第356話 一つの決着
朝。
いつものコンビニで夏海先輩達と合流して、通い慣れた通学路を四人で歩く。
他愛ない会話に花を咲かせながら、それでも話題の中心は、ボチボチ迫ってきた期末テストのことにシフトし始めて…
「あー…憂鬱ぅ」
大きな溜息と共に、言葉通りの嫌っぽさを覗かせる夏海先輩。
そう言えば、今まで成績に関する話を聞いたことが無かったような?
「普段からしっかり勉強しておけば、テストだからと気に病む必要は無いでしょうに」
「あんたはそうかもしれないけど、こちとら運動部なのよ」
「夏海先輩、それは全国の運動部員に謝るべき」
「へいへい、すみませんねぇ」
運動部だから勉強が出来ないという暴論はさて置き、部活が忙しくて勉強の時間が取り難いというイメージは確かにある。
でもそこを両立させて、しっかりとした成績を収めている人達も沢山居る訳で…
やっぱり夏海先輩は謝るべきだな、うん。
「花子さんは転入組だから、どう考えても勉強出来る側だよねぇ。そうなると…」
「あ、俺はちゃんと勉強してますからね?」
意味深な視線がこちらを向いたので、何かを言われる前に先んじて答えておく。
俺だって勉強は頑張っているし、目標があるから尚更だ。
「まぁ、高梨くんには最強の家庭教師がついてるからねぇ」
「その表現はどうかと思いますが?」
「掃除、洗濯、料理と家事全般、旦那へのお世話は至れり尽くせり、学年首位の学力で勉強を教える家庭教師が最強で無いと?」
「そう言われましても、私にとっては全て普通のことですから」
「あんたにしてみれば普通かもしれないけど、世間一般の意見じゃないからね」
沙羅さんにとってはどれもこれも普通のことであり、特別であるという自覚は全く無いんだろうけど…だからこそ、俺はいつでも感謝の気持ちを忘れず、しっかりと言葉にして伝えていかなければならないんだ。
「本当に、いつもありがとうございます、沙羅さん」
「ふふ…私達の将来の為に、一緒に頑張りましょうね♪」
「はい」
政臣さんとの約束を果たす為に。
自分の目標、夢に向かう為に。
そして、沙羅さんとの将来の為に…
俺はもっと頑張らないと!!
……………
昇降口で靴を脱ぎ、下駄箱の扉を開けた瞬間にそれは起こった。
漫画やアニメなどでは有りがちなシチュエーションであっても、俺からすれば全く縁がないことであり…つまり、どう考えてもこれは有り得ない事態。
しかもこの光景には、俺にとって激しく嫌な意味でのデジャヴが…
「一成、何を持って…手紙?」
「あーと…」
「一成さん、どうなさいましたか?」
「一成の下駄箱に手紙が入ってた」
「…えっ?」
俺の手元にある封筒を、訝しむように眺める花子さんと、笑顔のまま固まってしまう沙羅さん。ちなみに夏海先輩は、先に部室へ行ってしまったのでもう居ない。
さて…と。
「一成には嫁がいるのに、いい度胸」
「その、一成さん…」
「取り敢えず、中身を見ないことには何とも」
「そ、そうですよね。まだラブレターと決まった訳では」
もしこれが速人であれば、この手紙がラブレターである可能性は十分に考えられるのかも…と言うか、それしか考えられないんだが(実際に何度も見たことがある)、俺はこのパターンで、アホ共に呼び出された過去がある訳で。
だから…油断は禁物だ。
「このまま開けてみますよ」
「いえ、それは…」
「大丈夫です。中身は俺が一人で見ますから」
これがラブレターではないという確信もあるが、万が一にでも、沙羅さんに不安を抱かせるような真似はしたくない。だから結論だけでも、この場でさっさと決めてしまうに限る。
「えーと…」
先ずは両面を目視して、名前等の記載がないことを改めて確認。続いて、破らないように裏面のシールをゆっくりと剥がし、飾り気のない真っ白無地の手紙封筒から中身を取り出す。
そこに入っていたのは便箋が一枚…ピンクのハートで縁取られた可愛らしいもの。
既にこの時点で、差出人が男じゃない可能性も浮上してきたが…それを決めつけるのはまだ早いか
そして、肝心の内容だが…
「本日の放課後、屋上でお待ちしております。可能であれば、薩川さんと同席でお願いします。 …楠原玲奈」
とのこと。
これは正直、予想の斜め上と言うか…沙羅さんにまで同席して欲しいとなると、話の内容が全く想像できないんだが。
と言うか…
楠原玲奈って誰だっけ?
「一成さん、如何でしょうか?」
「放課後、沙羅さんと二人で屋上に来て欲しいそうです」
「…私もですか?」
「それは予想外すぎる。相手は男? 女?」
「楠原玲奈って書いてある」
「楠原…どこかで聞いたような?」
「ミスコンで騒ぎを起こした馬鹿女」
「あぁ、彼女でしたか」
あぁ、そう言われてみれば、タカピー女の本名がそんな感じだったような気も…って、沙羅さんも素で忘れてたみたいだな。
でもそれは仕方ない。あいつは、一時的な存在感こそ強烈であっても、全体的に見ると影が薄い印象なんだよ。何故かは知らんけど。
…って、それはともかく。
「あの女からの手紙…嫌な予感しかしない」
「どう致しますか、一成さん?」
「そうですね…」
確かにあいつが相手となれば、また意味不明の難癖をつけられて、無駄なトラブルに発展する可能性もゼロじゃない。でもここでキッチリと方を付けて、後顧の憂いを断つという考え方もある訳で。
それに、西川さんから受けた報告の件もあるとなれば、ここは…
「じゃあ、俺が…」
「畏まりました。ご一緒致します」
「えっ!? さ、沙羅さん?」
「そもそもこの件については、私と彼女の軋轢に端を発しているようです。であれば、何かしらの収拾をつける意味でも、私が出るべきだと思います。それに…」
「それに?」
「私があなたを、お一人で行かせる訳が無いではありませんか…一成さんのいじわる…」
「う…」
ぷっくりと頬を膨らめ、世界一可愛らしい抗議を見せる沙羅さん。
これはちょっと…いや、反則なんてレベルじゃないくらい可愛いです。
可愛すぎですよ、はい。
「はぁ…手紙には両方来いって書いてあるんだから、大人しく二人で行けばいい。いちいちイチャつくな」
「まぁ、それはそうなんだけど…」
「それを言ってしまったら、身も蓋もありませんね」
確かにそう書いてあるが、それでも怪しさ満載の現場に、自分の大切な人を連れて行きたくないと思ってしまうのは仕方ないことで…
でも沙羅さんの言う通り、何らかの決着をつけるという意味では、本人同士の会話が必要なのかもしれない。
であれば。
「沙羅さん…それじゃ放課後、俺と一緒に来て下さい」
「はい。一成さんには指一本触れさせませんから、どうぞご安心下さい」
「いや、それは俺のセリフ…」
「何かあったときに備えて、私がバックアップに入る。一成は嫁と二人で行って」
「分かった。ありがとう、花子さん」
「宜しくお願いします」
屋上で何が待ち受けているのか分からない以上、ここは花子さんの厚意に甘えておこう。あいつが信用できないとなれば、何かしらの保険を考えておくに越したことはない。
ただ…あいつが一人で来るとは限らないし、もし物理的なトラブルに発展した場合、花子さんに無茶をさせる訳にもいかない。
しかもその上で、俺が沙羅さんを守るとなれば…
念のために、もう一つくらい、保険を掛けておいた方が良さそうだな。
……………
………
…
放課後のことを考えると落ち着かない気持ちはあるが、それでも授業だけはキッチリとこなす。これは俺にとって重要なことであり、日々の生活を勉強漬けにしない為に、沙羅さんと交わした約束でもあるからだ。
日々の授業を大切にすることで、家で行う復習の効率化を図る。それが自由な時間を確保することに繋がり、結果的に、しっかりとした私生活を送ることが出来る…という沙羅さんの教えなんだ。
「起立、礼!」
そんなこんなで帰りのHRが終わり、いよいよ対決(?)の時間が迫ってきた。この後は生徒会室で沙羅さんと合流して、二人で一緒に屋上へ向かう予定になっている。
そこで俺達を待つタカピー女が、果たして何を言ってくるのか…それは、神のみぞ知るってやつだな。
「それじゃ、俺は行くよ」
「私は時間差で動くから、取り敢えず普通に行動して」
「了解」
相変わらず頼もしいお姉ちゃんに声をかけ、先ずは沙羅さんと合流する為に生徒会室へ。
万が一に備えた保険も何とか間に合ったし、これなら仮に想定外の事態になったとしても、最悪、花子さんが無茶をすることだけは回避できる筈。
後は俺が、沙羅さんを確実に守れば、それで…
「おっと…」
「ふふ…お疲れ様です、一成さん」
生徒会室へ向かう途中の階段で、ちょうど廊下側から歩いてきた沙羅さんとバッタリ遭遇。
どうやら、HRの終わったタイミングが同じくらいだったみたいだな。
「生徒会室へ向かう理由が無くなってしまいましたね」
「そうですね。んじゃ、このまま向かいますか」
「はい」
言葉少なげにそれだけを確認すると、沙羅さんは定位置…俺の右隣りに並び、今度は一路、屋上を目指す。
二人で階段を登りながら、何となく真横に視線を向けてみれぱ…それに気付いた沙羅さんが、ふわりと優しい笑顔を浮かべ、ぎゅっと俺の手を握りしめた。
「大丈夫です。何があろうと、一成さんは私が絶対に…」
「沙羅さん、朝も言いましたけど、それは俺のセリフですよ?」
「いえ、これは私が…」
「沙羅、これは俺の役目だから」
「か、一成さん…?」
少しだけ卑怯だったかもしれないが、沙羅さんに言い聞かせるよう、敢えて強めにそう言い放つ。
これを男のカッコつけだと思われようと、最後の最後に守るのはやっぱり俺の役目。これだけは絶対に譲れないから。
「はい…畏まりました」
「すみません、いきなり…」
「いえ…その…嬉しかったです…」
どこかポーっとした様子で俺を見つめて沙羅さんが、不意に頬を染め、恥ずかしそうに俯いてしまう。
とは言え、俺も今回ばかりはクサい真似をした自覚があるので、少しだけ気恥ずかしかったり…
「じゃ、じゃあ、行きましょうか」
「は、はい…あなた」
「さ、沙羅さん!?」
俺の腕にぎゅっとしがみつき、自分の顔を隠すようにピッタリとくっついてくる沙羅さん。こんなリアクションは珍しいと言うか…これはいったい?
「あの…どうしたんですか?」
「…あなたのせいです…」
「えっ!?」
「あなたが、あんなにも頼もしいお姿を見せて下さるから…私は…」
「い、いや、そんなつもりは」
「でも…私だってあなたをお守りしたいのに、あんな言い方をするなんてずるいです…嬉しくて、何も言えなくなってしまうではありませんか…」
「え、えぇ…と」
ど、どうしよう…
沙羅さんが可愛すぎる上に、超絶いじらしくて反応に困る!!
そこまで意図したつもりは無いが、こんな愛らしい姿を見せられてしまったら…俺はいったい何と言えばいいのか!?
「ふふ…」
そんなプチパニックを起こしかけている俺を他所に、沙羅さんは小さく笑いを溢し、やっと顔を上げてくれたその表情は…やっぱり照れ臭そうで。
はにかむように小さく微笑みながら、そっと背伸びを…
「あなた…ありがとうございます」
「い、いえ、あれは俺の本心ですから」
「はい…嬉しい…」
そのまま沙羅さんの顔が、ゆっくり…ゆっくりと、近付いて…
その距離は、やがてゼロに…
「あなた…大好き…んっ」
ちゅ…
どこまでも甘く、蕩けてしまいそうな沙羅さんの囁き声と、頬に感じる柔らかい唇の感触。
そして、自分の中に溢れる、沙羅さんへの愛しさを胸に…決意を改めて心に刻む。
沙羅さんだけは、俺が絶対に…
……………
俺にとっては、良くも悪くも因縁深い屋上に出ると、そこで俺達を待っていたのは見慣れた人物が一人だけ。
一応周囲を見回してみても、それ以外の人影は見当たらない。そもそも屋上には隠れる場所などないので、つまり現時点では、そこまで警戒する必要は無いということになる訳だが…
「こんにちは、高梨さん、薩川さん。急な呼び出しに応じて頂き、ありがとうございます」
特に気負った風でもなく、かと言って、いつものような嫌味っぽさもなく。ただただ堂々とした様子で、これ見よがしの丁寧な挨拶を寄越すタカピー女。
この態度は正直言って予想外だったが、だからこそ、逆に怪しいとも言えてしまうんだが。
「別に構いませんよ。何のつもりで私達を呼び出したのかは知りませんが、ここまでするということは、それなりに理由があるのでしょう?」
「そうですね、今日は真面目な話をするつもりですから、私も余計なことをするつもりはありません」
「それは結構。ただ、念の為に言っておきますが…一成さんに良からぬことを考えた場合、私は貴女を全力で潰します」
「っ!?」
何事もなく淡々と話をする沙羅さんの声音に、ハッキリと分かる程の剣呑な雰囲気が宿る。
それに気付いたのは俺だけでなく、対峙している張本人…タカピー女も感じたようで、一瞬、怯むような仕草を見せた。
「そ、そんなこと、言われずとも承知していますよ。あなたは高梨さんのことになると、本当に分かり易い人ですね?」
「一成さんは、私にとって全てですから。誰であろうと、仇なす者は絶対に許しません」
「そうですか…そこまで大切に思える相手が居るというのは、素直に羨ましいとすら思えますね。しかも、添い遂げられるのですから…」
「それはどうも」
これはちょっと、調子が狂うな…
いつもと違う雰囲気であることは言わずもがな、受け答えの声音に、沙羅さんに対する敵意を感じない。
それどころか、本当に沙羅さんを羨んでいる様すら伺えて…
「…話が逸れましたね。早速ですが、本題に入りましょう。と言っても、特に話し合いをするとか、そういったことでありません。私の話を聞いて頂ければ結構です」
「なるほど。それではさっさと聞かせて貰いましょうか。余計な口は挟みませんので、ご自由にどうぞ?」
沙羅さんはそこまで言うと、何故か俺との距離を少しだけ詰めた。それに何か意味があったのかどうかは分からないが、自分の気持ちにゆとりが生まれたことだけは確かで…だから落ち着いて、先ずはあいつの話を。
「そんなに身構えないで下さいな。私は貴女に…貴方達に、謝罪をしようと思っただけです」
「…謝罪?」
「それは、どういう…」
口を挟むつもりなど無かったが、あまりに突拍子もない発言に、思わず声を出してしまう。
これは正直、信じられないどころの騒ぎではないんだが…一体どういう風の吹き回しだ?
「ミスコンに纏わる一件では、勝負に拘るあまり、自分でも色々大人気なかったと反省しています。申し訳ありませんでした」
「…何故いきなり、そんな殊勝なことを言い出したのか分かりませんが…私個人の話であれば、特別気にはしていませんよ。でも強いて言うのであれば、迷惑なので二度と絡まないで頂きたいですね?」
「そうですね、もう下らない敵対心は持たないと約束しましょう」
「分かりました。そうあれば、これ以上の謝罪は不要です。貴女も本音のところでは納得していないのでしょうし、大方、謝罪する必要性に駆られて行動しているだけでしょうから」
「なっ!?」
唐突な沙羅さんの指摘に、今度は驚愕の表情を見せるタカピー女。
どうやら図星だったようだが…確かにそうであれば、あれだけ執拗だったこいつが、いきなり謝罪に転じた理由にも納得がいく。
でも、そうであれば…
「なぁ…何でそんなに、沙羅さんを目の敵にするんだ? 俺が言うのも何だけど、沙羅さんは誰かに対して、無駄な干渉はしない主義だぞ?」
「そうですね。確かに私は、彼女から直接何かをされた覚えはありませんよ?」
「だったら…」
「ですが…例えそうだとしても、個人の感情というものはままならないものです。直接的な何かが有ろうと無かろうと…」
「なんだよ、それ…」
いまいちハッキリとはしなかったが、取り敢えず今の発言から察するに…と言うか、これは既に分かっていたことでもあるが…やはりこの諍いの根本にあるのは、タカピー女の一方的な悪意的感情。
勿論それ自体は予想通りなので、特別驚くようなことではないが、何故そこまで悪意を持つに至ったのかが分からない。
だからそれを解消しない限り、いつまで経っても火種が燻り続けることになるんじゃないのか?
「一つ、気になっていたことがあります」
「なんでしょう?」
「私は人と接することを極力避けてきたせいか、色々と要らぬ誤解を招き易いようです。特に最近は、それをつくづく実感させる出来事が多かったのですが…ひょっとして、私は無意識にでも、貴女に何かしましたか?」
「………」
沙羅さんからの問い掛けには、特にこれと言った反応を見せず…ただ無言のまま、タカピー女は意味深な視線だけをこちらに寄越す。
それがどういう意味なのかは分からないが、でも一つだけ言えることは、これがあいつの身勝手な被害妄想であることに間違いはないってこと。
「そうですか…どうやらそれが、今回の一因になってはいることは間違いなさそうですね。であれば、私からも謝罪をしておきましょう」
「えっ?」
「…は?」
「正直、私も身に覚えはありませんが…それでも、何か気に触ることを言ったようでしたら、それは謝ります。申し訳ありません」
小さくペコリと…何故か沙羅さんが頭を下げる。
それは俺にとっても驚きで、同時に、到底納得のいくものではなく…
「な、何で沙羅さんが謝らなきゃならないんですか!? こんなの、単なるあいつの被害妄想ですよ!!」
「自分で何をしているか分かっているのですか!? 今回の件は、どう考えても私が起こした諍いでしょう!? 貴女が謝る必要がどこにあると言うのです!?」
「私は別に、特定の誰かと敵対関係になりたい訳ではありません。必要以上に接点を持ちたい訳でもありませんが、それ以上に、無駄な諍いは御免被りたいのです。私の大切な一成さんに、万に一つも波及させたくありませんから」
「な…」
本音を言えば、ここで話に割って入りたい気持ちはある。
沙羅さんがあいつに謝る理由など何一つないし、こんなの到底納得出来るものじゃない。
でも…
「沙羅さん…」
「ふふ…そんなお顔をなさらないで下さい。私なら大丈夫ですよ? これで彼女が納得するのであれば問題ありませんし、少なからず私にも、悪い部分があったのでしょうから」
例え俺が納得出来なくても、ここで口を挟んでしまえば、それは沙羅さんの想いを…行動を、全て無にすることになってしまうんじゃないのか?
それを、俺が…
他ならぬこの俺が、出来る訳ないだろ!!
「……です…それは」
「はい?」
「何なんですか、それはっ!! ここで貴女に謝られたら、私の…私の立場がないではありませんか!?」
何故か悲壮感すら漂わせ、必死の形相で声高に咆えるタカピー女。
そこには一切の余裕を感じず、無駄に堂々としていた態度も影を潜め…ただ辛そうに、悔しそうに、沙羅さんをじっと睨む。
「悪いのは、身勝手な理由で貴女に絡んだ私でしょう!? 何をやっても勝てないことを逆恨みして、自分を正当化する為に、貴女を悪女に仕立てて…それで!!」
「………」
「そうです!! 分かっていますよ!! 高梨さんの言う通り、これが単なる私の被害妄想だということは!! 貴女の態度を勝手に悪意解釈して、人気取りの為に打算で動く、イヤらしい女だと思い込んでいただけ!! 今日のことだって、こちらに事情があったから謝っただけで、本音を言えば納得なんてしていませんでした!!」
もう完全にヤケクソな感じで喚き散らし、こちらが聞いてもいないことまで赤裸々に暴露していく。
その内容は概ね予想通りではあったが、それでも人一倍プライドが高そうなこいつが、ここまでハッキリそれを認めるとは…
「それは貴女も気付いていましたよね!? それなのに、どうしてそこまで下手に出れるのですか!? 以前の貴女であれば、それこそ私を完膚無きまでに…」
「以前はともかく、今の私は違います。先程も言った通り、私には一成さんより大切に思えるものなど何一つありません。ですから、それに関わることであれば、自分が頭を下げるくらい大した問題ではありませんよ」
「大切な…もの…」
あくまでも毅然とした態度の沙羅さんに怯んだのか、何か思うところでもあったのか…
一転して、絶句したように口を閉ざすタカピー女が、大きく目を見開き、沙羅さんと俺を交互に見つめ…
「ふ…ふふふ…あはは…」
「どうしました?」
「ふふ…いえ、思わず自分が馬鹿らしくなっただけですよ。結局、私は何も…」
突如、自嘲気味な笑顔を浮かべ、ボソボソと何事かを呟く。
今度はいったい、何を…
「…本当は分かっていたんです。薩川さんに対する思い込みが、全て私の勘違いであったことは。貴女に何一つ勝てない嫉妬心もあって、一方的に敵対心を抱いていただけで…でも、それを認めたく無かったんでしょうね、私は」
「何を言いたいのか、いまいち要領を得ませんが…」
「構いませんよ、こちらの話です。ですが…貴女にそこまでされた以上、私もこのまま終わらせる訳にはいかなくなりました。ここで有耶無耶に済ませてしまうのは、私のプライドが許しませんので」
「…よく分かりませんね。そこまで大袈裟な話ではなく、私は自分が悪いことをした可能性があったから、それを謝っただけですよ?」
「だとしても、です。確かに私は貴女に負けましたが…これ以上、情けない人間になりたくありません」
「…そうですか」
正直、俺も何が何だかよく分からないんだけど…
取り敢えずあいつは、沙羅さんから逆に謝られたことで、自分自身の姿が情けなく思えてしまった…ということなんだろうか?
恐らく簡単な謝罪で済まそうとしていたんだろうが、それを許せなくなった…とか、そういうことなのか?
「改めて謝罪します。勝手に貴女を誤解して、散々悪態をついてしまい申し訳ありませんでした。自分が貴女に負けていたことを素直に認めたくなかったのです。今にして思えば、幼稚な自尊心だと思いますが…」
「………」
「それと、貴女達の同棲を暴露した男性についても、あれは私の関係者です。責任は私にありますので、彼は許して下さい」
「やはりそうでしたか。色々と不自然な点が多かったので、薄々予想はしていましたが」
「…まさかそこまで予想しているとは、本当に驚きですね」
これはタカピーだけでなく、俺も素直に驚きなんだが…
まさか沙羅さんがそれに気付いていたなんて…
でもそれなら、何で…
「そこまで予想していたのなら、何故、私に何も言わなかったのですか? 例え証拠が無くとも、貴女であれば、何らかのリアクションを取っても不思議ではありませんが」
「それは簡単な話ですよ。そもそも私は、最初から婚約に関する話をするつもりでしたから。当然、必要であれば同棲についての話も触れるつもりでしたし、後手に回っただけで、結果的には何一つ変わっていませんよ?」
「ブラフ…という訳ではなさそうですね。つまり私は…ふふ、本当に間抜けな話です。こんな身を下げるような小細工までして、結局、一人で踊っていただけですか」
自嘲気味に乾いた笑いを漏し、どこか遠くを見つめるタカピー女。
その姿には最早、哀愁すら漂っているようにも見えて…まぁ、言うなればこれは、ピエロってやつだろうからな。
「ですが、もし一成さんに何らかの影響を及ぼしたとなれば、話は別ですよ。もしそうなった場合、私は宣言通りに貴女を全力で潰します」
「貴女は本当にブレませんねぇ…つまり、高梨さんに影響が無かったから何も言わなかったと、そういうことですか?」
「端的に言えばそうなりますね。貴女の小細工もあの男性も、私にとってはどうでもいい話なので」
「全く…貴女がこんな性格の持ち主だとは思いませんでしたよ。そうとも知らず私は…本当に間抜けですね」
ふぅ…と、小さな溜息を漏らし、相変わらずの自嘲気味な苦笑を浮かべるタカピー女。でも、先程までとは様子が全く違い、完全に力が抜けてしまったような…気が抜けてしまったような、そんな感じさえも。
「高梨さん、貴方にも謝罪します。色々とすみませんでした。もし、許せないことがあるようでしたら…」
「…そうだな。俺も正直に言えば、今まで散々、沙羅さんに悪態をついてきたことは許せない。特に、ミスコンでのことは許したくない」
例え誤解から生まれた諍いであったとしても、それが解消されたからといって、全てが水に流れる訳じゃない。
人には許せることと許せないことがあり、こいつはそれを逸脱したと俺は思っているから…でも。
「だけど…それは当事者である沙羅さんが決めることであって、俺が決めることじゃない。俺個人に何かあった訳じゃないし、沙羅さんが不問にするって言うのなら…」
「…一成さん」
例え俺が許せないとしても、最終的にそれを決めるのは当事者である沙羅さんだけだ。だから俺に出来ることは、沙羅さんの意思を尊重して、後は…
「ふふ…貴方は貴方で、どこまでも薩川さん一辺倒なんですね。本当に…お似合いですよ、貴方達は」
「勘違いするなよ。俺はまだあんたを許した訳じゃない。また沙羅さんに余計なことをしないか、見張ってるからな」
「先程も言いましたが、私はもう余計な真似をするつもりはありません。それに…立場上、もう貴方達と敵対する訳にはいきませんから」
「…なるほど、そういう理由がありましたか。納得です」
「えっと?」
さっきも立場がどうのとか言っていたような気もするが…そう言えば、こいつの親は佐波のグループ会社で社長をやってるって話だったか。つまり、それに関わる話なのか?
「勘違いしないで下さい。確かにそういう面もありましたが、謝罪をしようと
思った切っ掛けは違います。まぁ…建前で謝ろうとして、余計に悔しい思いをする結果にはなってしまったことは事実ですけどね」
「あんたも面倒だな。だったら普通に謝ればいいだろ?」
「これは私の性格ですから。そう簡単に直りませんよ…きっと」
「私の経験上、それまでの自分を打ち消してしまうような出会いがあれば、一気に変われるかもしれませんね?」
そんなことを言いつつ、沙羅さんは俺の腕に自分の腕を回し、幸せそうに満面の笑みを浮かべる。
それはつまり、沙羅さんにとって俺との出会いが…
「ふぅ…去年の貴女とこうも違えば、その話には一定の信憑性があるのかもしれませんね。ですが、生憎とまだ、そういう相手との出会いは……あれは違う意味で衝撃でしたが」
「何か?」
「いえ、何でもありませんよ。とにかく、私の話はこれで終わりです。我ながら随分と情けない姿を晒してしまいましたが、もう今更ですね。別に貴方達と馴れ合うつもりはありませんが、長い付き合いになりそうですから、精々宜しくして差し上げますよ」
最後にちょっとした憎まれ口(?)を叩き、タカピー女は澄まし顔でさっと一礼をしてから、屋上の出口…扉に向かって歩き始める。
その姿を黙って見送ろうと思ったが、沙羅さんが一歩前に出て。
「私も馴れ合うつもりは毛頭ありませんが、貴女が変に関わってこないのであれば、普通に応対くらいはしますよ。但し…」
「但し、高梨さんに迷惑を掛けないこと…でしょう? もうそれは分かりました。ですが…私としても、高梨さんが立場に相応しい人間になれるかどうか、精々見させて頂きますよ?」
「それこそ無用の懸念ですね。寧ろ貴女方の方こそ、一成さんの足を引っ張らないよう、精々気をつけて頂きたいのですが?」
バチバチっと…
何故か二人の間に、かなり激しい火花が飛び散った…ような気がした。
そして、俺を置き去りにして交わされた二人の意味深な会話が、果たしてどういう意味なのか…
立場って、まさかこの前も言ってた、生徒会長の話か?
「ふふ…やはり貴女とは、こういう関係の方がしっくりきますね」
「知りませんね。私は迷惑なだけなので、無駄に絡んでこないで下さい」
お互いにそこまでを言い合うと、タカピー女は踵を返し、今度こそ振り返らずに屋上を出ていく。
その後ろ姿を今度こそ見送りながら、一先ずこれで一件落着なのか、微妙に継続なのか…
でも、余計なトラブルを回避できたことだけは、素直に良かったかな…と。
そんな風にも思えた。
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大変お待たせしました。
二分割しようと思いましたが、上手く切れなかったので一気にいきます。
GWの繁忙から始まり、なかなか纏まった時間が取れず、執筆時間を取れないことにヤキモキしていました。
しかもそういうときに限って難しく、隙間時間で切れ切れに書くと、かえって内容がおかしくなるという状況で。
オマケに執筆用のスマホがダメダメでペースが上がらないし・・・中古でもいいから、以前使っていたXp〇r〇aシリーズのzx辺りでも買いたいなと・・・でもバッテリーでハズレを引きそうで怖い。
次回はある程度書けているので、そんなに遅くならずに更新できると思います~
それでは
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