第195話 溢れる想い
五匹のイルカが水中から同時にジャンプして、天井からぶら下がったボールに顔を当てるとそのまま水面へ…
バシャーン!!!
うわぁぁぁ
きゃああ
プール寄りの客席にいたお客さんから、楽しそうな悲鳴が響き渡る。
水がかかる旨が明記された座席なので、もちろん全員わかってて座っているだろうから楽しいのだろう。
そうしている間にも、後続のイルカ達が高くジャンプして、回転しながら交差する。
「凄いです! 昔、両親と一緒に見たイルカさんのショーと全然違います!!」
沙羅さんは興奮気味に、以前見たイルカショーとの違いを力説していた。
そもそも同時に動いているイルカの数が他と全然違う。俺も昔見たことがあるが、この会場はどこかの競技会場かと言わんばかりに広く、プールの広さもかなりのものだ。
当然迫力も違うし、これだけの数のイルカがシンクロして動き回る光景は本当に圧巻だった。
「わぁぁ速いです!!」
尾ひれで水面に立ったように見えてるのだが、そのまま後ろ向きで高速移動する。一列目が終わると直ぐに二列目…と、これも連続で行われる。
フープくぐり、ボール遊びとショーは次々と進行していき、気が付けばショーもフィナーレを迎えていてた。音楽に合わせ、踊るように泳ぎ跳び跳ねるイルカの姿をじっと見つめる沙羅さん。
だけど俺は、ショーよりも沙羅さんの横顔に眼を奪われていた。その姿に思わず手を伸ばしかけたところで沙羅さんが不意にこちらを振り向く。
「…一成さん?」
スッとそのまま俺の腕を取り、自身の腕を絡めながら嬉しそうに微笑んだ。
「幸せです…」
たったひとことのその言葉に、どれ程の思いが込められていたのだろう…そう考えずにはいられない程、深みのある言葉に聞こえたのだった。
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「…凄い景色ですね。それに…とても綺麗です」
太陽が沈むまで時間はあるが、秋が深まるにつれ日中の時間がどんどん短くなっているような気がする。
まだ16時前だというのに、既に17時を回っているのではないかと思えるくらい日が落ちて来ているのだ。
水族館を出た俺達は、直ぐ横にある公園に来ていた。この公園は海に面しており、このままここに居れば海に沈む太陽を見ることもできるだろう。
もっとも、家で待っている皆がいるので、流石にそこまで時間を延ばす訳にはいかないのだけど。
帰りの時間を考えると、ここに居られるのは後三十分くらいだ。
本当は向こうに着いてから渡すつもりだったのだが、ロケーション的にこの公園がいいと判断した俺は、プレゼントをこの場で渡すことに決めた。
「沙羅さん…お話があります。」
沙羅さんは、手すりに両手をついて、柵から少し身体を乗り出す様に海を眺めていた。
その後ろ姿と海とのコントラストに見惚れていた俺は、雰囲気にも押されるように話を始める。
振り返った沙羅さんの長い髪が風に靡き、少し前髪を押さえるような仕草に鼓動が早くなる。
綺麗だな…沙羅さんが俺の恋人になってくれたなんて、今でも実は夢を見ているのではないかと思うこともある。
本当に俺は…
「はい…お伺いします。」
告白したときとはまた違う緊張感を感じるが、そもそも何故ここまで緊張しているのだろうか。
俺は沙羅さんに誕生日のプレゼントを渡そうとしているだけだ。別に断られるなんてことはないだろうし、沙羅さんから何かしらの答えを聞くようなことでもない。
気軽に、お誕生おめでとうって伝えて後は渡すだけの筈なのに…
アルバイトの説明は必要だろう。ひょっとしたら何か言われるかもしれないが、それでもここまで緊張は…
いや、この緊張感は俺ではない。
沙羅さんだ。沙羅さんの様子がおかしいのだ。気になっていたが、今ならわかる。
この緊張感は、沙羅さんの表面的な明るさの裏にある、あの一瞬だけ見た切なそうな表情。あれが表に出て来ているのだと思う。
俺が何かしてしまったのだろうか…理由がわからないという事が気になるが、プレゼントを渡しながらその辺りも聞いてみることにしようと思う。
でもその前に…
「沙羅さん、黙っててごめんなさい、俺はアルバイトをしていました。」
「……はい。」
そうか…驚かないということは、沙羅さんに気付かれていたということだ。
そして沙羅さんはもう隠すことを止めたようで、あのときの切なそうな表情が全面に出ている。
正直に言って戸惑いが凄い。
素直に喜んで貰えると思っていた、ちょっとは怒られるかもしれないと思っていた。でもこんな様子を見せられるのは完全に予想外だ。
「……気付いていたんですね?」
「…はい。正直にお話しますと、昨日の夜にお金のお話をする必要があると思い、途中で引き返したのです。生活費は私がお預かりしていますから…チケット代も…その」
「あ…」
やはり俺は肝心なところで抜けているな。
そうか…今まで不自由したことが無かったからすっかり忘れていた。
チケット代の出所を考えたら、簡単に気付いても不思議はない。
「私は一成さんの後を追いかけてしまいました。一成さんがアルバイトをして下さっているお姿も、遠くから拝見しておりました。」
最後の最後であれを見られるとは…何とも締まらない終わり方で、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「……そうでしたか。やっぱ俺はどこか抜けてますね。」
「いいえ、これは私が悪いのです。実を言いますと、修学旅行中から気になっておりましたが、一成さんからお話して下さるまで待つと決めておりました。そして、やっぱり一成さんはこうしてお話をして下さいました。それなのに私は…信じていたのに」
これは…俺がアルバイトを秘密にしてしまったせいで、沙羅さんに予想外のプレッシャーを与えてしまったのかもしれない。
「私は自分が許せなくなりました。ですがそれよりも嬉しさが勝ったのです。一成さんが今日このデートの為にアルバイトをして下さった。苦労をして下さった。申し訳ないと思う気持ちは確かにあります。でも…私は幸せなんです。一成さんにそこまで想って頂けて、本当に嬉しいという気持ちが本心です。一成さん…右手を見せて下さい…」
…ここまで来れば隠すこともないだろう。
そもそも右手を指定した時点で、沙羅さんは確実に気付いている。
俺は覚悟を決めて右手を開いて差し出した。
沙羅さんは少し震える両手で、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと俺の右手を持ち上げる
「……っ!? こ、こんなに…かなりの痛みではありませんか? 私は気付かずに少し握ってしまいました…」
あのときか…そうか、それでいきなり腕組に変えたり、途中から無理をしているのではないかと思えるようになったのか…
「正直に言って痛いです。でもこれは、自分が沙羅さんを思って働いた結果なんです。だから俺は満足なんです。」
「…はい。一成さんが私の為にお怪我までされたことは本当に辛かったです。そしてそれ以上に嬉しかったです。ですから、一成さんのお気持ちを無にしない為にも、今日一日は心から楽しむと、笑顔でいると、自分は何も気付いていないと言い聞かせておりました。一成さんがお話をして下さったら、そのときこそ私も本当のことをお話ししようと。」
あの切なそうな表情は、そういう理由があったのか…。
「私は幸せな女です。一成さんにここまでして頂けて、想って頂けて…その嬉しさがあったから、私はこうして笑えているのです。申し訳ないと思う気持ちよりも、私自身の罪悪感よりも、一成さんのお気持ちが本当に嬉しいから…」
沙羅さんは俺が苦労していたサプライズを暴いてしまったこと、信じていたのに追いかけてしまったことに罪悪感を感じていたんだろう。
でも嬉しいと思う気持ちもあって、その狭間で揺れていてあの表情だったのだ。
そして今も沙羅さんはそんな感じだった。
でも…
「沙羅さん、一つだけ言うと、俺のサプライズはまだ終わってませんよ?」
「………え?」
「アルバイトを内緒にしたかったのは事実ですが、デート費用を稼ぐためだけに働いた訳ではないです。だから、沙羅さんは俺のサプライズを潰してなんかいませんよ?」
「そ、そう…なのですか? わ、私は、もう一成さんのお気持ちを全て無駄にしてしまったと、申し訳ないと…」
沙羅さんがふるふると震え出してしまった。
これは早く安心させてあげるべきだ、勿体つけるのは止めよう。
バッグを開けて布にくるまれた箱を取り出す。布を取ると…良かった、ラッピングは綺麗なままだ。
沙羅さんの視線は俺の手に釘付けになっている。
「沙羅さん…お誕生日おめでとうございます。自分で言うのもなんですが、沙羅さんのお誕生日ってことと、恋人になってから初めてのプレゼントってことで、頑張ってみました。」
「…………ぁ」
沙羅さんは声にならない声を出した。
パニックになっているのかもしれない。
震える沙羅さんの手を取ると、小さなその箱を手の上に乗せる。
「良かったら…開けてみて下さい」
「………はい。」
沙羅さんはリボンを解くと、包装紙を破らないように丁寧に、ゆっくりと剥がしていく。
そして箱を開けて…少し俯いたまま動きが止まった。
……?
あれ、何で箱の中身を手に取ろうとし…
ポタッ……ポタッ……
まるでそこだけ小さな雨が降り出したかのように、沙羅さんのは足元に水滴が一つ、また一つと落ちてゆく。
俺は慌てて表情を確かめると…沙羅さんは驚き顔のまま涙を流していた。
「あ…あれ? も、申し訳ございません、私は…今日は…今日…は…きょう……うぅ」
自分が涙を流していることに戸惑っていた様子を見せていたが、それも最初の内だけで…
「ひっく…ぐすっ…も、申し訳…ございません……わた、私は、今日は笑うと…でも、でも…も、もう限界で…もう笑えな…笑えない…うう…うあぁぁっ…」
沙羅さんの身体が崩れ落ちる予兆を見せたので、俺は慌てて抱き寄せると沙羅さんは限界だと言わんばかりに声を上げ始めた
「ひっく…な、泣かないって、ぐすっ、決め…決めたのに、私…わたしぃぃ、良かっ…一成さんのお気持ちを…ほんとうに…うぅぅぅぅ…嬉しい…嬉しいよぉぉぉぉ…うあああぁぁぁ」
こんな沙羅さんを見たのは初めてだ。
きっと張り詰めていた気持ちが限界を迎えたのだろう。ここまで沙羅さんを思い詰めさせてしまったのは俺のせいだ。
俺の方こそ申し訳ない。
力いっぱい抱き寄せると、立っていられないくらいにふらつきながらも、必死に俺に寄りかかってくれた。
「大好き!!! 大好きなんですぅ!!! 一成さん…かずなりさぁぁぁん!!! 大好きですぅぅぅ、うぁぁぁぁん!!」
「お、俺も沙羅さんが…本当に…う…ぐすっ…だ、大好き、大好きです!!」
まるで沙羅さんの涙が俺からも溢れているような…
誰もいない公園で、俺達の泣き声だけか響き渡り、お互いが倒れないように…愛しくて…愛しくて…
「うわぁぁぁぁぁん!!!!」
しばらく、動くことが出来なかった…
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どのくらいそうしていただろう
少し落ち着いた沙羅さんが何とか俺から身体を離すと、箱から取り出したロケットペンダントを手に持ち、箱は宝物に触るかのように丁寧にバッグに入れた。
沙羅さんはまだ泣き顔のままで、それは俺も同じかもしれない。それでもお互い少しだけ落ち着いて話ができるようにはなったと思う。
「…ぐすっ…一成さん、お願い致します。このペンダントは…あなたから私に…」
両方の手のひらでしっかりと包むように持っていたペンダントを俺に差し出してきた。
意味は勿論わかっているので、それを受け取ると留め具を外し、沙羅さんを抱きしめるような形で首後ろに手を回して留め具を着ける。
「……はい、これでちゃんと」
「一成さん………私…」
俺も沙羅さんも言葉になったのはそこまでだった。
目の前の沙羅さんはまだ泣き顔を残したままだったが、その涙は本当に綺麗で俺には宝石の様に見えたんだ。眼の縁に残るその宝石が愛しくてじっと見つめていると、沙羅さんも同じように俺の眼をじっと見つめてくる。
「沙羅さん…」
「一成さん…」
スッ…
少し見上げるように上を向きながら、至近距離で俺と見つめあう沙羅さんが………
まだ少し涙を残したまま、ゆっくりと眼を閉じた。
そして俺も自分の気持ちの赴くままに…
この日初めて、俺たちは本当のキスを交わしたんだ…
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