第287話 リラックス法
あの後、戻ってきた担任から「もう大丈夫」だとの説明があった。
何を持ってもう大丈夫だと言うのか微妙なところだけど、どちらにしても朝の一件はこれで終了…と言うことになってしまったらしい。
まぁ、あのまま俺が話をしたところで、押さえつけることは出来ても納得させることは無理だとわかっていたので、そういう意味ではそれなりの解決だったんだと自分でも思う。
でもあのとき、沙羅さんはあいつらを許さないと宣言したし、それは俺も全く同じ気持ちだ。
だからこそ、次に何かあったときに動くのは俺の役目。
男して、婚約者として、俺が沙羅さんを守る。
これだけは…この気持ちだけは、俺にとって絶対のことであり、譲れない気持ちなんだ。
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昼休み。
いつものように花壇で食事を済ませると、やはり朝のことが話題に上る。
初耳の速人と藤堂さんに軽く説明をしながら、事の顛末を沙羅さん達にも報告しておくことにした。
「大丈夫だと言うからには、もう一成さんのところへ向かうことは無いということでしょう。それならそれで問題はありませんし、もし繰り返すようなら今度こそ潰すだけです」
「あのさ、沙羅。気持ちは分かるけど、言い方が物騒」
「一成さんに迷惑をかける阿呆共など、私からすれば存在することすら許せませんので。だから潰すと言った迄です」
一見落ち着いているように見えていても、やっぱり沙羅さんの怒りはまだ消えてなはいないんだろう。
俺の為に怒ってくれるのは嬉しいけど、正直もうあんなバカ共のことはさっさと忘れて欲しいとも思う。沙羅さんには気持ちを落ち着けて欲しい。
「沙羅さん…」
だから俺は、そんな気持ちを込めて沙羅さんの頭を撫でてみた。
沙羅さんが落ち着いてくれるように、俺はもう大丈夫だからと、気持ちを込めてゆっくりと撫でてみる。
「ふふ…くすぐったいです♪」
沙羅さんは柔らかい笑顔を浮かべると、嬉しそうに身体を寄せてくる。そのまま気持ち良さそうに目を細めて、ゆったりと俺に身体を預けてくれた。
甘えてる沙羅さんも可愛いな…もっと撫でちゃおう。
「…ふふ、薩川先輩、可愛いですね」
「…ちょっと珍しい光景だよね。それだけ一成に気を許してるってことなんだろうけど」
「…まぁ…それで沙羅の機嫌が直るなら別にいいけどね」
「…たまには一成から…それはそれで…いいかも」
「俺の為に怒ってくれるのは嬉しいです。でもやっぱり沙羅さんには笑っていて欲しい。その為なら俺は…」
だから、いつもの沙羅さんに戻って下さい…
その一言を飲み込んで、丁寧に、優しく、何度も沙羅さんの頭を撫でる。
「…一成さん、それでは一つだけ、我が儘を言っても宜しいでしょうか?」
「勿論ですよ。俺が出来ることなら何でも」
「はい。では、一成さんを抱っこさせて下さい」
「え? えーと…そ、そんなことでいいな…むぐっ」
普段からしていることだし、別に確認しなくても…とは思ったけど、俺がOKの返事を言い終わる前に、沙羅さんに身体を引き寄せられてあっさりと抱き込まれてしまう。
「一成さんに撫でて頂くことも本当に幸せではあるのですが、やはり私は、こうして一成さんを抱っこしているときが一番心が休まります。気持ちが落ち着くと言いますか、心と身体が温かくなるのです」
その気持ちはよく分かる。
俺もこうして、沙羅さんに抱かれているときが一番落ち着くし心が休まるから。
安心と心地好さ、有りと有らゆる幸せに包まれて、これは文字通り俺にとっての天国なんだ。
「沙羅さん…」
そして俺がこうすることで、沙羅さんが幸せな気持ちになってくれるのなら遠慮することなんかない。自分からも少しだけ抱き付いて、思い切って甘えてみる。
「ふふ…一成さん、もっとこちらへどうぞ?」
沙羅さんは嬉しそうな声で笑うと、俺の身体をもっと自分の方へ引き寄せて、抱きしめる力を強めてくる。
俺もそれに身を任せて、もう完全に沙羅さんへ身体を預けるような体勢になってしまう。
「…はぁ…また始まったか。よくもまぁいつもいつも、そうやってベタベタ出来るわねぇ…ホント」
「出だしが違うだけで、オチはいつも同じ。イチャつく理由を作っただけ」
「でも、薩川先輩の機嫌は直ったみたいだから、いいんじゃないかな?」
「うん。幸せそうな二人を見ていると、こっちも幸せな気持ちになれるよね」
ナデナデ…
「…ふぁ」
「ふふ…おねむさんですか?」
「あ、いや、そうじゃないですけど、つい」
眠くなった訳じゃないけど、気持ちよく張り詰めていた物が抜けたというか、安らいで思わず声が漏れたというか、そんな感じ。
要はそれだけ、沙羅さんにこうして貰えるのが安らぐってこと。
「ねぇ、それがあんたらのリラックス法だって言うなら別にいいけどさ、それよりも今後どうするの?」
「そうですね…と言いますか、有象無象如きが私達のことにイチイチ干渉してくるのは本当に目障りです。いっそのこと、昼に放送室へ行ってマイクを貸して貰いましょうか?」
「それでどうする?」
「今の言葉をそのまま言いますよ?」
「気持ちは分かるけど、それは止めた方がいい。そこまで言ったら生徒会長としての立場にも響くし、無干渉の連中からすれば、それこそ何様のつもりだと反発を招く」
花子さんが言ってるのは、正に俺が最初の頃に思い付いた可能性と同じことだ。
沙羅さんに好意を持っていたり、今日のバカ共みたいなやつらには効果があるかもしれないけど、それ以外の連中には逆効果になるかもしれない。
芸能人じゃあるまいし、いち生徒が
「自分達は付き合ってるから、今後余計な口を挟まないように」
なんてことを、わざわざ全校生徒に向けて宣言すれば、それこそ思い上がりだ何様だと反発される可能性は十分に考えられる。特にこの前のタカピー女みたいに、沙羅さんに対して良くない印象を持っている奴には反発の餌を与えるようなものだ。
だから俺は、その手段を諦めて反発を招かない機会を待っていた。
あくまでも棚ボタ的に人が集まり、しかも宣言じゃなくてその場でプロポーズをするということで、反発を少しでも抑えつつ俺達の関係をアピールする。それがミスコンでの狙い。
「分かっていますよ。確かにその可能性は十分に考えられます。私自身はどう思われようと構いませんが、一成さんに悪影響が出てしまうことだけは絶対に見過ごせません」
「うん。だから、二人のことが浸透するまでは、面倒でも場当たり的に動くしかない。嫁の目が届かないところは私がフォローする」
「そうですね…不本意ではありますが、一成さんの安全には代えられません。花子さんにもご迷惑をおかけします…全く…」
ぎゅ…
ナデナデ…
少し戻ってしまった憤りの気持ちを落ち着ける為なのか、沙羅さんは俺を抱きしめる力を強めてから、再び頭を撫で始めた。
本当は「俺が何とかするから」と言いたいところなんだけど…
でも、もう少し…あと少しなんだ。それまでの我慢。
「…早く…あともう少し…」
「…沙羅さん?」
ちゅ…
沙羅さんが何かを呟いたような気がしたら、額に感じる柔らかく優しい感触。
これは勿論、沙羅さんからのキスだ。
でも、何でいきなり?
「ふふ…何でもございません。私達に干渉してくる有象無象に、少しだけ苛立ちを感じてしまいまして…」
「そうですね。俺で気持ちが落ち着くなら、好きに使ってください」
「もう…使うだなんて、そんなことを言う一成さんは、めっ、ですよ?」
額にツンと、今度は指で突っつかれる感触がした。
怒ると言うよりは注意されただけなんだけど、確かにちょっと言い方が悪かったかも。
「すみません、ちょっと言い方を間違えました。俺とこうしていて気持ちが落ち着くなら、沙羅さんの好きにしてくれていいですって言いたかっただけなんですけどね」
「ふふ…ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きますね?」
ちゅ…
さっき沙羅さんが指で突っついた場所に、今度はもう一度唇の感触。
ちょっとくすぐったい感じがしたので、俺は思わず身震いしてしまった。
「どうかなさいましたか?」
「えっ? いや、ちょっとくすぐったかっただけですよ」
「ふふ…そうでしたか。んっ…」
ちゅ…
少しだけ笑い声を漏らすと、そのままもう一度俺の額にキスをしてくれる沙羅さん。
やっぱり少しくすぐったいけど、それよりも嬉しい気持ちの方が断然強くなってくる。
「…一成さん?」
「…あっ」
沙羅さんから呼び掛けられて、自分が思ったよりも強めに抱きついていたことに気付いた。
しまった、嬉しくて思わず…
「す、すみません、つい」
「ふふ…一成さん、可愛い…」
ちゅ……ちゅ……
「ん…」
ちゅ……ちゅ……
何度も何度も、愛おしそうに俺の額へキスの雨を降らせてくれる沙羅さん。
短く啄むようなキスがくすぐったくて、思わず身震いしてしまいそうになるけど、沙羅さんはそれを押さえ込むように抱き締める力を強めてくれた。
「…ちょ、また盛り上がって来てるし!! そろそろ止めない!?」
「…同意。これはもう落ち着くとかそういう意味じゃなくて、単に一成が可愛いくて嫁が夢中になってるだけ」
「…そ、そうだね。相変わらず、薩川先輩の愛情表情は凄いと言うか……あそこまでされて、よく一成は耐えられるな…」
「ふあぁ…さ、薩川先輩…凄い…男子にあんなこと…」
「一成さん…」
「沙羅さん…」
「…っておい!! いい加減にしろやバカップル。いつまでやってんだ!!」
「あっ!?」
夏海先輩の不機嫌そうな突っ込みを近距離でぶつけられて、思わず我に返る。
えーと…ひょっとしなくても…また?
最近デシャヴが多いな…
「全く…いつまで盛ってるつもり? もうとっくに気持ちは落ち着いてるでしょ?」
「盛るなどと人聞きの悪いことを言わないで下さい。これは私の純粋な愛情表情です」
うん、それは俺も十分に分かって…と言うか、今の一言で図らずとも再確認しました。
沙羅さんが今の台詞を迷い無く堂々と言い切ったということは、つまりそれが沙羅さんの本当の本心だということだ。
あれもこれも全て俺に対する「純粋な愛情表情」であって、それ以上の他意はない…少なくとも「今は無い」ってこと。
「そうですよ、夏海先輩。人聞きの悪いこと言わないで下さい」
だから俺に求められていることも「純粋」な想いであり、暴走厳禁は俺に課せられた使命。
いつか気付く日が来るとは思うけど…それでも、俺は沙羅さんを大切にする。
それだけは揺るがない、俺の誓いだから。
「そっか、ゴメンゴメン、変なこと言った」
そして俺の顔を見ながら、どこか複雑そうに苦笑を見せる夏海先輩。
一応言っておくけど…これは決して痩せ我慢なんかじゃないからな!!
…………………
「ところでさ…朝も気になったんだけど、沙羅のバッグについてるそのブローチどうしたの?」
「私も気になった。嫁は今まで、学校に関係ない物は持ってこない主義だった筈」
花子さんの言う通り、沙羅さんは基本的に、学校へ余計な物を持ってくることは殆どない。だからそういう意味では気付き易かったのかもしれないけど…というか、朝の段階で指摘されなかったから、てっきり気付いていないのかと思ってた。
「別にそういう訳ではありませんが…と、それは置いておくとして、このブローチですか?」
沙羅さんもブローチをことを聞かれているのは分かっている癖に、どこか勿体つけたような様子を見せる。そんな珍しい行動も微笑ましいしいけど、それって既に答えを言っているようなものなんだけど。
「なるほど、高梨くんから貰ったのね」
「よく分かりましたね?」
「分からいでか。つか、あんた普段なら直ぐに答えるでしょうが」
「と言うか、ニヤけてた。分かり易すぎ」
「そ、そうでしたか…」
沙羅さんは自分の様子を素で気付いていなかったのか、図星を指されて照れ臭そうに微笑んだ。でもそんな風に喜んで貰えていると思えば、プレゼントをした俺としても嬉しい。
「そっかぁ…ブローチねぇ…って、あれ? これちょっと左右の対称が…あっ!」
「っ!? ま、まさか…一成の手作り!?」
「ふふ…そうなんですよ。これは一成さんが作って下さった、世界に一つだけの私専用ブローチなんです」
「へぇ…ロケットの次は手作りブローチとか、相変わらず沙羅のツボを突くのが上手いね、高梨くん」
「いや、その言われ方は、ちょっと」
その言い方だと、俺が意図的に沙羅さんの弱点を突いているように聞こえるから止めて欲しい。
俺はあくまでも沙羅さんに喜んで欲しいだけで、もっと純粋な気持ちで…
「あはは、ごめんごめん。高梨くんは素で沙羅のツボを突いてるんだから、狙ってる訳じゃないんだよね」
「ええ、まぁ…」
何だろう…訂正して貰った筈なのに、この素直に頷けない感じは。
どこか微妙に引っ掛かる。
「一成の手作り…一成の…一成の…」
そして花子さんは、何かを呟きながらショックを受けたように呆然としている…と。
羨ましいならまだ分かるけど、何故にショックを受けるのか…
「へぇ…高梨くんの手作りなんですか。可愛いブローチですね!」
「確かにね。でも沙羅専用って変な言い回しをじゃない? 高梨くんのプレゼントなんだから、どっちにしても沙羅の物なんだし」
「ふふ…これは一成さんから私へのアピールなんです♪ ですよね? 一成さん」
「え、ええ。そうですね」
皆にブローチを見せながら、昨日と同じように、はしゃいだ様子を見せる沙羅さん。そんな姿を見ていると、俺まで嬉しさが込み上げてくる。幸せな気持ちになれる。
「アピール?」
「アピールですか? ひょっとして、これのこと…ねぇ高梨くん、これって何が付いてるの?」
ブローチのエメラルド部分を見ながら、藤堂さんが可愛らしく首を傾げた。
夏海先輩は分らないけど、藤堂さんなら石言葉にもキッチリと精通していそうなイメージがある。
「それは、エメラルドだよ」
「あ、そっか、高梨くんの誕生石だね」
エメラルドと聞いて、直ぐに俺の誕生石と結びつけるとは…流石は藤堂さん。
乙女な天使は伊達じゃないってところだ。
「へぇ…高梨くんの誕生石なんだ? その演出はこれまたあざといけど、でも沙羅専用ってのは」
「あの…せめてもうちょっと言い方を…」
「えーと……あぁっ!? ひょっとして…」
藤堂さんが何かに気付いたように大きく驚くと、楽しそうに笑いながら俺の方を見た。そこでニヤつかないのが実に藤堂さんらしいというか、天使たる所以と言うべきか。夏海先輩だったら絶対にこうはならない。
「何々? 私としては、多分石言葉に何かあると見たけど」
「ええっとですね、エメラルドは、幸運とか恋愛成就が主な石言葉なんですけど」
「そうなんだ? でもこの二人はもう恋愛成就なんてもんじゃないし…」
「はい。でも、恋愛じゃなくて…夫婦愛って意味もあるんですよ!!」
「ふうふ!?」
「あい!?」
うーん…やっぱり花子さんと夏海先輩は仲が良いなぁ…って、そうじゃなくて。
二人に驚かれるのは想定内だけど、それよりもこの情報を知って、どういうリアクションを見せてくるのか少しだけ怖かったりする。
普通に考えてみても、まだ夫婦とか話が早すぎるし、一体何を言われるか…
「へー…ナルホドネー…へー」
夏海先輩が分かりやすいくらいに白けた目で俺の方を見て…
痛い、わかっていたけど視線が痛い!!
「夏海…何か言いたいことがあるなら私が聞きますよ?」
そして笑顔で夏海先輩へ話かける沙羅さんの目が…全く笑っていない。
朝の一幕であったような冗談のノリは全く感じない。明らかに声のトーンが低い。
夏海先輩もそんな沙羅さんの様子に気付いたようで、思いきり顔を引き攣らせた。
ちなみに花子さんは何をしているのかというと…何故かスマホを取り出して、物凄い勢いで操作を始めた。
…何をしてるんだ?
「…姉弟…石言葉…関係…」
えーと、まさか…ねぇ?
「わ、わかった、わかった、私が悪かったから。正直気が早過ぎだとは思ったけど、あんたらの関係を考えたら不思議でも何でもないって私も思ったから」
「はい、私もそう思いますよ。つまり高梨くんが、薩川先輩と将来結婚することを本気で考えているってことですし、それなら薩川先輩専用って意味もピッタリだと思います!!」
藤堂さんからのフォロー(藤堂さん的にはそんなつもりは無いだろうけど)で、沙羅さんの怖い笑顔(?)が普通に戻ったみたいだ
でもこんな風に感動されてしまうと、実際のところは「夫婦愛」が後付けだったなんて言えないかも…
「ありがとうございます。ですからこれは、一成さんから私へのアピールとしてお受け取りさせて頂きました。こうして誰かに聞かれたら、意味を説明することの許可も頂いております」
沙羅さんは嬉々として解説を続けていて、それだけこのブローチを喜んでくれていることが伝わってくる。
それを感じているのは皆も同じみたいで、夏海先輩は苦笑混じり、藤堂さんは楽しそうに、速人も少し驚きながら、そんな沙羅さんの様子を微笑ましそうに見つめていた。
「姉弟に関係…関係する…ない」
そして花子さんは…
うーん…これはやっぱり、早めに渡してあげた方がいいかもしれないな…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
スランプの件でお騒がせして申し訳ないです。書いてる内にひょっこりスランプが顔を出して、急に書き方が分からなくなるんですよね・・・今回もそんな感じです。
あー、不調orz
しかもモチベーションが高いだけに、思うように書けないのが何とも・・・
という訳で、沙羅さんが本格的にキス魔になってきましたw
今回は砂糖を色々と加えたら、予想以上に長くなってしまったので、ここで一旦切ります。
次回は薩川家で、そして…学祭編スタートです。
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