第201話 転校生

温かくて、柔らかくて、安心感と幸福感…そんな心地よさに包まれ微睡んでいる。夢見心地という言葉は、正にこのことを言うのではないだろうか。

だが不意に、その気配がゆっくりと、でも確かに遠ざかろうとするように感じた。

どうしてもそれから離れたくない俺は、半ば無意識にそれを求めて抱きつくと…その心地良さは俺を再び包んでくれて安心してしまう。


「ふふ、一成さんったら、甘えたさんなんですね。はぁ…本当に可愛い…。そろそろ起きて、朝食とお弁当の準備をしないといけないのですが…でも一成さんから離れたくないです…」


沙羅さんの声が聞こえたような気がして、少しだけ意識が覚醒する。少しだけ…だが。


「んん…沙羅…さん…?」


「あ、起こしてしまいましたか? まだ時間は大丈夫ですから、もう少しお休みしていて下さいね…」


そう耳元で囁くと、俺を寝かしつけようとしているのか、ゆっくりと頭を撫でられ柔らかいものに包まれていく…感覚が…


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月曜日。


沙羅さんの誕生日は、俺にとっても一生の思い出に残る一日だった。楽しくて幸せで、忘れられない、忘れたくない、そんな一日。

沙羅さんとのファーストキス、サプライズだったプレゼント作戦も成功して、誕生日パーティーも無事に終了。詰めが甘かった部分もあったが、それでも自分に合格点をあげていいのではないかと思う。


そしてそれが終わり、まるで夢から覚めたかのように、いつもの日常に戻ってしまった。

だからだろうか…うん、きっと気が抜けただけなんだ。


夏海先輩とコンビニで合流して挨拶を交わすと、話題は早速昨日の夜の話になってしまう。


「それで、沙羅は昨日も泊まったんだよね。あのさ…本当に一緒に寝たの?」


「勿論ですよ。でも一成さんはお疲れのご様子でしたから、直ぐにお休みしてしまいましたけれど。ふふ…今朝の一成さんは、お目覚め前から甘えたさんでしたね。」


「いや…」


そう、半分寝惚けていたとはいえ、離れたくなくて時間ギリギリまで沙羅さんに甘えていた。これは昨日の疲れと、全てを無事に終わらせた安心感から気が緩んだだけなんだ。


「甘えたさんって…どこまで甘やかしてるのか聞くのが怖いわ…。まぁ沙羅が喜んでるなら、私がとやかく言うことじゃないけどさ。でも高梨くんは、凄いのか凄くないのかよく分からないわね…」


半ば呆れ顔で意味深なことを口にする夏海先輩。もちろん意味はわかっているが、敢えて話に乗らないことにする。沙羅さんが理解していないからだ。


「しっかし、昨日は楽しかったなぁ。何というか、あのグループは妙にしっくり来るのよねぇ。」


「確かに、俺もあのグループなら何をやっても楽しめる気がします。」


「ええ。私も、今までの自分が嘘みたいに楽しく思えてますよ。」


皆も同じようにそう思ってくれていると嬉しいんだけど…いや、きっとそう思ってくれている。こうなってくると、以前話題に上げた旅行なんかも本当に企画したいな…。

予算のこともあるから早めに打診した方がいいだろうけど。


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「おはよー」


教室に入ると、全体的にいつもよりざわついているという印象を受けた。

あいつらが大人しくなってからは、このクラスもびっくりするくらい平和になっていて、逆にこんな様子が珍しく思えた。


「おはよう高梨!」


「おっす高梨、聞いたか?」


「いや、今来たばっかりで聞いたも何も…」


「こいつはバカだから、俺達にも同じことを言ったんだよ。」


どうやら三人の中では山川が一人で盛り上がっているみたいだが、さて今日はいったい何の話しだろうか。


「で? 山川は何を言いたいんだ?」


「なんか転校生が来るらしいぞ」


「ちょっ、俺が言おうと思ったのに!」


「誰が言っても結果は変わらないだろうが。」


一応もう少し詳しい話を聞いてみたところ、情報源になっているやつの話として、うちの担任が見たことのない女子を連れて職員室に入ったらしい。だから転校生ではないかと噂が立ったようなのだ。


「スゲー可愛いって言ってたから、山川が盛り上がってるんだよ。」


「というか、それは本当に転校生か? たまたまじゃないのか?」


「高梨の言う通りだな。でも噂が一人歩きして教室はご覧の有り様だ。」


なるほど。

まぁ転校生なんて珍しいし、可愛いなんて噂が流れれば期待するやつもいるか。

俺? 俺は沙羅さんがいるから、例えアイドルが転校してきたとしても興味はない。


「おはよう高梨くん」


「お休み挟んで少しは休めたかな?」


この発言から察するに、どうやら夏海先輩ファンクラブの二人は俺の様子に気付いていたようだ。


「おはよう。…俺ってそんなにわかりやすかったか?」


「珍しく授業中に居眠りしてたからね。何となくそう思っただけだよ。」


キーン、コーン

ガラガラガラ


「おはよー。皆席に着け〜」


チャイムと共に教室へ入ってきたのは担任一人だったが…曇りガラスの向こうに人影が見えた。


「それじゃ、今日も頑張ろうね」


「ああ」


三人組も、夏海先輩ファンクラブの二人も自分の席に戻り、俺も椅子に座って話を待つ。

みんな廊下の人影に気付いているのかソワソワしており、特に山川は、待てをされて必死に我慢するワンちゃんのようである。


「先生!! 廊下の人は誰ですか!?」


どうやら山川は、待てをする忍耐力はなかったようだ。

律儀に勢いよく右手を挙げて質問するその姿が、どこか滑稽に見えてしまった。


「女子のことになると目敏いなお前は。まぁ気付いてるやつも多いみたいだし、早く紹介しとくか。おーい、入ってこい」


どうやら女子であることは確定したようだ。

まぁ俺は別に…


ガラガラガラ…


再び教室の扉が開き入ってくるその姿は…


………は?


「よし、それじゃ自己紹介してくれ。」


「花崎莉子。宜しく。」


ええええええ!?


「キターーーーーーー!!!!!!」


山川の絶叫とも言える突然の大声に、クラスのやつらも担任も花子さんも、全員ビクリと身体を震わせた。

そう言えば、あいつ花子さんが好みのタイプとか言ってたような気が…


ってそうじゃない!

何で花子さんがこの学校に!?

というかこのクラスに!?


クラスのざわめきが大きくなり、主に男から「可愛い」という単語が聞こえてくる。

かく言う俺は、呆気に取られてボーっとしていたら、こちらをガン見している花子さんとバッチリ目があってしまう。


ニヤリ…


不敵な笑みを浮かべる花子さんは、明らかに俺をターゲットにしてる様子。


「さて、花崎の席だが…」


「はいはいはい!! 俺の横が空いてまーす!!」


山川の猛アピールが始まった。

あいつは最後列の一番端、しかも窓寄りというある意味絶好の席に座っているのだ。

ただ、人数の関係であの列はあいつ一人なのだが…


「そうだな、あそこへ…」


「先生、私は一成の横がいい。」


「……かずなり?」

「……かずなりって誰だ?」

「……知ってる?」

「……下の名前だとわからねーよ」


「かずなりって………高梨のことか?」


「そう」


「「「「「 ええええええ!? 」」」」」


全員の視線が一斉に俺に集まる。

花子さん止めてくれ!!

っていうか、俺の横は居るんだよ!?


「ん? なんだ、高梨と知り合いなのか?」


「ふ…そんな軽い関係ではないです」


「「「「「 ええええええ!? 」」」」」


これ、隣のクラスから苦情がくるのではないだろうか?

一気に騒がしくなってしまったクラスメイトを尻目に、花子さんはニヤニヤしながら俺を見ているし、ついでに山川も同じくらい俺を見ている…何とも言えない表情で。


「そ、そうなのか? まぁ知ってるやつが側に居れば、馴染むのも早くなってちょうどいいかもな。前田、山川の隣に移動でもいいか?」


「はーい。それじゃ移動します〜」


ベストポジションに近い席が手に入ってラッキーくらいのノリで、意気揚々と荷物をまとめて移動する前田さん。

今まで誰も使っていなかった山川の横にある席がついに埋まることになった。


「よし、それじゃ花崎は高梨の隣だ。高梨、色々教えてやってくれ。」


「はーい。」


俺の返事を聞いた花子さんは、そのまま隣の席にくると腰を下ろした。

一瞬夢かと思ったが、やはりどう見ても花子さんだよな。ちょっと低めの身長も、ロ…とても童顔な顔立ちも、自己主張の強いツインテールもそのままだ。


「花子さん、どうなって…」


「ここじゃ話しにくいから、詳しいことは後で話す。とりあえず、今日から学校でも宜しく」


「…わかった。宜しくね、花子さん。」


驚いたけど、仲のいい友達が近くにいるというのは素直に嬉しい。このクラスも以前よりは馴染んだし、花子さんが来てくれたお陰で一層楽しくなりそうだ。


「お姉ちゃんが近くに来たのが嬉しい? そんなに喜んでくれるなら転校してきた甲斐もあった。」


普段はぶっきらぼうな表情をしているのだが、最近はこうして笑顔も見せてくれる。

花子さんが早くクラスに馴染むように、俺も協力しないとな


……ところで、そろそろ本当に聞いておいた方がいいだろうか。何でいつも自分をお姉ちゃんと呼ぶのか…逆に言えば、俺は弟だと思われているということになる。しかも今日は呼び捨てだったし…沙羅さんに申し訳ない気持ちが…。


「…ね、あの二人どういう関係だと思う?」

「…単なる知り合いって感じじゃないよね」


「…あー気になる、どういう関係だよ」

「…まさか恋人じゃないよな?」

「…お姉ちゃんって言わなかったか?」

「…か、可愛い…」


そこかしこからひそひそ話が聞こえてくるのだが、みんな俺達のことを話してるんだろうなぁ…


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朝のHRは普段よりも早く終わった。

恐らくだけど、花子さんとクラスメイトが話をする時間を作ってくれたのではないだろうか。あの担任も、たまには良いことをするな。


担任が教室の扉を締めた瞬間に、花子さんの周りには一斉に人だかりができる。隣の席にいる俺もそれに飲み込まれた形だ。

やはり最初の人だかりは女子になったようで、俺は逆に居心地の悪さで逃げたくなったが…花子さんを見捨てる訳にはいかない。


「花崎さん、初めまして!」

「わ、近くで見るとホントに可愛い!!」

「これから宜しくね!」


「え!? えと…」


こんな掴みを皮切りに、それぞれが言いたいことを勝手に話始める。転校生と話をしたい気持ちはわかるが、こんなの聖徳太子でも対応しきれないだろう。ましてや一般人の花子さんでは、当然だけど対応しきれずに困っていた


「あのさ、そんな一気に話しかけたら花子さんが困るだろ。せめて順番にしてやってくれ。」


こんなことを言ったらまたハブられるかも、とは思ったが、さすがにこれは見ていられない。女子連中がどんな反応を見せるかと思ったが…


「花子さん?」

「わ、やっぱ高梨くんと何かあるんだ!?」

「え、え、どんな関係!?」

「さっき、軽い関係じゃないって言ったよね?」

「バカ、それより名前で呼んだでしょ!」


うわ…余計酷くなってしまった感じがする。

今度は俺まで含まれてしまい、ますます収集がつかなくなりそう。


「みんな、高梨くんの言う通りだよ。花崎さんが困ってるし。」

「うん、もうちょっと落ち着こうよ。」

「騒がしくしてごめんね花崎さん。」


ここで、人だかりの後ろから俺を援護してくれる声がかかった。そして身体を割り込ませるように入ってくるのは、このクラスでも俺によく話しかけてくれる面子だ。


彼女達の登場で落ち着きを取り戻したのか、集まっていた女子達も謝罪の言葉を口にした。


「別に謝らなくていい。改めて、宜しく。」


いつも通りの少しぶっきらぼうな一言なのだが、みんなはそれを知らないから花子さんが怒っていると勘違いしてしまったようだ。

困ったような表情を浮かべる女子もいるので、フォローしておくことにした。


「花子さんは怒っている訳じゃないから気にしなくていいよ。いつもこんな感じだから」


「いつもじゃない。」


「いや、でも」


「むー」


「…はい、いつもじゃないです…」


「よろしい」


おかしい、何でフォローしてる俺が怒られてるんだろうか…


「えーと、高梨くんと仲いいんだね?」


「そう」


「「「「 へぇぇぇぇ 」」」」


間違いなく誤解されているような気がする。

楽しくなるとは思ったが、どうやらそれだけではなさそうな、期待と不安の混じる花子さんの転校劇だった…

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