第192話 罪悪感

悩みました、本当に悩みました。

歩きながら…一成さんの後ろ姿を眺めながら…


私は一成さんからお話を伺うまで、真実は分からなくても良いと思っていました。

必ず教えて頂けると確信しておりました。

私は待つだけで良いと…


ですが、図らずも一成さんの外出を目の前した今、どうしても気持ちを抑えることができませんでした。


なぜ、いつもお疲れなのか…

なぜ、汚れの酷いシャツがあるのか…

なぜ、体つきに変化が現れたのか…


そして…お金は…


ここまで条件が揃えば、一成さんが何をなさっているのか私にも予想はつきます。

ですから、一成さんがお話をして下さるまで待つことも出来るはずです。

それなのに私は…


目の前を歩く一成さんは、やがて一件のお店に入って行きます。

ここは…酒屋さん?


私は遠巻きにお店を眺めながら、自分がどうしたいのか、何故ここにいるのか考えました。このまま帰るべきではないのか…決心がつかずに身動きがとれなくなってしまいました。

その内に、エプロンを着けた一成さんが現れ、倉庫のような場所で何かをされているご様子が伺えたのです。


この時点で予想は的中したことになります。

私は答えを知ってしまったのです。

一成さんが秘密にしたかったはずのアルバイトを。わかっていた筈なのに…


今、私の心にあるのものは安心感と…罪悪感。


気が付けば、どなたかが一成さんとお話をしているご様子でした。あれは…横川さんと、藤堂さん?


なぜお二人が……一成さん…


身体が動いたのは半ば無意識でした。

少し歩き始めたところで、お二人がこちら側に向かい歩いてくる姿が視界に入ったのです。


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高梨くんの様子は、後でもう一度確認した方がいいよね。特に右手が…


日を追うごとに酷くなる高梨くんの右手は、素人の私が見ても限界だと思う。

本当なら今すぐにでもお仕事を中止して欲しい。でも、高梨くんは大切な人の為に必死に我慢して頑張っているのに、それを止めるなんて私には出来ないよ…


「大丈夫、藤堂さん?」


「うん…ごめんね、横川くん。」


「一成はそんなに無茶をしているのかい?」


「身体は疲れてるだけだと思う。前と比べれば少しはマシだと思うけど…でも…」


話に夢中になっていたことと、夜の暗さで見えにくくなっていたことで、近付く人影をあまり気にしていなかった。


!!??


「薩川先輩!?」


「な…なんでここに…」


戸惑った表情で佇む薩川先輩とまさかの鉢合わせ。

私は咄嗟に振り返り、高梨くんを確認する。

どうやら倉庫に入っているようで、こちらは見ていないようだった。


高梨くんに気付かれる前に、薩川先輩を遠ざけないと!!


「薩川先輩、こっちへ来て下さい!!」


「え、あの…」


「早く! 一成の努力を無駄にしたいんですか!?」


横川くんが強めの声をあげた。そんな声を聞いたのは初めてだと思う。

あの一件ですら怒鳴らなかった横川くんが、女性に、しかも薩川先輩に声を荒らげるなんて…


横川くんの剣幕に驚いたのか、薩川先輩は目を丸くした後、神妙な顔つきでコクリと頷いて場所を移動してくれた。

横川くんは薩川先輩の真後ろに付いて、念の為に高梨くんが気付かないようにしているのだと思う。


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「薩川先輩、先程はすみませんでした…」


場所を移すと、横川くんが先に頭を下げる。


「いえ…こちらこそ申し訳ありません。」


薩川先輩は、横川くんの言動について特に気にした様子はないようだった。どこか暗い表情のまま、逆に頭を下げてくれた。


「薩川先輩、なぜここへ? 高梨くんは言わなかったと思うんですけど…」


私は、取りあえず一番確認したかったことを聞いてみることにした。


「一成さんがお出かけする姿を見てしまいまして…」


今日の電話で、夕月先輩から薩川先輩が気付きかけていると報告があったことを思い出す。高梨くんが出かける姿を見て、思わず追ってきてしまったのかも…


「薩川先輩、お願いします! 今日のことは見なかったことにして、このまま帰って下さい!!」


横川くんが必死の形相で頭を深く下げる。


「一成は、薩川先輩にサプライズで喜んで欲しくて必死に働いたんです! 今ならまだ間に合います…詳しいことは、あいつが必ず教えてくれます。だから、あいつの気持ちを汲んでやって下さい!!」


……横川くんは、本当に素敵な人だよね。

こんなに真摯になって…お友達の為に頭まで下げて。

大切な人の為にどこまでも頑張れる高梨くん、友達の為にこんなに必死になれる横川くん…私には勿体ないくらい素敵なお友達。


「横川さん、頭を上げて下さい。私こそ、一成さんがお話をして下さるのをお待ちするべきでしたのに…なんで…どうして私は…」


薩川先輩が辛そうな、自身の行動を後悔していることがありありと浮かぶ、悲愴な表情を見せた。

でも薩川先輩のそれは、不思議でも何でもないことだと私は思う。


「薩川先輩、私は先輩を尊敬しています。本当に凄いと思っています。一人で色々なことがやれて、出来ないことはないと思えるくらいで…。そして大切な人の為にどこまでも優しくなれる、頑張れる、尊重し合える、高梨くんと同じです。本当にお似合いの二人だと思います。でも…どれだけ凄い人でも、先輩だって女の子なんです。」


私の最後の一言で、薩川先輩が顔をあげた。

特に失礼なことは言ってない…よね?


「学校で女神様だって言われたり、何でも出来る超人だって思われたりしてますけど、先輩だって私達と同じ普通の女の子です。好きな男の子のことで不安になったり、それを確かめたかったり、暴走しちゃったり、当然のことです。」


薩川先輩は私の話を黙って聞いてくれている。きっと、わかってくれていると思う。


以前の薩川先輩は、人を寄せつけず、何でも一人でこなす孤高の人だったと聞いたことがある。だからこそ自分にとても厳しい人なんだろうと思う。高梨くんを待つと決めたのに待てなかった自分が許せない…そんな憤りと、後悔を感じているんじゃないかな


「だから、自分を許してあげて下さい。薩川先輩の気持ちも、行動も、不思議でもなんでもないです。普通のことなんです。」


「ですが……私は…」


薩川先輩はそこまで言うと黙って俯いてしまった。理屈では理解できても、感情としては許せないのだろう…


そのままどのくらいが経ったのだろう。

五分? 十分?


「!? 藤堂さん、一成が!」


横川くんは建物の陰から高梨くんにも気を配っていてくれていたけど、突然焦ったような声をあげた。私もそれを確認すると…高梨くんがこっちに来ようとしてる!?


どうしよう…ここで薩川先輩と会ってしまったら、高梨くんのこれまでの努力が本当に全部…そんなことは絶対にダメ!!


幸い、薩川先輩はまだプレゼントまで気付いていないはず。高梨くんがこのことを知らなければ、最も大切なことだけは守ることができるかもしれない。


「横川くん、私が行くから薩川先輩を見てて! 薩川先輩、絶対にここで待っていて下さいね」


横川くんと薩川先輩に声をかけて、バッグの中から急いで差し入れ用のコーヒーを取り出す。

バッグを放り投げるようにその場に置いて、表情を作ってから私は走り出した。


高梨くんと薩川先輩の為にも、ここは絶対に乗り越えなきゃ…


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藤堂さんのお話が、私の頭の中を何度も行ったり来たりしています。


普通のこと…当然のこと。

皆さんの言う「普通」は、きっと私の「普通」とは違うでしょう。私は自分に課しているものがありますから。

だから、私は自分が許せない。

一成さんを信じているのに、それでも身体が動いてしまった。いいえ…我慢が出来なかった。自分で自分を抑えられなかった…


その結果、一成さんのお気持ちを台無しにてしまった。私が…誰よりも一成さんを大切に想っている私が!


限りなく確信に近い予想でも、答えを確認しない限りは予想のままで終わる。

今回は、例え気付いてしまったとしても、答えを知らないことこそが正解。そんなことは冷静に考えれば簡単にわかった筈です。


これで私は、明日のデートに罪悪感を持ち込んでしまう。そして嘘をつかなくてはならなくなってしまった。


「(薩川先輩はアルバイトの本当の目的に気付いていない。余計なことを言わなければ、まだ一成は…) 薩川先輩。先程も言いましたが、今日はこのまま帰って下さい。お願いします。明日はちゃんと…」


「大丈夫です。私もこれ以上何かをするつもりはありません。ですからせめて…せめてもう暫く、一成さんを見守らせて下さい…」


知ってしまったことはどうにもならない。

それならせめて…私の為に働いて下さる一成さんのお姿を目に焼き付けたい。

今の私はそれだけしか思い付かなかったのです…


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「……ただいま帰りました。」


「おかえりなさい、遅かったわね?」


玄関を開けると、直ぐにお母さんが出迎えにきてくれた。少し遅くなってしまったが、特に気にした様子はなさそうです。


「いえ…ちょっと…。ごめんなさい、部屋に戻ります」


「待ちなさい」


いつもおっとりしているお母さんが、あまり聞いたことのない鋭い声を出しました。

驚きで、思わず足が止まります。


「何があったのかは知らないけど、その顔を見てこのまま部屋に帰す訳がないでしょう。高梨さんと何があったのか答えなさい」


お母さんは、一成さんとのことで何かあったと確信を持って問いかけているようです。それについては驚くようなことではありませんが、今の私には、この問いかけの答えを口にするのが辛い…


「………私は、一成さんを信じていたのに…」


私がそれだけを言うと、お母さんは合点がいったと言わんばかりに頷いた。


「そう…気付いちゃったのね。まぁ高梨さんは隠し事が苦手なタイプだし、沙羅ちゃんは高梨さん限定で鋭くなっているでしょうからね。」


「一成さんが酒屋さんでアルバイトをしていることを知っていたのですか?」


どういうことでしょうか?

横川さんや藤堂さんはわかります。お友達ですから。でもお母さんは関係ないでしょうに


「え? 酒屋さん? ……あ!? そ、そうなのよ、前にアルバイトをしている高梨さんを見つけて少しお話をね」


何故か少し矢継ぎ早に説明をするお母さんですが、今はそんなことより…


「コホン…それで、高梨さんのアルバイトを知って、それがどうしたの?」


「…私は、一成さんを信じていると言いながら、お話をして頂けるまで我慢が出来ませんでした。その結果が、一成さんの想いを無に…」


自分の弱さが、高梨さんの努力を潰してしまった。高梨さんに申し訳なくて…きっと明日のデートでも…


「そう、その程度の失敗で高梨さんの頑張りを潰してしまうような女が恋人なんて、高梨さんが可哀想ね?」


!?

お母さんからこんな厳しいことを言われたのは初めての経験かもしれません。

私が潰す…そうなんです、私が潰して…


「沙羅、高梨さんの望みは何かしら? 高梨さんはあなたに何を望んでいるの? 逆の立場ならあなたは高梨さんに何を望むの?」


逆の立場なら?

私が一成さんのお誕生日をお祝いする…その為に働いていることを知られたくないと考えていて、一成さんが知ってしまったとしても…申し訳ないなんて思って欲しくはないです。むしろ…


「私なら…例え知られてしまったとしても、高梨さんに喜んで欲しいです。幸せを感じて欲しいです。」


「高梨さんは、あなたにそう思って欲しいから頑張ったのでしょう? サプライズはなくなってしまったかもしれない。でも、高梨さんの純粋な気持ちまで自分勝手な罪悪感で潰すというのなら、今すぐ彼と別れなさい。そんな女は高梨さんに相応しくない。」


「!?」


相応しくない…私が?

あまりのショックに崩れそうになりました。

別れる?

そんなの絶対に嫌です…想像もしたくありません

そんなことは…そんなことは!!


「沙羅、あなたがすべきことは何?」


まるで問い質すようなお母さんの言葉。

そんなことは聞かれるまでもない


「一成さんのお気持ちに答えることです。」


「もう素直に喜ぶことができないの?」


「いいえ、一成さんのお気持ちは本当に嬉しいです。」


「それがわかっているなら簡単な話よ。何も考えずに、明日は素直になりなさい。嬉しいことは嬉しい、楽しいことは楽しい、幸せなことは幸せ。別にバカ正直にアルバイトのことを知ってしまいましたなんて言う必要はないのよ? だって、沙羅ちゃんが心から楽しんでいれば、高梨さんの苦労は報われるんだから…」


私は何を考えていたのだろう。

自分の不甲斐なさに対する憤りと、一成さんへの罪悪感で頭が一杯になっていた。

そんな気持ちのままデートをすれば全て台無しにしてしまうと落ち込み、本当に大切なことを見失ってしまった。


一成さんが私の為にアルバイトをして下さったことが嬉しい。私の為に苦労をして下さったことが嬉しい。一成さんに想われて本当に幸せ、それが私の本心だ。

一成さんの望まない罪悪感など、私には必要ない!


「目が覚めたかしら?」


私が顔をあげると、お母さんはいつも通りの優しい笑顔を向けてくれた。


「はい、私はもう迷いません。明日という日は、一成さんが私に下さる宝物なんです。」


「それでいいのよ。明日は高梨さんと二人で幸せになってきなさい。(アルバイトの本当の目的に気付いていないみたいね…それならまだ…)」 


私は本当に幸福者です。

ありがとうございます、一成さん。

明日を楽しみにしておりますね…

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