第255話 高梨家に居る女神様
日曜日
今日は待ちに待った新しい家具が届く日だ。
少し前に業者から連絡があり、あと三十分程で到着するという話だった。なので今は、それを待ちながら軽く荷物整理をしているところだ。普段は俺を家事に参加させてくれない沙羅さんも、今日ばかりは手を出すことを黙認してくれている。もっとも、前日までに殆どの作業を沙羅さんが終わらせてしまったので、実はやることがほぼ残っていないというのが正直なところだ。
そして俺が今悩んでいるのは、今まで使っていたベッドを処分するのか、それともどこかに片付けるのか、どう処理するのかということ。折り畳みなのでそこまで場所を取る訳ではないが、新しく買ったダブルの布団には当然使えない。そう考えると、実質的に使う可能性は無いに等しいだろう。
でも…
「沙羅さん、このベッドなんですけど、捨てるの勿体ないですかね?」
近所のリサイクルショップで買った安物とはいえ、まだ普通に使える物であることに変わりはない。だから勿体ないとも思う気持ちもあるし、ひょっとしたら何かの機会に使う可能性があるかもしれない。そう考えると、残しておいた方がいいのでは…とも思ってしまうのだ。
「私がこのお家に来てからは使用しておりませんので、無くても困らないのではないでしょうか? それに多少なりとも場所を取りますので、処分をした方がよいと私は思いますよ?」
沙羅さんは決定権を俺に委ねてくれているが、実質的に結論は出たようなものだ。
どちらにしても、我が家で実際に家事をしているのは沙羅さんなので、その邪魔になるのであれば処分をした方がいいだろう。
「そうですね、これは処分しますよ。」
「はい。その代わり、いつかお引っ越しをしたらダブルベッドを購入しましょうね♪」
「そ、そうですね。」
二人で一緒に寝ることに拘る沙羅さんとしては、やはりダブルベッドが欲しいというのが本音なんだろう。
もちろん先日買い物をしたときに、布団をダブルにするならベッドも…という話しにはなった。ただ、今の家は決して広くないので、大きい物を常設したら色々と困るだろうということで諦めたのだ。その結果、選択肢から外すことになり予算が少し浮いたので、沙羅さんのオーブンに回せたということだ。それ自体は結果オーライだと俺は思っている。
ピンポーン
そうこうしている内に、滅多に鳴らない我が家のチャイムが久し振りに役目を果たしてくれた。来客の予定は勿論ないので、時間的にも恐らくは配送業者が到着したのだろう。
「こんにちは。家具のお届けに参りました~」
「は~い」
こちらから相手を確認するまでもなく、ドアの向こう側にいる人が先に声をかけてくれた。こちらからも返事をしつつ、用意してあった軍手を持ってドアを開けると…そこには声から想像できないマッチョな男性が立っていた。
「お疲れ様です。」
少しだけ驚いたが、平静を装い挨拶をしながら外へ出ると、助手席からもう一人が降りてきているところだった。そちらも見た目からして筋肉質であることが伺えて、なかなかパワフル系な二人組のようだ。
「お待たせしました~。お部屋までこちらで運びますので、場所の指示をお願いします。」
実はお店で配送を依頼したときに、作業をどこまで対応してくれるのか確認することを忘れていた。沙羅さんに力仕事をさせたくなかったので、こちらから運び込みの手伝いをお願いしようと考えていた。だから正直ありがたい。
「ありがとうございます! それじゃ早速部屋の方へ」
「はい、それで………は…」
トラックの荷台へ向かおうとした二人は、何故か俺の背後を見ながら驚いたように固まってしまった。
何があるのかと思い振り返ってみると、そこには丁度家から出てきて、こちらへ向かって歩いてくる沙羅さんの姿があるだけだ。
「沙羅さん、業者さんが運び込みしてくれるみたいです。俺はこのまま手伝いますから、部屋で置き場所の指示をして下さい。」
「そうでしたか。ありがとうございます、助かります。」
二人はどこか呆けたようにポーっと沙羅さんを眺めていたのだが、お礼を言われながらお辞儀をされたことで、恐縮したように慌ててブルブルと顔を振り始めた。
そしてそのまま部屋へ戻っていく沙羅さんを見送っているのだが、まだ驚きを隠せない様子だった。
「え…と、彼女さんですか?」
「はい。そうですけど。」
正確には婚約者だけど、別に知り合いでも何でもない人にそこまで言う必要はないだろう。
「…ひょっとしてアイドルとかモデルさんみたいな…」
「いえ、そういうことは別にしてないですよ。」
沙羅さんの容姿で驚かれることは別に珍しいことではない。芸能活動のようなことをしていても、何ら不思議はないと俺も思っているのだ。だから初対面の人がそう考えても仕方ないだろう。
「はぁ…お兄さん羨ましいですねぇ。」
「いや、あんな彼女さんいたら…っとすみません。運び込み始めますね。」
「はい、宜しくお願いします。」
何かを言いかけたようだが、話を途中で切り上げると表情を引き締めて荷台へ飛び乗った。タンス、布団と、次々に下ろしては手早く運んでいく。俺もその邪魔にならないように小物の箱を運んでいたのだが、二往復ほどしたところでいきなり後ろから声をかけられてしまった。
「よう高梨!!」
背後からなので姿は確認していないが、声の主が山川だということは直ぐにわかった。振り返ってみると、いつもの三人組がこちらを眺めながら突っ立っている姿が確認できた。
「ひょっとして、ここへ引っ越してきたのか?」
「いや、最初からここに住んでたぞ。」
「そうなのか? なんだ、案外ご近所さんだったんだな。」
そう言われたという事は、川村の家が近所にあるということだろう。今までこの近辺でクラスメイトに出会ったことはないが、別に不思議な話という訳でもないからな。
「そこを通りかかったら、たまたま高梨が部屋から出てくるの見えたからさ。」
「引っ越しでもしてるのかと思ったぜ。何なら手伝うぞ?」
「いや、配送の人が運んでくれてるから大丈夫だ。ありがとな。」
どうやら三人は、単に親切心で俺に声をかけてくれたらしい。気持ちは勿論ありがたいが、運び込み作業はそろそろ終わってしまうだろうし、家の中の作業については手伝って貰うようなことがない。だからやんわりと断っておいた。
「なぁ高梨……せっかく休みの日に会えたからさ、良かったら少しでいいから話をさせてくれないか?」
山川に限って言えば、声をかけてきた本命の理由はそちらのようだ。いつもは陽気な山川なのに、こうも神妙な様子を見せられてしまうと調子が狂ってしまう。
それだけ真面目な話…相談だろうということは勿論わかるし、十中八九、それが花子さんに関する話だろうということも想像できる。
とは言え、花子さんのそういう方面に関しては、余計なことや勝手なことをしないと俺自身で決めているのだ。だから正直なところ、話そのものに気が進まないというのが本音だった。
「お話中すみません、作業が終わりましたので。」
俺が山川達と話をしている間に、運び込みの作業が全て終わってしまったようだ。業者さんが伝票とボールペンを持ってきたので、それに俺のサインを書いて戻す。
「お買い上げ誠にありがとうございました。では失礼します。」
「ありがとうございました。お疲れ様でした。」
あまり手伝えなかったので、お詫びの意味も込めて俺の方から丁寧にお礼を伝えておく。二人はそれに会釈で答えながら、颯爽とトラックに乗り込んだ。荷台には他にも荷物が残っているので、まだこの後も別の家に行くのだろう。出発したトラックを見送ると、その場にポツンと残された男四人でお互いを見合ってしまった。
さて、どうしようか…
内容さておき、山川が真剣であることは間違いなさそうなので、話くらいは聞いてあげたいと思う。だが家の中は今から作業があり、沙羅さんの邪魔になってしまう可能性が高いだろう。となれば、コンビニか公園辺りに移動するのが一番いいのかもしれない。
「高梨、そんなには時間を取らせないから、良かったらこのままお前のい………」
俺の家で…と言おうとしたことは直ぐにわかった。三人は俺が一人暮らしをしていることを知っているので、そう言われるだろうとは思っていたのだ。
でも山川は、最後までそれを言わずに家の方を見ながら固まってしまった。そしてそれに釣られたかのように、後の二人も同じように固まっている。三人共に目を丸くして、全く同じように何かを見ながら驚いているようだ。
先程と似たよう状況なので予想はついているが、それでも自分の部屋を確認すると…やはり沙羅さんが顔を出して、こちらの様子を伺っているところだった。
「一成さん、どうかなさいましたか?」
沙羅さんがこちらへやってくると、三人は恐怖を感じたかのように少し後退る動きを見せた。どこか緊張したような面持ちで、ひょっとしなくても怖がっているのだろうか?
沙羅さんは当然この三人を知らないので、少し紹介をしておいた方がいいだろう。
「沙羅さん、この三人は俺と同じクラスの友人です。」
俺が三人を友達だと紹介すると、沙羅さんは少し表情を緩めてから、流れるような動きの会釈を見せた。
「そうでしたか。挨拶が遅くなり申し訳ございません。一成さんがいつもお世話になっております。」
何となくそれを言うような気がしていたが、やはり今回の挨拶も「俺がお世話になっている」という文言になったようだ。だが以前とは違い今は婚約までしているのだから、そういう挨拶でも違和感はない…のかもしれない。
「な……な……あ……」
「う…ぉ……ま、マジ……か…」
「さ…さ……薩川…先輩…」
かなり驚いているのは一目瞭然だが、俺と沙羅さんの関係については、昨日の一件を教室で見て知っている筈だ。
それなのに、まるで沙羅さんがここにいることが信じられないと言わんばかりに、三人揃って驚愕の表情を浮かべて固まってしまっている。
「…? どうかしましたか?」
そんな三人の様子を見ながら、沙羅さんは不思議そうに首を傾げていた…
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我が家には人数分のイスがないので、畳の上に座布団を敷いて全員に座って貰うことになった。先程運び込まれた荷物が片付いている訳ではないのだが、大物は既に予定通りの場所に配置済みのようだ。だから邪魔にはなっていなかった。
本当は三人を連れて公園かどこかに移動しようと考えていたのだが、沙羅さんから
「このまま立ち話も何ですから、ご友人に上がって頂きますか?」
という打診があったので、お言葉に甘えて家に招くことにしたのだ。
恐縮しきりの三人は座布団を出されると、何故か背筋を伸ばして正座を始めてしまった。そして借りてきた猫のように大人しくしながら、台所でお茶の準備をしている沙羅さんを呆然と眺めていた。
「な、なぁ…高梨…」
「なんだ?」
「あれ…さ、薩川先輩だよな?」
「そうだけど?」
「何で…お前の家に居るんだ?」
「何でって…昨日教室で見ただろ?」
「「「…………」」」
目の前のことが信じられないとばかりに、三人は呆然と沙羅さんを眺めていた。
たが昨日の様子を見る限り、特に山川はそこまで驚いていなかった筈なのだが…
「いや、昨日は花崎さんが、お前の恋人じゃなかったってところに気を取られてた…」
「俺は…改めてこれが現実だと気付かされた…」
「同じく…」
成る程。
山川は花子さんのことを考えていたせいで、俺と沙羅さんに関する部分が薄くなっていたようだ。そして二人は、昨日の出来事に現実味を感じていなかったということなんだろう。だから今、こうして俺の家に沙羅さんが居る姿を見ることで、ハッキリ昨日のことが現実だと認識できて来たというところか…
「…まだ…信じらんねぇ…」
「…あの薩川先輩が…高梨の家に…」
現実だとわかった筈なのに、それでもまだ驚きが抜けないらしい。うわ言のように、同じ事を繰り返し呟いている。
「いや、いい加減認めろよ。」
三人に悪気がないということは勿論分かっているが、あまりにも否定的なことを言われるといい気がしないことも確かだ。なので思わず嗜めるように言ってしまったのだが、三人は少しばつが悪そうにしながら謝罪の言葉を口にした。
「すまん、そういうつもりじゃないんだ。単純に、薩川先輩がここに居ることが信じられなくてさ」
「…俺もだ。いや…だってさ、あの薩川先輩だぞ!? 女神様だぞ!? それがダチの家でお茶を淹れてるって…」
「高梨には悪いけどさ…やっぱ昨日の話も、これも、マジなんだよな…女神様が…嘘みたいだ…」
俺がどうこうと言うより、単に沙羅さんが誰かと恋人になったという事実そのものが信じられないという感じのようだ。
三人が沙羅さんをどういう風に見ていたのかよくわかるリアクションだったが、或いは他の奴らも共通でそんな感じなのかもしれない。俺に好意的なこいつらでさえこうなのだから、他の奴らはもっと信じられない気持ちを持っている可能性は十分にあるだろう…
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