第244話 丸くなった女神様

今朝のHRは、主には今度の土曜日に行われる父母参観についての確認だった。

三時限目~四時限目が参観の対象授業となっていて、どの程度の保護者が来るのかは現時点では未定とのことだ。でもこの学校の通例として、それなりの人数が集まる可能性は高いだろうとのことなので、ウチの親だけがポツンと浮いてしまうような事態は避けられそうである。というのも、一般的に高校の授業参観はあまり保護者が集まらないという話を聞いたことがあるからだ。なのでそういう意味では、この学校は少し珍しいのかもしれない。


「あー、来て欲しくねー」

「俺もだ…今からでも欠席してくれないかなぁ」


ぼやいている奴らの話を聞いていると、男子は比較的嫌がる奴が多いようだ。

女子はそうでも無さそうだが…

かく言う俺も、どちらかと言えば来て欲しくないと思っている派だというのが本音だったりする。でも沙羅さんが父母参観を楽しみにしていることは知っているので、やはり最終的には容認派になるのだ。


「一成のお母さんは来るんだよね?」


「来るよ。というか、諸々の事情もあって来て貰うしか道はない。」


「…道? 何それ?」


「いや、沙羅さんがウチのオカンと会うのを楽しみに…」


俺が微妙な言い回しを不思議そうに聞いていた花子さんは、何か面白いことがあったのか突然クスクスと笑い始めた。

今の流れで、どの辺りに笑いの要素があったのだろうか?


「一成は、お母さんのことをオカンって呼んでるの?」


「へ? あぁ、そうだけど。」


「そう…。男の子だね。可愛い」


…可愛い?

どうやら花子さんのツボは、俺が母親のことを「オカン」と呼んだことだったらしい。俺はいつもそう呼んでるので、もちろん特に違和感など感じたことはない。もし俺が「ママ」などと呼べば笑われるのだろうけど、男としては「オカン」は比較的メジャーな呼び方だと思う。


「あー、俺もオカンが来るんだよなぁ」

「オカンが来るの恥ずかしいんだよなぁ」


「私もお母さんが来るけど、一成のお母さんが来るなら挨拶したいって言ってた。だから聞いてきてくれって。」


「「………」」


母親同士の挨拶は勿論あって当然だろう。

それが「お世話になってます」的な、ごく一般的な普通の挨拶であれば全く問題ないと思う。でも花子さんのお母さんとは少し込み入った話をした経緯もあって、若干の不安要素を感じる部分があるのだ。もし万が一、姉弟がどうのという話になってしまえば、後で俺が面倒なことになるのは火を見るより明らかであり、家に帰ってからオカンに締め上げられて詳細を白状させられる未来しか見えない…


……だ、大丈夫だよな?


「は、花崎さんも、お母さんが来るのか?」


いつの間に近くへ来ていたのか、山川が俺達の会話に混ざってきた。相変わらず妙な緊張感を漂わせているので、花子さんのことをかなり意識しているとことが一目瞭然すぎる。なので、不謹慎だけど見ていてちょっと面白い。


「来るけど、それがどうかした?」


「い、いや、単に興味があるっていうか」


「?」


最近は山川も落ち着いたと思っていたが、やはり単独で話しかけると緊張してしまうらしい。普段、俺達と話をしているときの陽気さや気楽さが、全くと言っていいほど消えてしまっているようだ。


「はぁ…あいつは本当に煮え切らないな。」


「さっさと玉砕して気持ちを切り替えればいいだろうに。」


どうやら川村と田中も来ていたらしい。

今の話を聞くに、この二人は山川が完全に玉砕することを前提で考えているようだ。それはそれで少し可哀想な気もするが…とは言うものの、花子さんの様子を見ている限り、やはり無理だろうと俺も思ってしまう。


「い、いや、何でもない! あ、ところで、高梨のことを最近名前で…」


「…? 一成は特別。さっきから何が言いたいの?」


山川のハッキリしない態度に苛つきを覚えたようで、とうとう花子さんの口調に刺刺しいものが混じってしまった。

そんな態度を見せられたからなのか、山川は分かりやすいくらいハッキリと肩を落としている。


「試合終了だな。」


「と言うか、花崎さんには高梨がいるのに、まだ諦められないのか?」


「そのことに俺は関係ないだろ?」


何故そこで、花子さんの彼氏でも恋人でもない俺の名前が出るのだろうか?

俺は親友として、花子さんの心の傷を知っている者として、相応しい相手が現れて欲しいと願っているのは事実だ。そして山川が本気であるのなら、それに対して無粋な口を挟むつもりもない。

但し、花子さんが迷惑だと感じるようなら誰であろうとも話は別になるが。


「そ、そうだな。確かに、これはあいつの気持ちの問題だからな…うん」


「俺達の方でも、山川を説得した方がいいかもしれないな…」


二人はそれだけ言うと、ガッカリしている山川の背中を押しながら、自分たちの席へ戻っていくのだった。


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次の授業は、俺の嫌いな体育だ。


この学校は、基本的に男子と女子はそれぞれ別の場所に分かれて授業を行うことになっており、その代わりに二つのクラスが合同で体育を行う方式になっている。

今日は女子が体育館を使うということが最初から決まっていたので、俺達は当然グラウンドで授業と行うことになっていた。


そしてそこから考えられる授業内容だが…球技ならもちろん大歓迎だ。サッカーなどは授業としても楽しめるものであり、それなら俺としてもありがたい。でも最悪なのはマラソンなどになった場合だ。そちらは本気で勘弁して欲しいと思う。


着替えを済ませた俺達がグラウンドに出ると、同じようなタイミングで合同体育を行うクラスの連中が校舎から現れた。ちょうど鉢合わせするような形になったのだが、その中の一人がひょいと集団から抜け出して、そのまま俺の方へ小走りで駆けてくる。もちろんそれは速人だった。


「一成、何かあったのかい?」


速人は俺の顔を見ながら何かに気付いたらしい。開口一番でそんなことを聞いてきた。勿論心当たりはあるので、ひょっとしたらそれが顔にまで出ていたのかもしれない。


「いや、今日はグラウンドだから、嫌な授業じゃなきゃいいなって思ってさ。」


別に隠すようなことでもないのでそのまま本音で答えると、速人は納得したように少し笑いながら頷いていた。


「相変わらず一成は体育が嫌いだね。」


「嫌いというか、苦手なだけだ。速人は運動部だから慣れているだろうけどさ。」


これまでもずっと一緒に体育をやってきたので、速人がテニス以外でも運動全般が得だという事は既に分かっていることだ。他の連中と比べてたとしても、それが断トツなのは明らかであり、オマケで言うと俺に至っては比ぶべくもない。


「まぁ確かに、部活の運動に比べたら簡単だとは思ってるけどね。一成さえ良ければ、放課後にウチの部活で一緒に運動するかい?」


「いやいや、俺は生徒会があるから無理だ。無くても無理だけど。」


「それは残念。でも、興味があったらいつでもいいから。」


速人がこれを本気で言ってくれているということは、勿論俺だってわかっているのだ。以前もテニス部に誘われたことがあるが、親友がこうして好意的に誘ってくれるというのは普通に嬉しいことだと思う。でも残念ながら、俺は運動部だけはノーセンキューの人間なんだよ。


「お、おい、あれこっち見てるぞ」

「マ、マジかよ、ヤベー、気合い入ってきた!」

「バカ、お前なんか見ちゃいねーよ」

「お前だって眼中ないに決まってるだろうが!!」


速人と話をしてると、周囲の連中が突然何かを見つけたように騒ぎ始めた。どうやら騒いでる連中は校舎の方を見ているらしい。その内に段々と騒ぎが広がっていくので、流石に原因が気になった俺は、同じように校舎の方へ目を向けてみた。


「一成…あれ。」


先に騒ぎの原因を見つけたのは速人だった。校舎の三階辺りを指差しているので、俺もその指先を追うように目線をそちらへ向けてみる。どうやら騒ぎの原因は、音楽室や家庭科室のあるエリアにあるらしい。なのでその辺りを集中的に見てみると、何の教室なのかはわからないが、窓際からこちらを見ている女性らしき影が数人いることに気付いた。


「あっ」


その数人の中に、一際存在感を放つ女性が紛れているのは直ぐにわかった。例え遠目であろうとも見間違えることなど絶対にあり得ない。それは俺の愛しの女神様だからだ。沙羅さんは真っ直ぐにこちらを見ていたようで、俺が視線を向けたことを直ぐに気付いてくれた。溢れるような笑顔を浮かべて、こちらに向けて小さく手を振ってくれる。


「…うわ…薩川先輩の笑ってる姿なんて初めて見たわ」

「…最近、薩川先輩が丸くなったって話、本当なんだな」

「…あ、それ、俺も聞いたわ。」

「…マジか!? やべ、ワンチャンあり?」

「…はぁ…あんな人が彼女になってくれたら死んでもいいわ。」


沙羅さんは俺に何かを伝えようとしてくれているようで、ゆっくりと大きく口を開けながら、一言ずつ何かを表現してくれている。


が…ん…ば……あ………?


完全には読み取れなかったけれど、分からなかった部分を脳内で補完してみると「頑張れ」と言っているのでないだろうか?。

一応は分かったということで、それをアピールする為に俺の方からも手を振り返してみた。沙羅さんの方もそれを見て、意思が通じたことを喜んでくれてるかのように、今度は両手で振り返してくれた。


「…な、なぁ、あれって…もしかして…」

「…俺もそう見えるわ…どういう…」

「…いやいや、同じ生徒会だからだろ?」

「…そ、そうだよな。深い意味はないよな?」


「「「…………」」」


「よーし、準備体操するから集まれ!!」


俺は遠距離コミュニケーションに夢中で、先生がグラウンドに来ていたことに気付いていなかった。

まだチャイムが鳴っていないから、もう少し時間はある筈なんだが…

とは言え、先生が早くも集合の合図を出し始めた以上、残念だけど沙羅さんとのやり取りもここまでにするしかないだろう。これで最後だと言わんばかりに、思い切って大きく手を振ってみた。すると沙羅さんは、握った両手を胸の辺りに持ち上げて、可愛らしくファイティングポーズのような仕草を見せてくれた。これもきっと「頑張って下さい!」と言ってるのだろう。そのあまりにも可愛らしい仕草は破壊力が高すぎて、俺は悶え死にそうになる自分を押し止めるのに必死だった。


「お前ら、どこを見てるんだ!」


先生の怒鳴り声は、俺に対してだけではなかったようだ。周りを見ると、俺と同じように校舎の上階を見ながら惚けている連中が何人もいた。

ほぼ間違いなく沙羅さんに見惚れていたのだろうが、あれは俺とやり取りをしていただけで、お前らには関係ないんだとぶっちゃけてしまいたい衝動に駆られてしまう。

勿論この場でそんなことはしないけれど…やっぱりこれは…


………………

…………

……


「はぁ…はぁ…」


沙羅さんからの応援で、せっかくやる気をフルチャージして貰えたのに…

嫌な予感ほどよく当たるというもので、俺を待っていた今日の授業内容は、考えうる限りの中で最悪のパターンだった。天国から地獄に落ちるというのは正にこのことだと思わずにはいられない。あまりの落差に、現実はこうしてバランスが取れているのだと無情すら感じてしまう。


という訳で、今日の体育は比喩にすらならない正真正銘の地獄、持久走だった。


しかも面倒なことに、只でさえ余裕がないこの状況の中で、何故か嫌がらせのように話しかけてくる連中がいるのだ


「はぁ…はぁ…な、なぁ、高梨、最近薩川先輩が人当たり良くなったって聞いたんだけど」


「はぁ…はぁ…生徒会の方はどうなんだ?」


「はぁ…はぁ…確かに、そうかもしれないけど、それがどうかしたか?」


「…やっぱマジなのか!! よっしゃぁ」


只でさえキツいのに、こんな状況でまともな会話などできる筈もない。

そして沙羅さんの人当たりについだが、生徒会室での様子を見る限り、ある程度の改善があったことは間違いないだろう。但し男に対しても改善があったという訳では無い。あいつらがどういうつもりでそれを喜んだのかは知らないが、少なくとも俺達にとっていい話では無いと思う。そのくらいは簡単に想像できるからだ。

そしてそれは、俺に「ある計画」を改めて思い起こさせるものだった。


………………

…………

……


授業時間も残りが少なくなった頃、グラウンドには俺も含めた死屍累々と言わんばかりの惨状が出来上がっていた。それぞれが限界になるまでは走らされたので、もう立ち上がる元気のあるやつはいないだろう。そんな俺達を満足そうに見下ろしていた鬼教師は、早めに授業を終わらせることを恩着せがましく宣言しながら意気揚々と帰っていった。それを嬉しいと思ってしまったことが悔しい、そう考えたのは俺だけではないようだ。ほぼ全員が恨めしそうに鬼の後ろ姿を睨みながら見送っていた。


そして、暫く地面に横たわりながら思い浮かんだことは


体操着を汚してしまい、沙羅さんに申し訳ない。


という気持ちだけだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


すみません、今回は通過点なので、特に盛り上がりがありませんでした。

しかし、こんな普通のシーンを書くのに、まさか三回も書き直すことになるとは思いませんでした…

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