第358話 一成のお買い物
トントントン…
温かい布団に包まれて、心地よい微睡みの中…
何となしに聞こえてくるのは、リズミカルな包丁捌きの音と、沙羅さんが口ずさむ女神の調べ。
これは夢なのか、現実なのか…
でも…
今はただ、俺の大好きな匂いに包まれて、もう暫く、この瞬間を…
…………
……
…
「…さん?」
「一成さん、起きて下さいね?」
優しさと甘さ、そして、心からの愛しさに溢れた囁き声に誘われて、ぼんやりと浮かび上がる俺の意識。
まだ夢の続きを見ているような、既に目が覚めているような…でも。
「んぅ…?」
「ふふ…どうなさいまし…ひゃん!? か、一成さん!? おいたは、めっ…です…」
何となく伸ばした俺の手が、とても柔らかい何かに触れた…気がしたその瞬間。
沙羅さんの、とても恥ずかしそうな焦り声が聞こえたような?
「あ、あの、一成さん? ひょっとして、もう起きていらっしゃいますか?」
「むぅ…」
「…気のせいでしょうか? 一成さん、起きて下さいね?」
起きて下さいと言われても、その声は、先程からずっと耳元で囁いているだけなので、そもそも本気で起こすつもりがあるのかすら疑わしい。
それに今日は日曜日…久し振りに、まるっと休める貴重な一日でもあり、それを思えば、なかなか踏ん切りもつかず…って、あれ?
これって、夢なんだよな?
「あの…どうしても、起きて頂けないのでしょうか?」
「うぅ…」
「早く起きて下さらないと、それはそれは大変なことになってしまいますよ?」
「んむ…?」
「…そうですか…ふふ…畏まりました。これはもう、仕方ありませんね?」
沙羅さんの声音に、一際の甘さと妖しい雰囲気が宿った…ような気がした瞬間、誰かの気配が一気に近付き、それは耳元付近でより強く…
「…あなた…お ・ き ・ て?」
「ふわぁぁ!?」
ゾクゾクっと、ピンク色(に思えた)の何かが一気に全身を駆け巡り、その甘く激しい(?)衝撃で、俺は勢いよく飛び起きた!!
こ、これはまさか、久々のぉ!?
「ふふ…おはようございます、一成さん♪」
「お、おはようございますぅ!? あの、さ、沙羅さん!?」
「はい?」
「その、今…」
「…ふふ」
そっと唇に指を当て、思わずドキリとしてしまう程の色っぽさを覗かせる沙羅さん。寝起きでこんなにドキドキさせられたら、色々な意味で心臓に悪いっす!
「な、何でもございません…」
「はい♪ さぁ、早くお顔を洗って、お着替えをしましょうね?」
「…了解です」
しかもトドメに、こんな眩しい笑顔を向けられてしまえば…
俺にはもう、大人しく言うことを聞く以外に道はなく。
まぁ…
沙羅さんが嬉しそうだから、別にいいんだけどね…俺は。
……………
「忘れ物はございませんか?」
軽く髪型を整えて、大まかに全身をチェック。裾を中心にそれぞれ上下を確認して、最後に襟元…まぁ、こんなもんだろ。
後はポケットにスマホを入れて、ハンカチと鼻紙はボディバッグに…よし!
「大丈夫です!」
「それでは、参りましょうか」
「はい」
最後に戸締りを確認してから靴を履き、まずは俺が玄関を出る。
外に出て、まず目に飛び込んできたのは、生憎の曇り空…雨の予報は無かった筈だが、これはどちらかと言えば、雨寄りの曇りと言ったところか。
ガチャン
俺の背後で、沙羅さんが玄関の鍵を閉めた音が聞こえ、これで最後の準備もオッケー。
それじゃ、ボチボチと行きますかね。
「今から向かえば、ちょうど開店のタイミングになりそうですね?」
「そうですね。っても、別に開店を狙ってる訳じゃないんですけど」
「ふふ…せっかく足を延ばすのですから、今日はいつもより時間を掛けて、じっくりと見て回りましょうね。何と言っても、本日のメインは一成さんのお買い物ですし」
「まぁ、それはそうなんですけど、俺としては…」
「ダメです♪ それに母からは、絶対に一成さんの私物を買うように…と、言付けを預かっておりますので」
「そ、そうですか…真由美さんが」
そこまでハッキリとした伝言があるということは、逆に言えば、目的を達成しなかった場合にどうなるのか。
もし適当な物で済ませたり、或いは上手く言いくるめて(?)、沙羅さん用の物を買おうものなら…
「もぅ…やっぱり沙羅ちゃんじゃダメねぇ。それじゃ次は、お義母さんとデート…じゃない、親子水入らずでお買い物に行きましょう! 大丈夫よ、一成くんが欲しい物を見つけるまで、お義母さんがずっと付きっきりで…あ、そうだわ! せっかくだから、お洋服も一緒に買いましょう。もう上から下まで、下着も靴下も、全てお義母さんが丸ごとバッチリとコーディネートしてあげますからね♪ んふふぅ」
お、恐ろしい…
只の想像なのに、真由美さんの声がハッキリと聞こえたような気がするぞ!?
これは何としても、せめて一つくらいは納得のいく物を見つけなくては!!
「あ、そうでした。忘れない内に…昨日お祖母ちゃんから、一成さん宛にこれを預かって参りまして」
「幸枝さんから?」
そう言って沙羅さんがポーチから取り出したのは、小さな無地のポチ袋。
取り敢えずそれを受け取り、何気なく中身を覗いてみると、そこに入っていたのは…え?
え!?
えぇぇぇぇぇぇぇ!?
「ちょ!? な、な、何ですかこれぇ!?」
「一成さんのお小遣いだそうです」
「お、お小遣いって…えっ、ちょ、ちょっと待って!! 多すぎですよ、これはぁぁぁ!?」
何となくお年玉に見える外見だったので、お金である可能性は考えたが…問題なのはその中身。
入っているお札の絵柄、そしてこの厚さ。これは以前、政臣さんから貰ったアルバイト代にも匹敵するものであり、つまり…
これは断じて、お小遣いなんてレベルじゃねぇぇぇぇぇ!!!
「い、いくら何でも、こんなには受け取れま…」
「一成さんならそう仰るだろうと、お祖母ちゃんは私に預けるとのことでした。ちなみに、返品は絶対に不可だそうです」
「ぇぇぇぇぇぇ…」
こ、これは困った…只でさえ先日、政臣さんから結構な額のお小遣いを貰ったばかりなのに。
しかも真由美さんからは、今日の買い物に必要な軍資金をしっかり頂いている訳で(金額は不明。嫌な予感しかない)、その上、幸枝さんから頂くなんて!!
「さ、沙羅さん!?」
「ふふ…実は私も頂いているのですが、確かにこれは、ちょっと困ってしまいますね?」
「は…はい。これはちょっと、流石に…」
当たり前と言えば当たり前だが、やはり沙羅さんも貰っていたのか。
そうなると、恐らく同じくらいの金額を両方に…しかもこんな金額をポンと寄越すなんて、いったいどういう…ん?
ちょっと待てよ?
「あの、沙羅さん?」
「はい?」
「つかぬことをお伺いしますが…今まで、お小遣いって…」
「ふふ…私が普段貰っているお小遣いでしたら、恐らく世間一般的なそれと大差はないと思います。少なくとも、絵里とは違いますから」
「そ、そうなんですね?」
「はい。なので今回のこれは、あくまでも臨時的なものとお考え下さい」
西川さんと比べるのはともかく、確かにこれが普通なんてことはあり得ないか。
それによく考えてみれば、そもそも沙羅さん自身が、必要最低限の買い物しかしない節約家タイプな訳で…しかも生活費のやり繰り上手を考えてみれば、寧ろ金銭感覚は堅実的と言える。
だとすれば、これはやっぱり…
「ご安心下さい。私も家を預かる者として、今後も倹約や節約にしっかりと努めて参りますので」
「えっと…よ、宜しくお願いします?」
「はい、お任せ下さい!」
俺の言葉に大きく頷き、自信満々の笑顔を見せる沙羅さん。
とは言え、俺はその点を心配をしていた訳じゃないんだが…毎回こんなんだったら、流石にちょっと焦るぞと思っただけで。
「取り敢えず、近くのコンビニへ寄っていいですか? 用途もないのに、こんな金額を持ち歩くのはちょっと怖いんで」
「畏まりました。せっかくなので、私も預けてしまいますね」
「はい。それと、これは…」
ポチ袋の口を念入りに閉じ直し、そっと沙羅さんの手に戻す。
このお金は、俺の個人的なお金とするには手に余るから…
「…畏まりました。それでは、私の方でしっかりと管理させて頂きます」
「お願いします」
このお金は、沙羅さんが必要に応じて使ってくれればそれでいい。後は、何かあったときの為に残しておけばそれで。
これはあくまでも個人的なお小遣いではなく、そういう意味で預かった…ということにしておこう。
いや、きっとそうだよな、うん。
…………………
駅前で注目を浴び、ホームで注目を浴び、そして電車内でも注目を浴びる。
これは特に珍しい話ではなく、沙羅さんと一緒に行動すれば当たり前の話。
しかも今日の沙羅さんは私服…それも、俺との正式なデート用に、普段とは一味違う装いだから余計に。
白のフリフリが可愛いらしいブラウス、ワンポイントの胸元リボン、ウエストがコルセット状になっている黒いロングスカートと、ハッキリ分かれたコントラストに、沙羅さんの美しい黒髪が一段と映える。しかもその上、普段はかぶらないベレー帽がちょこんと鎮座していて、これまたベストマッチ…
この「俺を殺す気満々」のコーディネートは、もちろん俺が喜ぶことを知っているからのものであり…でもそれは、その他大勢の野郎共にも同じことが言えてしまう訳で。
「…うぉぉぉ、マジかよ、どストライクすぎんぞ」
「…や、やべぇ、モロ好みだわ」
「…あれ、絶対にモデルかアイドルだろ」
「…まさか、一緒にいるやつが男か?」
「…おいおい、嘘だろ」
とまぁ、電車に乗ったのは久々だが、特に男共のグループから相変わらずのワンパタな反応が見て取れる。
こちらをガン見しながら、ヒソヒソと何やら盛り上がっているようだが…どうせ話してる内容もワンパタだろうからな…って、あいつらのことなんか、どうでもいいとして。
「沙羅さん、こっちへ」
「ありがとうございます」
次に電車が止まる駅は、このエリアで最も乗り降りが激しい駅なので、沙羅さんにはコーナーへ…ドア横の角スポットに移動して貰う。
これをしておかないと、後で大変なことになるから。
「ふふ…」
「沙羅さん?」
そして俺が、ちょうど立ち塞がるような位置に立つと、沙羅さんが不意に小さな含み笑いを漏らす。
「いえ、何でもございませんよ。ただ…」
「ただ?」
「…幸せだな…って」
「あ…」
そう呟き、沙羅さんは、はにかむような笑顔を見せて…コツンと俺に、少しだけ身体を預けるように凭れ掛かる。
その仕草があまりにも愛らしくて、心臓の鼓動は、一気にドキドキが…
と言うか…
破壊力が高すぎて、逆に辛いんですけど!?
「…一成さん」
「は、はいぃ」
「もう少しだけ…このまま…」
「ど、どうぞ…」
そんな俺の内心を、知ってか知らずか…
目的の駅に着くまで、沙羅さんは猫が甘えるように…ずっと、俺の胸に凭れ掛かったままだった。
「「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」」
そして、周りに人がいることも忘れてました…
…………
「うわ…これはまた、随分と」
エスカレーター横に設置させれた案内板を眺めながら、思わず一言、声を漏らす。
でもそれは仕方ない、俺が今まで行ったことのあるショッピングモールとは、規模が全く違うのだから。
「ふふ…私も初めてここへ来たときには、やはり同じような感想を持ちました」
「いや、それは仕方ないんじゃないかと…」
入る前の外観からして既に凄かったが、その横にも同規模程度の建物がもう一つ。連絡路を挟んで東西に分かれているというのだから、こんな巨大なショッピングモールを、当たり前に思える奴なんか居ないだろう。
「それでは、どう動きましょうか?」
「そうですねぇ…取り敢えず目的は決まってるんで、ぐるっと流しながら、それっぽい店だけ入る感じかな…と」
いつもとあまり変わらないような気もするが、今回はそれ以上に無駄を省かないと、そもそも最後まで行けるかどうかすら怪しい。
だから、入る理由が無い店は当然無視するとして、服屋関係も極力スルーしていく方が無難か。
「畏まりました。それでは参りましょう」
「もし疲れたら言って下さいね? あと、沙羅さんが気になった店も、遠慮なく教えて下さい」
「ふふ…ありがとうございます」
さて、先ずはこのエスカレーターを起点にして、一階をぐるっと回ってみますか。
基本は雑貨系と家電系を軸に…だな。
……………
手始めに回り始めた一階は、どちらかと言えばレディース系のショップが多い。
バッグやコスメ、装飾品に自然素材アイテムなど、女性向けのショップが、所狭しと軒を連ねているエリアだ。
中には石鹸やお香など、ちょっと珍しい系の専門店もあったが、どちらにしても俺向きのお店ではないので…もしこれが普通のデートであれば、少し覗いてみましょうかという流れになったかもしれないが。
「…特にこれと言ったお店はありませんでしたね」
「ですね。あ、もし沙羅さんが覗きたい店があるなら…」
「いえ、私はこういったお店に興味はありませんから」
「そんなことを言ってると、また俺が勝手に選びますよ?」
「ふふ…それは、またの機会にお願いしますね?」
相も変わらずと言うか、沙羅さんは基本的に、こういうお店に全く興味を全く示さない。だから、俺が強引にでも誘うか、夏海先輩の付き添いでもない限り、この手合いのお店には入ろうとすらしないんだよ…
「ここの二階には大型の雑貨店が入っているので、そこに期待しましょう」
「そうですね。ただ…」
「どうかなさいましたか?」
「…いえ、取り敢えず、行ってみましょうか」
「はい」
これは薄々予感していたことではあるが、果たして闇雲に物色したところで、俺にとって"意味"のある欲しい物が本当に見つかるかどうか…
沙羅さんに関する物や、沙羅さんの役に立つ物であれば、ワリと直ぐに思い付く自信はあるんだけど、それが自分の物となると話は全く別な訳で。
そういう物欲や興味から一年以上離れていたせいか、正直言って、全く思い浮かぶ気がしないんだよな…困ったことに。
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本当はもう少し書くつもりでしたが、一旦ここで切らせて頂きます。
このお話は次回で終わる予定です。そして次のお話が終わったら、顔合わせになる予定です。
それではまた次回~
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