第254話 婚約者

 現在、真由美さんは独壇場だと言わんばかりに、俺に対する絶賛を繰り返して熱弁してくれていた。そもそも何でこんな状況になったのかというと…


「一成が迷惑をかけていませんか?」


 というオカンの一言がきっかけだった。

 そこから真由美さんが怒濤の如く話を繰り広げ始め、しかも沙羅さんがそれに乗ってしまったことで勢いが助長されてしまったようだ。アルバイトの件については、オカンは全く知らない(俺が言ってない)話であり、そして修学旅行中だった沙羅さんもそこまで詳しく知らない話だ。だからこそ真由美さんは余計に張り切っているらしい。


「掛け持ちで疲れているのは明らかだったのに、全く手を抜かないで真面目にお仕事をしていたんですよ。身体は辛そうで、しかも手に怪我までしているのに…それなのに沙羅ちゃんに喜んで欲しいからって必死でお仕事をして…もうそんな姿がいじらしくて、可愛くて…」


 そして真由美さんは、まるで悶えるようにくねくねしながら俺のことを力説してくれていた。何故そんな様子になっているのか不思議なんだが…とりあえず、俺のことを本当に褒めてくれているのだということは良く分かる。


「へぇ…一成にそんな甲斐性があるなんて、私は初めて知りましたよ」


「お義母様、一成さんは男性としての拘りをしっかりとお持ちになっている方ですよ。私は何度もそのお姿を拝見しておりますし、何度そのお姿に惚れ直したことか…」


 沙羅さんは、俺のアルバイト話を前のめりに聞き入っていたので、そのせいなのか少し気持ちが高ぶっている様子だった。


「うーん、そう言ってくれるのは親として私も嬉しいけど、現実、沙羅ちゃんに甘えきってるからねぇ」


「いえ、私としましては寧ろそれでいいと思っております。一成さんは、要所で必ず男性としての頼もしいお姿を私に見せて下さいますから。だからこそ、普段は私に思いきり甘えて頂きたいのです。それに…」


「それに?」


「一成さんが甘えて下さると、本当に可愛いらしくて…私も幸せなんです…」


 沙羅さんは俺の目を見ながらそんなことを言うと、少し朱い顔のまま幸せそうに微笑んでくれた。

 沙羅さんの気持ちも真由美さんに褒められたことも、俺としてはもちろん嬉しいことだ。でも今日は散々褒められている上に、最愛の人からこんな風に見つめられて、照れを感じない男などいないだろう。


「一成さん、お顔が真っ赤ですよ?」


「いや、流石にこれは…」


「ふふ…可愛いです♪」


 沙羅さんは(真由美さんも)俺のことをよく可愛いと言ってくれるのだが、正直男として可愛いと言われることは微妙かもしれない。ただ俺個人としては、嬉しいと感じてしまう部分もあったりする訳で…


「そう言えば…一成くん、あのときの怪我はどうなったの?」


 真由美さんが不意に思い出したかのように、俺の右手を気にし始めた。あれは傷痕がまだハッキリ残っているものの、今はもう痛みも全く感じていない。硬くなっているだけで、既に治ったようなものだろう。

このまま完全に治るのかどうかは分からないが、あれは俺にとって沙羅さんの為に初めて働いた勲章のような物だ。だから一生残ってしまったとしても、何ら問題はないと考えている。


「大丈夫ですよ。痛みも全くないですし」


「一成さん、右手を見せて頂けますか?」


 沙羅さんはそう言いながら、テーブルの上にあった俺の右手を両手で優しく包み込んでくれた。そのまま自分の見やすい位置まで引き寄せて、軽く握られた俺の手を指でそっと広げてくる。そして沙羅さんはそれを見ながら、状態を確認するかように指で痕をゆっくりとなぞり始めた。

 実は少しくすぐったい…


「沙羅ちゃん、どう?」


「かなり治っているとは思います。ただ、痕がしっかり残ってしまって…」


 沙羅さんはあの日以降、俺の右手を毎日のように手当てしてくれた。もう大丈夫だと言ってもなかなか止めようとせず、俺が何をするにも平気になったと確認したことで、やっと安心してくれたのだ。

 今回久し振りにこれを見たせいで、当時の気持ちを思い出してしまったのかもしれない。


「沙羅さん、前も言いましたけど、この傷痕は…」


「はい、わかっております。一成さんの大切な誇りに、いつまでも無粋な気持ちを持つような真似は致しません。ただ一つだけ…私はこの傷痕も愛しいのです。これは、一成さんが私のことを想って下さったことの証なんですから…」


 沙羅さんは俺の気持ちをしっかりと汲んでくれているようだ。気にしていると感じたのは俺の思い違いだったのかもしれない。

 愛しむように、慈しむように、何度も傷痕を撫でてから、そのまま俺の手に顔を寄せてくる。


 ちゅ…


 何をするのか見守っていると、そのまま傷痕へ優しくキスをしてくれた。手のひらへのキスはこそばゆくて、思わず少し身動ぎしてしまう沙羅さんはそんな俺の様子を見て微笑みを浮かべたが、まだ止めるつもりはないらしい。


ちゅ…


ちゅ…


 二度、三度と、少しずつ場所をずらしながら、愛しそうにキスを繰り返してくれる。

 嬉しくはあるが、恥ずかしさとこそばゆさでそろそろ限界かもしれない。


「さ、沙羅さん!」


「…くすぐったいのですか?」


「え? ええ…ちょっと。あと、その…」


「ふふ…では、最後にもう一度だけ…」


 ちゅ…


 手のひらに感じる柔らかく温かい感触。最後だからなのか、今回のキスは今までよりも少し長めだった。そして、名残惜しそうに顔を離した沙羅さんの切なそうな表情が見えて、俺のドキドキが一気に加速してしまう。


 …俺はこの後、右手をどうすればいいのだろうか


「申し訳ございません。傷痕を見ている内に…つい」


 沙羅さんは少しだけ照れ臭そうに俺の目を見つめながら、それでも右手を触ること自体はまだ続けていた。丁寧に指で撫でてみたり、フニフニと押したり…どこか遊んでいるようにも見える。


「……ぁ…ぇ」

「…な…な…」

「…………」


「…ひぇぇぇ…」

「…なに…今の…」

「…ちょ…」


「ま、真由美さん…生徒会室でも他の子から聞いたけど、この子達っていつもこうなの?」


「んふふ~、そうですねぇ。誰に似たのか、沙羅ちゃんが凄く積極的なんですよね。私もびっくりしてます」


 口ではびっくりしたと言いつつも、真由美さんは驚き自体を全く感じていない様子だ。明らかに面白がっているようで、ニヤニヤと笑いながらこちらを眺めている。

そしてそんな真由美さんとは対称的に、目の前で何が起きたのか理解できない様子のオカン。唖然とした表情でこちらを呆然と眺めているようだった…


--------------------------------------------------------------------------------


「お待たせしました~」


 オーダーした料理が運ばれてくると、ここまで続いていた会話が一旦中断される形になってくれた。俺を褒めるような話題が続いていたので、何気に助かったというのが本音だ。いい加減反応に困っていたので、せめてもう少し程々にして貰いたい…


 食事が始まってからは、一転して世間話や近況など当たり障りのない話題で会話が弾んでいた。俺と沙羅さんも適時会話に参加しながら、終始和やかな雰囲気で食事を楽しむことが出来たと思う。


 そして…

 親同士がまたしても息子&娘に対する会話を繰り広げ始めたので、俺はそれに関わらず目の前のケーキに手を伸ばすことに決めた。

 沙羅さんも俺と同じように、自身のケーキへ手を伸ばして丁寧に一口サイズに切り分けていた。

 特に理由はなかったのだが、ついついその様子を眺めていると、不意に視線を上げた沙羅さんとバッチリ目があってしまう。一瞬キョトンとした表情で俺を見たものの、直ぐに柔らかい笑顔を浮かべて俺の方へフォークを差し出してきた。


「はい、一成さん、あーん」


ぱくっ…


うん、美味しい


「「「 !!!!???? 」」」


 ?

 一瞬店内がざわついたような気がしたが…?


 それはともかく、俺はケーキが欲しくて沙羅さんを見ていた訳ではないのだが、どうやら勘違いさせてしまったようだ。

 沙羅さんは俺がもぐもぐしている姿を楽しそうに眺めているが、結果的に沙羅さんのケーキを減らしてしまうことになったのが申し訳ない。

 後で俺のケーキも沙羅さんに少し食べて貰うことにしよう。


「ふふ…動かないで下さいね」


 ケーキを飲み込んだところで、沙羅さんは紙ナプキンを手に取ると俺の口周りを優しく拭き始めた。ケーキに乗っていたクリームでもついてしまったのだろうか?

 何故か顔も近付けて、凄く丁寧に拭いてくれている。


「…ぐぉぉぉぉぉ」

「…な、な、な、な…」

「………」


「…あ~あ…さっきのキスもあるし、薩川さん確定だわ。」

「…すっごい嬉しそうに世話焼いてるし…」

「…あそこの連中、全員テーブルに突っ伏してるよ…」


「沙羅さん…あの…」


「あ、まだ動いてはいけませんよ」


 かなり拭いて貰ったと思うのだが、それでもまだ残っているようだ。ひょっとしたらケーキだけでなく、食事の跡まで残っていたりするのだろうか?


「あんた…本当に手が焼けるというか、沙羅ちゃんにどこまでやらせるつもりなの?」


 オカンは真由美さんとの話に集中していた筈なのだが、いつの間にかこちらの様子を伺っていたらしい。顔をしかめて、やれやれとばかりに俺を睨んでいた。


「いや、俺はそんなつも…」


「一成さん、めっ」


 オカンに話しかけられて咄嗟に動いてしまったのだが、すかさず沙羅さんから「めっ」をされてしまった。


「す、すみません…」


「ふふ…もう少しで終わりますから、いい子にしていて下さいね♪」


 オカンや真由美さんだけでなく、何故か周囲からも突き刺さるような視線を受けているような気がする。俺としても正直恥ずかしいのだが、沙羅さんは全く気にしていないのかいつも通りにご機嫌な様子だった。


「はい、終わりましたよ」


「ごめんね沙羅ちゃん、迷惑ばっかりかける息子で…」


「お義母様、これは私の楽しみでもありますので、迷惑だなんて思っておりません。一成さんのお世話は私に全てお任せ下さい。」


「はぁ…あんた、沙羅ちゃんを本当に大切にしなさいよ」


「そんなこと言われなくてもわかってるよ」


「大丈夫ですよ冬美さん。一成くんは、沙羅ちゃんを大切にしてくれていますから。ね、一成くん?」


「は、はい?」


 真由美さんの言う「大切」という言葉に、何か他のニュアンスも感じるような気もしたが…

 沙羅さんを大切にするなんて、誰かに言われるまでもなく当たり前のことだ。それは俺にとって何よりも優先されることであり、これからも絶対に忘れることのない決意でもあるのだから…


--------------------------------------------------------------------------------


「では、そろそろ本題に入りましょうか」


 食事も話題も全て一段落したところで、真由美さんがそれまでの様子を一変させて表情を引き締めた。いよいよ婚約に関する話をするつもりなのだろう。


「詳細については、顔合わせの席で主人の方から改めてお話をさせて頂きますが…まず私共としましては、将来を見据えて是非とも一成くんを養子に迎えさせて頂きたいのです」


「ええ。その話は先日伺いました。事情があると聞いていますけど。」


「はい。こちらの会社に関する事情もありますので、この点については顔合わせの際に併せて説明をさせて頂きます。かなり込み入ったお話になりますので…」


「なるほど。なら詳しい話はそのときに聞かせて下さい。ただ、どちらにしてもこの話については、一成に任せることで亭主と話がついています。本人の人生ですから、一成が決めたことであれば私達は反対するつもりはありません。正直、ウチのバカ息子に沙羅ちゃんは勿体なさ過ぎるとは思いますけど、親としては感謝しかありませんよ」


 話の内容が内容なので、オカンも普段の気楽な雰囲気を消して、かなり真面目に真由美さんと話をしていた。正直に言うと、こんなオカンを見るのは俺でも珍しいことだと思う。


「ありがとうございます。それでは、このお話につきましては内定という形で宜しいでしょうか?」


「ええ。私共の方も問題はありません。頼りない息子ではありますが、宜しくお願い致します」


 そしてオカンのこの発言によって、つまりは俺と沙羅さんの婚約が正式に認められたと考えてもいいのだろう。


 「婚約者」…ネットで少し調べてみたが、要は結婚の約束をした二人というだけで、特に届けなども無い言わば口約束のような面もあるとされていた。

 とは言え、もちろん形として婚約を表す物は存在する訳で…今の俺が用意できる物など大したものではないだろう。でもそれは、沙羅さんにとっての御守りになってくれる可能性もある訳で、こうして確定したからには何としても用意したい。そして、しっかりとしたものは将来改めて用意すればいいと思う。

 後は計画通りにミスコンで…


「申し訳ございません、私の方から少しだけお話をさせて頂きたいのですが、その前に一成さんのお隣へ席を移動させて頂いても宜しいでしょうか?」


 沙羅さんは親同士の会話を真剣に聞き入っていたのだが、オカンの発言を受けて席移動を求め始めた。そんな沙羅さんの様子に何かを感じたのか、今回は真由美さんも茶化したりせず大人しく席移動に応じてくれるようだ。

 その後、俺の右隣に沙羅さん、正面にオカンと真由美さんという形になったところで、沙羅さんはオカンを真っ直ぐに見据えながら深々と頭を下げた。


「お義母様、一成さんの婚約者として私をお認め頂き、誠にありがとうございます。正式なご挨拶はお義父様もいらっしゃる席とさせて頂きますが、心より感謝申し上げます。これまでも、そしてこれからも、将来、一成さんの妻になる者として…」


「「「 ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!! 」」」


「恥ずかしくない女となるように精進して参ります。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します」


 もしここが家であれば、それこそ正座で三つ指をついているのではないとかと思えるくらいに…今の沙羅さんからは真摯で畏まった様子が伺えた。


「…妻!!!!???」

「…け…け…結婚…ってことだよね…」

「…ね、ねぇ、こ、これ学校で言っていいのかな…凄くヤバい話なんじゃ…」

「…かもねぇ…そこにいた連中、ショックで帰っちゃったし」


「あはは、沙羅ちゃんは真面目だねぇ。まさか自分の人生で、そんな台詞を言われる日が来るなんて思ってもみなかったよ。改めて、こちらこそ宜しくね」


「はい! 宜しくお願い致します…お義母様」


 挨拶が終わり、どこかホッとしたように肩の力を抜いた沙羅さん。俺がお疲れ様とばかりに頭を撫でてみると、嬉しそうに腕を絡めながらゆっくりと身体を預けてくれた。

 これで今日の話し合いの目的は全て達成できたのだろう。お互いの親から許可を得て、沙羅さんも無事に挨拶を終わらせた。


 だからここから先は、俺が頑張る番だ。


 進路は政臣さんとの約束を守り、私生活では真由美さんとの約束を守る。

そして全てを達成できたときに、俺と沙羅さんは次のステップに進むのだろう。


 でもまずは…ミスコンを…

 沙羅さんの為に。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


すみません、お待たせしております…


父母参観編は、これで終了となります。

次回は先日買い込んだ家具の搬入と、新しいお布団でイチャイチャ?w

そして月曜日は・・・沙羅の教室で・・・??

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る