第298話 気持ち、想い
side 速人
親以外の人が作ってくれたお弁当を食べるなんて、本当に久し振りのこと。
でもこれはちょっと美味しすぎるというか、もう反則レベルだね。
しかもお弁当でこれじゃあ、家で作りたてを食べた日には凄いことになりそうだ。
だから一成の食生活は、お世辞抜きで天国なんだろうな。
でも本当に…薩川先輩は驚きを通り越して、規格外の人だと思う。
あれだけ飛び抜けた容姿を持ちながら、物凄く家庭的で、しかも料理はプロ級。
どこまでも一途で、有り得ないくらいに一成へ尽くして。
そして一成以外の男には一切目をくれない、興味を持たない、良い顔をしない、必要以上に会話もしない。
もう清々しいまでの徹底ぶり。
だから、こんな奇跡的で理想の塊みたいな女性が騒がれない訳がない。
でも現に騒いでる外野達は、薩川先輩の特異な内面を知った上で騒いでいるのかと言えばそうでもない訳で。
勝手に作った理想像…でもやっぱり…外見ってことなのかな…
これは決して自慢なんかじゃなくて、俺もある意味で似たような部分があるからよく分かる。
特に酷いのは、全く接点が全く無い癖に、こちらへ一方的な興味を示す人間。そういう連中は、ほぼ間違いなく、見た目でこちらの人となりまで勝手に決めつけようとするからね。
だから俺も、影で色々なことを言われてる。
チャラ男、女誑し…そんなことを言われるのはもう慣れっこだけど、でも俺は誓って、女性を誑かすなんてことはしたことが無い。
そもそもよく誘われる合コンだって、好き好んで参加したことなんか一度も無い(一成と出会ってからは参加すらしてない)。
それなのに…特に男子連中からはやっかみも込めて、そう呼ばれているのは知っている。しかもそれを真に受けて、遊び目的で近寄ってくる女性も、その反対もいるから本当に困るんだ。
俺は本音を言うと、ファンクラブ(とは呼びたくないけど)の皆にも、大騒ぎをするのを止めて欲しいという気持ちがある。でも応援して貰えるのは素直に嬉しいから、そう無下にもできなくて…
だからそんな俺から見れば、一成以外の存在をあそこまで徹底的に排除できる薩川先輩は本当に凄い。本心でそう思える。
しかも、それすら周囲から好意的に受け入れられてしまうのだから、それもこれも、薩川先輩本人の努力と才能があってこそ…だから「孤高」なんだよね…きっと。
とてもじゃないけど、俺なんかじゃ、あんな風にはなれない。
でも…
そんな俺にも、上辺だけじゃなくて、心から友人だと言える友達が…親友が出来た。素の自分を見せられる、分かってくれる仲間たちが出来た。
そして…やっと心から好きだと言える存在が現れてくれたんだ。
一時期は夏海先輩を好きだと思い込んでいたこともあったけど、でも今ならそれは思い込みで勘違いだったと素直に言える。
だって、藤堂さんを好きだと思う今の気持ちとあのときの気持ちは、種類が全く違うと実感しているんだから。
こうして目を閉じれば、あの日の藤堂さんのあどけない、屈託のない笑顔が鮮明に浮かんでくる。
あれは俺を「男」というより「友達」、ともすれば「子供」をあやすように思っていたのは勿論わかってる。そんな笑顔と口調だったからね。
でも俺にはそれが…藤堂さんの心の純粋さが表れた、優しさに満ちた笑顔が、今でも俺の心を捕らえて離さない。
純心…無垢。
そんな言葉がぴったりと当てはまる。
これまでの恋心なんて目じゃないくらいに、初めて心から可愛いらしいと、愛しいと思えた女性。それが藤堂満里奈さん。
最初は一成繋がりで、友人の一人としか見ていなかった。
でもあのとき、俺は過去最大級の衝撃を受けたんだ。
そして…藤堂さんに一瞬で惚れた。
恋に落ちた。
女性に対して、ここまで強烈な気持ちを持ったことは生まれて始めての経験だったから。
でも…そんな藤堂さんだからこそ、俺は攻めあぐねた。
無垢であるが故に、純心であるが故に、男からの好意に対して極端なまでに疎い。
そんなところも可愛いと思えてしまうのは、惚れた弱みなんだろうと自分でも思う。
そういう意味では、俺も一成のことを言えないだろうね。
でもそれだけに、攻める加減が分からなかった。
後は俺自身が、女性に対してここまでの気持ちを持ったことが無かったことも、理由の一つとしてあるのかもしれない。
そして藤堂さんが、俺のことを「男」として意識していないことが、最大級の壁でもあったから。
だから先ずは、その認識の改善から始めるべきだと考えた。
急いては事を仕損じる。
焦った方が負ける。
試合は常に冷静に。
これはテニスに於ける俺のモットー。
全く意識していない藤堂さんに対して、俺がいきなり行動を示せば、想定外のことが起きるかもしれない。もしそれで避けられたり、嫌われるような結果になれば、それこそ本末転倒になってしまう。
だから少しずつでもいい、二人で一緒に居ることで、俺のことを異性として少しずつでも意識してくれるようになれば。
俺のことを好意的に感じてくれるようになれば。
そして俺という「男」を意識してくれたなら…そのときこそ、次の行動に…と。
でも…
藤堂さんは、今も俺のことを仲の良い男友達としか見ていないと分かってしまう。
それはつまり、一成と同じポジションな訳で。
だからそろそろ、方針転換を考えるべき時が来たのかもしれない。
リスクや理想…俺は色々と余計なことを考えすぎて、いつの間にか臆病になっていたのかも。
もうここは思いきって、俺も一成の度胸を見習って。
本当に…自分が同じような立場になると、つくづく凄さを思い知らされるね。
改めて、心から尊敬するよ…親友。
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「一成さん、お口の周りを拭きましょうね。こちらを向いて下さい?」
「は、はい」
「ね、ねぇ…沙羅? 高梨さんも子供じゃないし、そこまでしなくても…ですよね、高梨さん?」
「えっ!? いや、その…」
うーん…西川さんには悪いけど、俺は沙羅さんにこうして貰えるのは全く嫌じゃないんだよね。
寧ろ、喜んでして貰いたいくらいで…
「一成さん、余所見をしたら、めっ、ですよ?」
「す、すみませ…わぷっ」
でも当の沙羅さんは、怖がっている(?)西川さんを完全にスルーしてしまう。
もう半ば強引に、俺の口許へふわっとしたものを…ハンカチを添えると、優しく丁寧に、ふきふき。
「ふふ…動いたらいけませんよ?」
「ふ、ふぁい」
もう大丈夫なんじゃないかと思うものの、沙羅さんはまだ拭くのを止めようとしない。
嬉しそうに俺の口を拭いている沙羅さんの笑顔を見てしまうと、やっぱりこのまま気が済むまで…って、いつも同じ事を考えてるな俺は。
でも、それは仕方ないんだ。
だって、俺は沙羅さんが好きなんだから。
「…さ、さ、さっきから黙っていれば…よくもまぁイチャイチャ、イチャイチャ、イチャイチャ、イチャイチャと…本当に…これって、私に対する当て付けですか? 当て付けですよね? そうですよね?」
「…な、なぁ、夏海? 西川さんが…その、何というか…黒…」
「…ん~? 平常運転」
「…えっ!? そ、そうか…、やっぱりそうなのか…そう…」
「ところで、イケメンと満里奈はさっきから何をしてる?」
「っ!?」
「ふぇっ!?」
唐突に花子さんから名指しされて、速人達が驚き声を上げた。
だから俺も気になって、速人達に視線を向けると、二人とも妙に焦ったように…特に藤堂さんが、何故かバッグを触りながらわたわたとしている?
なんだろう?
少なくとも、昼食が始まった辺りまでは普通だったと思うんだけど。
「いや…その」
「う、ううん、な、何でもないよ?」
「そういう台詞を言いたければ、周囲に気取られないようにして」
「ご、ごめん…」
「うう、ごめんなさい…」
ちょっと厳しいけど、花子さんの言い分も正論ではある訳で。
だから二人はションボリと項垂れて、こちらに向かって頭を下げた。
その動きが妙にシンクロしてて、ちょっとだけ微笑ましかったり。
でもそこまで意味深だと、何を考えていたのか俺も気になる。
直接聞いてみようか?
「ところで満里奈、そのバッグにイケメンの弁当が入ってるなら、さっさと出した方がいい」
「な、なんでっ!?」
「さっきからバッグを気にしてるし、満里奈が約束を破るとも思えないから、そうなれば考えられる可能性は一つしかない」
「あぅぅ」
なるほど、それで藤堂さんはバッグを触っていたのか!
相変わらず花子さんは凄いな…その分、容赦もないけど。
何というか、色々な意味で花子さんって感じで。
もちろん俺も、先日お弁当の話をしたときに、そんな話をしたことは覚えてる。
でも藤堂さんは自分のお弁当をテーブルにちゃんと出していたし、だから俺も深くは気にしてなかった(と言うか、それどころじゃなかった)
実はしっかり、速人専用のお弁当も作って来てたのか。
「藤堂さん…」
「は、はひ!?」
「俺のお弁当を作ってきてくれたの?」
「…うん」
「そ、そっか…そっかぁ」
速人が、もう今まで見たことがないくらいに嬉しそうな笑顔を見せる。
とにかくひたすら嬉しそうで…でもその気持ちはよく分かる。
俺だって、いつも沙羅さんにご飯を作って貰えることが嬉しくて幸せだと感じているから。
自分の愛しい人に、ご飯を作って貰える喜びは、言葉では言い表せないくらいに嬉しくて幸せなことだから。
「え…えっ!? ま、満里奈、横川くんのお弁当作ってきたの!?」
「う、うん」
「な、何で…?」
立川さんが戸惑ったように藤堂さんを見る。
二人は付き合いが長いから、俺達よりも思うところがあるのかも…って、そう言えば、立川さんは速人と藤堂さんの件をまだ知らないんだった。
「一成とイケメンは料理が出来ない。でも一成のお弁当は嫁と私が作るから問題ないとして、イケメンだけが残る。だから満里奈が作ってあげる話になった」
「な、なるほど? でもお弁当は持ち寄りなんじゃ…」
「それはそれ、これはこれ」
「あ、ハイ」
納得したようなしていないような、微妙な表情で首を傾げる立川さん。
でも今はそれよりも、二人のことを。
「で、でも、私の下手なお弁当なんかじゃ…それよりも薩川先輩や西川さんのお弁当の方が…」
「それは違いますね」
ここまで口を挟まなかった沙羅さんが、聞いているこちらまで驚いてしまうくらいの鋭い声を出す。
だから、俺も咄嗟に沙羅さんの様子を確認してみると…でも声程に厳しい様子は感じないし、表情もどこか柔らかいものが見えていて。
「当の横川さん自身が貴女のお弁当を食べたいと言っているのに、私や絵理のお弁当と比べる意味は全くありませんよ。出来のことを気にしてしまうのは仕方ないと思いますが、そもそも料理には、技術よりも味よりも、それを補って越えてしまう何か…"想い"という要素が、確かに存在するのです」
「さ、薩川先輩…」
「だから大丈夫ですよ。貴女が横川さんの為を想って作ったお弁当であれば、横川さんにとっては何よりも勝るものになる筈です。遠慮などせず、胸を張って渡しなさい」
料理に対して並々ならぬ拘りを持つ沙羅さんの言葉だからこそ、言葉以上の説得力すら感じてしまう。
それに…俺には実感があるから尚更に。
俺が沙羅さんのご飯を至上で最高だと感じているのは、勿論、沙羅さんのご飯が俺好みであるからという理由が一番にある。
でもそれもこれも、沙羅さんが本当に俺の為を想って作ってくれているからという、明確で強い「想い」の存在が根本の部分にあるからだ。
そして、俺がそれをハッキリと感じていること。
それを何よりも嬉しいと俺自身が感じているから。
だからこそ、どんな高級料理店であっても、有名料理人の料理であっても、絶対に沙羅さんのご飯には勝てないと俺は確信しているし、絶対にそうなる。
そして、それはきっと速人も同じで。
「藤堂さん、俺は、君の作ってくれたお弁当が食べたいんだ」
「横川くん…」
「大丈夫。俺は他と比べるなんて、絶対にしないよ」
「…う、うん…わかった」
沙羅さんの言葉に背中を押されて、速人の言葉が決定打になったのか…
藤堂さんが嬉しそうに、そして少しだけ頬を朱く染めながら、可愛らしく頷いた。
ちなみに…速人の台詞が微妙にプロポーズっぽいと感じたのは俺だけじゃない筈。
あと微妙に気になったのは、藤堂さんのリアクション。
あれは…ひょっとして…?
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side 夏海
どうやら、向こうの二人は結論が出たみたい。
全く…初々しいと言うか何と言うか。
藤堂さんは、もう見るからに素直で可愛らしくて大人しい子だからね。
それに横川くんも、あれで意外とウブいみたいだし…なかなか直球や勢いで攻めれないタイプなのかも。
でも本当に…全部気付いてる癖に、こっちから言わせようとするどっかの意地悪なヘソ曲がりとは大違い…って、ううん、何でもないわよ。
でも、藤堂さんの様子が、ちょっとだけ変わったような?
まだちょっと分からないけど、あれはひょっとして…
…なんて、私も今は、人のことを言ってる余裕なんかないのよ。
だって、沙羅がさっきからモロに視線を投げ掛けてきてるし。
その理由は、私だってもちろん分かってる。
花子さんは開幕ダッシュで、早々に高梨くんへ仕掛けた。藤堂さんも、何だかんだでお弁当を渡す決心をつけた。
となれば当然、残ったのは私だけということになってしまう訳で。
そもそも元を正せば、今回のお弁当に関する話は私が撒いた種。私が沙羅に余計な突っ込みを入れたが為に、こんなややこしい話になってしまった。
…何て言うと、まるで私が悪いみたいに聞こえるじゃない。
私だって被害者なのに。
取り敢えず今回のことは、利害の一致という意味で、花子さんと横川くん、そして恐らくは藤堂さんも、喜んでくれる結果になったとは思う。
でも私にしてみれば、この先の展開が簡単に読めるだけに、決して喜べるような状況じゃない。
沙羅はさっきから「早くしなさい。後輩が勇気を出したのに、まさか先輩が逃げるなんて情けない真似はしないですよね?」と、暗に視線でせっついて来てる。
そんなことは言われなくてもわかっているし、私だって雄二のお弁当は作ってきたんだ。だから、後はこれを出すだけで事は済む話。
そう考えれば簡単なこと…なんだけど。
でも、沙羅が本当に言いたいことは、そのもう一段上で。
つまり…
えりりんと立川さん、そして大地に…
雄二とのことを、報告しろってこと。
取り敢えず立川さんは大丈夫だと思う。
驚くだろうけど、きっと「おめでとう」って言ってくれるから。
でもえりりんと大地…特にえりりんがねぇ…最近、情緒不安定(?)になることが多いのよ。
えりりんのことについては、私もある程度、話を聞いたことがある。
良縁どころか満足な出会いもなくて、お見合いまでさせられて…
そして一番言い寄ってきた男が、実は「キングオブ屑」、しかも犯罪加担者。
しかもその一方では、男嫌いだった沙羅がまさかの恋人を作って、いつも目の前で毎回イチャイチャして…結局、婚約までしちゃったから。
つまり、沙羅を祝福したいという穏やかな心と、自分があまりにも報われないという激しい怒りで目覚め…って、私は何の話をしてるんだろ?
と、とにかく、その辺りのゴチャゴチャした感情が、えりりんの暴走に繋がっていると私は見てる。
そこに私が雄二とくっついたことを報告したら当然…ねぇ?
…なんて。
えりりんのせいにするなんて、ズルいよね。
本音のところは、私自身が公表するのを恥ずかしいって思ってるだけなんだから。
ついでに言うと、小さい頃からお互いを知ってる大地に、改めて報告するのも照れ臭いってのもある。
雄二はさっきから、お弁当を食べるペースを落として、私の決断を待ってくれている。
それにこのまま逃げていたら、沙羅に逃げ道を塞がれるのは火を見るより明らかだ。
そして何よりも、私自身が親友に対して大切なことをいつまでも黙っているのが嫌だから。
だから…もういい加減、覚悟を決めなさい、夏海!!
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藤堂さんが少しだけゴソゴソとバッグの中を漁ると、ひょっこりと顔を出したのは、可愛いひよこ柄の袋に包まれた多分お弁当箱。
緊張しているのか別の理由もあるのか、藤堂さんは朱い顔をしたままで、それを速人の目の前に置くと…やっぱり恥ずかしそうに少し俯いてしまう。
「…開けてもいい?」
「…う、うん…」
藤堂さんの小さな頷きを確認すると、速人はゆっくりと袋の結び目を解いていく。
子供用にも思えてしまうくらいに可愛らしいお弁当箱が姿を現したものの、実は俺も似たようなものだから特に気にならなかったり。
可愛いは正義…これは世の不変であり真理だ(謎)
そして速人が、喜びと緊張とニヤけをミックスさせたような複雑な表情で、お弁当箱を開けると…ここから確認できるのは、ご飯とおかずが半々くらいで入ってるかな…ってことくらい。
「あのね…見た目はあんまり良くないけど、味見はしたから大丈夫…だと思う。で、でも、お口に合わなかったら止めても」
「ううん、全部食べるよ。口に合わないとか、そんなのは絶対にないから」
「え…う、うん。その…ありがと…」
「お礼を言うのは俺の方だよ。それじゃ、早速食べさせて貰うね?」
「ど、どうぞ!」
うーん…何と言うか…
二人の姿があまりにも初々しくて、見ているこっちまで照れ臭くなってくるというか…
でもこうして速人達を見ていると、最初の頃の俺と沙羅さんが、傍から見ていてどんな感じだったのか気になってしまったり。
あの頃の俺は…とにかく沙羅さんと一緒に居れることが嬉しくて。幸せで。
沙羅さんはいつも優しくて、ずっと俺をリードしてくれて、甘えさせてくれて。
…おや?
ひょっとして、今も大して変わってないのか?
それでも二人を見ていると、あの頃の気持ちを改めて思い起こさせるような、どこか甘酸っぱい気持ちが溢れてくる。そんな気がした。
だから…
「…沙羅さん」
「一成さん、どうぞ?」
俺は名前を呼んだだけなのに、沙羅さんは「全て分かっていますよ」と言わんばかり。そっと席を立つと、優しい笑顔を浮かべながら、俺を迎え入れるように両腕を少しだけ広げてくれた。
だから俺は、素直に…
「ふふ…甘えたさんですね」
広げられた両腕の間に入り込むように抱き付くと、沙羅さんは直ぐにしっかりと抱き締めてくれる。
片手を俺の頭の後ろに回して、いつものように、自分の胸に俺の顔を誘導してくれる。
柔らかさと優しさ、沙羅さんに包まれているという安心感。
それが心の中一杯に広がっていく。
「…ね、ねぇ、花子さん。あの二人は何でいきなり…」
「…多分、満里奈とイケメンを見て触発された。大方、自分達の付き合い始めを思い出して、触れ合いたくなっただけ」
「…な、成る程、そこまで分かるなんて、流石は花子さん。でも高梨くんってさ、やるときはやるけど、ワリと甘えん坊なところがあるよね?」
「…そこが可愛い。本当は私も抱っこしてあげたい」
「…あ、さいですか…」
「すみません、沙羅さん…」
「いえ…実は私も同じ気持ちでしたから。もし一成さんが呼んで下さらなければ、私からこうしていました」
それが沙羅さんの本音なのか、俺に気を使ってくれただけなのか、本当のところは分からない。
でもそれも含めて、沙羅さんの優しさが全身で伝わってくるようで。
心から俺を受け入れてくれていることが、確かに伝わってくるから。
「あの二人を見ていると、一成さんのお世話を始めた頃を思い出します」
「付き合い始めの頃じゃなくて…ですか?」
「はい。当時、夏海にも散々言われましたが…今になって考えてみますと、確かにあの頃の私の行動は、友人の枠を越えていたと思います。特に、一成さんのお家でお世話をするようになってからは、今とやっていることが殆ど変わっていないと自分でも思いますから」
「…確かに。実は俺もちょっとだけ、それに近いことを考えてました。でもそう考えると、もうあの頃から実質的には恋人になっていたようなものってことですかね?」
友人の枠を越えていたのは、あの頃の俺も常々思っていたことだ。
だからそう考えれば、確かに沙羅さんの言う通り、付き合い始め=沙羅さんが俺の家に来始めた頃…で合ってるのかもしれない。
「ええ。ですが…」
沙羅さんはそこで言葉を切ると、後ろから回した両手で俺の頭をぎゅっと抱きしめてくる。俺が座ったままなので、少しだけ上から覆い被さるように、身体を寄せてくる。
「あの頃とは、気持ちが…心が違います。一成さんを大切だと思う気持ちも、あの頃とは意味が違います。今の私は、あなたをこんなにも愛しいと思えるようになって…いつもこうして抱きしめて差し上げたい…私に甘えて欲しいと心から思えるようになりました。胸を張って、あなたを愛していると言えるようになりましたから」
沙羅さんは俺の頭に回した手を器用に動かしながら、側面を優しく撫でてくれる。
俺もそれが嬉しくて、だから素直に甘えるように、抱き付く力を強めてみると…今度は沙羅さんが嬉しそうな声を漏らした。
「…ね、ねぇ、花子さん、あの二人、雰囲気が段々怪しくなってきたんだけど…」
「…暴走される前にそろそろ止める」
「…ぼ、暴走って、これ以上何しちゃうの!?」
「…乙女の口からは言えない」
「…えええええ!?」
「…に、西川さん、だ、大丈夫かい?」
「…………」
「…な、夏海?」
「…うーん…タイミングが…いつ…」
「…こ、これは困ったな…」
「嫁、そのくらいにしろ。一成にご飯を食べさせないつもり?」
沙羅さんとのスキンシップで頭がいっぱいになっていたところに、花子さんの呆れを含んだような突っ込みが割り込んでくる。その瞬間、沙羅さんが一瞬身体を震わせて、俺を抱きしめていた腕をそっと緩めた。
「…も、申し訳ございません、一成さん。つい…」
「い、いや、俺も調子に乗って甘えちゃいましたから…」
少し名残惜しい気持ちはあるけど、こうなった以上は、俺も沙羅さんから身体を離すしかない。
でもその瞬間にチラリと見た沙羅さんの表情は…いつも通りの優しい笑顔に、どこか切なさも感じさせるような気がして。
だからまた、ドキドキが…ドキドキが。
本当に、沙羅さんは…
「…ゆ、ゆ、雄二!!」
そんなある意味絶妙とも言えるタイミングで、突然、夏海先輩が切羽詰まったような声をあげた…
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毎回毎回、言い訳のようなことを言っているので今回は弱音を吐きません(ぉ
次回は、きっと夏海先輩と雄二のことを公表するんでしょうね・・・主にえりりんに。
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