第194話 気丈に…

この水族館にはいくつかのショーがあるようで、メインのイルカショー以外にも見るものがあるみたいだ。


現在沙羅さんは、俺の腕に自身の腕を絡ませながら水槽の中を興味深そうに覗き込んでいる。

手を繋ぎたい気持ちは山々だったが、正直なところ沙羅さんが手を離してくれて助かったことも事実だ。

俺から手を離すことなど出来ないので我慢も覚悟の上だったのだが、あの直後に驚く程あっさりと離してくれたのだ。もっとも直ぐに腕組みをしてきたので、単にそちらへ変えたかっただけだと思うけど。


という訳で、とりあえずのピンチを脱した俺は、パンフレットを見ながら各ショーのタイムスケジュールを確認していた。今からならアシカショーに間に合うようだな。


「沙羅さん、時間的にアシカショーが見れるみたいですけどどうします? もし見るなら一旦場所を移動しますけど」


「あ、それは見たかったんです! パンフレットにはペンギンさんとアシカさんのショーがあると書いてありましたので、可能なら両方見たいで…あっ…」


沙羅さんのはしゃぐ様子は中々見れるものではないので、俺も嬉しくてついつい見入ってしまったのだ。目が合った瞬間にハッとした表情を浮かべた沙羅さんの頬は、徐々に朱く染まっていく。


「も、申し訳ございません…その…つい」


「沙羅さん、遠慮しないで下さい。俺は沙羅さんが楽しんでくれることが何よりも嬉しいですよ。だからそのままでいいんです。」


「……はい! では、まずはアシカさんのショーを見に行きましょう!」


はしゃぎ様はともかくとして、今日の沙羅さんは少しテンションが高いようだ。それだけ楽しみにしてくれていたのだと思うと、俺としても彼氏冥利に尽きるな。


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アシカショーは、イルカショーのように大きく泳ぎ回って高く跳び跳ねるといったアクション的なショーではなかった。

代わりにボールやフラフープを使ったり、身振り手振りで愛嬌を振り撒くといった可愛らしい内容であり、沙羅さんはその姿に釘付けになっていた。


「さて、次はどなたかにお手伝いして頂きましょう〜。今からこの子が何処かにボールを飛ばしますから、キャッチして下さいね。危ないので席は立たないで下さいね!」


そしてアシカの弾いたボールは、まるで最初から決まっていたかのようにこちらへ飛んでくる。

おいおい、これは…


スポッ


「凄いです! やりましたね一成さん!」


うーん、そこは俺じゃなくて沙羅さんにして欲しかったなぁ…

大きく山なりに投げられたボールは俺に向かって一直線で、特に身動きしなくても腕にスッポリと収まってしまった。


「はい、ではそこのお兄さん、こちらへお願いします〜。良かったらお連れ様もご一緒に」


「はい!」


まぁ二人一緒なら別にいいか…

沙羅さんは少し興奮気味に席を立つと、俺に続いて前に出る。

少し緊張してきたぞ…


「はい、では皆さん拍手〜」


パチパチパチパチ!!!


うぐ、これはちょっと恥ずかしい。

沙羅さんが嬉しそうでなければ遠慮したいくらいだ


「いや〜お兄さん…お世辞抜きでびっくりするくらい可愛い彼女さんですね…」


司会(?)のお姉さんが発した言葉は、恐らくお世辞ではなく思わず本音が出たという感じで、半分素が出ていたようなトーンだった。流石に沙羅さんも少し照れ臭そうにしている。


「さて、お兄さんはクーちゃんとキャッチボールをお願いします! 彼女さんは応援してあげて下さいね〜」


「はい、頑張って下さいね、一成さん!」


司会のお姉さんも、ここは沙羅さんにやって貰った方が絵になるとわかっているだろうに、何故俺に…

などと考えていたが、アシカとのキャッチボールは意外と楽しく、上手く頭でボールを弾きしっかり俺に返してくるのは素直に驚いた。


「はい、ありがとうございました! では記念写真を撮るので、こちらで並んで下さいね」


お姉さんの合図でクーちゃんがボールを上手くスタッフさんに打ち返すと、そのままお立ち台に乗ってちょこんと待機状態になった。

俺と沙羅さんがその横に並ぶと、カメラを持ったスタッフさんがやってくる。


「ちなみに…クーちゃんは女の子なんですよ〜。だからお兄さんを狙ったのかも?」


客席から口笛が飛んで来たり、笑い声が聞こえたりしている。なるほど、それを言いたいが為に、沙羅さんではなく俺にやらせていたのか。


「では撮りますね〜。はい、チーズ!」


そのかけ声と共に、真横でお立ち台に乗っていたクーちゃんが急接近してきて、チョンと俺の顔に鼻(?)を当ててきた。いきなりのことで少しビビってしまったのは内緒だ。


「はい、クーちゃんからキスのプレゼントでした〜。彼女さんごめんなさいね。お兄さんが頑張ってくれたので、良かったら彼女さんも褒めてあげて下さいね〜」


「はい、わかりました。」


沙羅さんは司会のお姉さんに返事をすると、そのまま俺の正面に回り込んで、肩に手を当てながら少し背伸びをして顔を近付けてくる。


ちゅ…


クーちゃんとは反対側の頬にキスをしてくれた。


「ふふ…ご褒美です。それと、クーちゃんに浮気は…めっ、ですよ?」


「は、はい…」


「「「「…………」」」」


お姉さんも客席も、突然の出来事にシーンと静まりかえってしまった。

まさかいきなり沙羅さんがキスをするなど思っていなかっただろう。

沙羅さんはいたずらっぽい表情を浮かべ、笑っていた。


「あ……い、いや〜、とても仲のいいカップルさんで羨ましいですね〜。皆さん拍手!」


ピーピー

パチパチパチパチ


「はい、記念写真をどうぞ〜」


「ありがとうございます」


調子を取り戻したお姉さんから貰った記念写真は、水族館の折り畳み台紙に納められていた。中には大きめの写真が入っていて、少し間の抜けた驚き顔の俺とアシカのクーちゃん、微笑みを浮かべてそれを見つめる沙羅さんが写っている。

これはいい思い出の写真になるな…

そう思うと、自然と笑みが溢れてしまった。


拍手を浴びながら客席に戻ると、俺は貰った写真を沙羅さんに渡すことにした。この写真はぜひ沙羅さんに持っていて欲しいと思ったからだ。


「はい、沙羅さん」


「え、ですがこれは一成さんが」


「いやいや、俺は沙羅さんに持ってて欲しいです」


「…本当に宜し…いえ、ありがとうございます。では、大切に致しますね!」


遠慮をする言葉を止めた沙羅さんは、写真を素直に受け取るとそれを胸に抱いて嬉しそうに笑ってくれた。これは、本当は欲しかったんじゃないのかな…


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本館から別館に移動する為に一旦屋外に出た。途中に広場があり、食事をしている家族連れやカップルの姿がチラホラ見える。

時間を確認するとちようど頃合いであったので、このままランチタイムとなった。


俺達以外にもお弁当を食べている人達はいるので、ここなら大丈夫かな。


ビニールシートを敷いて、お弁当箱を受け取ろうと手を伸ばしたのだが、何故か沙羅さんは渡してくれなかった。


「え…と」


このパターンは以前にも覚えがある。

俺が手首を捻挫したときだ。

だからつまり…


「全て私にお任せ下さいね!」


もちろん沙羅さんの笑顔に勝てる筈もない。

相変わらすテンションも高い…そう言えば、今日の沙羅さんは最初からテンションが高い感じがする。楽しんでくれているなら別にいいんだけど。


「はい、あーん」


結局、お弁当は全て沙羅さんから食べさせて貰ったのだった…


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「すぅ…すぅ…」


イルカさんのショーが始まるまでの待ち時間が中途半端だったので、食後の休憩ということになりました。

現在、一成さんは私の膝枕でお休みしております。


気持ちというものは不思議ですね。

文字通り「気の持ちよう」と言いますか、昨日あれ程感じていた罪悪感は全く感じません。

今の私にある気持ちは、喜しさ、楽しさ…そして愛しさと感謝です。

そしてそれがまた私を困らせています。


私は今とても楽しんでおります。幸せなんです。だって、今日という一日は一成さんがアルバイトまでされてプレゼントして下さったのですから。しかも手にお怪我までされて…私は本当に幸せな女です。それを考えてしまうと、嬉しさで泣いてしまいそうになるのです。現に今もギリギリなんです…ですが、まだ泣く訳にはいきません、泣く訳にはいかないのです、私はまだ何も気付いていないのですから。


一成さん、私は、本当に、本当にあなたが…あなたさえ居て下されば、私はそれだけで…


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少し眠ってしまったようで、目を開けて初めて自分が寝ていたことに気付いた。

沙羅さんはずっと俺の頭を撫でていてくれたようで、起きたことに気付くと微笑みを浮かべてを俺を見つめてくる。

だけど、俺が目を開けた最初の一瞬だけ、切なさで溢れているような…そんな表情に思えたんだ…


「沙羅さん?」


「はい、どうかなさいましたか?」


「…いえ。すみません、寝ちゃったみたいで…」


「はい、とても可愛らしかったですよ。ですからお気になさらずに」


いや、きっと気のせいだ。そもそも沙羅さんがそんな表情をする理由が思い浮かばない。


「よし! そろそろ場所取りに行きましょうか。」


「はい! イルカさん達のショーが楽しみです。」


今日はまだまだイベントが残ってるんだ。

気持ちを切り替えていこう。

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