第216話 セカンド…
「はい、お待たせしました~」
真由美さんが、紅茶のティーポットとカップを載せたトレーを持って戻ってきた。
一端休憩ということで、お茶にすることになったのだ。
そして沙羅さんも戻ってくると、こちらは切り分けられたケーキを載せたトレーを持っている。どうやらおやつがあるらしい…恐らくは真由美さんが作ってくれてあったのだろう。
それぞれを配り終わると、沙羅さんはいつもの通り定位置である俺の右隣りに座ったのだが、真由美さんが俺を挟んで反対側に座り、それはまるで初めてこの家に来たときのことを思い出してしまう光景だ。
政臣さんは、真由美さんが俺の隣に座ったことを不思議そうにしながらも、それより俺の目の前にケーキがないことが気になったようだ。
ちなみに俺は、沙羅さんの前に二つケーキが並んでいる時点で、この後の展開は想像できている。
「一成さん、あーん…」
ぱくっ…もぐもぐ
うん、やはり美味しい。
今日は普通にショートケーキなのだが、やはりシンプルな物ほど作り手の上手さがわかるのだ。
「な……そ、そんな自然に…」
政臣さんがケーキを食べようとしたままの体勢で、目を丸くしながら俺達を見て固まっている。沙羅さんに「あーん」をされてしまうと、もはや条件反射のように食べてしまう俺も大概だと思うが…
「あらあら、沙羅ちゃんたら随分と慣れさせちゃったみたいねぇ…羨ましい。」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。私は一成さんが喜んで下さることなら、何でもして差し上げたいだけです。」
真由美さんの言い方だと、餌付けされてるペットみたいに聞こえるが…でも正直なところ、そう思われても仕方ないくらいに食べさせて貰っている覚えはあったりする。
「な、な、何でも!? 沙羅、それは一体どういう意味だ!」
「はい、一成さん、あーん」
もはや無視か…政臣さんが泣きそう…
「一成くん、お義母さんからも、あーん」
「何をしているのですか? やりたければお父さんにやればいいでしょう?」
流れで一瞬口を開けそうになったのだが、沙羅さんが再び噛みついたことで思い止まった。真由美さんはその様子すら楽しそうに笑っている。
「え~、でもこのケーキを焼いたのは私だから、私にも権利があると思うんですけど…ですよね一成くん?」
「絶対にダメです。」
もともと沙羅さんのお姉さんと言われても不思議ではない容姿の真由美さんが、そんな可愛らしく首を傾げて言うのはズルいと思うのだ。だが、横にいる沙羅さんの為にも…
「えーと…」
とは思うものの、はっきりダメですと言い難いのは真由美さんがゆえに…上手く断るには…
「はぁ…真由美、いい加減にしなさい。高梨さんが困っているでしょう?」
「はぁい」
ここまでずっと俺達の様子を見ていた幸枝さんが、苦笑しながら真由美さんを注意してくれた。さすがに歯向かえないらしく、真由美さんが渋々ながらも素直に引き下がる。助かったな…
--------------------------------------------------------------------------------
ガチャ…
「さぁ、一成さん、どうぞお入り下さいね。」
「お、お邪魔します…」
ドアを開けてくれた沙羅さんに続いて部屋に入ると、ふわっと良い香りが鼻を掠める。アロマではない、もっと自然な何かの香りのようだ。
部屋を見回すと、最初に目についたのは、猫や犬の可愛らしいぬいぐるみが飾られているファンシーさ全開のベッドだった。そして逆に、机は参考書や辞書など堅実的なもので飾られていた。でもその中に一点、自己主張の強いお洒落なデザインの写真立てには、水族館デートのときにクーちゃんと三人(?)で撮った記念写真が飾られていた。
「お待たせして申し訳ございませんでした。家を出たときに散らかしたものは、母が一通り片付けてくれたようなのですが、まだ程度を確認していませんでしたので。」
「いえ、その、大丈夫です。」
何気に沙羅さんの部屋を訪れるのはこれが初めてなのだが、妙な緊張感を覚えて自分に余裕がないというのがわかる。俺の部屋でもほぼ毎日二人でいるというのに、場所が違うからなのか、それが沙羅さんの部屋だからなのか、何かが違うと明確に感じているのだ。そしてそれが妙に照れ臭い。
「…一成さん」
ふわっと優しく抱きしめられて、沙羅さんの温かさと俺の大好きな匂いに深く包まれる。それと同時に、感じていた妙な緊張感がスッと消えていくのがわかった。
「落ち着きまし…ふふ、もう少し抱っこしましょうね」
その心地好さについ甘えたくなり、俺が身体委ねたことでそれを沙羅さんが感じ取ったらしい。そのままゆっくりベッドまで誘導されると、二人で縁に腰を下ろしてから先程よりも深く抱きしめられる。
「父は別として、男性を部屋に招いたのは生まれて初めてなので、私も少しだけ緊張してしまいました。」
「俺も女性の部屋に入るのは生まれて初めてですね。……だから緊張したのかも」
何となく自問するかのように呟いたが、実際どうなんだろう。小さい頃、柚葉の家に行ったことは勿論何度かあるが、いつもリビングで遊んでいた覚えがあるのであいつの部屋に行ったことはなかった。だから初めてというのは本当なのだが。
「小さなことですが、これでまた一つ、私の初めてが一成さんになりました。それに、一成さんの初めてが私になったことも嬉しいです。」
俺の頭を撫でながらそう語る沙羅さんは、確かに嬉しさが口調に表れていた。沙羅さんは、例え小さなことでも自身の初めてが俺になることを喜んでくれる。そしてそれが、俺も初めてであれば、尚、喜んでくれるのだ。
「一成さん、その…話がどんどん進んでしまって、実はまだ実感がそこまでないのですが…私達は、将来…」
「実は俺もまだ実感がないんです。正直言って、将来結婚という話も漠然と感じていて、ただ沙羅さんといつまでも一緒に居れることが嬉しいって、そう感じているだけなんです。」
沙羅さんには正直に話しておくべきだと考えた俺は、思いきってそれを伝えてみた。
今の俺の感覚としては、結婚というよりも、将来一緒に居ることを認めて貰えたという感じだ。
「結婚と言っても、つまるところは変わらないと思います。一緒に、幸せに生きていきましょうということですから。とはいえ、色々違いはありますけれど。」
「そうですね。さすがにその辺りは俺でもわかります。今はまだ約束の話ですし、いつか自分でも実感が湧いてくるとは思いますが。」
だから今は結婚ということより、この先も、将来も一緒にいようと約束した事実でいいのではないだろうか。そう感じていた。
「はい。ですが、なぜいきなりそこまでのお話になったのでしょうか? 私はとても嬉しいのですが、急な話だと思いまして。」
真由美さんと事前に話をしていたことは今日まで内緒にしていたので、沙羅さんからすれば突然の話だろう。
今となっては隠す話でもないので、そこは話しておいてもいいか…少し照れ臭いけど。
「お見合いの話を真由美さんから聞いて、今後もそういう話が続くかもって言われて嫌だったんです。俺は沙羅さんと離れたくないし、沙羅さんには俺が居るのに、なんで他のやつに言い寄られなきゃならないんだって。そしたら、他のやつらを黙らせたいなら…」
「…そこで婚約者の話になったと。」
「ええ。ただ俺は、婚約者とか結婚って言葉の意味より、そうなれば沙羅さんとこの先も一緒にいることができるってことの方が重要でした。ずっと沙羅さんと一緒に居られるなら、政臣さんとのことも、会社のことも、何一つ迷わないって決め…むぐっ」
俺は言葉を最後まで続けることができなかった。顔が沙羅さんの胸に沈んだからだ。
こうして沙羅さんに包まれて頭を撫でられていると、心地好さで眠くなってしまう可能性があるので、少し気を強く持たなければ…
「…私の為に、そこまで考えて下さっていたんですね…それに比べて自分が情けないです。ですが、私はもう二度と醜態を晒すことは致しません。一成さんと将来を誓った私に、もはや怖いものなどありませんから。」
立ち直ったことがハッキリとわかる力強い宣言は、いつも堂々とした凛々しい沙羅さんだ。
「この先、大変なことが数多くあると思います。私はずっと一成さんを支えて参りますので、二人で頑張りましょうね。」
「…はい。」
多分、いや、絶対に、今の段階では予想もできない大変なことが待っていると思う。でも俺は、沙羅さんがいてくれれば頑張れる、乗り切れる、そう確信しているんだ。そうすればいつか…
「俺、頑張ります。沙羅さんが誰からも言い寄られないくらい、あいつなら仕方ないって諦めさせられるような男に…」
「一成さん…嬉しい…大好き…」
静寂が部屋を包み、何も言わなくても、言葉にしなくても、お互いの気持ちがわかる、伝わる、そんな気持ちだった。
沙羅さんの胸に抱かれたまま、二人で抱き合ったままどのくらい経っただろうか…ポツリと呟く声が耳に届く。
「…一成さん、この部屋で、初めての思い出を頂いてもよろしいですか?」
部屋での思い出?
沙羅さんが何か思い付いたのかもしれないが、俺は別に断る理由などない。
「いいですよ?」
「ありがとうございます。」
そう言った沙羅さんは、胸に抱いていた俺の身体をスッと少し離すと、微笑みを浮かべたまま今度は目を合わせてくる。
「次は私からとお約束致しました…」
……俺だってそこまで鈍感ではないつもりだ。約束が何であったのかくらい、直ぐに思いつく。つまり思い出とは、そういう意味だろう。
沙羅さんの美しい顔が徐々に近付いてくる。自分からと宣言したのだし、ここで俺が動くのは無粋だ。
「これまでも、これからも、あなたの側に…愛しています…あなた…」
ちゅ……
俺と沙羅さんのセカンドキス、優しい空気に包まれたこの空間で、離れるのが名残惜しくキスが終わっても抱き合ったままだった。そしてこれが、この部屋で俺達の初めての思い出になるのだった…
--------------------------------------------------------------------------------
~またまたまた余韻を壊すオマケ~
side 真由美
「政臣さん、高梨さんの意思は確認できましたし、会社の方へ報告をしておいて下さいね。二人も嫌でしょうから、余計な話が出ないようになるべく早めにお願いしますよ。」
「はい。根回しも必要ですし、可能であれば年末のパーティーで社長に二人を紹介したいところですが…なので、そのときは出席して貰おうかと。」
「そうですか。昭二さんには私からも一筆書いておきますよ。あとは養子縁組が済んだら、真由美はともかく私の株式だけでも早めに移動させたいですね。」
「わかりました。まずは高梨くんのご両親とお話を…」
政臣さんと母が、矢継ぎ早に打ち合わせのような意見交換をしていた。
私は口を挟まずに聞いていたが、この流れは予想通りであり、かつて政臣さんが婿養子になったときに近い。
もっともあのときは、まだ父が存命だったが…
「…表面上はそれで納得させられますかね。後は実際に会社へ入社してから……」
「高梨さんならきっと大丈夫ですよ。」
「ええ。そういえば西川社長が…」
沙羅ちゃんのことでショックはあったでしょうに、今は父親としての顔と、佐波エレクトロニクス次期社長としての顔を両立させたような自信に満ちた表情ね。多分、一成くんからあんな風に言われて凄く嬉しかったんでしょうけど。
喜びを必死になって隠していたのは直ぐにわかりましたから。
それにしても全て丸く収まりそうで本当に良かった。一成くんは、自分がどういう立ち位置なのか多分わかっていないでしょうけど、それでもいいと思う。今は余計なことを考えずに頑張れることから頑張って、いつか心身ともに成長したら、その時に改めて伝えればいいでしょう。
だから私は義母として、娘と共に可愛い息子を支えていくんです。
それにしても、政臣さんのことを話してくれた一成くんは本当に…んふふ…あんないじらしいことを言うなんて、可愛すぎて我慢できなくなるところでした…
これからとっても楽しみですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
猫可愛がりしたくて我慢できなくなりそうという意味です・・・念のためww
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます