第261話 恋愛感情とファン心理
~ 時間は少し戻って、朝 ~
先程までは全く気にしていなかったが、徐々に教室が近付くにつれて、土曜日の記憶が鮮明に蘇ってくる。
沙羅さんとの関係が明るみになったときに、きっと騒ぎになるだろうとある程度の想像はしていた。でもいざ騒ぎになってみると、その大事さは考えていたレベルを遥かに越えていたようにも思う。
あの日は父母参観だったので、他にも気になっていたことが多く、そこまで冷静に考える余裕はなかった。
だからなのか、今頃になって騒ぎがどれくらい大きかったのか実感が湧いてきたような気がする訳だ。
と言うか、あれだけの騒ぎになったのなら、直ぐに噂になっても不思議はないような…
とにかく今回の件で、少なくともクラスの連中は俺と沙羅さんの関係を理解した筈だ。
これで余計なことを考える男が少しでも減ったのだと思えば、例え妬まれようとクラスで孤立しようと俺的には問題ない。
ほんの僅かでも、沙羅さんが嫌な思いをする可能性の目を潰すことが出来たというのであれば、それだけで本望だ。
それに、俺はもう昔の俺じゃない。今の俺には、沙羅さんが、花子さんが、皆がいる。
だから…
くいくい…
不意に袖を小さく引っ張られ、考えに沈んでいた意識が現実へ引き戻される。
ハッとして横を見ると、隣を歩いていた花子さんが俺の袖を掴んでいた。
「………」
「花子さん?」
何も言わずに、じっと俺の目を見つめている花子さん。
沙羅さんもそうだけど、こういう意味深な感じで見つめられているときは、ほぼ決まって考えを読まれることが多い。
ちなみに俺が今考えていたことは…沙羅さんのことは大丈夫。少しだけカッコつけただけだから。
他には…そうだ、俺には皆がいるから、とか、思い返すと恥ずかしくなるようなことを考えていた!?
「……」
俺がそんなことを考えている間も、花子さんは俺から目を離そうとしない。読まれたくない部分まで見透かされているような気がして、慌てて視線を逸らそうとすると…
それを許さないとばかりに袖を引かれてしまい、結局は見つめ合う形になってしまう。
うう…そろそろ勘弁して下さい。
「大丈夫だよ、一成…」
「え?」
「一成には嫁がいる。皆がいる。私もいる。教室なら、お姉ちゃんがいつも側にいる」
だから安心して…と、花子さんが優しい笑顔を浮かべてくれた。
「あ、あぁ、わかってるよ。俺には沙羅さんがいるし、皆がいるし…お姉ちゃんもいるからな」
自分でも照れ臭いことを言っている自覚はある。だからそれを隠そうとして、思った以上にぶっきらぼうな言い方をしてしまった。
でもそれすら花子さんに見抜かれているようで、こうも色々と見抜かれてしまうと、どうにもばつが悪いな…
「ふふ…」
そんな俺の心情を知ってか知らずか…いや、花子さんだからな。全て気付いているのだと思う。
花子さんは優しげな微笑みを浮かべたまま、きゅ…っと、小さく可愛らしい手で、俺の手を握ってくれる。
「嫁が一成のことを可愛いって言うけど、私もそう思う」
「いや、男にそれは…」
「照れなくてもいい。お姉ちゃんから見れば、弟はいつでも可愛い」
別に照れた訳ではないのだが、どちらにしても否定はさせて貰えないらしい。
これで沙羅さんを筆頭に、真由美さんに続いて花子さんからも可愛いと言われてしまった。これが嬉しいことなのかどうかはともかくとして、男としては、決して褒め言葉じゃないと思う。だから素直に頷けないというのが正直なところだ。
まぁ言っている本人たちに他意も悪気もないということは分かっているので、ムキになってそれを否定する必要はないと理解はしているんだけどな。
「と、とにかく大丈夫だ。別に尻込みしている訳でもないし、本番は寧ろこれからだからな」
ミスコンが本番だと考えれば、土曜日のアレは前哨戦みたいなものだ。
想像と現実の違いで多少驚いたものの、決心には些かの揺るぎもない。
俺が求めている結果さえ伴うのであれば、後の結果についてはどうとでもなる。いや、どうにかしてみせる。
昔の俺とは違うんだ…
……………
………
…
ガラガラガラ
「おはよう!」
土曜日の惨状を考えると緊張しない訳ではないが、敢えていつも通りに教室へ突入してみた。
周囲をざっと見回してみても、パッと見では特にこれといった異変はないような気がする。
少し拍子抜けな感じもするが、だからといって俺が率先してそれを気にする訳にもいかないからな。
「おはよう高梨!」
「おっす!」
いつもと変わらず、朝っぱらから元気な挨拶を返してくれたのは山川達だ。
日曜日に色々と話をしたので気になっていたが、見ている限りでは陰りや落ち込みなどは感じないな。山川といい、クラスの連中といい、こうも色々といつも通りだと、ひょっとしなくても俺が意識しすぎなんじゃな…
ゾロゾロゾロ…
…という訳でもなさそうか。
まるで示し合わせたように、俺が席に着いたと同時に男子達が集まってくる。その表情からは、怒りや妬みといったマイナス要素のような感情は見えてこないが、俺に用事があるという事だけは間違いないだろう。
「一成に何か用?」
俺が声を出すよりも早く、集まってきた男子達を問い質したのは花子さんだった。警戒心を剥き出しにして、俺に寄り添うように立つと周囲を一瞥する。
「花子さん、俺が話をするから」
俺だって女子に守られているような情けない男になるつもりはない。もともとは俺が蒔いた種なのだから、当然それに対応するのは俺がやるべきことだ。
「…もし一成に余計なことをしたら、私が絶対に許さない」
一応は俺の気持ちを汲んでくれたようで、物騒な警告を残してから花子さんが一歩だけ下がる。それでも俺から離れるつもりはないようで、斜め後ろにピタリとくっついたままだ。
これは俺が信用されていないのか、お姉ちゃんとしての過保護なのか…
ちなみにだけど、俺は花子さんほど警戒はしていなかったりする。
こいつらの様子を見れば、悪意的なものがあって集まってきた訳ではないということが、何となく分かるから。
それに恐らく、花子さんもそれはわかっていて、それでも俺のことを考えて警告してくれただけなのかもしれないけど。
周囲に集まっていた連中は、花子さんからの警告に、焦りや複雑そうな様子を滲ませながら頷いていた。
やはりそこまでの話ではないんだろうな。
「高梨…薩川先輩との話は、嘘じゃないんだよな?」
集まってきた中の一人が、意を決したように口を開いた。まぁ話なんてそれしかないよな。
「あれを見て嘘だと思うのか?」
「「「………………」」」
「土曜日に話した通りだよ。俺は沙羅さんと付き合ってるし、婚約もした。全部事実だ。」
それ以外の事実は無いんだと、これは現実なんだと諭すように、冷静に伝えてみる。
こいつらも土曜日の光景を見た以上、信じていないという訳ではないと思う。
だからこれは疑っているというより、単なる事実確認といった感じにも見える。
最も、あれを見てまだ事実だと認められないと言うのなら、俺はこいつらの正気を疑うけどな。
「…だよなぁ」
「…正直に言って、信じたくない気持ちはまだあるけどさ。でも…」
「…あんな薩川先輩は、見たことなかったし…」
やはり土曜日の衝撃はかなりのものだったようで、現実だと分かっている筈なのに、それでも受け止めきれていないといった感じだ。
ただこれまでの沙羅さんと違いすぎる姿を見たせいで、疑う余地がないという結論には達しているのだろう。
「おいおい、まさかお前ら、あれを見てもまだ高梨に認めないとか言うつもりか~?」
何となく重くなり始めていた空気を吹き飛ばすように、場違いなくらいの明るさで割り込んできたのは山川だ。
と言うより、これは割り込んで「くれた」と言うべきか。
でもその陽気さのお陰で、深刻そうな雰囲気が和らいだような気もするので、正直に言って助かった。
「高梨と薩川先輩は、もう夫婦みたいになってるからな」
「あれを見たら、お前ら死ぬかもな~」
そんな山川を追うように、川村と田中も会話に割り込んでくる。
この三人の登場で、集まっていた男子達にも多少の笑顔が見えてきた。あの重苦しい空気感をキープすることができなくなってきたみたいだな。
「見たら死ぬって…じゃあお前は何を見たんだよ?」
「いやいや、聞かない方がいいぞ」
「なんだよそれ…」
「いや、昨日、高梨夫妻に会ったんだけどさ。薩川先輩は、もう完全に高梨の奥さんみたいだったぞ…」
「うぁぁぁぁぁ! マジでショックだわぁぁぁぁぁ」
「くぅぅぅぅ、いいよなぁ…薩川先輩みたいな超絶美人!!!」
「せめて先に告白しとけば…」
「よく言うぜ、どうせ告白する度胸も無かったくせによ」
「お前もだろ!?」
…これはいったい何なんだ?
ショックを受けていることは間違いないとしても、この急な変わり様は、驚きというより肩透かしを食らった感じだ。
土曜日の様子を考えれば、さっきのような深刻さで問い詰められることはもちろん想定済みだ。でも今の様子を見ていると、悔しがってはいても、俺達の関係そのものについてはアッサリと受け入れることが出来たようにも見える。
俺が言うのも何だけど、あれだけ大騒ぎしていたのに、そんな簡単に割りきれるものなのか?
「高梨、どうした?」
俺が呆然と目の前の様子を眺めていると、それに気付いた川村が首を傾げながらやって来た。
理由を言うべきか言わないべきか悩んだけど、いつも訳知りな川村なら案外その辺りまで把握している節もある。だから思いきって聞いてみることにした。
「いや、こいつら随分あっさりと受け入れたな…と」
「そりゃそうだろう。薩川先輩のあんな姿を見て、まだ認められないとか言ったら正気じゃないぞ。」
「それは俺も同じことを思ったけどさ。でもあれだけ騒いでたのに…」
「ああ、その辺りのことか。そうだな…これは俺の推測だけど、薩川先輩はこいつらのアイドルだったんだと思うぞ。一応は恋心もあったんだろうが、憧れの方が大きいから、必要以上に大騒ぎしてただけじゃないかと俺は見てる」
沙羅さんがアイドル?
ということは、こいつらはファンクラブ的な感覚だったという事か?
…でも、そう言われてしまえば腑に落ちる部分がある。
沙羅さんの外見に惚れただけとは言え、こいつらも一応は「恋愛感情」を持っていたことは事実だろう。
でも本物の恋愛感情を持っているなら、ライバル同士で群れるようなことなどしない筈だ。なのにこいつらは、揃って熱を上げていた。
それはもう完全に、アイドルのファンクラブ的なノリだと言っても過言ではない。
「所詮はチャンスがあればなんて思ってた程度の気持ちだ。あれを見せられて、諦めないなんて気概はないさ。だから失恋そのものは簡単に受け入れたんだよ。でも憧れの気持ちは簡単に消えないだろうからな。だからこそ、アイドルを取られて悔しい羨ましいって大騒ぎしているのさ」
俺よりもクラスメイト達のことを理解している分、川村の言葉には説得力がある。
だからこその結論…という意味では、成る程納得の意見だった。
つまり結論としては
恋愛感情とファン的な憧れが混ざって相乗効果的に熱を上げていた分、俺と沙羅さんのことが分かってショックは激しかった。それが土曜日の大騒ぎ。
でも恋愛感情だけで見れば、所詮は群れることが出来る程度。しかも外見に惚れた程度の浅いものだった。だから俺達の姿を見て、それ自体はあっさりと受け入れることができた。
そして最後に、ファン的な憧れだけが残っている、と。
であれば、こいつらの中途半端な姿の理由もわかる…のか?
「あくまで俺の考察だがな。まぁこれも一目惚れの範囲ではあるだろうし、そういう意味では同じでも…」
川村はそこまで言うと、言葉を濁しながらチラリと山川に視線を向ける。
確かに、同じ一目惚れでも、真剣さという意味では山川の方が遥かにマシだろうな。
「…アイドルの追っかけごっこ。所詮はバカの集まり」
ここまで俺達の話をじっと聞いていた花子さんが、心底呆れ果てたようにポツリと吐き捨てた。極寒の眼差しで男子達を一瞥すると、もう目の前の存在に興味は無いとばかりに身体ごと俺の方へ向き直る。
「花子さん?」
「一成は、あんな奴らのことなんか気にしなくていい。外見で惚れただ何だと、軽薄すぎて相手をする価値もない」
花子さんの反応は、むしろ当然とも言えるものだった。
ここまでの話は、どれもこれも花子さんにとって(当然沙羅さんも)軽蔑に価するような内容であり、目の前の光景は茶番に見えていても不思議はない。しかも今回の件で、花子さんの中に一層の嫌悪感が生まれてしまった感じすらある。
だからこそ、この言葉に苦い表情を見せたのは川村だった。もちろん俺だってその理由は分かっている。今日は山川が花子さんに話をすると宣言していたのに、これではタイミングが悪すぎるからだ。
「花崎さん、ちょっといいかな?」
そしてそんな最悪のタイミングで花子さんに声をかけたのは…
どこか緊張した面持ちの山川だった。
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大変お待たせしてます。
今回は情景描写とか心理描写を、今までよりも少し意識して書いてみました。そのせいかシーンの進みに対して無駄に文字数が(^^;
しかも読み返してみると、あんまり変わらないような気もします(ぉ
今回は、男達の着地点が難しくて約四日もかけて書いた6000文字を全部書き直すというまさかの事態に心が折れorz
危うく来週まで書けなくなるところでした…
ちなみにですが、以前あった沙羅のファンクラブはとっくに消滅しています。多方面から謎の圧力が加わったようです…
次回は山川くんのけじめと、今度は女子からの質問攻め・・・の予定?
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