第212話 一成と政臣、ときどき真由美さん

手順も何もかも飛ばして、俺はいきなり本命の一言を叩き込んでみた。

もちろん直ぐには信じられないだろう。


現に政臣さんは目を丸くして、「何を言われたのかわからない」という顔をしている。

いや、ひょっとしたら「何を言ってるんだこいつ?」かもしれない。


沙羅さんが重度の男嫌いであることを承知している政臣さんからすれば、仮に俺が「友達です」と言っても恐らくは信じられないだろう。それを更にすっ飛ばして「恋人です」では、もはや次元が違う。

だから、ここから説明をしていかなければならない。


「いや…何と言えばいいのかな。正直頭が追い付いていないんだが…」


政臣さんのリアクションは予想通りで、戸惑いの表情を浮かべながら、何とかその一言を口にしたという様子だ。

目を閉じて黙ってしまった様子から、少し落ち着こうとしているのだろうと判断した俺は、話を進めることを止め暫く待つことにした。


「高梨くん、いくつか聞かせて欲しいこともあるし、話もあるんだけとね。」


どうやらとりあえずは話をする心構えができたらしい。いつもと同じ調子で話しかけてきた。


「何よりも先ず、信じることが難しいという気持ちが強い。いや、ハッキリ言うと信じられないんだが…」


やはりか。そう言われるだろうとは思っていた。


「勘違いして欲しくないんだが、信じられないとは言っても、私は君のことを信用していない訳じゃないんだよ。それに、君がそんな嘘をつく理由もないだろうし。ただ、私が言うのもなんだけど、男友達ですら無理だった沙羅にいきなり恋人と言われても、それこそ信じられないというか…」


支離滅裂という言い方は違うだろうが、政臣さんがパニックになっていることはよくわかった。


だけど、その理由が俺のことも信用してくれているからこそ…ということが何よりも嬉しい。

俺の言葉をハッキリと否定できないからこそ、政臣さんは混乱しているのだから。


「沙羅さんの性格というか、男に対する基本姿勢を考えたら、理解が難しいだろうと言うことはよくわかります」


男嫌いとハッキリ言うことを少し躊躇ってしまい、基本姿勢などと微妙な言い回しになってしまったのだが、政臣さんにはしっかり通じたようだ。


「…そうか。これはどうやら、本当に沙羅のことをわかっているようだね。よし、なら一回信じられないという部分を忘れて、話を聞かせて欲しい。いつ頃からなんだい?」


それから俺は、これまでのことを話すことにした。

沙羅さんと出会った頃のこと、友達になったこと、お弁当を作ってくれるようになったこと…夏休みに告白したこと、そして恋人になったことを要所要所で搔い摘むように伝えた。


政臣さんはずっと俺の顔を見ながら、黙ってその話を聞いてくれていた。


「……成る程ね。ということは、この家にアルバイトに来た時点では既に?」


「はい。ただ、ここに来るまでは、政臣さんが沙羅さんのお父さんだとは知りませんでした。名字が同じだったことは気付いてましたけど、さすがにそんな偶然はないだろうと。」


「はは、確かに偶然が過ぎるかもしれないね。でも、それすら運命だったと言われてしまえば、むしろ必然だったのかもしれないが…」


少し笑い顔を覗かせながら、とりあえずは好意的に話をしてくれていると思う。

でも、お見合い話が残っている以上、油断はできない。


「いま君の話を聞いていて、思い当たることがあった。真由美が妙に君のことを気に入っていたのはそういう理由か。初対面の筈なのに、出会ったその日から随分と親しげだとは思ったんだよ。それに、アルバイト中もずっと好意的な様子だったし…沙羅のことで既に知り合っていたとすれば納得かな」


そこで政臣さんがチラリと横を見ると、それまで笑顔のまま黙っていた真由美さんが初めて口を開いた。


「うふふ…ごめんなさいね、あなた。アルバイトで来る人がどんな人なのか話を聞いてて、妙に思い当たる節が多いなって思ったんですけどね」


「……なるほど。では、初対面を装ったのは君のイタズラかな?」


「イタズラという言い方は止めて欲しいわね。私としては、色眼鏡無しで、ありのままを見てあげて欲しかったから」


正直、俺もあれは真由美さんがその場のノリで始めたイタズラだと思っていた。

でも、真由美さんなりの考えがあったということがわかったのだ。


「沙羅ちゃんのことを言ったら、あなたはどうしても身構えるでしょう? せっかくの機会なのにそれは勿体ないと思ったんですよ。だから、二人が打ち解けてくれたことは本当に嬉しかったのよ?」


「…確かに、あのとき沙羅とのことを聞いていたら、アルバイト中のやり取りが変わった可能性は否定できない。もっとも、それがどんな感じになったかは予想もできないけどね。」


「でしょう? でも、あのときそれを暈したせいで、こんな流れになるとは思っていなかったんですけどね。それについては、私も反省しています。」


そう言って、真由美さんは政臣さんではなく俺の方を見ながら頭を下げた。

だけど俺は、感謝こそすれ真由美さんが悪いなどとは微塵も思っていない。


「謝らないで下さい! 真由美さんの本心は今知りましたけど、乗ったのは俺です! それに、俺は自分の判断で、最後にちゃんと話をすることもできたんです。でも沙羅さんに相談してからなんて考えて、先延ばししてしまった…」


そう、言おうと思えば言うことはできたはずだ。それでも言わなかったことは俺の判断であり俺の責任である。真由美さんが悪いなどということは全くない。


「……ふふ。君は本当に面白い。年齢こそ高校生なんだろうけど、考え方は年相応とは思えない。それは以前から気になっていたんだけどね。ひょっとして君は、普通では得られないような経験をしてきたのかな?」


!?

いきなりの鋭い指摘に言葉が詰まってしまった。政臣さんには、最低限の話と、必要だと思ったことしか伝えていない。


「やっぱりね。経験、体験というものは何よりも勝る。単に机の上で勉強して知識だけ成長した人間と、経験を糧に成長した人間では全く違う。これまで見てきた、君の年齢にそぐわない考え方や行動力は、普通ではない貴重な経験をして成長した結果だろうと思っていたんだよ。……………だからこそ、私は君が気に入ったんだけどね。」


最後の呟きは聞こえなかったが、政臣さんが俺のことをしっかり見てくれていたことに驚いた。

それはもちろん嬉しいけど、何故そこまで俺を気にかけてくれていたのだろうか…


「あぁ、そう言えば高梨くんから恋人に関する話を色々と聞いたね。ということは、あれはもしかして全て沙羅のことなのかい?」


意図的な気もするが、政臣さんが沙羅さんについての話しに話題を変えた。

そういえば、俺も沙羅さんのお父さんだと思っていなかったときに、色々話をした覚えがある。

えーと…変なことは言わなかったよな…どこまで話したか覚えていないので、微妙に心配になってきた。


「はい。すみません、あのときは…」


「いや、知らなかったのだから仕方ないよ。しかし…あの話が沙羅のことだとすると、君には申し訳ないが、ますます信じられないというか…私が親として見てきた沙羅とは似ても似つかないんだよ」


政臣さんが眉を八の字して、悩むような考え込むような、そんな仕草を見せている。


というか、よくよく考えたらスマホに入っている写真を見せてしまえばいいのではないだろうか?

何となく気持ち的に、出来れば対話でわかって欲しかったのだが、ここを信じて貰えないと話が先に進まないのだ。


「はぁ…あなた、もういい加減現実を認めたらどうなんですか? ここまで聞いて、一成くんのお話が、まさか作り話だとでも言うつもりなのですか?」


どうやら痺れを切らしたのか、ついに真由美さんから話に加わり始めた。先日電話で話をしてあった通り、完全に俺の味方をしてくれるようだ。これは正直ありがたい。


「い、いや、そこまでは思っていないんだよ。作り話とするにはあまりにも話がしっかりしすぎているし、第一、高梨くんは信用できる青年だ。真由美とも以前から繋がりがあることもわかったし、それはどこから繋がったのかと考えれば沙羅のことしかないということも頭ではわかってるんだ。というか、一成くんって!?」


真由美さんに問い詰められた政臣さんが、堰を切ったかのようにベラベラと早口で返答を始めた。

…やはり真由美さんに頭が上がらないのだろうか。


「あら、名前で呼んではいけないのかしら? だって沙羅ちゃんの恋人さんなんですもの。これからもずっと付き合っていくのだから、高梨さんなんて他人行儀でしょう? ねぇ、一成くん?」


「えぇっ!? いや、俺は、真由美さん?」


俺の代わりに政臣さんと話をしてくれていたので、少しホッとしながら様子を伺っていたのだが、突然矛先がこちらを向いた。心構えなど出来ている筈もなく、しかも返答に窮する内容だ。


「もう、私のことはお義母さんと呼んで下さいって言っているじゃないですか。はい、もう一度!」


「お、お母さん?」


「はぁい。ニュアンスがまだ違うような気がしますけど、それはその内ね?」


その内ね? と言われても、ちゃんと呼んだのに…


「お、おかっ!? ま、真由美、どういうつもりだ? 高梨くんを名前で呼んでいることといい、今のやり取りといい、それじゃまるで」


政臣さんのキャラが少し崩れてしまっているような気がするけど、それだけ驚いていて余裕がないということだろう。

そして今のやり取りで、政臣さんは真由美さんの思惑に気付いたようだ。


でも、本当にこの場で俺を沙羅さんの婚約者にするつもりなのだろうか?

俺はそうなっても構わないと決めたので問題ないが、「恋人」ですら信じきれない政臣さんが、果たしてそこまで認めるだろうか?


「あら、ハッキリと言わなければわかりませんか? なら先に言っておきますけど、私は沙羅ちゃんの相手は一成くんだと認めました。この子なら、沙羅ちゃんを絶対に幸せにしてくれる…というより、沙羅ちゃんは一成くんじゃなきゃ幸せになれないんですよ?」


そうハッキリ言い切られてしまうとかなり照れ臭い気もするのだが、せっかく真由美さんがそこまで言ってくれているのだ。

俺も堂々としていよう。


「……真由美がそこまで言うのか」


政臣さんも真由美がさんからそこまで言われるとは思っていなかったらしく、かなり衝撃を受けてしまったようだ。


「それで、頭でわかっているのなら、後は何が引っ掛かっているのかしら? もう疑う余地なんかないでしょう?」


「いや、真由美だって私の気持ちはわかるだろう? 沙羅の男嫌いは重症だと思っていたし、春先の会社のパーティーでも声をかけた男性達を全て無視してさっさと引き上げてしまうし、社長もそれを見て心配して…」


ひょっとして、その社長さんの余計なお世話はその辺りに原因があったのだろうか?

それがいいか悪いかはともかくとして、一応政臣さんも社長さんも沙羅さんを心配してのことだと思うと、そうなると頭ごなしに怒ることは…


「ああいう初対面でいきなり口説こうとするような下心見え見えの子は、沙羅ちゃん大嫌いですからね。それにそういうの見ちゃうから、ますます男嫌いになっちゃっうのに。」


「だが実際、これから社会に出て行くのにいつまでも男嫌いという訳にはいかないだろう? 私だって、どこの馬の骨ともわからん男に沙羅を任せるつもりはないが、薩川家である以上はどうしても会社に関わっていかなければならない。それに、今回のお見合い相手は大学生だけど、既にウチの会社で勉強もしていて礼儀正しい青年だし…」


俺と沙羅さんの関係が信じられるかどうかという話だったのに、いつの間にか話題そのものが横道に逸れ出してしまった。


どうするべきか悩んでいた俺は、特に理由もないが何となく玄関側のドアに目を向けると…


あれ? 曇りガラスの向こうに人影のような…


ドカン!!!!


!!??


その瞬間、もの凄い勢いでドアが開いた。衝撃で、ドア付近に飾られていた人形などの置物が倒れてしまうくらいだ。


そしてそこには、凄まじく不機嫌な様子を隠していない沙羅さんが、政臣さんを睨むように立っていた。


な、なんでここに!?

夏海先輩と西川さんは!!


「成る程。激しく余計なお世話で下らない話を持ってきたことはよくわかりました。それで、その話は既にキッパリと断って頂けたんですよね?」


怒気すら感じる口調で、政臣さんを問い詰め始めた沙羅さん。逆に政臣さんは、沙羅さん帰って来たことを嬉しいと思っているようで、少し笑顔を見せていた。


「沙羅! お帰り、全く、心配したんだ…」

「早くも耳が遠くなりましたか? 私は断ったのかと聞いているんですけど?」


これはキツい。取りつく島もないというのはこのことだろう。

政臣さんの笑顔が引き攣る様がハッキリと見えて、真由美さんが「ぷっ…」と少し吹いた声が妙に印象に残った。


「沙羅さん…なんでここに…」


「…申し訳ございません、一成さん。私が不甲斐ないばかりに…こんなことまで…」


政臣さんへの剣幕が瞬時に消えて、沙羅さんが表情を曇らせる。

ここへ来たということは、何かしら決心がついたということなのだろうか?

夏海先輩と西川さんが何か……


「いえ、俺の方こそ、沙羅さんに黙って来てしまいましたから。勝手に政臣さんと話を進めてしまったので…」


話を聞きながら沙羅さんはゆっくりと近付いてくると、俺の腕に手を添えて優しく微笑んでくれた。


「仰らないで下さい。それもこれも、私が一成さんに相談をしなかったことが悪いのです。でも、私の為にお一人でここまでして頂けるなんて……」


沙羅さんの顔が近付いてくる。

その表情は久し振りに見る、陰りのない沙羅さんの心からの笑顔だった。


「本当に嬉しい…大好きです、一成さん…」


ちゅ……


頬に感じる、優しく暖かい感触。

俺の大好きな沙羅さんが、しっかりと立ち直ってくれたのだった。


「…………え…な………な…」


そして対面には、愕然というには生ぬるい表情の政臣さんが、口を開けて絶句している姿があった…

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