第211話 焦りと思い込み
薩川家。
今まで家の周囲を見なかったので気付かなかったのだが…
家の中が比較的アットホームというか、居心地のいい作りだったので深く考えなかったこともあり、今回こうして徒歩で外から近寄ってみて初めて気付かされた。
そう、広いのだ、大きいのだ。
ガレージを含めても壁に全然余裕があるのだ。庭に独立したオフィスがあるという時点で、何故それに気付かなかったのか…
ま、まぁ家についてはとりあえず置いておこう。
ピンポーン。
もう何度も来たことがあり、見慣れた玄関にあるインターフォンを鳴らす。
…あれ、そう言えば一人で来たのは初めてだよな。よく考えてみれば、これを使った覚えがない。
「はーい」
少し待つと、カメラのついたスピーカーから
聞く人に安らぎを与えるような、ほんわりとする声が聞こえてくる。
「こんにちは、高梨です。」
カメラでこちらは見えているだろうが、一応名前を伝えておく。
「うふふ、いらっしゃい。ちょっと待っててくださいね~」
とてもご機嫌な声音の真由美さんから返事を受けて、暫く待っていると、ガチャ…という音と共に玄関のドアが開く
「お待たせしました。さぁさぁ、遠慮なく上がって下さいね~。このお家も、もう直ぐ一成くんの実家になるんですから!」
いきなり凄いことを言い出す真由美さんに思わず苦笑してしまったが、お陰様で緊張は無くなったような気がする。もしかしてわざとだろうか?
「それじゃお邪魔します。」
「今日はまだいいですけど、次からは、お義母さん、ただいまって言ってね?」
「えっ!?」
話はまだ続いていたらしい。
どうやらわざとではなく、本気で言っていたようだ…
真由美さんが出してくれたスリッパに履き替えてから、後に続きリビングに着くと、ソファに座っていた政臣さんが少しぎこちないながらも笑顔を浮かべて立ち上がった。
「やぁ高梨くん、いらっしゃい。来てくれて嬉しいよ。」
そう言いながら右手を差し出してくるので、俺も挨拶を返しながら握手を交わす。
「お久しぶりです、政臣さん。先日は大変お世話になりました!」
「こちらこそ、本当に助かったよ。積もる話もあるだろうけど、まずは座ってくれ。」
そう言って、かつて俺が定位置としていたソファを勧めてくる。
遠慮なくそこに座ると、真由美さんはお茶を用意する為か、パタパタとスリッパを鳴らしながらその場を離れて行った。
改めて政臣さんを見ると、やはりどこか少し気落ちしているような様子が見てとれる。間違いなく沙羅さんのことが原因だろう。
俺が顔をじっと見ていることに気付いた政臣さんが、苦笑を浮かべて口を開いた。
「いや、すまないね。娘のことで少しトラブルがあってね。あぁ、大丈夫だよ。話はしっかりと聞くから心配しないでくれ。先ずはお茶でも飲もうか。」
「はい、ありがとうございます。」
そのまま少し待つと、トレーを持った真由美さんが戻ってきて、目の前のローテーブルにそれぞれのティーカップとソーサー、お菓子が用意される。
ティーポットから注がれた紅茶を全員が飲んで一息ついたところで、政臣さんが本題に触れ始めた。
「真由美から大事な話があると聞いたんだが、先日お別れのときに言っていた話かな?」
遂にこのときが来たのだ。
ここからが本番、ここからが勝負。
愛しい沙羅さんの顔と、応援してくれる皆の顔を思い浮かべながら、心の中で大きく気合いを入れる。
よし、大丈夫だ!
「はい、あのときにお伝えすることが出来なかった話です。ただ、結局保留した意味は無くなってしまいましたが…」
沙羅さんと相談してからにしようと思い、予告だけで保留したのだが、結局相談することができなかった。もう今更の話だが…
「おや、そうなのかい? まぁこうして次に会う機会を作れたのだから、私としては問題ないけどね。」
「はい、ありがとうございます。という訳で、あのときお伝えできなかったことをお話させて下さい。」
そこまで言うと、俺はソファから立ち上がり姿勢を正す。いきなり俺が動いたので不思議そうにしながらも、政臣さんも真由美さんも、俺の顔から目を離さなかった。
「改めて、高梨一成と申します。」
何故か自己紹介を始めた俺を、ますます不思議そうに見る政臣さんと、微笑みを浮かべながら見守ってくれている真由美さん。
俺は政臣さんから目を逸らさずに、開幕の合図となる一言を力強く放つのだった。
「沙羅さんと…薩川沙羅さんと、お付き合いさせて頂いてます!!!」
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side 沙羅
お見合いの話を聞いたあの日から数日…
あのときの私は、父に怒るよりも、母に詳細を聞くよりも、一成さんのお側に居たいと…ただそれだけが頭にありました。
そこからのことは、覚えているような、いないような。
部屋をひっくり返して必要な荷物をかき集め、ありったけをトランクに詰め込み、足りない分は背中に背負うリュックに入れて、私は脇目も振らずに家を出た。
一成さんにお会いしたい、一成さんのお側にいたい、そして……一成さんから離れたくない。
気付いたときには、私は荷物を全て放り出して、まるで迷子の子供が親にしがみつくように…一成さんに抱きついていました。
一成さんが強く抱きしめてくれた、側にいると仰ってくれた…それが嬉しくて…
家出をした私を何も言わずに受け入れて下さった一成さんは、今日現在でも理由を聞かずに、普段と同じように接して下さいます。
心配して下さっていることはよくわかっているのです。本当は話を聞きたいと思っていることもわかっております。ですが、私の様子を見てそのままにして下さっているのです。
もちろん、私は何度もお話をしようと考えました。ですが「お見合い」という単語など、口が裂けても言いたくはありません。
一成さん以外の男性と席を設ける?
一成さん以外の男性と将来を話す?
笑わせないで下さい。
何故私がそんな茶番に付き合わなければならないのですか?
そんな下らない話を持ってきた父とは、もはや話すことなど何もありません。
親子の縁など切れても構いません。佐波エレクトロニクスなど知ったことではありません。勝手に父が後を次いで、適当に後継者でも見つけて下さい。私はそんなつまらないことの為に、自分の幸せを捨てることなどしません。一成さんとの未来を諦めるなど、絶対に有り得ないことです。
……そう思っていても、実際はどうなのでしょうか
父は私を許さないでしょう。外さないでしょう。一族で繋がってきたあの会社は、現社長に子供がいない為、父が跡継ぎとなることは、ほぼ間違いありません。そして父が誰か男性の養子を取らない限り、更にその跡を継ぐ者がいないのです。
そして…あの会社は大きすぎるのです。単に養子というだけでは、絶対に周囲が認めないでしょう。だからこそ父は私をお見合いさせてまで、跡継ぎを必要とするのです。そして風波を立てないよう、同じく会社に繋がりがある者を選ぶのです。恐らくは、古くから会社を支えてきた重役の誰かの子供を選ぶのでしょう。
そしてそれは、私達を必ず引き裂く…
手段などいくらでもあります。一成さんのことを知れば、あるいは一般家庭である一成さんのお家を狙う可能性も十分にあります。そしてそれを行うのは父ではなく、私達を引き裂こうと考える誰かかもしれません。
であれば、一成さんとの未来を守る為に残された道など限られています。
駆け落ち
チープとも思えるその言葉が、私達の残された道であるように思えます。
ですが私がそれを望んだときに…一成さんはどうなりますか?
私の家が原因であるのに、一成さんにどれ程のご迷惑をかけるのか見当もつきません。一成さんのご実家にもです。
それでも、一成さんはきっと…
それでも、私は…
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side 夏海
私達三人は、えりりんが貸し切りにしてくれた有名レストランのVIPルームでティータイム中だった。
何気に三人だけで会うのは凄く久し振りだったりする。前回は、少なくともえりりんが転校する前であったことに間違いない。
「こうして三人でティータイムなんて、少し前では考えられませんでしたね。」
やはりえりりんも同じことを考えていたようだ。
「えりりんが引っ越してからも、会おうと思えば会えたはずなんだけどね。」
実際、連絡を取ることはできていたのだから、待ち合わせするなり迎えに来て貰うなり、何かしらで遊ぶことはできたはずだ。
「私は絵理とも連絡を取っていましたが、会おうと思えばいつでも会えると思っていたことが、逆に悪かったのかもしれませんね。」
「ん、どういうこと?」
いつでも会えると思ったことが悪い?
それはいったい…
「そうですね…例えば、いつでも行けるからと思ってしまうと却って行かなくなるのと同じようなものです。結局、何か切っ掛けがないと動かないんですよね。」
えりりんの説明は何となくわかるような気がした。いつでも行けると思うと優先度が下がって、逆にいつまでも行かなくなるようなものなのかな?
「ですから、高梨さんにはそういう意味でも感謝ですね。私達をもう一度繋いでくれたのですから。」
「そうだね。確かに高梨くんが居なければ、まだ再会してなかったかも。」
まぁ決していい理由では無かったけど、まさかあの話からえりりんに繋がるとは夢にも思わなかったし。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
どうやら話を切り出す覚悟を決めたようで、最近では珍しいえりりん少しキツめの表情。久し振りに見た気がする。
何故えりりんがそんな表情になったのか、沙羅は不思議そうにしている。
「沙羅。先程の話のように、物事には切っ掛けが必要なことも多々ありますが、それを待っていたら何時までも動かないというのは今のあなたにも当て嵌まるのではないですか?」
いきなり話題を振られて、沙羅は返答に困っている。何故いきなりそんな話を? そう言いた気な様子が見て取れた。
「時間が惜しいので単刀直入に言いましょう。いつまで高梨さんに甘えているつもりですか?」
「………」
意外にも、沙羅が明確な反論を示さなかった。つまり、心当たり…いや、自覚があるのだろう。沙羅にしてはあまりにも珍しい反応だ。
「自分達の力では抗えない存在から、引き裂かれる可能性に気付いて怖くなりましたか?」
「…何故それを」
沙羅の表情には、ハッキリと図星を突かれたことのわかる驚きが浮かんでいた。
「それで怖くなって、高梨さんにしがみついていれば解決するのですか? 高梨さんの側にいれば、誰かが何とかしてくれるのですか?」
「あなたに何が…」
「わかりますよ? 私も将来、あなたと同じことになる可能性のある人間ですからね。」
「………」
ここまで劣勢になる沙羅を初めて見た…
かつての沙羅は、完璧すぎるくらい完璧で、周囲に隙を見せない人間だった。それは学校で自分のスタイルを貫く為に必要だったことであり、だからこそ沙羅自身もそういう状況を作らないように意識していただろう。
つまり、それだけ高梨くんの存在が今までの沙羅を変えてしまったということだ。
「沙羅、あなたがそれから逃げるというのなら、きっと高梨さんも一緒に逃げてくれるでしょう。でも、その先にどんな未来が待っているのか…いつか追いかけてくるかもしれない何かを恐れて、ひっそりと暮らす未来が楽しそうですか? 高梨さんに迷惑をかけ続ける将来が望ましいですか?」
「……それは」
「それとも、高梨さんに迷惑がかからないように、諦めて見合い話を受け入れますか?」
「冗談ではありません!!! 一成さん以外の男など、誰が相手にするものですか!!!」
ここで初めて沙羅が吠えた。やはりこの部分だけは絶対に譲れない気持ちがあるようだ。
「そこだけは言い切る自信があるのですね。駆け落ちは幸せになれない、でも高梨さんを諦めるなど論外。では、あなたの選ぶ道はなんですか?」
えりりんが沙羅の出せる答えを絞りだした。
恐らく現状の流れは想定通りなんだろう。
「…沙羅、あなたはお父様から詳細を聞きましたか?」
「…聞いていません」
「お見合いと言われれば、高梨さんと引き離される可能性は当然考えるでしょう。お父様が高梨さんとのことを許さずに、別の男性を強制する可能性もあるかもしれません。役員が何かをするかもしれませんね。」
「その可能性はわかっています。あの会社は大きすぎる。私達のことよりも、会社が優先される可能性が高い。だから父はお見合いを…」
沙羅はなまじ頭が良いので、恐らくは考えられる可能性を全て把握しているのだろう。事前に対策を考案したものの、対策が思い浮かばず、高梨くんを失う可能性に怖くなった。
……あれ? 何か違和感が…
「その可能性はあるでしょうね。もしそうなった場合、どういう手段に出るかわかりませんし。」
「そうです。だから私は…」
「沙羅、高梨さんのことを外して冷静に考えなさい。そもそも、あなたのお父様はお見合いを強制したのですか?」
「………え」
沙羅が突然呆気にとられたような顔になる。
そして私は違和感の正体が何となくわかってきた。
沙羅は頭が良い…私では思い付かないようなところまで、様々な可能性を考えていたのだろう。そう「可能性を」だ。
「あなたは私以上に頭の回る人間ですから、私の思い付いていないことも想定して考えていたのでしょう。でも、その可能性の全てはどこがスタートですか?」
「……父が、会社から見合い話を…会社の為に役員の子供から婿を…」
「会社から見合い話が出たことは事実でしょう。他の役員が狙っていることも間違いないでしょう。だから今後、同じような話が持ち上がる可能性は高いと私も思います。ですが、あなたのお父様はどう考えているのですか? あなたより会社の在り方を優先すると言ったのですか?」
「……言ってません…確認してません…」
お見合いの話を聞いて、直ぐに色々考えたのだろう。話を持ってきた時点で、娘である沙羅にもそれを求めているように思えるのは仕方ない。私でもそう考えたのだから。そして高梨くんと離れることを強要される可能性に気付いた沙羅は…
「……父がお見合いの話を持ってきた以上、会社関係者との婿養子を強制されていると思い込んだだけ? ……私が先を読みすぎた?」
「気付いたかしら? でもあなたのお父様のこと以外は間違ってはいないと思いますよ。遅かれ早かれ、そういう動きは出ると思います。ただ、お父様があなたを優先してくれるのであれば…」
「最悪、駆け落ちなどしなくても家を出ることはできそうですね。」
「ちょ…」
「ふふ…冗談ですよ…一応。」
どうやら軽口を叩く余裕は出てきたらしい。
この会話の流れでそれを口にするとは、相変わらず度胸があるというか
「と、とにかく、やっと冷静になれたようですね。であれば、自分が何をすればいいのか、もうわかりますね?」
「父と話をしてみます。色々考えるのは、それからでも遅くない…。まだやれることは残っているかもしれない。」
沙羅の目に、表情に、力が戻った。自信が戻った。
高梨くんを大切に想うあまり、失うことの恐怖感が強すぎて、普段の冷静さを無くしていた沙羅が元に戻ったようだ。
「全く世話の焼ける…あなたなら冷静になれば簡単に気付いたでしょうに。どこまで高梨さんのことしか考えていないのですか、あなたは?」
「一成さんは私の全てですから。でもお陰で目が覚めましたが、色々問題が残っていることは事実です。」
そうは言うものの、もう大丈夫だろう。
であれば、何時までもここで燻らせておく必要はない。やることが決まったらなら、さっさと動けばいい。現に高梨くんは、私達がこうしている今も一人で戦っているのだから。
「えりりん」
私の呼び掛けにコクリと頷くと、沙羅を見据える
「沙羅、今あなたの自宅には高梨さんが居ます。」
「!? 本当に情けない、私はどこまで…絵理、すみませんが私は自宅に戻ります!」
えりりんの一言で、高梨くんが自宅にいる理由まで把握したのだろう。
決意を滲ませた沙羅が帰ることで…政臣さん大丈夫かな…?
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沙羅パートが長くなりすぎました……
すまぬ……
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