第258話 徐々に広がる噂

ピピピ…ピピピ…


…………


 「…さん」


…………


 「…さん、起きましょうね」


…………


 「一成さん…起きて下さらないのですか?」


 別に無視をしている訳でもないし、嫌がらせをしている訳でもない。そもそも、俺が愛しの沙羅さんにそんなことをする筈がない。

では何故起きないのかと問われれば、わかっていても身体が動かないのだと俺は答えるだろう。より正確には、起きることが出来ないと言うべきか。

 昨日の夜は色々あって、なかなか寝ることが出来なかった。特に、寝る直前でキスを連発されて目が冴えてしまったからだ。

 もちろん沙羅さんには悪気も他意もなく、ただただ俺への気持ちを溢れさせていただけだろう。そして俺も、そんな沙羅さんに自ら進んで甘えてしまったのだが…

 その結果妙に目が冴えてしまい、一晩中寝たり起きたりを繰り返していた訳だ。


 そう…つまりまだ俺は眠いんだ…


 とは言え、いくらなんでもそろそろ起きなければならない時間だろう。

 気合いを入れなければ…と思い、鈍りそうな意思を総動員させようとしたところで、何故か身体に覆い被さるような少しの重みを感じた。沙羅さんが何かをしようとしているのは直ぐにわかったが、ひょっとして俺が起きないので実力行使に出ようとしているのだろうか? 

 ちなみに沙羅さんは、俺の布団を強引に引き剥がすといった強行手段を取ることはない。あくまでも優しい範囲で起こしてくれるので、その点については全く心配していないのだが。


「あなた…」


 沙羅さんの囁き声に合わせて、頬の辺りに吐息のようなものを感じる。顔を近付けられているということはわかっているが、もしかして昨晩の続きを…


「……お・き・て♪」


!!!!!?????


「ふあぁぁぁぁ!?」


 完全に油断していた俺の耳元で、沙羅さんが吐息混じりの甘い囁きをするというまさかの行動に出た。凄まじいこそばゆさとムズムズ感、ぞわぞわする感覚に襲われた俺が、それに耐えきれる訳がない。思わず飛び起きるように、一気に身体が持ち上がってしまった。


「ふふふふ…おはようございます、一成さん。」


「お、おはよう…ございます」


「どうかなさいましたか?」


「い、今のは…」


 イタズラ成功とばかりに満面の笑みを浮かべている沙羅さんは、特に悪びれた様子も無くしれっとしている。

 俺も別に怒るつもりは全くないが、沙羅さんにしては珍しい行動だと思った。勿論これ自体は初めてのことではないので、不思議という訳ではないのだが…


「…いじわるな一成さんに、お仕置きです。」


「いじわるですか?」


「もう目は覚めていましたよね?」


「う……」


 どうやらすっかり見抜かれていたらしい。もっとも、沙羅さん相手に嘘やごまかしが効かないということは今に始まったことではないので、寧ろそれは当然とも言える話ではある。


「ふふ…お仕置きというのは冗談ですが、なかなか起き上がれないご様子でしたので、以前試して効果抜群だった方法を使用させて頂きました。それと、先日のお耳掃除で息を吹き掛けたときに、とてもお喜び頂けたようでしたので…」


 この起こし方は、以前何度がお見舞いされたことがある対俺専用必殺技(?)の一つだった。そして最近ご無沙汰だったこの必殺技に、吐息を混ぜるというバージョンアップが加わってしまったらしい。

 俺は耳元を攻められると弱い(最近気付いた)ので、この技を使われてしまうとクリティカルなまでの効果が発揮されてしまう。

 そして耳掻きのあれは、今思い出しても震えが来るぐらい凄まじい衝撃だった。そのまま自分が昇天してしまうのではないかと思えるくらいの衝撃で、色々な意味で俺の記憶に根付いた出来事でもある。


「いや、あれは…」


「お好きですよね?」


「……大好きです」


「はい。正直に言えましたね…いい子です♪」


ちゅ…


 不意に顔を寄せてきたと思えば、ご褒美とばかり俺の頬へ軽いキスのプレゼント。

 起きて早々、嬉しいやら恥ずかしいやら照れ臭いやらで、早くも顔が沸騰しそうだった。

 沙羅さんの行動理由は、あくまでも純粋に「俺が喜ぶから」であり、そこに他意は存在しない。だからこそ男としては悩ましい訳で…でもこれは、間違いなく贅沢な悩みなんだと自分でも分かっているのだ。


「ふふ…まだ少しだけ時間がありますので、こちらへどうぞ」


ふわっ…


 昨晩はずっと抱きしめられて、散々甘やかされたというのに…今日も朝からこうして抱きしめられて、既に結論は出ていることなのに「俺はこれでいいのか?」と自問せずにはいられない。


「一成さん…恥ずかしがらずに、お好きならお好きと素直に仰って下さいね」


 でもこうして、沙羅さんに抱き寄せられて頭を撫でられてしまえば…そんな建前とも言えるような考えなど直ぐに吹き飛んでしまう。

 沙羅さんがこうすることを心から望んでいるのだということは、俺の思い込みなどではなくハッキリとわかっている。だからこそ、俺も素直に受け入れたい。

 甘えるときは甘える、頑張るときは頑張る、それでいいじゃないか…

 それこそ甘い考えかもしれないが、両立を目指すのであれば、きっとそれが俺に求められる在り方なんだろう。


「ふふ…次回のお耳のお掃除も、いっぱいふぅぅってして差し上げますからね♪」


 …………次の耳掻きを、俺は無事に乗り越えることができるのだろうか


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「おっはよ~」


「おはよう…」


 朝から元気な夏海先輩、相変わらずクールな花子さんとコンビニで合流して、いつも通りに学校へ向かう。土曜日のこともあり何となく周囲を意識してしまうが、まだ特にこれといった変化は見られないようだ。

 そもそも、たかだか一日二日しか経っていないのに、何か変化があると考えてしまう方がおかしいだろう。芸能人や著名人でもあるまいし何様だと、自意識過剰なのは良くないと自分に自重を促しておく。


「高梨くん、さっきからどうしたの?」


「いや、別に…」


「心配しなくても、まだ大丈夫だと思う。まぁ時間の問題だと思うけど…」


 流石は花子さん…俺の心境をズバリ言い当ててくるその鋭さは、もはや脱帽レベルだ。


「ん~? ……あぁ、土曜日の話か!」


 合点がいったとばかりに、両手で「ポンッ」とスタンプを押すような仕草を見せた夏海先輩。分かりやすい仕草がちょっと可愛い。


 それはともかく…


「夏海先輩、知ってたんですか? 」


「詳しくは知らないわよ。大地から話が来ただけだからね。というか、教室を飛び出した沙羅の様子で、絶対に何かあるだろうとは思ったけど…」


 そう言えば、夏海先輩には元会長経由というルートがあることを忘れていた。土曜日は生徒会室で、当事者の俺と沙羅さんをスルーした会議が行われていたので、その一環の話が夏海先輩にも流れているのかもしれない。


「いえ…一成さんと花子さんが関係を誤解されていたようなので…」


「散々違うって言ったのに…全く…子供は人の話を聞かないから困る」


 子供…クラスメイトのことを指しているのは勿論わかっているが、同級生を子供扱いですか…

 とは言え、精神年齢的なことを考えれば納得してしまう部分は確かにある。俺も正直、クラスメイトに対して「子供かお前らは」と思ってしまうことがあるし、ましてや精神年齢が高い花子さんなら尚更そう思うことが多いだろう。


「あ、ひょっとして、高梨くんの彼女が花子さんだって誤解されてた?」


「ええ。何か勝手に色々設定作られて、恋人だって思われてたみたいです。」


 そう…姉弟シチュを楽しんでいる恋人という謎設定をでっち上げられて、ある意味業の深そうな二人だと思われていた訳だ。

 どういう思考回路になっていればそんな話になるのか、全くもって不思議でならない。


「ふーん…(まぁ、クラスメイトの気持ちも分からなくはないかな。花子さんは明らかに高梨くんを特別に見てるし…二人の仲もいいからね)」


「一成さんのクラスはもう大丈夫でしょう。私が婚約者であることも分かったでしょうから。」


「成る程……全部ぶちまけて来た訳ね…」


「今日からどうなることやら」


 正直に言って、歩きながらそのことをずっと考えていた。あれだけの騒ぎになって、まだ信じないだの何だのと言う奴は流石にいないだろう。でもそれはそれとして、これからの学校生活がどう変化していくのか…

 沙羅さんとの関係を公表した時点で、何事も起こらない学校生活には戻れないという覚悟はしていた。でも俺の計画が上手く行けば、或いはミスコンで一段落がつくのではないかと…そんな淡い期待があった。


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side 夏海


 何時の頃からか、休み時間になると沙羅の席に人が集まるという光景が珍しいものではなくなってきた。高梨くんと恋人になったことで、人当たりが多少改善されて接しやすくなったからだ。あとは修学旅行以降、悠里達が話しかけるようになったので、それに慣れたこともあるのかもしれないけど…

 ちなみに、男に対しては相変わらずだが、あの姿を見て近付くチャンスだと勘違いするバカは寧ろ増え続けている。


「薩川さん、今日もやってるねぇ。」


「ええ。あまり時間が取れませんから、少しでも隙を見てやらないと。」


 沙羅は少し前から、短い休み時間などを使って小まめにマフラーを編んでいた。学校でやるなんて珍しいと思ったけど、高梨くん用のサプライズプレゼントらしいから納得。同棲してるんだから、家じゃ作れないよね。


「…よくそんな速度で編めるよねぇ」


「慣れですよ。今まで色々作ってきましたからね。それに、母と祖母からみっちり仕込まれました。」


 などと会話をしながらも、編み物をしている沙羅の手は微塵も速度の落ちる気配はない。裁縫もそうだけど、相変わらず脱帽ものの手芸スキルだ。

 幸枝さんはわからないけど、真由美さんがかなりの多芸持ちだということは私も知っている。沙羅も小さい頃から色々と教わっていたらしいので、この歳にして既に桁違いの女子力…いや、主婦力を持っているのは周知の事実。今直ぐに高梨くんと結婚しても、専業主婦は余裕でしょうね。


 とは言え、沙羅が教室でマフラーを編み始めたという行動は、このクラスに小さくない衝撃をもたらした。堅物だと思われていた沙羅が、まさか学校でそんなことを…という理由もあるだろうけど、やっぱり一番の理由は、あのマフラーが誰用なのかということだろう。ちなみに、家族用か同性の友達用という意見が大多数だ。


「はぁ…ホント、女子力の塊だよね。」


「ふふ…何ですかそれは?」


「前に夏海が言ってたのよ。薩川さんのことを女子力の塊だって。」


「家庭科パーフェクトだもんね。」


 明らかに人当たりが変化したことで、接しやすくなった沙羅に話しかける女子はかなり多くなった。

 沙羅がこうして囲まれながら話をしている光景は日常になっていて、それは私としてもいいことだと思う。


「将来役に立つという意味で、小さい頃から色々やっていましたからね。」


「じゃあ、薩川さんが家庭科全般が得意なのは、その賜物ってことなんだね。」


「そうなりますね。」


「へぇ…将来、薩川さんと結婚する人は幸せだね。」


 会話に割り込んだ悠里が意味深に笑ったのは、もちろん高梨くんのことを含ませて言ったからだと思う。まだ婚約云々の話は知らない筈なのに、結婚など相変わらず際どいところを突いてくるのは野生の勘なのか…

 そんな悠里の感想を同意するかのように、一様にうんうんと頷いて羨望の視線を沙羅に向ける男子達が面白い。


「ふふ…私が旦那様を幸せにして差し上げるんですよ。」


 そう言って眩しい笑顔を浮かべた沙羅に、教室の男子達は完全に目を奪われていた。あの笑顔は男を殺すには十分過ぎるだろうし、そうなるのは仕方ないと私でも思う。


「…はぁぁぁぁ…正に女神の微笑み」

「…だ、旦那様…あぁぁぁ、俺をそう呼んで欲しいぃぃぃぃぃ」

「…あんな笑顔見せられたら、やっぱ諦めきれねーよ…」

「…俺は長期戦覚悟で話しかけてるけどな。」

「…お前もかよ…まぁあの様子なら、まだまだ時間はあるだろうしな」

「…最近雰囲気が変わったから、せめて友人ポジくらいは期待してる。」

「…いいよなぁ…付き合ってくれねーかなぁ…」


「…あのマフラーが恋人用だって噂が(笑)」

「…いやいや、薩川さんにそれは無いでしょ」

「…男嫌いって話だし、それは有り得ないだろうねぇ」


 これまでの沙羅を知っているクラスメイトからすれば、今の沙羅は本当に別人の様に見えているでしょうね。ただ、女子ならそれで済むかもしれないけど、男子の場合は別だと思う。あんな姿を見せられたら、以前よりお近付きになれるかもと期待してしまう男がいても不思議はないと思う。

 それにこのクラスの男子達は、一応は現実的なことを考えている人も多い。沙羅に恋人は当分有りえないと判断して、長期戦覚悟の「まずはお友達から」もしくは「友達でもいい(下心有り)」を狙っているヤツが多いのだ。名だたるイケメンを歯牙にも掛けなかった沙羅を見て、遠回りこそが一番建設的だと理解しているから。だからこそ、今の沙羅の変化に期待してしまう男子が多くても仕方ないだろう。


ガラガラガラ!!

ガン!!!!!!


 そんな和やかなクラスの空気をぶち壊すかように、何の前触れもなく教室のドアが突然開け放たれた。行き止まりの壁に勢いよくぶつかる激しい衝突音に、それを非難するような視線が一斉に集まってしまう。


「「はぁ…はぁ…」」


 そんな周囲の視線を集めながら、まるで競い合うように教室へ飛び込んできた男子達は…このクラスのムードメーカー的な存在、加山くんと池上くんだった。二人はそのままこちらへ視線を向けると、一瞬何かを確認してから勢いよくこちらへ向かってくる。切迫詰まったその表情に徒ならぬ気配を感じて、思わずこちらも身構えてしまった。


 あまりにも突然の出来事に、私達だけでなくクラスメイト達も戸惑ったような様子を見せている。唯一平然としているのは、編み物に夢中で周囲を気にしていない沙羅だけだ。


「さ、薩川さん!!」


 沙羅は自分の名前を呼ばれたことで、やっと周囲に意識を向けて手を止めた。目の前に立っている二人組に気付くと、不快感一色に染まった表情で二人を睨むように目を向ける。それはどこまでも冷たく、迷惑極まりないと非難しているようにも見えるくらいだ。

 普段なら、こんな視線を向けられた男子は怯んでしまうことが大概なのに、今回に限ってはそうならないらしい。


「い、今、後輩から聞いてきたんだけど、この学校に恋人がいるって!!??」

「け、結婚するって、嘘だよな!!?? 俺が告白したときは、男に近寄られたくないって言っただろ!!??」


 これはどうやら、遂に来るべきときが来たということみたいね。

 土曜日の話をどこかで聞き付けて、慌ててそれを確認に来たということなんだろうけど…まぁ事実だから、果たして沙羅が何と言って答えるのか様子を見よう。

 ちなみに私としては、高梨くんのと話については基本的にもうお節介をしないと決めている。強いて言えば、同棲の件だけは警戒しておくつもりだけど…


「…はぁ??」

「…何言ってんだ、あいつら?」

「…男ってだけで友達すら難しいのに…」

「…ネタにしても話がぶっ飛びすぎだろ。」

「…そもそもこの歳で結婚とか…」

「…そんな話、誰が信じるんだよ」

「…寧ろ、破れかぶれで気を引こうとしてるとか?」

「…だったらウケる(笑)」


「…イヤイヤ、そんな話はいくらなんでも無理でしょ」

「…あの…私も、昨日知り合いからそんな話を聞いたんだけど…」

「…え…さすがにデマでしょ?」

「…私もそう思って笑ったんだけど…」

「…てことは、デマが広がってるってこと?」


 クラスメイト達の反応は無理もないと私でも思う。

 ある意味、この学校での沙羅を一番長く見てきたのが私達クラスメイトであり、大多数が「そんなバカな」という意見になっても仕方ない。

そもそも親友である私ですら、最初は信じられなかったのだから…

 

「…ね、ねぇ、夏海。これって高梨くんのことがバレたってことだよね? でも結婚って?」


 土曜日のことを知らない悠里も、この展開には少し困惑気味な様子を見せている。耳打ちされるような小声での問いかけに私は答えず、沙羅の返答を待つことにした…


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


解説役は、夏海先輩にお任せしましたw

次回はもちろんこの続きです。

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