第354話 何気ない場面に

 何となく照れ臭い感じが抜けきらないまま、気が付けば薩川家に辿り着いてしまった。

 道路に面した門(?)をくぐり、後はこのまま玄関を開けるだけ…なんだけど、今の俺は、きっとお世辞にもまともな状況とは言えず。ぶっちゃけ、だらしない顔をしていると自分でも自覚があるので、こんな顔のまま真由美さんに会えば、果たして何と言われることやら。


「ふふ…もう少し落ち着くまで、いい子いい子して差し上げましょうか?」


 俺の心情を早速読み取ったらしい沙羅さんが、少し冗談めかした様子でそんなことを言い出し…既に俺の頭を抱き寄せようと手を伸ばしてきているので、その言葉が決して冗談ではないことを如実に現していたり。

 と言うか、玄関先でそんなことをしてて誰かに見られたら、とんでもないことになりそう…って、さっき道端でアレをやらかした癖に、今更なんだけど。


「い、いや、大丈夫です…ハイ」


「本当ですか? 遠慮は…めっ、ですよ?」


「だ、大丈夫です」


 沙羅さんの優しい眼差しが、俺の目をガッチリと捉え…いつもの如く、俺の本音をしっかり読み取ろうとしているような、そんな風にも見えて。

 これはちょっと、マズいかも。


「ほ、ほら、沙羅さん。真由美さんが待ってますし…」


「ふふ…畏まりました」


「仕方ないですね」とばかりに苦笑を浮かべ、一応は納得してくれたように頷く沙羅さん。

 でも、これは別にごまかしたいう訳ではなく、いつまでもこんなところに居たら、本当に変な目で見られそうだし…だからさっさと家に…


 ガチャ…


 沙羅さんがドアの鍵を開け、俺が先に入れるようにと、ドアノブを引きながら後ろに下がり…始めたその瞬間!!


「っ!?」


 殺気!?


「一成くん!! お帰りなさぁ…」


「させませんよ!!」


 ドアの向こう側でしっかりと待機していたらしい真由美さんの強襲に、驚くほどの超反応を見せる沙羅さん。身体を素早く間に割り込ませ、全身による防御を…


「むぎゅ…」


 "恐らく"沙羅さんの背中に突撃したと"思われる"、真由美さんの可愛らしい呻き声(?)が聞こえ…


 え?

 何でそれが予想なのかって?


 そんなの、俺の顔が天国行きで、視界が真っ暗になっているからに決まってるでしょ!!


 と言うか、このパターンは久し振りなので、完全に油断してました…


「もぅ~…沙羅ちゃん酷いわぁ」


「全く…油断も隙もあったものじゃない。先日の勝負で、一成さんに余計なちょっかいを出さないと誓いましたよね?」


「もちろん余計なちょっかいは出さないわよ? でもこれは、可愛い息子に対する、お母さんからのごく当たり前な挨拶ですからね?」


「どこが、ごく当たり前ですか!?」


 いつも通り、全く悪びれない様子の真由美さんに、沙羅さんが猛然と噛みついていく。


 ただ、その…エキサイトしているのは分かるのですが…


 沙羅さんが俺を隠すようにぐいぐいと押し込んだり、その状態のまま位置を移動したりするので(恐らく、真由美さんが手を伸ばしてきているのではないかと思われる)、柔らかい何かが、もの凄い勢いで俺の顔にですね…


 ふにふにと、むにむにと、大変なことになってるんですけど!?


「えぇぇ…でも沙羅ちゃんだって、一成くんに挨拶代わりのハグやキスを…」


「それを一成さんにしていいのは私だけです!! やりたいならお父さんにして下さい!!」


「あん、もう、沙羅ちゃんのいけずっ!!」


「…ははっ」


「…一成さん?」


「…一成くん?」


 自分でも思わずと言うか、つい笑い声をあげてしまったと言うか…

 別に二人のやり取りが面白かったとか、毎度お馴染みの光景が楽しかったとか、そういう意味じゃないんだけど。


「ふふ…どうなさいました?」


 沙羅さんが俺の頭を離し(最後にぎゅっとしてから)、俺はゆっくりと身体を起こす。やっと開けた視界で二人を見ると、やはり親子だとハッキリ思わせる、同じような優しい笑顔で俺を見つめていて…


「いえ、上手く言えないんですけど…嬉しかったと言うか」


「嬉しい…ですか?」


「一成くん?」


「ミスコンであんな勝負をして、特に最初は、真由美さんも沙羅さんに厳しい態度を見せてたし…RAINで勝負の結果は分かってたけど、実際に顔を会わせるまで、今までと全く変わらない和気藹々とした姿を見れるのかなって…何となく不安もあったんです。でも、二人がいつも通りで安心したというか…」


 別に、真由美さんに今までと変わらないスキンシップをして欲しいとか、そういう意味じゃない。

 でもあれだけの真剣勝負をして、結果、制約染みたことまで発生して、二人の様子が万が一にもギクシャクしてしまえば、それはとても悲しいことだから…そんなことにはならないと頭では分かっていても、こうして実際に見るまでは不安な気持ちがあったことは事実で。


「ふふ…一成さんは、本当に…」


「…も、もう無理ですっ!! 一成くんっ!!」


「ぷわぁ!?」


 普段のおっとりとした様子からは想像のつかない、まるで獲物(俺)に襲いかかる獰猛な獣(?)のように…

 沙羅さんという鉄壁の防御を遂に乗り越え、完全に油断しきっていた俺は、真由美さんの唐突な行動に為す術もなく…


 実にアッサリと捕獲され、やはり親子なのか、俺の顔は勿論あの場所へすっぽりと。沙羅さんを上回る、恐ろしい程の質量に包まれてしまい…普通の男であれば、これを嬉しいと感じるだけかもしれないが、俺は焦りの方が遥かに大きいんだよ!!


「な、な、な…」


「ま、真由美さんっ!?」


「もう…そんな可愛いことを言われたら、お母さん我慢できません!!」


「むぐっ!?」


 凶悪なまでの"何か"に俺の顔を押し付ける力が強まり、言葉を発する余裕すら無くなってしまう。もはや圧倒的とも言えるそれが容赦なく俺を襲い…って、だから俺は何と戦ってるんだ!?


「一成くんは、本当に良い子ですね…可愛いです…いい子、いい子…」


「ちょっ、お母さん!!! 何をしてるんですか!!! 今すぐ離れなさい!!!」


 横から何か…沙羅さんが勢いよく、俺と真由美さんの間にある隙間に腕を差し込み、俺の身体を真横から抱き締めるような体勢のまま、凄まじい力で勢いよく引っ張り始める。

 すると今度は、俺の…俺の左腕が大変なことにぃ!?


「あんっ、もう少しだけいいじゃない。一成くんも、お母さんに抱っこされて嬉しいですよね?」


「むぐぐ…」


 そんなことを聞かれても、こんなに押し付けられたら喋れないし…てか、答えさせるつもりありませんよね!?


「一成さんが苦しがっているでしょう!? いい加減にしないと、私も本気で怒りますよ!!」


 沙羅さんの怒声が明らかなシフトアップを見せたところで、真由美さんの包容が少しだけ緩む。そのチャンスに合わせ、自分からも身体を離すように力を込めると、そこに沙羅さんの力が加わり、スポンッと上手い感じで顔が抜けた…と思えば、今度はそのまま沙羅さんに引っ張られて、俺専用の天国に一直線!!


 こんな状況で不謹慎かもしれないが…やっぱり俺の居場所は、沙羅さんのここなんですよ。


「一成さん、大丈夫ですか? 痛いところなどはございませんか?」


「だ、大丈夫です」


「申し訳ございません…私としたことが、油断してしまい…」


「い、いえ、俺もかなり油断してたんで」


 沙羅さんは俺の頭を撫でながら、自分の身体が前面に出るようにお互いの位置を入れ換える。

 俺を真由美さんから守ろうと…普段よりも強めの力でぎゅっとされているのは、「もう絶対に渡しません」という沙羅さんの強い意思が現れているようで。


「あぁぁ、やっぱり沙羅ちゃんの方がいいのね。そんなに大人しく抱っこされて…お母さん悲しいっ」


「当たり前です。一成さんのお気に入りは、私のここですから。ですよね、一成さん?」


「えっと…は、はい」


 ここで素直に頷いてしまうのは、人として…男としてどうなんだと思わないでもないが…事実だから仕方ない。

 でも大切な何かをまた一つ無くしてしまったような…そんな気がしないでも…


「ふふ…いい子ですね♪」


 なでなで…


 まぁ…

 沙羅さんが喜んでくれるのであれば、ぶっちゃけどうでもいいんだけど。

 毎度お馴染みな単純思考回路ですが。


「しくしく…それじゃあお母さんは、一人で寂しくお茶の準備をしますね?」


「はぁ…わかりましたよ。私も手伝いますから、さっさと台所へ行って下さい」


「はーい! それじゃ一成くん、お母さんのお茶菓子を楽しみに待っててね?」


 パタパタパタ…


 「しくしく」と言っていたワリには、実に軽やかな足音で台所へ向かう真由美さん。相変わらずというか何というか。

 まだ到着したばかりだというのに、早くも一戦終わらせたような精神的疲労感ですよ…


 でも…いつも通りで、本当に良かった。


………………


………



 普段よりも少し早めに帰って来た政臣さんを出迎えて、沙羅さんと真由美さんは晩御飯の仕度、俺と政臣さんは引き続きソファでティータイムと、毎度のことながら誠に申し訳ない状況に分かれる。

 役に立たないのは百も承知とはいえ、流石に少しくらいは手伝いたいと思う気持ちは勿論あるんだが…

 なにぶん、沙羅さんも真由美さんも、男子厨房に入るべからず(本当の意味が違うことくらい分かってるぞ)な人達なので。


「ふぅ…」


「政臣さん、お疲れなんですか?」


「いや、今年から始まった新しいプロジェクトのいくつかが、それなりに進展を見せていてね。それの視察で、ここ数日は弾丸出張が続いてるんだよ」


「弾丸出張…?」


「日帰りの長距離出張と言えば分かるかな?」


「あ、そういう意味ですか。そういや親父も、会社の用事で隣の県へ行ってきたとか、たまに言ってたような」


 もっとも、日帰りしないでちゃっかり泊ってきたり、接待名目の経費でどうのとか、変なことばかり言ってたような気もするが…オカンが「この不良社員が!」ってよく騒いでたな。


「うん。隣の県くらいなら大したことないんだけどね。飛行機とかヘリを使わなければならないから、移動だけで疲れてしまうんだよ」


「ヘリって…ヘリコプターですか!?」


「そうだよ。場所によってはその選択肢も入るからね」


「はぁ…何と言うか…世界観が違いますねぇ」


 ヘリコプターから颯爽と降りてくる、スーツ姿の政臣さん…うーん、想像しただけで絵になるかも。

 俺の中にある出張イメージだと、精々が新幹線ってところなんだけどな…


「まぁ、入ってしまえばそれが常識になるから。かく言う私も、初めてお義父さんの付き添いをしたときは面食らったものだよ」


「そうなんですか?」


「あぁ。私の実家は特別これといった家ではなかったからね。その分、色々なことに慣れるまで時間がかかったんだ」


「そうだったんですね。何となく、政臣さんはそういうことに最初から慣れてるようなイメージでした」


 仕事中の政臣さんを見たことが無いから、あくまでも俺のイメージというだけなんだけど…何となく、最初のスタートラインから既にレベルが高かったんじゃないかとか、さぞ「仕事がデキる男」って感じだったんじゃないのかなと勝手に思ってた。


「あはは。そう思ってくれるのは嬉しいけど、最初から仕事が出来るなんて訳がないからね。私だって、お義父さんの仕事を手伝いながら色々な部署を回って、やっと少しずつ見えてきた…という感じなんだよ」


「…そうなんですか」


「うん。だから、焦らずにゆっくりと色々なことを覚えてくれればいいんだ。私も通った道だから、何が必要で何が困るのか、そのフォローはバッチリとしてあげられると思うし」


「あ、ありがとうございます。まだちょっと気の早い話ですけど、頑張ります!」


 その前に先ずは、高校の卒業と大学入学…のもっと前に、来月の期末テストだな。

 普段の勉強は沙羅さんに見て貰ってるし、授業も真面目に受けているから、今期は前期よりいける…と自分では思ってるが。


「あ…そう言えば実家の話で思い出したんですけど、政臣さんの実家ってどこにあるんですか?」


 真由美さんの実家がここであるのは分かっているとして、政臣さんの実家に関する話を今まで聞いたことがない。

 夏休みに、沙羅さんが政臣さんの実家に行っていたことを考えると、少なくとも存命であることは間違いなさそうだが…あれ?


 そういや、祖父と祖母のお墓参りがどうとか言ってたような気も…


「あぁ、私の実家…と言うか、正確には祖父母の実家になるんだけど…そうか、その辺りの話をしたことがなかったね」


「はい。夏休みに、沙羅さんが政臣さんの実家に…って話は聞いてたんですけど」


「うん。もともと私の生まれは、この街じゃなくてもっと地方なんだけどね。でも両親…父親の転勤で、小さい頃にこの街へ引っ越してきたんだ。だからそういう意味では、実家があるのもこの街ということになるんだけど…私の祖父母が亡くなって、両親はその家を引き払って祖父母の家に引っ越したんだよ」


「成る程。それで、"現在の実家"という意味では、政臣さんのお祖父さん達が住んでいた家…ってことになるんですね?」


「そういうこと。ついでにもう一つ言うと、ちょうどグループ会社の一つがその街にあるから、そこで本社から出向した役員をやってるんだけどね」


「出向の役員…」


 それがどういう立場の人なのかよく分からないが…取り敢えず沙羅さんが言っていた祖父母の墓参りとは、つまり「政臣さんの祖父母」であって、ひいお祖父さんとひいお祖母さんって意味なのね。納得。


「まぁ近い内に会う機会があると思うよ。年末パーティーにも来るし、可愛い孫の結婚相手を見定めるとか張り切ってたから」


「えっ!? 見定める…ですか!?」


 何その不穏な文言!?

 嫌な予感しかしませんけど!!


「あはは、そこまで気にしなくて大丈夫。私の父も沙羅に頭が上がらないし、いつもの君達を見せれば直ぐに納得するだろうから」


「そ、そうですか。それなら…まぁ」


 と言いつつも、一抹の不安が残ることは否定できないが…でも誰に何と言われようが、俺は引き下がるつもりなんかないからな。

 だからまぁ…関係ないか。


「後は…そうだ、ついでと言う訳じゃないが、お義母さん…幸枝さんに関する話は聞いているのかな?」


「えっと…ある程度のことは聞いてますよ? あと今度の休みに、沙羅さんと二人で報告に行こうって話はしてますけど」


 まだ婚約指輪を渡したことや、正式にプロポーズをしたことは報告してないので、軽くでもその辺りの話をしに行こうということにはなってるんだけど…


 ちなみに幸枝さんのことについては、沙羅さんからも色々聞いているし、本人からも話を聞いたことがあるので、特段、現状で不足している情報はないと思う。あの神社(祭られている人物がいるというだけで、そもそも神社と呼べるのか分からないらしいが)についても、幸枝さんの実家という訳ではなく、その更に先代の繋がりに遡る…とのことらしい。


「まぁ以前から面識もあったようだし、直接話が聞けるんだから大丈夫か。ところで…その報告とやらについては、私も聞かせて貰えるのかな? 一応、あの場で色々と見させて貰ったけど、そもそもどういう状況だったのか教えて…」


「はいはい、そういう話は食後にゆっくりとしましょうね。私だって一成くんからお話を聞きたいんだから、政臣さんばっかりズルいわ」


「おっと…」


 晩御飯の準備が終わったのか、パタパタと軽やかなスリッパの音を立てて、こちらへやってくる真由美さん。

 ひょっとして、話を聞いていたのか?


「お待たせ致しました、一成さん。さぁ、冷めない内にお食事にしましょうね」


「あ、は、はい」


「んふふ…」


 その後に続きやってきた、沙羅さんの和やかな笑顔に一瞬見蕩れてしまい…真由美さんから、クスリと笑われてしまう。

 でもこれは仕方ない、沙羅さんが素敵すぎるからいけないのです。


「あはは…うん、何かいいね、この感じは」


「そうですね…俺もそう思います」


 俺も上手く表現できないけど…沙羅さんが居て、政臣さんと真由美さんが居て、その中に俺も居て…暖かい家庭の雰囲気があって。

 きっと政臣さんの言いたかったことも、こんな感じがいいって意味なんじゃないかなって…そんな風に思えた。


----------------------------------------------------------------------------------------


 我ながら、こういう日常シーンの方が筆の進みが早くなることを実感します。

 政臣さんとの会話が好きってお声を頂くこともありますが、今回は久しぶりにそうなりましたw

 本当は食後のシーンまで一気に書くつもりでしたが・・・私事ですが、自分の仕事で使う商材をうっかりミスでダメにしてしまい、大量の廃棄と損失を出すというショックで気持ちが途切れてしまいましたorz

 個人だから自己責任なんですけど・・ってどうでもいい話ですね、すみません(^^;


 何気にこのまま翌日に飛んで、ミスコン当日の話や指輪を用意した背景を報告しました~って、次の話の冒頭描写で終わらせるのは「あるある」って感じがしないでもないです。

 でもそんなことをしたら怒られそうなので(誰に?)、次の話は普通にこの続きからです。


 では、また次回~


 P.S. 前話ですが、こちらのミスで公開停止になっていたタイミングがありました。訂正しましたが、最初の更新と最終更新でほんの少しだけ細部が変わっている可能性もあります。申し訳ございません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る