第391話 赤ちゃんの「ごはん」

「さ、沙羅さんストップ!! それ以上はダメです!!」


「おにぃちゃんあかちゃん、おとなしくしなきゃめーでしょ?」


「おかぁさんのいうことはきかなくちゃだめぇ〜」


「いいこいいこ〜」


「うぐぉぉ…」


 俺が抵抗の動きを見せた瞬間、未央ちゃん達がそれを抑え込もうと容赦なく覆い被さってくる。もちろん振り払うのは簡単だけど、未央ちゃん達にそんなことをする訳にはいかないので…とは言え、このままでは間違いなく、沙羅さんは俺に!?


「お祖母ちゃん、"あれ"を」


「沙羅ちゃん、本当にやるの? 今ならまだ…」


「愚問ですね。私は一成さんの為なら、何であろうと全力でお答えするのみです」


「そう…決意は固いのね? 分かったわ、ちょっと待ってて」


「お願いします」


 しかも残念なことに、最後の砦だと思っていた幸枝さんが、消極的ながらも沙羅さんのフォローに回ってしまったようなので…つまりこの時点で、もう俺には打つ手がないということに。

 西川さんの言葉は届かず、俺が何か言えば逆効果でしかない上に、花子さんの援護射撃も期待出来ないとなれば…

 

「一成さん…」


「分かりました…俺も腹を括ります」


「はい。ご安心下さい、私はどこまでもお供致しますので」


「…ありがとうございます」


 もうこうなった以上、俺もいよいよ覚悟を決めるしかない。

 それに今から行われる儀式(?)は、俺よりも沙羅さんの方が圧倒的に精神的ダメージ…もとい、精神的な負担が大きいのだから、そんな沙羅さんにここまで言わせて、俺だけが逃げるなんて出来るはずがないだろ!!

 

「お待たせ、沙羅ちゃん」


 俺はそっと目を閉じて、心を落ち着ける為に大人しくしていると、やがてパタパタと軽快なスリッパ音を響かせ、どこかへ行っていた幸枝さんか戻ってくる。


 …大丈夫だ。

 俺は沙羅さんのすることなら何だって喜んで受け入れられる男…いや、漢。

 そうだろ、一成?


「はいこれ。もう大丈夫だと思うけど」


「…問題ありません。ありがとうございます」


「いいのよ。他にも何かあったら言ってね?」


「これだけで十分です。後は私が…」


「あ、あれは…!?」

「なるほど、そう来たか…」

「うん、あれなら…」

「っ!? 私としたことが…」

「まぁ、そんなことだろうと思った…」


 目を閉じた俺の耳に聞こえてくるのは、何やら受け渡しが行われたらしい沙羅さん達の会話と、それに対する皆の意味深な驚き声。

 勿論その中には、雄二と速人の声も混じっている…いや、よくよく考えたら、あの二人には悪いけどこの場は遠慮して貰うべきじゃないのか?

 と言うより、ギャラリーは一人でも少ない方が、沙羅さんの負担を減らせることに間違いはないだろうし…


「沙羅さん、皆には席を外して貰った方が…」


「ご安心下さい。この程度の状況なら、私は全く問題ございません」


「い、いや、それならせめて男の目だけでも…」


「お気遣い頂きありがとうございます。ですが本当に大丈夫ですよ? 既に用意も済んでおりますし、私ならいつでも…」


「沙羅さん、何で…」


 これは…いくらなんでもちょっとおかしい。

 いつもの沙羅さんなら、例え友人である雄二達であっても、俺以外の男にそんな姿を見せるような真似は絶対しない筈なのに、何でここまで…


 …あっ!!


 まさか、幸枝さんが用意してくれたものって…?


「…沙羅さん、本当の本当に大丈夫なんですね?」


「勿論です。私の方は準備万端ですから、どうぞ安心してお任せ下さい」


「…わかりました」


 そうか、やっぱりそういうことか。


 皆から注目を浴びてしまうこの状況下で、しかも男の目があるにも関わらず、沙羅さんが問題ない言うのは…しかも準備万端とまで言い切れるからには、恐らく幸枝さんが用意してくれたものは、この状況に対する何らかの"対策"。

 例えばお母さん達が、外出先で赤ちゃんにおっぱいをあげるときに使うような、身体全体を包み込む「アレ」みたいなものとかじゃないのか? 

 だとすれば、沙羅さんが頑なに大丈夫だと言い張る理由にも説明がつく訳で…まぁそもそもの話、沙羅さんは服を着ているのだから、そこまで気にする必要はないのかもしれないけど。


「さらおかぁさん、はやくはやく!!」


「あかちゃん、いっぱいのんでね〜」


「わくわくっ…」


「それでは一成さん…参ります」


 どこか緊張感を滲ませた声音で沙羅さんがそう切り出すと、膝枕している俺の後頭部に手を回し、少し持ち上げるように力を入れる。

 俺はその動きに何となく普段とは違う微妙な違和感を感じてしまい、しかも自分が今から何をされるのかと考えると、ちょっと緊張感が…


「ふふ…そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ? 私も一応これには経験がございますから」


「えっ!?」


 け、経験って一体どういう…いやいや、それは"おままごと"として、子供相手にやったことがあるとか、そういう意味だよな!?

 それならノーカンだノーカン…って、いちいち余計なことを考えるなよ、俺!!


「一成さん…」


 そんな不謹慎なことを考えていた俺の顔に、"何か"が近付いてくる気配があり…次の瞬間、今度は口元に何かが触れる。

 でも不思議なのは、その感触が実に生っぽいと言うか…とても服の上から触れたような質感に感じられないのは、一体どういうこと?


 まさか…いや、そんな筈は!?


「はい、あーん…」


「ちょ!? さ、沙羅さん待って!! そんな、そこまでしなくても!?」


「え…一成さん?」


 まさか沙羅さんがそこまでするとは思えない!!

 でも俺の為なら一切妥協しない沙羅さんだから、可能性も無くは無い…のかもしれないし!?


 と、とにかくここは!!


「や、や、やっぱりダメです!! 沙羅さんにそんなことさせるなんて、俺には出来ません!!」


 例えこれをヘタレだチキンだと言わようが、単なる"お遊び"の一環で沙羅さんにそこまでさせるなんて俺には出来ない!!

 第一、こういうことは二人きりのときに…もっと「然るべきタイミング」で行われるべきだと、俺はそう思うから。


「一成さん、一体どうなさったのですか? 私はそこまで特別なことをしているつもりはないのですが…」


「え…?」


「確かに、赤ちゃん用のお食事を一成さんにという意味では少し特異かもしれませんが、これはあくまでもおままごとですし…それにこの行為自体、特に問題があるものではありませんよ?」


「…そう、ですか?」


「はい」


 そんな慌てふためく俺とは対照的に、沙羅さんの声からは一切の迷いを感じないので…つまりこの状況で慌てているのは俺だけということになる。

 となれば、正直思うところがないどころか寧ろ思うところしかないけど、でも当の本人である沙羅さんがそこまで言っているのだから、俺も素直に受け入れるべきじゃないのか?

 それに一応、周囲への対策は取られているのだろうし…対策してるんだよな?


 よし、今度こそ。


「分かりました。変な気を使ってすみません」


「いえ、こちらこそ。今更ながら、一成さんに恥ずかしい思いをさせる結果になってしまったことを深く反省しております。この件が終わりましたら、改めてお詫びを…」


「いやいや、それはそのままこっちの台詞ですから…」


 俺が感じている恥ずかしさなど、今から沙羅さんが行う儀式(?)に比べたら月とスッポン、有って無いようなもの。それを逆に謝罪させてしまうなんて、それこそ俺の立つ瀬が本当に無くなってしまう。

 だからこの一連が終わっても、俺は沙羅さんに謝罪なんてさせない。

 これは絶対だ!!


「では、一成さん…」


「はい…」


 俺は今度こそ迷いなく口を開き、今から訪れる"瞬間"をしっかりと待ち受ける。

 大丈夫、大丈夫だ。

 沙羅さんなら俺が心配しなくても、きっと…


「おにぃちゃんあかちゃん、まんまでちゅよ〜」


「一成さん、あーん…」


 未央ちゃんと沙羅さんの声が重なり、俺が大きく開けている口の中に、少しだけ「何か」が入り込んだ…ような気がした、次の瞬間。


 えぇい…ままよ!!!


「あむっ…」


 加減が全く分からないので、せめて沙羅さんが痛くないように、極力優しく極力軽く、まるで壊れ物に触れるかのように、そっと「それ」を口に含む。

 その感触を自覚した瞬間、心臓の鼓動が一気に激しさを増し、同時に頭と心の中に芽生えそうになる「不謹慎な感覚」を必死に抑え込みながら、気合を込める意味で目をキツくキツく閉じ…


 その直後にハッキリと感じた、その柔らかい「何か」の感触は…


 感触は…


 …あれ?


 おや…?


「一成さん、如何でしょうか?」


「むぐっ…」


 口の中にある感触は、明らかに人の「それ」とは異なる妙な弾力があり、形状も何となく違うような気がする。

 しかもよくよく考えてみれば、もし沙羅さんの「それ」を口に含んだ場合、他にも色々と顔に当たる箇所があるんじゃないのかと思う訳で…


 つまり…


「んんっ!?」


 俺は意を決して目を開けてみると、先ず視界に飛び込んできたのは、いつも通りに優しい眼差しで俺を見つめる沙羅さんの顔。

 そして視界の端には、何やら白っぽい液体の入った瓶のような物が見えていて、それが俺の口元から伸びている…ような?


「一成さん、無理に全部を飲む必要はございませんよ? 味は特別、調整しておりませんので」


「そうね。粉をそのまま使っただけだから、無理はしなくてもいいわよ、一成くん?」


「んむおっ…」


 二人から指摘され、口の中に溢れるミルクの味に初めて気付く。それはお世辞にも美味いとは言い難く、瞬間、牛乳のような味を想像した俺の味覚が、あまりにも予想外すぎる味に呻き声を引き摺り出す。


 と言いますか…


 これってひょっとしなくても…


 哺 乳 瓶 で す か !?


「何とも不思議な気分ですね。まさか一成さんに、哺乳瓶でご飯を差し上げる日が来るなんて」


「それもそうだけど、まさか沙羅ちゃんがここまでするとは思わなかったわ」


「ふふ…一成さんの心意気にお答えすることは、私にとっての最優先ですから」


「むぐっ」


 そんな如何にも沙羅さんらしい、俺への愛情に満ち満ちた女神の如き優しさに…

 今度は俺の中に押し込めていた「不謹慎な感情」が、恥ずかしさ、情けなさ、そして、申し訳なさへと一気に変わる…


 どこまでも純粋で、無垢で、穢れない沙羅さんの心と想いに…俺は。

 そんな沙羅さんに…俺はぁぁぁぁぁぁ…


 穴があったら入りたいとは、正にこのこと!!


「ぷっ…うひひひ…っ」

「な、夏海さん、笑うのは流石に…くくっ」

「高梨くん、絶対に"何か"と勘違いしてたよねぇぇ…むふふっ」

「よ、洋子っ!!」

「いや、これは勘違いしても仕方ないと言うか…」

「そう。どっかのお嬢様も誤解してた」

「ちょっ、それは皆さんも同じようでしょう!?」


 えーい、そこの連中、全部聞こえてるからな!?

 つか西川さんの言う通り、あんたらも絶対勘違いしてたでしょうに!?

 

「おにぃちゃんあかちゃん、おいしー?」


「いっぱいのんで、おおきくなるんでちゅよ〜」


「一成さん…」


 そんな俺の汚れきった心を浄化するように、頭を撫でてくれる沙羅さんや未央ちゃん達の優しさが、却って俺の中にある薄汚れた「何か」を際立せ…居たたまれない気持ちが加速度的にどんどん膨れ上がってくる。

 俺がここまで勝手に考えていた諸々のことが、全て不謹慎な思い込みによるものであり…


 俺は…


 俺はぁぁ!?


「むぅぅぅぅ!!」


「か、一成さん!?」


 俺を見ないで、今の俺を見ないで沙羅さん!!


「おにぃちゃんあかちゃん、おとなしくしなちゃい!!」


「まだおなかがすいてまちゅかー」


「むなぃえぇくぇぇ!!」


 でも未央ちゃん達は、そんな良心の呵責に耐えきれず目を逸らそうとする俺を、やっぱり必死に抑えようとしてきて…

 そして沙羅さんは、そんな俺の様子を不思議そうにしながらも、哺乳瓶を片手に何度も撫で続けて…


「ふふ…おいたは、めっ…ですよ?」


「っぅぅぅ!!」


 しかもダメ押しに、これでもかという最大級の微笑みで、俺を甘やかす一言を放つ。それはもう、今の俺にとってはトドメ以外の何物でもなく。


「さらおかぁさん、みおもおっばいあげたい!!」


「さくらもぉ!!」


「ゆきもやるぅ〜」


「ふふ…頑張って下さいね、一成さん?」


 でも…


 まだまだ許して貰えないんですね…はい。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

















 ちょっと心理的に途切れてしまったせいで、どうにもまとまらない感じになってしまった感があります。

 これでも頑張って手直ししたんですけど・・・うう。


 という訳で、色々とありましたが再開です。

 本当は前書きで、前話から読み直した方が読者様の気分的にもいいと思いますと書きたかったのですが、生憎そういう項目がないので無念。


 今回の批判に対する一連に関する話はノートに色々書くつもりなので、宜しければそちらもご確認下さい。


 ただ一言だけ・・・


 本当に沢山の応援コメントを頂き、ありがとうございました!!

 今回本気で折れかかりましたが、それでも思い直せたのはやっぱり皆さんからの応援です。

 全部に目を通させて頂いておりますが、個別の返信が難しいのでこの場でのお礼とさせて頂きます。

 色々と脆い自分ではありますが、今後とも宜しくお願いいたします。


 つがん

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