第207話 頼るということ
「かず…なり…さ」
規則正しい寝息に混じり、夢なのか、俺の名前を口にする沙羅さん。
頭を撫でてあげると、気持ち良さそうにスリスリと顔を胸に擦り付けてくる。
普段は俺がこうして貰っているので、たまには逆になるのも悪くないと思う。それに今日の沙羅さんは素直に甘えてくれるので、俺としても尚更甘やかしたくなるのだ。
…………
沙羅さんがお風呂から上がり、一息ついたところで思いきって布団に誘ってみた。横になって気持ちが落ち着いてくれば、案外話が出来るようになるのではないかと思っだけであり、もちろん他意など無い。
二人で横になると、沙羅さんが直ぐに俺にしがみつくように抱きついてくる。なのでこちらから抱きしめてあげると、直ぐに安心した様子を見せてくれたのだが、いつの間にかそのまま寝入ってしまったのだ。
よほど精神的に疲れていたのだろう…ずっと神経が張り詰めていたのではないかと思うと、政臣さんが悪い訳ではないとわかっていても少し怒りが込み上げてしまう。
沙羅さんの温もりを感じなから、俺は先程までの真由美さんとの話を思い出していた…
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「二人にはまだ重い話だということは、私もよくわかっているの。でも向こうが動いてしまった以上、このまま手をこまねいて見ているだけでは、いつか今以上に困ったことになるかもしれない。高梨さんがそれを望まないというのであれば、漠然とでもいいから今後どうしていくつもりなのか…思っていることでいいから聞かせて欲しいの。」
今後どうするのか…
俺は沙羅さんと、どうなりたいのか…
自分の本心を考えてみれば、出る答えは既に決まっている。
いつか別れることを考えて恋人になったつもりは無い。
このままずっと沙羅さんと一緒に居たい、別れるつもりなんかない。それが例え子供の戯言だと言われようと、本音であり本心だ。
そしてこの先も二人で一緒に過ごしていけは、いつか結婚という言葉が出てくるだろうということも頭では分かっているつもりだ。
とはいえ、そもそも恋愛初心者の俺が、結婚を理解してるなどとは口が裂けても言えない。漠然と、今の関係の先の先に待っているものだろうとしか意識していなかったからだ。
では真由美さんの質問は俺にとって困る話なのか?
もちろん答えはノーだ。
今後もずっと一緒に居たいという気持ちは微塵も変わらない。であれば、先に待っているものが何であれ迷うことではない。
話が大きくなりすぎて重いと感じてしまったが、答えは意外にシンプルなんだと気付いた。
「俺は、この先もずっと沙羅さんと一緒に居たいです。難しいことは言えませんし、きっと俺は、結婚をちゃんと理解していないだろうと自分でも思います。でも、沙羅さんとの行く先に待っていることなら何であろうと俺は迷いません。沙羅さんのことで、迷うことなんか何もない。」
これが真由美さんの求める答えだったのか分からないが、偽りない俺の本心として伝えてみた。
分からないことは分からないのだ。
格好つけずに、これからも一緒に居たいという本音だけ伝えればいい。
その為に必要なことであれば迷わないと、本心を伝えればいい。
「ありがとう…高梨さんのお気持ちはよく分かりました。一緒に居たいから、その為なら迷わない…そういうことですね。うふふ、これでお義母さんも頑張れるわ!」
真由美さんが気持ちを切り替えたように、いつものおっとりとして明るい様子に戻ってくれた。その普段通りの声音に、どこかホッとしてしまう。
「それで俺は、政臣さんと話をしたいと思うんですけど。」
「そうね、一度じっくり話をした方がいいでしょうね。私から今週末に時間を作るように伝えておくから、週末を空けておいて下さいね。」
週末か…
沙羅さんと相談をすることが出来なくなってしまったし、かなり予定が狂ってしまったが、こうなったからには俺一人でも政臣さんを絶対に説得してみせる。絶対に認めて貰うんだ。
「政臣さんとのお話は、私も同席しますからね。こうなった以上、沙羅ちゃんの幸せの為に高梨さ…いいえ、一成くんには、絶対にお婿さんに来て貰わないと!」
お婿さん…それって俺のことだよな…。
婚約者や結婚という不慣れなワードが飛び交っているのだから不思議ではないが、改めて言われてしまうと戸惑いはある。
…ところで、俺のことを名前で呼んだような?
「政臣さんとのセッティングは私に任せて下さいね。後は沙羅ちゃんのことだけど…」
そう、家出してしまった沙羅さんをどうするべきかという話だ。
強引に家へ帰すという選択肢は絶対に無い。
「一成くん、申し訳ないのだけれど、沙羅ちゃんを暫くお任せしてもいいかしら? 必要な生活費は、今週末会うときにお渡ししますから。」
俺としてもそれがいいと思っていた。
今の沙羅さんは受けた衝撃が強すぎて、落ち着いてしっかり考えることが難しくなっていると思う。それなら暫く家から離れて、考えられるようになってから改めて話をすればいいだろう。
「任せて下さい。でも生活費なんて別にいいです。」
「ダメよ、こちらからお願いしているのだから、ちゃんと受け取って下さいね。さて、そろそろ終わらないと沙羅ちゃんがお風呂から出て来ちゃうかしら?」
「かもしれませんね。じゃあ政臣さんとの件は宜しくお願いします。」
「こちらこそ、沙羅ちゃんを宜しくね。それじゃ、お休みなさい」
…………
俺に迷いはない。
これからも沙羅さんと一緒にいる道を選ぶだけなのだ。
ただ…相手が単なる邪魔者というだけではないということ。
真由美さんの話から分かったことは、単に恋人だというだけでは向こうを黙らせることが出来ない。そんな奴等が相手では、婚約者だと公表したとしても表面上鎮火したように見えて、火種はしっかり残るのではないか? 何となくそんな気がした。
これなら、山崎を相手にしていた時の方がまだやりやすかった気がするな…
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翌日。
今朝の沙羅さんは普通の様子を見せていたと思う。
いや、普通であるように装っているのは一目瞭然であり、その内心を思うと俺も辛くなってしまう。
だが、沙羅さんが耐えているのに俺がそれを見せる訳にはいかないのだ。
今の俺が出来ることは、沙羅さんに寄り添い少しでも安心して貰うこと。
そして一刻も早く政臣さんに認めて貰うこと。まずはそれからだ。
週末が待ち遠しい
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「おはよう高梨くん。」
少しぶっきらぼうな声音の挨拶は、昨日からクラスメイトになった花子さんだ。
大切な親友というポジションに加えて、クラスメイトという要素も追加され、より一層掛け替えのない存在になっていた。
「おはよう花子さん。」
「…………」
何だろうか…挨拶を返しただけなのに、俺の顔をじっと見て何かを確認するような素振りを見せていた。
「…見て、朝から見つめあってる」
「…ホントだ、もうラブラブだね」
「…くぁぁ、羨ましい」
「…いいんだ、俺にはまだ薩川先輩がいる」
「…最近ますます綺麗になった気がするわ。ライバル多過ぎだけど…」
「…高嶺の花は、俺みたいに愛でるだけにしとけ」
「ちょっと来て」
そう一言呟くと、花子さんはいきなり俺の上着の袖を掴み引っ張った。
突然のことに驚いたが、直ぐに何か理由があるのだろうと判断した俺は、それに黙って従うことにする。
「HRまでには帰ってこいよ~」という誰かの声を背に、廊下へ出た俺たちは更にその先まで引っ張られながら進んでいく。
そして結局辿り着いたのは、俺が速人とよく会話をする人気のない階段の踊り場。
転校二日目で早くもここに気付いたのか…
「花子さん、どうした?」
「どうしたはこちらの台詞。困ってるなら相談に乗る」
「だから話しなさい。」俺をじっと見つめる花子さんの目から、そんな言葉が聞こえたような気がした。やはり俺は隠し事が下手なのだろうか?
「…説明するには時間が足りないかも」
逃げたように聞こえるかもしれないが、実際のところHRまでそんなに余裕がないのに、今から説明を始めたら時間が足りなすぎる。
「そう…つまりそれだけ大きい話ということね。それなら今晩、RAINで召集をかけなさい。」
召集!?
……あ、グループ通話ってことか。
「下手の考え休むに似たり。何を悩んでいるのか知らないけど、みんなに相談してみれば何か解決策があるかもしれない。どうせ嫁のことだろうから気持ちはわからないでもないけど、周りが親身に協力してくれるのも、結局はあなたの力だということを忘れたらダメ。」
周りが協力してくれるのも俺の力?
それはどういう意味だろうか?
…たまに思うのだが、花子さんは俺達とは別の視点で物事を見ているときがあるような気がするのだ。そんなときは、状況に流されず突然鋭い意見を出したり、意味深な言葉を口にすることがある。
であれば、この言葉も…
「あなたには皆がいる、私もついてる。一人でどうにもできないというのなら、素直に頼りなさい。」
「花子さん……」
俺と花子さんは身長差がそれなりにあるのだが、目一杯背伸びしてギリギリ俺の頭を撫でてくれた。
今の言葉なら俺だってわかる。
俺も友達が困っているなら力になりたい、協力してあげたいと思う。
だからきっと、皆もお互いをそう思ってくれているのではないだろうか。
沙羅さんのことなら俺が何とかしなければと焦り、頼りになる友人達に相談するという選択肢を無意識に外してしまっていた。
「花子さんは凄いな」
もっと他の言い方もあるだろうに、俺の口を突いて出た言葉はその一言だけだった。
「私はお姉ちゃんだから」
ニヤリと笑いながら、花子さんの最近お決まりパターンである「お姉ちゃん」というキーワード。
とはいえ、先程までのやり取りを考えてしまうと、今回に関してはぐうの音も出ないかな。
「花子さん、その、お姉ちゃんって」
キーンコーン……
校内に響き渡るその予鈴は、俺達に早く教室へ戻れという合図。
今回もこの話はできなかった。
お互いの顔を見合わせて、どちらともなく来た道を戻るように廊下を歩き始める。そんな俺の背中に向かい
「今度、教えてあげる」
そう呟いた花子さんだった。
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昼休み。
お弁当を食べ終わり、ひと息ついた後…
「あ、あの…一成さん、本当に…」
「もちろんです。さ、早く!」
「あぅぅ」
ポンポンと自分の膝を叩いて、沙羅さんを半ば急かすように誘導してみる。
少し恥ずかしいのか顔を朱くしながらも、おずおずと俺の言うことに従おうとしてくれるのは、嬉しいという気持ちもあるのかもしれない。
「…何やってんのあの二人?」
「…一成が、薩川先輩を膝枕してあげようとしてるみたいです。」
「…男子にして貰うのってどんな気分なのかな?」
「…イケメンにして貰えばわかる」
「…えぇ!?」
あまり騒がれると、沙羅さんが恥ずかしがって躊躇してしまうからそっとしておいて欲しいのだが…
「そ、それでは、失礼致します。」
覚悟を決めたように、沙羅さんが小さな声で「えいっ」と呟いてから、俺の膝(というより太股)に頭を預けてくる。
制服のブレザーを沙羅さんに掛けてから、膝枕シチュの定番、頭も撫でてみた。
「ふぁぁ…」
沙羅さんから、嬉しかったのか気持ちよかったのか、滅多に聞けない声が聞けてしまった。だから俺も嬉しくなって、頭を何度も撫でてしまう。その内に沙羅さんも状況に慣れてきたのか、脚にかかる重みが少しだけ増えた。
なでなで…
なでなで…
まるでここだけ空間が変わったかのような、ゆったりと穏やかな時が流れる。
俺の脚に触れている沙羅さんの手が、きゅっ…と、何かを確かめるように動いており、その仕草に自然と笑みが溢れてしまった。
普段沙羅さんが俺を膝枕してくれている気持ちが、少しだけわかったかもしれない。
「…あの、夏海先輩、何を…」
「…後でえりりんに見せてあげるのよ~」
「…高梨くん幸せそう…。見てるとこっちまで嬉しくなっちゃうね」
「…そんなにいいなら、今度私も頼んでみようしら。いや、やっぱり私が…」
「一成さん…」
気付いてはいたが、やはり沙羅さんは寝ていなかったようだ。寝返りをうつように正面を向いた沙羅さんと目が合うと、ふわりと微笑みを浮かべてくれた。
「やっぱり寝れませんでしたか?」
「ふふ…幸せ過ぎて、眠るのが惜しくなってしまいまして。」
「それなら、家でもやりましょうか?」
「ありがとうございます。でも、どちらかと言いますと、私が一成さんに膝枕をして差し上げたいのですよ?」
やっぱり沙羅さんは、俺が甘えた方が嬉しいのだろうか?
それなら今度、思い切っておねだりしてみようかな…
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何だかんだで、週末も更新できてしまいました。今回は睡眠削ってないのでご安心下さい。
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