第275話 お姉ちゃんだから

 昼休みが終わり、教室へ戻る途中。


「一成…言わなくて良かったの?」


 「何を?」なんて聞くまでもなく、花子さんが言っているのは、あのタカピー女達のことだ。

 あの一件をどうするのか決めていなかったけど、そう言えば花子さんも話題には触れなかったな。

 まぁ俺がスルーしたから、花子さんもそれに合わせてくれたんだろうけど。


「取り敢えずいいよ。特にこれといった実害があった訳じゃないし」


「でも、あいつらは一成のことを馬鹿にした。私は絶対に許さない」


 花子さんは鋭い目付きで、ここにはいないあいつらへの憤りを見せる。

 でも俺としては、直球じゃなくても雰囲気的に花子さんを貶したあの女の方が許せない。花子さん的には、取り巻き連中の方が許せないみたいだけど…

 でも俺の為に怒ってくれているのは分かっているので、その気持ちは素直に嬉しいと思う。


「嫁に報告は…」


「沙羅さんは絶対にダメだ」


 本当は沙羅さんに隠し事なんかしたく無いけど、でもこれは絶対にダメだ。 そもそもあんな程度のことは言われ慣れているし、さして気にもならないからな。

 でも俺自身はそう思えても、沙羅さんは違う訳で。

 もしあれが伝わってしまったら…


「…確かに、あれを嫁に言ったらヤバいことになる。今頃あいつらの教室に乗り込んで、全員絞め上げてる筈」


 それは洒落になっていないぞ…でも花子さんの言ってることは大袈裟でもなんでもなくて、十分に考えられる可能性があるから困る。

 だから尚更、あれを沙羅さんに言う訳にはいかないんだ。あんなポッと出の雑魚なんかのせいで、沙羅さんに無用なトラブルを抱えさせるなど冗談じゃない。


「大丈夫だよ。もともと接点がないやつらだから、そうそう会うこともないだろうし。それに…」


「それに?」


「……お姉ちゃんが、俺の為に怒ってくれたからさ。あいつらビビって逃げたし、もう寄ってこないだろ」


「………」


 ちょっと照れ臭かったけど、花子さんは俺の為に怒ってくれたんだ。その気持ちは本当に嬉しかったし、だからこれくらいは。


「…もう一度」


「ん?」


「もう一度…呼んで?」


 う…そんな真っ直ぐに見つめられてしまうと、ますます照れ臭くなってしまう。

 でも俺が呼ぶことを期待してるのがハッキリとわかるくらい、花子さんの表情にはありありとしたものが浮かんでいて…それに俺としても、花子さんにお礼を言いたい気持ちは勿論あるからな。

 ここは照れ臭いとかそんなことを考えないで、思い切って…


「一成…」


「…遅くなったけど、さっきはありがとう。その、嬉しかったよ…お、お姉ちゃん」


 くぅぅ、こうして改まってお姉ちゃんと呼ぶのは想像以上に恥ずかしい!!

 もしここが自宅で俺一人だけだったら、今すぐ悶絶してのたうち回りたいくらいだ!!


「………」


 でも花子さんは、そんな俺の騒がしい心中を余所に、ボーっと俺の顔を見つめているだけだ。特にこれといった反応も見せていない。

 もう何でもいいから、せめて何かリアクションをして欲しい。

 この状況で無言はキツいぞ!!


「…うれ…しい」


 !?

 花子さん?


「うれ…しい…嬉しい、嬉しい。もっと、もう一度呼んで? お姉ちゃんって、呼んで?」


 溢れるような、花が咲いたような、とても嬉しそうな花子さんの笑顔。こんな表情の花子さんを見るのは、本当に久し振りだ。

 俺が覚えている限り、これは花子さんをお姉ちゃんとして受け入れたあの日、あのとき以来のことかもしれない。

 でもそうだよな…

 俺も頭の中では、よく花子さんのことを「お姉ちゃんだから」とか「お姉ちゃんとして」みたいに思ったり考えたりすることはある。

 でもこうして照れ隠しでも何でもなくて、ストレートに「お姉ちゃん」と呼んであげたことはあまり覚えがない。

 いつも花子さんは、俺の親友として、お姉ちゃんとして、色々とフォローしてくれたり助けてくれたりしているのに…


「いつも本当にありがとう…お姉ちゃん」


 今度は照れも焦りもなく、素直な気持ちで言えたと思う。花子さんが喜んでくれている姿を見たら、俺としても恥ずかしいとか照れ臭いとか、そういう余計なことを感じなくなった。


 まぁ流石にこんなこと人前では言えないけど、でもこんなときくらいは。


 くいくい…


 そして花子さんが、俺の袖を小さく下に引っ張る。これは主に、俺の頭を撫でたいときに花子さんがよくやるアピールだ。

 まぁ…今ならいいかな。この辺りはまだ周囲に人もいないし。


 俺は膝を曲げて少し前屈みになると、花子さんが頭を撫で易い位置に頭を下げて…


「一成…ありがと」


 きゅ…


 っ!?


 いつも通りに頭を撫でるだけだと思ったのに、花子さんは両手で俺の顔を挟み込んで、そのまま頭を抱きしめるように優しく包み込んでくれた。


「は、花子さん!?」


「お姉ちゃんって呼んでくれて、本当に嬉しい。一成がそう呼んでくれるから、私は頑張れる。可愛い弟の為なら、お姉ちゃんはもっともっと頑張れる」


 ナデナデ…


 花子さんは俺の頭を抱きしめながら、小さな手でゆっくりと撫でてくれる。沙羅さんとは違うその感覚が、何となくこそばゆいような感じもして…


「嫁がいないときは、私が一成を守る。それがお姉ちゃんの役目。だから私に任せて」


「………」

 

 実際、花子さんがずっとそうしてくれていたことは俺も分かってる。沙羅さんがいるときは控えているけど、さっきのことも、普段からも、花子さんは言葉通りに俺をフォローしてくれる。庇ってくれる。そして代わりに怒ってくれる。

 俺も本音を言えば、花子さんには無茶をして欲しくないし無理もして欲しくないって思っているんだ。

 でも花子さんがそうすることを望んでいるのに、俺がそれを言ってしまうのは野暮ってものだよな…


 ナデナデ…


「いい子いい子…一成はそんなこと気にしなくていい。これは私の希望だから。それを受け入れてくれたら、私はそれだけで幸せ」


 はぁ…こんな状態でも、俺の考えていることはお見通しなんだな。

 そんな嬉しそうな声音で言われてしまったら、俺はもう素直に受け入れることしか出来ないじゃないか。


「わかった…でも無理も無茶もしないでくれよ?」


「了解。無理はしない。でも無茶はするかも」


「ちょ…」


「これは譲れない。でも大丈夫。一成を心配させるようなことはしない。私はお姉ちゃんだから」


 分かったような分からないような、そんな花子さんのいつもの一言。

 ただどちらにしても、これは俺が言っても無駄なんだろう。

 

 ナデナデ…


「いい子…いい子…」


 結局、どこまでも嬉しそうな花子さんの様子に、俺はそれ以上の何かを言うことが出来なかった。

 だったらせめて、花子さんに無茶をさせないようにしないとな。それが、俺のやるべきことの一つだと思うから。


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 放課後、生徒会室


 現在沙羅さんがホワイトボードに書き込んでいるのは、本日の見回りスケジュールだ。

 何か困ったことはないか、トラブルは起きていないか、そもそも申請内容と違うことをしていないか?

 そういったことを確認するのが、俺達生徒会の主な仕事になっている。

 基本的には二人一組で担当箇所を回るんだけど、残念ながら俺と沙羅さんは一緒に回ることが出来ないらしい。会長と副会長が一緒なのは非効率だからという話なんだけど…でもそれって、そんなに非効率なことなのか?


「はい、本日の担当はこのようになっています」


 ホワイトボードには、沙羅さんの綺麗な字で書かれた各担当者氏名と組み合わせが…うん、わかってる。突っ込みたい気持ちは分かるけど、皆で俺を見ないでくれ。


「…何で嫁と一成が一緒になってる?」


 花子さんの淡々とした突っ込みに、俺と沙羅さん以外の全員がうんうんと頷いた。

 まぁ…言われるよな、流石に。


「薩川さん、会長は何かあったときの為に生徒会室待機で…」


「納得できません。私としては、会長は寧ろ全ての場所に一度くらい顔を出すべきだと思うのですが?」


「う…」


 沙羅さんの意見は真っ当すぎて、これを否定するのは難しいんじゃないかと俺でも思う。

 だから案の定、上坂さんは答えに窮したように言葉が詰まってしまった。


「…そろそろ限界なんじゃない?」

「…でもねぇ…高梨くんと二人で行かせたら流石に…」

「…うん、何をやらかすか分かったもんじゃないし」

「…寧ろ、校内至る所で悲劇拡散って感じですよね」


 女性陣が俺の方を見ながら、ヒソヒソと何かを話し合っている。沙羅さんがどうするのかって話なのに、何故そこで俺を見ながら相談してるんだろうか?


「ですからここは、やはり会長として私も視察に出るべきだと判断しました。そうなれば当然、会長補佐という役職でもある一成さんが私とペアになることが望ましいでしょう。寧ろそれが当然の話です」


「別に見回りをするだけなら補佐なんて要らない。それに副会長は副会長で責任者の一人だから、会長と一緒じゃ効率が悪い」


 なるほど、確かにそうかも。

 そういう意味で非効率だというのであれば、花子さんの話は一理あると思う。

 てっきり強引なこじつけで、沙羅さんを生徒会室に留めたいだけだと思っていたんだけど…ちょっと反省。

 でも正直に言うと残念なんだよな。俺としては、せめて一度くらいは沙羅さんと回りたかったのに。


「心配しなくても、一成のフォローは私がしっかりやってる。だから会長は、安心して本部詰めの役割を果すべき」


「ですから、本部詰めという役割がそもそもおかしいのです。去年は会長が生徒会室待機などしていなかったでしょう?」


「「「うっ…」」」


 そうなのか?

 それは俺も初耳だ。知らなかったから今まで不思議に思わなかったけど、そういう話であれば、寧ろ沙羅さんが不満に思うのは当然の話だと思うぞ。

 と言うか、何で沙羅さんだけそんな対応にな…

 あ、ひょっとして、沙羅さんが見回りに行くと男子連中が大騒ぎするからとか、そういう理由なのか?


「とにかく、嫁が一成と二人で行くのは良くない」


「花子さんは、一成さんとよく一緒に行っていますね?」


何だろう…見回りに行こうってだけの話なのに、何故かとても不穏な空気が流れ始めたような。


「…おほっ、嫁と小姑の対立」

「…不謹慎かもしれないけど、ちょっと面白いかも」

「…というか、高梨くんが絡むと薩川さんはアッサリと壊れるよね」 


「…もう羨ましすぎて、逆に何も感じなくなってきたかも」

「…嫁と小姑って何なんだよ」


「よ、よし、ならこうしようか。薩川さんが見回りに参加したいというのであれば、その間は私が代わりに待機しよう。その代わり、薩川さんのフォローには花崎さんが入ってくれ!」


「「…は??」」


 うぉ、怖っ!?

 沙羅さんと花子さんが同時に上坂さんを睨…じゃない、見たけど、視線が冷たいなんてものじゃない。 


「ひぃぃぃ!?」

「ちょ、それダメだから!? 女神様と天使がしていい目付きじゃないから!?」

「こ、こわっ…見てるこっちが震えて…」


「何故だろう…あの視線が妙に馴染む…」

「まぁ…俺達にとっては珍しくない光景だからな…うう」


「い、いや、そ、そのだね…二人とも…たまには気分転換というか、別の組み合わせを…」


 流石の元生徒会長と言えども、沙羅さんと花子さんから同時に睨まれてはどうにもならないらしい。俺が知る限り、こんなに焦り…恐怖? を募らせている上坂さんを見たのは初めてだ。


「気分転換とは面白いことを言いますね? そういう理由であれば、私は一成さんのお側に居ることが至福であり安らぎです。何か問題がありますか?」


「姉が弟のフォローをするのは当然だから、組み合わせに疑問を挟む余地はない。それのどこが悪い?」


 沙羅さんと花子さんから放たれる強烈なプレッシャー(?)を受けて、上坂さんが表情を引き攣らせながら徐々に後退っていく。身体も心無しか小さくなっているように見えて…かつて生徒総会で堂々とした振る舞いを見せた、あの元生徒会長の勇姿はもはや影も形もなく…


「…あー…上坂くんは言葉の選択を間違えたね」

「…あの三人の間に割って入るなんて、何て命知らずな…」

「…元会長、大ピンチですねぇ」


「あの…別に二人一組じゃなくてもいいのではないでしょうか? この前も四人で行きましたし」


 ここで助け舟を出してくれたのは、今まで会話に参加していなかった藤堂さんだ。至極真っ当とも言えるような模範解答で、皆の注目を一気に集めてしまう。ちょっと恥ずかしそうに顔を朱くしている姿が可愛らしい。


 確かに藤堂さんの言う通りだとは思うけど、でも本音を言えば「沙羅さんと二人きり」というシチュエーションが欲しかったんだよな。多分沙羅さんも俺と同じ気持ちだったろうし、だからこそ「二人」という部分に拘っていたんだと思う。


「…確かに、よく考えたら二人に限定する必要はないかも。元会長、取り敢えず私も一緒に行くから、嫁と一成を組ませてみる?」


「ま、まぁそれなら。と言うか、花崎さんは凄いな…色々と」


 花子さんが説得に回ってくれたお陰で、上坂さんからの許可が降りた。でも花子さんが同行すれば許可が出るということが、俺としては少しだけ腑に落ちない。

 沙羅さんが周囲に騒がれるからという理由で反対をしていると思ったのに、これじゃ違う理由があるということになってしまうからな。


「…いつも思うけど、花崎さんがいなかったらこの生徒会どうなってたんだろうね?」

「…今頃、そこのソファで薩川さんが高梨くんを膝枕してるんじゃない?」

「…それ、冗談になってませんからね?」

「「「…………」」」


「一成さん…」


 沙羅さんが何かを言いたそうに、ポツリと俺の名前を呼んだ。甘えを含んだような声音で思わずドキっとしてしまったけど、俺もその気持ちはよく分かる。

 でも俺達の我が儘でこれ以上生徒会活動を妨げるのも良くないからな…俺もかなり残念な気持ちはあるけど、ここは沙羅さんの説得に回るべきだろう。


「俺は沙羅さんと回れるだけでも嬉しいですよ?」


 当たり障りのないフォローだったと思うけど、それでもこれは俺の本心だ。二人きりというシチュエーションは無理だったけど、それでも沙羅さんと学祭の見回りが出来たという思い出にはなるから。


「ふふ…そうですね。申し訳ございません、私としたことが、つい我が儘を…」


「いえ、俺も同じ気持ちでしたからね。だからそれは、沙羅さんだけじゃないです」


 良かった、沙羅さんも普段通りに落ち着いてくれたみたいだ。でも俺だってその気持ちは本当によく分かるからな。


「嬉しいです…でしたらせめて、学園祭当日は二人きりで回る時間が必ず欲しいです」


「ええ。自由行動の時間を作れば大丈夫だと思いますよ」


 学祭当日は生徒会の仕事もあるし、ミスコンもあるし、皆が集まることもあって基本的には忙しいと思う。でも個人行動の時間くらいは必要だと思うから、その時間で二人になることは出来る筈だ。


「…学祭が、違う意味でお祭りになる未来が見える」

「…もうなるようにしかならないんじゃない?」

「…どっちにしても時間の問題でしょ。いっそのこと、一気に大騒ぎした方が早く終わるんじゃない?」


「さ、さぁ、それじゃ納得のいく結論が出たということで、皆仕事に取りかかろうか」


「はい。それでは皆さん、本日も宜しくお願い致します」


「「「お願いします!!」」」


 さぁ、二人きりじゃないのは残念だけど、待ちに待った沙羅さんとの見回りを楽し…じゃない、張り切って頑張ろうか。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 今回はちょっと花子さん回でした。

 次回は見回りと・・・あと何かですw

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