第196話 次は

あぁ…綺麗だ…本当に綺麗だ。

止まった筈の涙がまた少しだけ溢れる。


唇を離して沙羅さんを見ると、まだ眼を閉じたまま涙を流していた。その姿に感動を覚え震えが走る。ファーストキスの感動もあり、俺は例えようのない感動に震えていた。


沙羅さんはゆっくりと眼を開けると、まだ目端に涙は残ったままではあるが、先程までとは違い穏やかな表情を浮かべてくれた。


「夢が…また一つ叶いました…」


「…夢ですか?」


「はい。私のファーストキスを…また一つ、私の初めてを一成さんに…」


沙羅さんは嬉しそうにしながらも、どこか惚けたような、夢見心地のような様子も見せている。

視線は俺の眼と唇を行ったり来たりしていて…

これは無意識なのか、自分の唇を指で触れていて、その仕草が表情と相まって妙な色気を感じてドキドキしてしまう。


「一成さん…」


「…はい」


「良かった…私はあなたの想いを台無しにしていなかったのですね…良かった…本当に…」


「沙羅さん…」


このいじらしさに耐えられる男なんかいないだろう。

何で沙羅さんはこんなに可愛いのか…自分がどうすればいいのかもう何もわからなくなってしまい、このまま抱きしめるという選択肢くらいしか思い浮かばなかった。


「沙羅さん、俺は沙羅さんにどうしても自分で働いてプレゼントを用意したかった。驚いて欲しかった、喜んで欲しかった…でも、そのせいで沙羅さんを苦しめるなんて全く考えていなかった…すみま」

「一成さん」


「…はい」


「謝らないで下さい。私は今、本当に幸せなんですよ…。一成さんが私の為にお怪我までして用意して下さったこのペンダントは、生涯の宝物です。」


「沙羅さん…」


「ふふ…すみません少しだけ離れますね。一成さんから頂いた宝物を、もっとよく見せて下さい。」


名残惜しそうに俺から離れた沙羅さんは、愛しそうに両手でペンダントの部分を触りながら眺めている


しかし、俺は少し冷静になった途端に照れ臭くなってきた…この後どんな表情で顔を合わせればいいのか。

感極まってしまったことで、初めてのキスがいきなりお互いを求めるような雰囲気になってしまった。

沙羅さんの想いが嬉しくて俺も貰い泣きをしてしまったし、こんなファーストキスをする恋人はどうなのだろうか? 珍しいのだろうか?


正直なところ、プレゼントを渡した後の雰囲気で沙羅さんが受け入れてくれるのであれば…と密かに思っていたのは事実だ。

だけど、俺のせいで沙羅さんに想定外のプレッシャーを与えてしまった誤算があり、思い詰めた様子から流石にそこまで無理はできないと思っていた。

もっとも、だからこそ涙を流す沙羅さんに愛しさが溢れた…ということなんだけど。


沙羅さんは本当に嬉しそうに触っていたのだが、どうやら開閉式であることに気付いたらしい。


「あ…これはロケットだったのですね?」


「ええ。仮に入れた写真が入ってますけど、沙羅さんの好きな写真があったらそれを入れて下さい。」


それには答えず、ロケットを開けてみた沙羅さんが再び固まる。


「…ふふ………もう……一成さんったら…」


どうやら写真の方も気に入ってくれた様子でホッとした。

まだじっと眺めているようだが、写真の出所は…多分聞かれるだろう。


「ふふ…こんな…ぐすっ…素敵な写真…」


……あ


「もう…ズルいですぅ…私、嬉しくて…ぐすっ…こんな写真…こんな…こんな…」


「沙羅さ…」


ポスン…


俺が名前を呼び終わるよりも早く、胸に飛び込んでくる軽い衝撃。


「…私…ひっく…一成さんのばかぁ…大好きぃ…私をどこまで喜ばせれば気が済むんですかぁ」


いつも大人っぽい沙羅さんが、今日はとても可愛くて…まるで同い年や年下のようにも見えて…


「ぐす…私…幸せです」


「俺もです」


「大好き…」


「はい。俺も大好きです。」


「愛しています…」


「沙羅さん…」


「ん……」


沙羅さんが落ち着くまで、暫く二人で抱き合ったまま…少しずつ沈んでいく夕日に合わせて伸びていく影は、いつまでも一つのままだった…


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帰りの電車は比較的に空いていたのだが、沙羅さんは俺から離れようとしなかった。

今日は完全に甘えモードになっているようで、今は俺の胸に寄りかかるように身体を預けてきている。


「一成さん…今日は本当にありがとうございました。こんなに幸せな一日は、人生で二度目です。」


「え、あ…そうなんですか?」


今日と同じくらい幸せな日が他にもあったのか…かなり頑張ったつもりなんだけど…


「ふふ…一成さんは鈍感さんです。今日と並ぶくらい私が嬉しかったことなんて、一つしかありませんよ?」


つんつん…


少しだけ残念な気持ちが顔に出てしまったのか、沙羅さんはいたずらっぽい表情を浮かべて俺の頬を突っついてくる。


つまり、その嬉しかったことも俺とのことで…ということか。

えーと…あ!


表情で俺が思い当たったことに気付いた沙羅さんが、少しだけ頬を膨らめた。


「一成さんから告白して頂いた日は、それまでの人生で一番嬉しかった日なんですよ。それなのに…忘れたら、めっ、です」


「ご、ごめんなさい。でも、俺だって同じですよ? 沙羅さんが恋人になってくれた日と今日は、俺の中で一番…」


「…はい。一緒ですね。これまでも、これからも、全部一成さんと一緒です。」


嬉しそうに微笑む沙羅さんの左手は、無意識なのか、首にかけられたペンダントから離れることはなかった。


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電車を降りて駅を出ても、沙羅さんは俺の右腕から離れることはなかった。俺の右手が気になるようで、組んでいない腕を伸ばしては手の甲を撫でてくる。


「お家に帰ったら、右手の手当てをしましょうね。…今思えば、お怪我を秘密にする為に手当をしなかったのではありませんか?」


「え…と」


やはりそう思われるだろうな。

実際それは事実であり、これが判明した時点で怒られることは覚悟していた。


「でも…俺は沙羅さんに喜んで欲しかったから…その為なら」


「…ずるいです。そんな嬉しいことを言われてしまったら、めって出来なくなってしまいます…」


「…いや、そんなつもりは」


沙羅さんは少し困ったような表情を浮かべて、俺の目をしっかりと見つめてくる


「私は、途中まで苦しかったです」


「…はい」


「一成さんがお怪我をしているのに、それをわかっていて平気な顔をするなんて本当に辛かったんですよ…」


「はい…ごめんなさい」


「言葉だけでは許しません」


本気で言っている訳ではないということは口調でわかっているが、こんな子供っぽいやり取りを沙羅さんとするのは初めてで、嬉しさから思わず笑いが込み上げてしまう。


「笑うなんて酷いです」


「すみません、どうすれば許して貰えますか?」


「……後で、もう一度」


沙羅さんの目線が俺の口に向かっていることは気付いていたが、今の沙羅さんは、ついからかいたくなってしまう。


「…もう一度?」


「…わかってるくせに…いじわる」


沙羅さんの可愛さに我慢の限界だった俺は、実力行使で黙らせることにした。

少し触れるくらいの軽いキスだったが、それでも満足してくれたのか一気にご機嫌になる


「ふふ…今はこれで許して差し上げます。」


「え、今は、なんですか?」


「勿論です。だって…」


「…だって?」


「次は…私からの番なんですから」


そう言って本当に嬉しそうに笑う沙羅さんはとても輝いて見えたのだった。



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         またしても余韻を壊すオマケ


          〜お誕生日会の準備中〜



「お邪魔しま〜す」


横川くんが部屋の鍵を開けると、ゾロゾロと順番に部屋に入る。

私は高梨くんの部屋に入るのは初めてではないけど、他のみんなは初めてのはずだ。


「お、お邪魔致します…」


中でもえりりんはかなり緊張しているようで、妙に大人しい。


「へぇ…男の子のお部屋に入ったのは初めてだけど、高梨くんはちゃんとお片付けしているんだね。」


「いや、それは嫁がいるからでしょ。」


藤堂さんの感想に突っ込む花子さんの指摘は当然で、沙羅が常に管理してるからね。


「台所も綺麗に整頓してありますね。流石は薩川先輩です」


台所でキョロキョロしていた立川さんが感想を漏らした。というか沙羅に憧れてるみたいだけど、何でもかんでも「流石」になってて少し面白いわね。


「あの…人様のお部屋をあまりジロジロ見るのは失礼ではありませんか?」


えりりんは流石に常識的なことを言って諌めているけど、明らかに興味津々といった様子がバレバレなのに自身は気付いていないのかしら…


「さて、私は姉として、弟が変な物を持っていないかチェックを…」


「いや、花子さん、一成はそういうの無いから止めてあげてくれ。」


「うん、一成は大丈夫だよ。それより、早く準備を始めようか。雑談は終わってからでもできるし。」


当然、男性陣は高梨くんのフォローに入るわよね。まぁ私としても、沙羅が入り浸っているこの部屋に変なものがあるとは思っていないけど。


「ね、ねぇ皆さん…」


「「「「「「 ?? 」」」」」」


えりりんが怖々と声をかけてきたけど、何だろう?


「皆さんが言う変なものとは…具体的にどう言ったものを指しているのでしょうか?」


「「「「「「………」」」」」」


えりりん以外が、それぞれお互いを見回して気まずそうにしている。


「夏海?」


「わ、私にそんなこと聞かないでよ! ね、ねぇ橘くん!」


「え!? そ、そうですね、夏海さんは知らないと思いますよ!」


橘くんがすかさずフォローに入ってくれた。根拠のないフォローだけど…


「そうですか…あ、花子さんはわかっているから探そうとしているのですよね?」


「えっ!? わ、私は…洋子とか案外詳しかったり?」


花子さんが立川さんを洋子と呼んだ。

同じ学校らしいし、仲良くなれてるみたい。


「い、いや、私はそんな! ま、満里奈!」


「うぇぇぇ!? な、何でそこで私にぃぃ!」


可哀想に…藤堂さんが真っ赤になってしまった。


「に、西川さん、一成のプライベートなんで、その話題は止めましょう!」


「横川くん!」


横川くんが直ぐにフォローに入ったお陰か、藤堂さんが嬉しそうに呼び掛けた。

あら、この二人いつの間にか雰囲気が少し変わった?


「そ、そうですね、失礼しました。高梨さんにも申し訳ないことを…」


ふぅ…。

絵里も何となくわかってる癖に、それでも聞く辺り実は興味があるからだと思うのよね。


「さあ、話は後にしてさっさと始めるわよ!」


気を取り直して私が号令をかけると、予め担当は決めてあったので各々が必要な物を持って作業に取り掛かる。

それじゃ私も


「邪魔になりそうな物って動かしてもいいんですかね?」


立川さんの声でそちらを向くと、どうやら折り畳まれた布団が邪魔をしているようだ。


「一成から適当にやってくれって言われているから、邪魔なら動かしてもいいと思うぞ」


「わかった〜」


「私も布団動かすの手伝う」


花子さんが立川さんの手伝いに入ったところで、またえりりんが声を出した


「あの…………」


「ん、えりりんどしたの?」


「このベッドは高梨さんのベッドですよね?」


えりりんが指をさしているのは勿論高梨くんが普段使っているベッドだ。


「うん、そうだけど」


「西川さん、どうかしましたか?」


「何か気になることでも?」


また変なことを言われることを警戒したのか、橘くんと横川くんが会話に入ってくれた。何を言いたいのかわからないが、絵里の表情が少し怖い…


「では…………この折り畳まれた布団は誰の布団ですか?」


「「「「「「……………」」」」」」


それに答える人は誰もいなかった……


ただ、真っ赤になった藤堂さんの顔が全ての答えを物語っており…

えりりんから表情が消えたのだった…

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