第352話 大切なものの為に
side 楠原玲奈(タカピー)
悪夢のようだった、あの凛華祭から一夜明け…
傷心の私を待っていたのは、周囲からの暖かい励ましや気遣い、優しさなどではなく、大好きなお兄様による事情聴取という名の追求でした。
そこで私は、自分が誰を相手にしていたのか…あの忌まわしい薩川沙羅が、どういう立場の人間であるのか、それを本当の意味で理解することになる。
単なる、"いち専務"の娘ではなく、佐波グループ次期会長の令嬢…
つまり私は、自分達の会社を上から実質的に支配している、言わば雲の上の存在と言える相手に、正面から喧嘩を…いいえ、暴挙を行った訳であり…だからこそ、あの優しいお兄様が、私に対してこうも厳しい態度を取ることも納得せざるを得ないということに。
「社長から、お嬢様と揉め事を起こすなと言われていただろう?」
「…確かに、言われた覚えはあります。ですが…」
理由も何も説明がなく、頭ごなしにそう言われただけでは、到底納得なんか出来ません…そう言いたい気持ちは山々ですが。
そもそも、薩川専務が次期会長であるという話など、私は今まで聞いたことがないのに…
「お前だって、会社が縦社会であることくらい重々理解しているだろう? まして、相手が本社の…」
本社であるから全てに於て上など、思い上がりも甚だしい。あの女の不遜で傲慢な態度は、それを如実に表している…と。そう思えたからこそ、私は薩川沙羅に対して、更なる反発心を抱いたことは事実。
だからせめて、ミスコンという「女性」としての注目を集めるあの場で、盛大に恥を掻かせてやりたいと、そう思ったのに。
でも…
それは叶わず、寧ろあの場で盛大に恥を掻かされたのは私の方。優勝どころか入賞すらできず、しかも男である高梨一成が準優勝という、意味の分からない結果まで見せつけられるハメに。
そして今、更なる明確な立場の違いを、こうして思い知らされてしまうという…
「とにかく、事情を説明しろ」
事情…
この上事情まで説明すれば、私は…でも。
そして私は、もはや恥とも言える情けない自分の自尊心を、誰よりも敬愛するお兄様に暴露するという…拷問のような時間を過ごすことになった…
……………
………
…
夢であれば良かったのに…と、そんなことを何度も思いながら、それでも登校日はやってくる。
憂鬱な気持ちと若干の恐怖心を抱え、いつも通りに通学路を歩く私を待っていたのは予想通り…周囲から感じる冷たい視線。
ひょっとしたら気のせいかもしれない、気にすぎなのかもしれない。
そう思ってみても、普段とは違う意味深な視線に晒されているのは間違いないようで…しかも普段であれば、あちらこちらから飛んで来る朝の挨拶が、今日はまだ一度もない。
それはつまり…そういうことなんでしょう。
しかも、そんな居たたまれない気持ちのまま、やっとの思いで学校に到着した私を待っていたのは…
「凄いよねぇ…大舞台でプロポーズとか」
「あの難攻不落の薩川さんを落とすなんて…高梨くんってどういう人なんだろ?」
「副会長ってことしか分からないんだよね。特別目立ってる人じゃないし」
「まぁ確かに地味だけどね。でも"あの薩川さん"が選んだってことは…」
「何かあるんだろうね。少なくとも、度胸は凄いと思うけど!」
「私は…可愛いと思ったけどな?」
「あぁ、子供に囲まれて歌ってたアレね…私も動画を見たけど、確かにちょっと可愛かったかも」
壁一面に貼られた校内新聞(?)というエサに群がり、あの日のことで大騒ぎをしている生徒達の姿。女性陣は概ね好意的に捉えているようで、特に、「あの薩川沙羅"を射止めた高梨一成」に興味が集まっているらしい。
そして…
「はぁぁぁ…マジかよぉぉぉぉぉ!!」
「ああああ、夢だと思いたかったぁぁぁぁ!!!」
「ちくしょぉぉぉ、自分がダメでも、せめて他の奴に取られなければまだ救いがあったのにぃぃぃぃ!!!」
「婚約って…しかも同棲って…同棲ぃぃぃ!!??」
「ぐぉぉぉ!! 羨ましいなんてもんじゃねぇぇぇ!!!」
男性陣に至っては、まるであの日の続きを見ているような…憧れだった女性が、他の男性と交際中。しかも婚約までしており、既にその相手とは仲睦まじく同棲中という、信じがたい事実を受け止めきれない…そんな様子が、ありありと伺えていて。
「…おい、見ろよ」
「…うわっ、出たよ性悪女」
「…あいつ、よく学校来れたな」
「…いい気味だよ」
「…あいつ前から気に入らなかったんだよねぇ」
私に気付いた周囲の生徒たちが、ヒソヒソと…でも確かに聞こえる陰口を叩き…
それから逃げ出すように、私はその場を後にした。
……………
………
…
針の莚とは、正にこのこと。
それを身を持って実感した、教室での最悪な午前中をやっとの思いで乗り越え…朝の玄関に続き、教室からも逃げ出すように、私は中庭にある人気の無い一角にやってきた。
ここは私にとって、秘密のお気に入りと言える場所であり…ベンチがあるにも関わらず誰もやってこない、言わば空白とも言える空間…だからこそ、今の私にとっては、心の休まる唯一の場所と言っても過言ではない。
そう思っていたのに…
「なんだぁ、先客が居たのかよ…」
そこに突然姿を現し、開口一番、礼儀知らずとも言える言葉遣いでそう呟いた男。
「何ですか? 不躾に突然」
「不躾って…そりゃまた随分な言い草じゃね?」
「不躾だから、不躾と言ったまでですよ」
「うわ…きっつ。ちょっと前の薩川先輩みたいだな…」
「今、何と言いましたか!?」
「うおっ!?」
今、最も聞きたくない名前を聞き、思わず声を荒らげてしまった。ミスコンという舞台で、私があの女にどれ程の苦汁を嘗めさせられたのか知っているでしょうに…その上で、私とあの女を比較するような発言をするなど、礼儀だけでなくデリカシーの欠片も持たない最底辺の男ですね。もはや相手をする価値もないです。
「な、何だよ、いきなり…ま、別にいいけどさ。俺も正直、良く知りもしない奴の相手なんかする余裕ないし」
「…ちょっと待ちなさい。貴方、今…何と言いましたか?」
「へ?」
「私を知らない…と言いましたか?」
私の聞き違えでなければ、この男は私のことを「よく知らない」と言ったはず。
以前、高梨一成からも同じことを言われましたが…百歩譲って、あれは私の自意識過剰だったとしても、今回は流石に有り得ないでしょう!?
「あぁ、知らねーよ…ん? よく見りゃ、見覚えがあるような…」
「はぁ…分かりました、もう結構です」
どうやら嘘を言ってる様でもありませんし…本当に私のことを知らない、もしくは辛うじて知っている程度だということに間違いはなさそうです。
まさかあれだけの騒動があった後で、それでも私のことを知らない生徒が居るとは正直驚きですが…それならそれで、今の私にとってはありがたいのかもしれませんね。
「さっきから何なんだよ…って、ありゃ、すんません先輩っすか?」
これは私が誰であるのか気付いたからではなく、校章のカラーで学年に気付いただけのようです。まぁ、例え先輩後輩に気付いていなかったにしても、礼儀知らずであることに変わりはありませんが。
でも今は、そんなことより…
「私は一人になりたくてここに居るのです。何の用か知りませんが、席を外して下さいな?」
「んなこと言われても、俺だって一人になりたくてここに来たんすけど?」
「先に来たのは私です。つまり、優先権も私にあります」
「学校の敷地で個人に優先権もへったくれもないでしょ? つか、先輩なら後輩に譲…あー、もういいっすわ。どっこいしょ」
「ちょっ!?」
何食わぬ顔でこちらを見ていたと思えば、突然私が座っているベンチの隅に腰掛けた無礼男。
この私にここまで直球で歯向かった身の程知らずは、高梨一成に続いて二人目…と言うか、こいつは何を考えているんですか!?
「何を勝手に…」
「俺だって一人になりたくてここへ来たのに、先輩が譲ってくれないんじゃこうするしかないっすわ」
「別の場所に行けばいいでしょう!?」
「他に思い当たる場所なんかないし、時間が勿体ないんで。つか、お互いに黙ってりゃ、ここは静かなもんすよ?」
「そういう問題では…」
何なんですか、この男は!?
ある意味で高梨一成よりもタチが悪いというか…ズケズケと無遠慮で、本当に最悪の部類ですね。今まで私にこんな対応をした人間は覚えがありません。とは言え、この男とこれ以上の口論をする気にもなりませんし…
仕方ないから、もう無視をするしかありませんね。こういう輩はまともに相手をするだけ時間の無駄です。
「はぁ…」
「………」
「ふぅ…」
「………」
「あー…」
「煩いですよ!? 何なんですか、全く!!」
「…あ、すんません、つい」
「…は?」
先程までとは打って変わり、まるで気力を感じさせない弱々しい声音。よく見れば、表情には明確な悲しみの色が浮かんでいて…感情の起伏が激しすぎて、正直ついていけません。本当に子供みたいな男ですね…って、何故私がついていかなくてはならないのですか!?
「…はぁ、どうせ女性に振られたとか、そんなところでしょう?」
「…まぁ、当たらずとも遠からずってとこです」
「単純ですね。まさか貴方も、薩川沙羅が婚約していることにショックを受けて失恋…という寝言をほざくクチですか? どいつもこいつも馬鹿らしい」
「ちげーっすよ。そりゃ、薩川先輩みたいな超絶美人に憧れる気持ちが全く無かった訳じゃないですけど…別の人っす」
「そうですか。 …余計なことを言いましたね」
似たようなことを考える馬鹿共が多過ぎて、つい穿った見方をしてしまいましたが…
それにしても、失恋とは…単純であることに変わりはないとしても、私には経験がないことなので、よく分からない領分ですね。
「先輩は失恋とかしたこと無さそうっすね?」
「そうですね。告白をされたことは多々あっても、自分からそういう行動に出たことはありませんよ。と言いますか、何故そう思ったのですか?」
「いや、先輩みたいな美人ならモテモテなんだろうなって」
「は?」
「薩川先輩も大概ですけど、先輩も負けてねーっすよ?」
「な、何ですか突然、藪から棒に…」
「そういう理由かなって思ったんですけど…違ったらすんません。でも、嘘とかお世辞じゃねーっす」
「……」
これは…ちょっと驚きました。
デリカシーの欠片もない、考えなしの唐変木だと思いましたが…てんで的外れとまでは言いませんが、少なくとも私が、薩川沙羅に対して何らかの含みを抱えていることに気付いたようですね。
しかし、こうも明け透けと言うか、裏表を感じさせないという意味では、高梨一成の第一印象を思い出させるような気もしますが。
「そういう意味ではありませんでしたが…一応、お礼を言っておきましょう」
「そっすか。でも薩川先輩と何かあるのは否定しないんすね?」
「別に、隠すようなことでもありませんから」
私が薩川沙羅と衝突を起こしたことや、ミスコンでのやらかしは、この学校の殆どの生徒が知っていることですからね。もしそれをこの男が知っていれば、今頃は他の連中と同じように…
「…すんません、踏み込み過ぎました」
「上がったり下がったり、本当に唐突ですね? 何なんですか?」
「…俺の方も色々あるんすよ」
「そうですか。まぁ私には関係ありませんが」
「相変わらずキツいっすね。ま、先輩みたいなリア充には分からない気持ちでしょうけど」
「は? 誰がリア充ですか?」
以前の私であればまだしも、今の私にとってその言葉は、嫌み以外の何物でもないです。それをまぁよくもぬけぬけと…多少はマシな人間かもと思ったのは間違いでしたか。
「だってフラれたことなんかないんすよね? だったら、自分の好きだった人が、他の女とスゲー仲良くしてる姿を目の当たりにした~なんて経験もないっすよね?」
「ある訳がないでしょう…と言いますか、つまりそんな場面に出くわしたのですか?」
「…頭を抱き締められて、しかも撫で撫でされてました」
「それはまた、随分と見覚えのある光景ですね」
確か薩川沙羅が、ステージ上で高梨一成にそんなことばかりしていたような…まさかあの二人以外にも、学校でそんなことをする馬鹿共がいるとは。
あぁ、思い出したくもないものを思い出してしまったではないですか、忌々しい。
「それで…相手にフラれた上に、他の男性と仲良くしている姿を見てショックを受けたから、ここへ逃げて来たと?」
「見も蓋もない言い方をすれば、そんなとこっす」
「そうですか。でもそれは仕方ありませんね。貴方をフッたということは、つまりそういうことでしょうから」
「いや、本人的には、弟を可愛がってるだけのつもりなんすよ?」
「…はぁ? 姉弟であれば、そもそもヤキモチを焼くこと自体がナンセンスでしょう?」
てっきり想い人の睦み合いでも目撃したのかと思いましたが…姉弟であれば、単なるスキンシップの一環でしょうし(やり過ぎな気もしますが)、そこにショックを受けるのはいくらなんでもどうかと思いますがね。
「まぁ、そこまで思い込む程に諦めきれないのであれば、もう一度アタックしてみればいいのでは? 相手に恋人や想い人がいないのであれば…の話ですが」
「いや、それは出来ないっす。フラれたときに、もう二度と一方的な想いを押し付けないって約束したんで。これ以上迷惑を掛けて、本当に嫌われたくないし」
「…何を言っているのか、イマイチ理解できませんが」
一方的な想いを押し付けない?
それはつまり、片想いの気持ちを相手に押し付けない…という意味でしょうか?
何でまたそんな約束を…って!?
「ちょっと待ちなさい。何で私が、貴方の失恋話など聞かなければならないのですか?」
「んなこと言われても、先に話を振ったのは先輩っすよ? まぁ、何で初対面の先輩にこんな話をしてるのか、俺もよく分からないんすけどね」
「それは貴方が、あーだうーだ煩いからでしょうが!?」
「あれ、そうでしたっけ? ま、まぁいいや。でも先輩って、取っつき難いように思えて、案外、話しやすいっすね?」
「話しやすい?」
「ええ。何だかんだ言って話は聞いてくれるし、親身にアドバイスとか…」
「私が、アドバイス…?」
一瞬、何のことを言われているのか理解が追い付きませんでしたが…確かに、鬱陶しい邪魔臭いと思いつつも、いつの間にかペースに飲まれてしまったようですね。
しかも、私にとっては全くどうでもいい話だというのに…この男を相手にしていると、どうにも調子が狂います。
でも、親身にアドバイスとか…そんなことを言われたのは初めてかもしれません。よくよく考えてみれば、ここまでプライベートな話を相談された覚えもありませんし。
「はぁ…」
「どうしたんすか?」
「いえ、何でもありませんよ。自分でも、何をしているんだろうと不思議に思っただけです」
「まぁまぁ、それは先輩が優しいからっすよ」
「勘違いしないように。これは単なる気紛れです。本来であれば、私は貴方のような人種とは…」
「またまたぁ、そんな心にもないこと言っちゃって」
「だから人の話を聞きなさいっ!!!」
「へーい」
あぁぁぁぁぁ、話が通じない!!!
何ですかこの男は!?
今まで私が相手にしてきた男性であれば、寧ろ率先してこちらの話を聞くか、間違ってもこんな横柄な態度を取ることなどありませんでしたよ!!
全く…話も満足に聞けない子供を相手にしているようですね!!
「…すんません」
「今度は何ですか?」
「いや、話を聞いて貰えて嬉しかったんで、つい勢いでベラベラと喋っちゃいましたけど…先輩が迷惑だと思っているなら、"また"やっちまったな…って」
「…また?」
ここまで散々騒いでおきながら、またしても急にションボリと項垂れる不躾男。もういい加減にしろと言いたい気持ちはありますが…今、気になる言い回しをしましたね。
「まさか…自分が想いを寄せていた相手にまで、こんな不躾なことをしていた訳ではありませんよね?」
「…うぐっ」
「はぁ…相手側に貴方への興味が無い場合、こんな一方的な気持ちの押し付けは寧ろ逆効果でしょう。そんなことも分からなかったのですか?」
「…只でさえアウトオブ眼中だったんで、自分をアピールしないと何も始まらないって思ったんすよ」
「…成る程。それで先程の、これ以上迷惑を掛けて本当に嫌われたくないという発言に繋がる訳ですね。納得です」
つまりこの男は、正に今、私にしているように、相手の迷惑を省みず、ひたすら自分の好意を押し付けて、その結果フラれてしまった…ということですね。
何というか、あまりにも印象そのまま過ぎて、思わず笑ってしま…いえ、何でもありません。
ですが…
「もう迷惑を掛けないと約束をしたということは、つまり謝罪をしたのですか?」
「っすね。俺のダチがその人とスゲー仲が良いもんで…思いきって相談して、自分がその人にどれだけ迷惑を掛けてたのか分かったんすよ」
「そうですか。これは穿ち過ぎかもしれませんが、相談をした友人…男性ですよね? その方は、実は相手の女性と既に…」
「いや、それはねーっす。あいつにはもう恋人がいるし、その人もダチのことを、弟として可愛がってるって」
「弟として? 何とも複雑ですね。正直、他人の男性を弟として可愛がるなんて理解でき…あぁ、でも例えば幼馴染みなどであれば、そういう関係があっても不思議ではないのかもしれませんが」
幼少の頃から姉弟のように接してきた…というものであれば、そういった関係があっても納得出来ない訳ではありませんが。
でもそういう繋がりの二人は、大抵いつの間にか姉弟愛が恋心に変わっているという展開が十分に考えられるんですよね。まぁ逆に、そういう相手に見られない…というオチも考えられるんですけど。
ん?
弟のように?
「ひょっとして、最初に言っていた抱っこして撫で撫での話は…」
「正解っす。つか先輩って、何だかんだ言って俺の話をしっかり聞いてくれてますよね? さっきは否定されたけど、やっぱ優しいっすわ」
「だから私は!! …はぁ、もういいです。好きに解釈して下さいな」
本当に…何で私は、こんなどうでもいい相手のどうでもいい話を真に受けているんでしょうね? 自分でもよく分かりません。
ただ…
「例え一方通行な想いが迷惑だったとしても…それを謝罪までして、しかも二度と想いを寄せないと約束をしたんですよね? そこまで卑屈に謝る必要があったのですか?」
確かに、気持ちや想いの一方的な押し付けが迷惑だったとしても…本人からすれば、間違いなく真剣な想いだったはず。
恐らく一目惚れか、それに近しい好意だったのでしょうから、軽さは否定出来ないとしても…それを謝罪までして、しかも今後について誓約をするとは、幾らなんでも卑屈すぎるのでは?
何とも、男性としては少々情けないとさえ感じてしまいますね…まぁ、背景が分からないので、一概に決めつける訳にもいきませんが。
「…でも、悪いのは俺っすから。勿論わざとじゃないし、本気で好きだったことは事実ですけど…だからって、相手が嫌がってることをしていいって免罪符にはならねーっすよね?」
「まぁそれはそうですけど。ですが…悔しくはないのですか? これは言い過ぎかもしれませんが、仮にも本気で想いを寄せた相手に、好きになってごめんなさいと言っているようなものなんですよ? しかもそれに対して誓約までして…そんな屈辱的な…」
「…自分が情けねーって気持ちはありますけど、でも、やっぱ悪いのは俺ですから。それに、俺が謝ることで大切なものを失くさずに済むなら、それが最優先っすよ。その為なら、意地を張らないで素直に謝るくらい、何てことはないっすわ」
「っ!!??」
大切なものを失わない為に、意地を張らない…
まさか、こんなちゃらんぽらんな男の言葉に、ここまでの衝撃を受けるなんて…
…そう、本当は分かっているのです。
今の自分が何をすべきなのか、何をしなければならないのかを…
例え不本意であろうとも、自分がしたことの始末は自分でつけなければならない。それが先日、お兄様との話し合いで出た結論。
私が誰を相手にして、誰に唾を吐いていたのか、今はもうハッキリと分かっていますし…何であんなことをしたのかと理由を聞かれたところで、結局は「常に私の上を行く薩川沙羅が気に入らなかった」という、単純で浅はかな理由でしかなかったのです。
そして…
それに固執するあまり、視野狭窄に陥り、物事を冷静に考えようとしなかった…
私にとって薩川沙羅とは、これまで自分が積み上げてきた全てを奪い去る不倶戴天の敵。しかも人を小馬鹿にしたあの不遜な態度は、性格の悪さを如実に表しているもの。そんな人間を相手に、この私が負ける筈がない…そう思っていました。
でも蓋を開けて見れば、何一つ勝てなかった…
私は中学校を卒業するまで、競い合うことであれば、誰にも負けたことはありません。もちろん、お母様譲りのこの容姿だって、私の自慢であり…誰にも負けないと思っていました。あの薩川沙羅と出会うまでは。
でも…あの女の絶対的な実力。絶対的な人気。
認めたくはありませんでしたが、全てに於て彼女が上。私がこれまで積み上げてきた全てを否定され、その挙げ句が、あのどこまでも人を小馬鹿にした不遜極まりない傲慢な態度。
だからこそ気に入らない。
だからこそ、私は負けられない。
しかもそれが、よりにもよって、お父様から「逆らうな」などと信じられないことを言われた女。理由も分からず、私の人生に於て、間違いなく最大最悪の敵だと言うのに…こんな屈辱があってたまりますか!!
…そう、思っていました。
でも、今は…私の軽率な行いで、私だけでなくお父様が…いいえ、会社全体が窮地に立たされているのです。
こんな個人的なことで大袈裟だと一笑に伏したい気持ちもありますが、残念ながらこれは事実。しかも、ミスコンの場で二人の同棲を暴露した人物が、私と密かに繋がりがあったことまで指摘されているようで…どこまで真実を掴まれているのか分かりませんが、暗に私が黒幕であることを示唆されているとみて間違いないでしょう。
そしてそれらの結果が、現在、お父様と会社そのものに影響を与えようと…いきなり潰されてしまうといった、荒唐無稽な話ではないとしても…場合によっては経営陣を全て入れ換えられ、その結果、会社がどうなってしまうのか想像もつかない事態を招きかねないとのこと。
私が相手にしていたのは…敵対してしまったのは、そういう相手だったのです。
グループ次期会長、グループ創業家一族、次期会長令嬢、そして…次々期会長候補。
これだけの人物を敵に回せば、単なる個人的な話では済まなくなる。いくら私が社会経験の浅い人間だとしても、それが分からない筈がない。だから、お父様やお兄様、ひいては会社そのものが、現在どれ程の窮地に立たされているのか…しかもそれは全て、私の行いが原因なのです。
そうであれば、当然、私に求められることも一つ…
薩川沙羅に、謝罪をすること。
これまでの非礼と、愚かな行為に対する全てに許しを請い、許されるその日まで頭を下げ続ける。これがお兄様…そしてお父様から求められた私への処遇。
でもそれは、私にとって完全かつ完璧な無条件の降伏であり、明確な敗北を意味します。
これまでの態度を改め、平身低頭で許しを請う。そこには最早、プライドも何もあったものではありません。
私だけが悪いのではないのに…
あの女が、あんな人をおちょくったような態度を取らなければ、私だって…
どうしてもそう思えてしまい、しかもここまで周囲から嫌悪されている中、そんなことまで発覚すれば…
今度こそ私は…
でも…
「貴方の言う、大切なものとは…何ですか?」
「へっ? えーと、上手く言えないんすけど…今の関係と言うか、仲間の繋がりと言うか…んー、ちょっと違うか?」
「いえ、大丈夫です。つまり、その大切なものの為であれば…貴方は自分の体裁や蟠り、屈辱など二の次であり、謝罪や誓約など然したる問題ではない…と、そういうことなんですね?」
「えっ!? えーと、そんな大袈裟な話じゃないような気もするし、微妙に話が違うような気もするんすけど…あ、でも、間違っちゃいないと思いますよ?」
「そうですか…大切なものの為であれば…」
全く…
私としたことが、こんな軽々しい男に、本質的なことを教えられるなんて…
今の私にとって、一番大切なこと。
守らなければいけないもの。
そんなことは言われるまでもなく、お父様やお兄様、ひいては会社であり、私のプライドや体裁などではありません。
原因が何であれ、私自身の直接的な行為によって引き起こされた問題である以上、謝罪をするのは当然の話であり…それをしなければ周囲がどうなるのか分かっているのに、それでもしないというのは単なる無責任です。
そんなことを私が…
「楠原」という、会社の一切を取り仕切る社長の令嬢であり、将来は会社を背負って立つ立場であるこの私が!!
出来る筈もないでしょう!?
私の行動に会社の命運…社員の命運すら掛かっているというのなら、一時の屈辱など大した問題ではないのです!!
キーンコーン…
「あ、やべっ!? 予鈴が鳴っちまった!! すんません先輩。結局、俺のつまんねー話ばっかりで」
「別に構いませんよ。まぁ、つまらない話だったことは確かですが」
「ははっ、相変わらずキツいっすね。でも、本当は先輩が優しいってことは、もう分かってるんで」
「好きに取りなさい。イチイチ否定するのは疲れました」
おべっかでもお世辞でもなく、他人からこんな風に優しいと言われたのも初めての経験ですが…まぁ、悪くはありませんね。
それがもっと、然るべき相手であれば、言うことはありませんでしたが。
「そんじゃ先輩、これで失礼するっす。話を聞いてくれて、ありがとうございました!」
「別にお礼を言われるようなことはしてませんよ。それに、貴方の悩みも解決した訳ではないでしょうし」
「いや、先輩に話を聞いて貰ったら、何だかスッキリしましたわ。だから、次は先輩の話を俺が聞きますよ!」
「調子に乗らないように。私の悩みを貴方程度と同じに思われるのは心外です」
「へいへい。それなら、次はその違いを教えて下さいな。んじゃ…」
「待ちなさい。せめて名前くらいは名乗ってから行きなさい」
何でこんなことを言ったのか、自分でもよく分かりませんが…まぁ、せめても礼に、名前くらいは覚えてあげましょうか。
もちろん他意などはありませんけど。だから勘違いなどしないように…って、私は誰に言ってるんですかね。
「あー、すっかり忘れてました。山川徹平っす。先輩は…」
「私は楠原玲奈です」
「楠原玲奈…何かで聞いたような…」
「別に思い出さなくてもいいですよ。どうせその内…」
「…? んじゃ、楠原先輩。また!!」
「そうですね。……もし私のことを知って、それでも話をしたいと思える物好きであれば」
「えっ? なんすか?」
「何でもありませんよ。それよりさっさと行きなさい」
「へーい。先輩も急いだ方がいいっすよ。んじゃ!」
「誰に向かってそんな口を…って、脚の速いこと」
あっと言う間に声の届かない距離まで離れ、最後にこちらへ振り向いてから、大きく手を振る山川某。
本当に…何なんでしょうね、あの男は。
横柄で、図々しくて、軽々しくて、敬語も満足に使えない礼儀知らずで…
それなのに、どこか憎めない、今まで周囲には居なかったタイプ。この私に対して自然な態度を取れたのは、あの高梨一成に次いで二人目ですか。
それでも…
私のことを知ったなら、果たしてどういう態度を見せるのでしょうね?
まぁ…それよりも今は、薩川沙羅への謝罪を考える方が先決ですね。気は進みませんが、接触を試みるとしましょうか。
もはや四の五の言うつもりはありませんよ。
私は私の大切なものの為に…
ですよね…山川さん?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
はい。
という訳で、需要があるのかどうだかわかりませんが、タカピー女サイドのその後話を描写してみました。
もうタカピー女視点を書くことはないと思います・・・多分。
ちょっと難しかったのですが、思い切って書いてみました。それなりの着地点になれたのでは・・・と思います。
あくまで「思います」ですが(ぉ
次回からは一成視点に戻って・・・どうしようかなw
それではまた~
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