添えをお願いしようかと思っていてね。なんせ彼女はなかなか公の場に姿を現さないから、今日はまたとないチャンスと言えるだろうし」
「…は?」
今、この人は何て言った?
沙羅さんと…何だって?
「…やはり、顔色が変わったか」
「っ!?」
思わず話に反応してしまった俺の顔を見て、常務さんの表情が…目付きが、急に鋭いものに変わっていく。
そして後ろの方でも、同じくこちらを見ていた若い男性が俺を見つつ…
「父さん、その話は…」
「お前は少し黙っていなさい。これは安易に見逃していい話ではない。場合によっては私が…」
「場合によっては…何ですか?」
「お、おっと!? これはこれは…」
唐突に常務さんの話を遮り、通路の陰からスッと姿を現したのは…
そのままゆっくりと歩を進め、俺と常務さんの間に割り込むように…俺を守るように、身体ごと間へ割って入ったその女性は、もちろん俺にとって最愛の…
「さ、沙羅さん…」
「っ!?」
ポツリと、まるで熱にうなされたようにその名を呟いたのは…残念ながら俺じゃない。
それは目の前にいる、まだ常務さんの後ろに控えたままの若い男性が、俺と同じ呼び名で沙羅さんを呼び、熱い眼差しで見つめ…
それに激しく動揺してしまった俺と、そして当の沙羅さんは…
「私の名前を気安く呼ばないで頂けますか? その呼び名で私を呼んでいい男性は、この世に一人だけです」
後ろにいる俺からはその表情を伺い知ることは出来ないが、聞こえてくる沙羅さんの声音には明らかな不快感と、抑えきれない憤りの感情が滲み出している様がハッキリと感じ取れ…
「そもそも面識すらない人間に、馴れ馴れしく名前で呼ばれる筋合いは…」
「いえ、私と貴女は以前にも何度かお会いしていますよ?」
「…記憶にありませんね」
「そ、そうですか…それは残念です」
沙羅さんにキッパリと面識を否定され、悲しそうにガックリと肩を落とした男性は…と思いきや、直ぐに気持ちを切り替えたのか、妙に勢いよく前を向く。
「あの…本当に私のことを覚えていらっしゃいませんか? 確かにここ暫くは満足にお会いしておりませんが、その前は何度かお話もしているんですけど…」
「…確かに、このパーティーで何らかの話をしたことがある人物は何人かいると思いますが、それが誰であったのかまでは覚えていません」
「その中に私がいるんですよ!! 良かった、そのくらいでも覚えていて貰えたんですね?」
「はぁ…」
明らかに沙羅さんから敬遠されている空気を物ともせず、目の前の男性は妙に前向きで…逆に沙羅さんは、そんな男性の様子に毒気を抜かれたような声を漏らす。
そして俺の方は、何やらいつもと違う展開に焦りを覚えつつも、口を挟む切っ掛けがなかなか掴めずにいて…
ちょっと困ったぞ、これは。
「ははは、これはちょうどいい。会長と専務に話を通してからだと思っていたが、せっかくの機会だ。このままどこかへ場所を移して、二人でゆっくりと話を…」
「お断りします。私の方は話すことなど何もありませんし、ましてそちらの男性と二人になるなど冗談ではありませんね」
「は、はは…話には聞いていたが、随分とハッキリ物事を言うお嬢さんだ」
「気に触ったようでしたら申し訳ありません。ですがこれは、私の性分ですので…と言いますか、気に入らないのであればどうぞこのままお帰りに…」
「い、いえ、待って下さい沙羅さん!! 私はそんな貴女に…」
「ですから、私のことを馴れ馴れしく名前で呼ぶなと言った筈です。それに私は、貴方と話をするつもりなど全く…」
「そこを曲げて、どうか私にお時間を下さい!! 私はこの機会に、何とか貴女とお近づきになりたいのです!! ですからせめてお話だけでも…」
「…っ」
見るからに必死の形相で食らいついてくる男性の様子に、沙羅さんが声を詰まらせ…俺も何とか理由を付けて会話に割り込もうとするものの、何を言えばいいのかその理由が全く思い浮かばない。
俺の沙羅さんに近寄るな?
沙羅さんはもう俺の婚約者だ?
でもそれは全て、政臣さんから厳重に止められている話の根幹に関わる部分であり、第一そんなことを言って割り込んでしまったら俺がとてもイヤな人間に思えて…
「くっ…うぅ…」
俺があまりのもどかしさと焦燥感に、思わず呻きに似た声を漏らしてしまうと…不意にこちらを振り返った沙羅さんが、「大丈夫ですよ」と、優しい眼差しでそう言ってくれたような…そんな気がして。
「…そもそも、私のどこがそんなに気に入ったと言うのですか? 自分で言うのも何ですが、私はお世辞にも人から好かれるような性格をしておりませんし」
「他の連中は貴女へ言い寄ることに夢中で気付いていなかったでしょうが、私は貴女が寂しそうにしている姿がとても強く心に残ったのです。口では私や周囲を拒絶するようなことを言いながら、独りであろうとする姿がとても寂しそうで…だから私は、そんな貴女を優しく包んであげたいと」
「なるほど、貴方には私がそう見えたのですね? 確かに今まで、そういう切り口で話をしてきた人物に覚えはありませんが…」
「そ、そうです、私は他の連中とは違うんですよ!! 私は本当の貴女をしっかりと見つめて、理解することが出来る人間なんです!! だからお互い、もう少しゆっくりと時間を掛けて話し合えばきっと…」
「では、聞き方を変えましょうか」
「っ!?」
どこか興奮気味になっていた男性の声を、ピシャリと沙羅さんは容赦なく立ち切り…
「貴方が私を気にした切っ掛けは何ですか?」
「えっ…?」
唐突にそう切り返すと、男性はキョトンとした表情で沙羅さんを見る。
「私がそう見えたから好意を抱いたという話は分かりましたが、それは後から生まれた理由ですよね? そもそも私を気にする切っ掛けがあって、その先に今の理由が生まれた筈ですが…それは何でしょうか?」
「そ、それは、その…」
沙羅さんからそう問い掛けられ、急に言葉を濁し口ごもり始めた男性の様子は…別に焦っている訳でも困っているわけでもなく、どちらかと言えば照れているような…
「わ、私は…その、貴女に、一目惚れをしてしまいまして」
かなり照れ臭そうに、男性はおずおずとそう言いきり…
でもそれは、沙羅さんにとっての…
「でしょうね。私は特定の人物とこれといった会話をした覚えはありませんし、そんな私をさも知ったように言う輩は決まって同じことを言うのですよ。一目惚れだと」
「さ、沙羅さん…?」
「何度も同じ事を言わせないで下さい。私の名前を馴れ馴れしく呼ぶなと何度言えばわかるのですか? それとも日本語が通じませんかね?」
「っ!?」
沙羅さんの声音には、いよいよ隠し切れない怒りと憤り、そして嫌悪感が混ざり始め…その声を聞いた男性の表情にも、みるみる焦りや困惑が浮かび始める。
「所詮、貴方も他の男性と同じですよ? 私のことをさも理解しているかのような口振りでしたが、そもそも満足に話をしたことすらない相手を理解出来るなどとおこがましいにも程があります。それと折角ですし、私が言われて最も嫌いな言葉を一つ教えてあげましょうか。それは"一目惚れ"です」
「っ!? そ、それは…その、で、ですが!! 私は、確かに切っ掛けはそうだったかもしれませんが、本当に心から貴女のことをお慕いして…」
「あの…もうその辺にしませんか? 貴方だって分かってますよね? 沙羅さんが迷惑がってるの」
「き、君は…」
いい加減、やっとの思いで俺が口を挟むと、男性は予想外だったのか、目を大きく見開きこちらを見る。
果たしてこれでどう思われるのかは分からないが、もうこれ以上黙って見ているだけなんて俺は出来ない。色々な意味で!!
「すみません、口を挟むべきかどうか本気で悩みましたけど…でも言わせて貰います。俺は…」
「君っ!! 何のつもりが知らないが、この二人の会話に部外者が口を挟むなど…」
「部外者はどちらですかね? 私達二人からすれば、貴方がたこそ完全に部外者そのものですが?」
「わ、私達二人…?」
沙羅さんがハッキリと言い切ったその一言に、目の前の若い男性が呆然とした表情を浮かべ…そしてその隣では、常務さんが苦虫を噛み潰したような顔で、俺だけを見据え…
「やはり、そういうことか」
「ええ。と言いますか、最初からこうしておけば余計な手間を省けたのですがね」
「さ、沙羅さん、そちらは…」
「いい加減にしなさい。私をそう呼んでいい男性はこちらにいる一成さんだけです。次にその呼び名を口にしたら本気で容赦しませんよ」
「っ!?」
「…何となくそんな予感はしていたが、やはりそうだったか。しかし…君は一体誰と交際しているのか、本当に理解しているのかね?」
「は?」
常務さんは完全に俺だけをターゲットに絞り、殊更重々しい口調でそんなことを聞いてくるが…理解してるって、何をだ?
「君の名字を聞いたことがないのは、つまり君のご両親は一般の…こう言っては失礼だが、我が社に於いて相応の立場にあるような人物ではないということだろう。違うかな?」
「…そうですね。確かにウチは、何処にでもいる一般家庭ですけど」
「そうだろう? そんな家庭に生まれた子供が、おいそれと…」
「随分と面白い話をしてるわね。私も混ぜて貰おうかしら?」
「っ!?」
何やら芝居がかった台詞回しで、煩わしさ満載の話を始めた常務さんを遮り、またしても通路の陰から顔を出したのは…
「お母さん…」
いつものほんわり癒し系な様子は影を潜め、鋭い目つきで常務さんを見つめる…
真由美さん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一難去ってまた一難。
一成くんの山場は続く・・・ようです。
今回の件はもともと予定になかったのですが、こういう動きが無い方が逆に不自然だと思ったので、詰め込ませてもらいました。
次回はこの話し合いが終わって、パーティー会場に戻ります。
では・・・
P.S. コメ返しはまた後日にさせて頂きます。どうにもキーボードの調子が悪くてイライラと・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます