第188話 沙羅さんのターン
「…………」
ここまでの衝撃は、沙羅さんが初めてキスをしてくれたとき以来ではないだろうか?
思わず絶句してしまう程のものだったが、次第にその衝撃が落ち着いてくると、次は顔に熱が集まってくる感覚がある。
沙羅さんは真面目にしてくれているというのに俺は…
だが正直に言おう……とても良かったです…
「はい、次は反対側をお掃除しますので、こちらを向いて下さいね。」
今は沙羅さんに背を向ける格好になっているのだが、反対側をやるということは必然的に沙羅さんの方を向かなければならない。
つまり、この顔を沙羅さんに見せなければならないのだ。
俺が振り返ろうとしないことを不思議な思ったのか、沙羅さんが少し顔を近付けて覗きこんでくる。
「? どうかなさいまし…」
今の俺はどんな表情をしているのだろうか?
恥ずかしい?
嬉しい?
幸せでニヤけてる?
正直、自分でもよくわからない。
だけど、鋭い沙羅さんが俺の表情を見て言葉を止めたということは、何かしらに気付いてしまったということなんだろう。
「一成さん、私にお顔を見せて下さいね。」
とても優しい口調でご無体なことを言う沙羅さん。
この言葉で、おおよそ把握されていることが確定してしまった。であれば、隠す理由がなくなってしまったということか。
覚悟を決めて、沙羅さんの方に向き変えるため真上を向いたところで、両サイドから手を回されてひょいと頭を持ち上げられてしまった。頭を抱きかかえられる体勢になってしまい、これでは顔を逸らすことすらできない。
真正面から向き合う形になり、お互いの表情が見えるようになると、沙羅さんは俺の顔を見てから嬉しそうに微笑んだ
「良かった…お気に召して頂けたようで何よりです。」
俺は何も言っていないのだが…やはり表情で読まれたようだ
「さ、沙羅さん…」
さすがに真正面からハッキリと言われると、恥ずかしいという感情が強くなる。
「申し訳ございません、つい。あ、それでは一成さんが落ち着いて下さるように、お顔を隠して差し上げますね。さあ、こちらを向いて下さい」
隠す?
よくわからないが、取り敢えず言われた通り身体を沙羅さん側に向けようとすると、それに合わせて沙羅さんが俺の頭を自身に向ける。
そうなると、当然俺の目の前には沙羅さんのお腹が迫ってくるのだが…
ぽすっ
俺の顔は沙羅さんのお腹にぴったりとくっついてしまった。
え…と?
「はい、これで一成さんのお顔は隠れてしまいました。」
うん、確かにこれなら隠れたと思う。
だけど、これは正直言ってキツい…男的にキツい。
沙羅さんはお風呂上がりということもあり、特有の温かさがあるのだ。
しかもお腹に顔をくっつけている状態なので、薄いパジャマ越しにその温もりを間近で感じてしまい、おまけに凄くいい匂いがする…同じボディソープのはずなのに。
このままでは自分が色々危険だと思った俺は、せめて少しくらいは顔を離そうと思い身体を動かそうとした。
沙羅さんは頭を撫でてくれていたのだが、俺が身じろぎをしたので少しくすぐったかったらしい。
「ふふ…一成さん、おいたはめっ…ですよ? 大人しくしていて下さいね。」
「す、すいません!」
「ひゃん! か、一成さん…?」
俺が勢いよく声を出したせいで、少しお腹に響いてしまったらしい。
お、俺はどうすればいいんだ!?
これでは動くことも喋ることも…あ、ゆっくり喋ればいいのか
「沙羅さん、もう大丈夫です。」
「え…もう宜しいのですか? せっかくなので、もう少しこうしていても…」
「い、いえ、沙羅さんが大変ですから」
「私は一成さんが甘えて下さるなら、大変なことなど何もありませんのに…。あ、では先にお耳のお掃除を続けましょう。それが終わりましたら、またぎゅってして下さいね。」
沙羅さんが頭に回していたいた手を離してくれたので、お腹から顔を少し離すことができた。
ふう…ちょっとヤバかった
「では、お耳のお掃除を始めますから、このままいい子にしていて下さいね」
ふにゅん…
沙羅さんは耳掻きをするために少し前のめりになる。さっきは後頭部だったから、今回は正面だ。となれば、俺の顔が幸せな状況になることは最初からわかっていたことだ。
お腹に続き…いや、考察を思い出せ。余計なことは考えるな、これは純粋に…
俺の苦悩までは気付かない沙羅さんは、ご機嫌な様子で鼻歌を口ずさみながら耳掻きを続けていく。
「一成さん。今までお耳のお掃除はどうなさっていたのですか?」
「気になったときに綿棒でちょっとやるくらいでした。すみません、やっぱ酷いですか?」
「ふふ…お気になさらないでください。これからお耳のお掃除は全て私にお任せ下さいね。」
正直、こんな幸せなことを遠慮するなどあり得ない。是が非でもお願いしたいところだ。
「…お願いします。俺としても、沙羅さんにして欲しいです」
「はい! 気になったときはいつでも仰って下さいね。」
俺がお願いしたからか、嬉しそうに返事を返す沙羅さん。
そして話をしながらも手はしっかりと動いており、カサカサ…ポンポン、と手際よく耳掻きは進んでいく。
「こちらも終わりました。では少々我慢して下さいね。」
ポン、ポン…コショコショ
梵天で耳の表面を触られると、こそばゆい感じがして思わず身震いしてしまう。
「ふぇ!」
「うふふふ、くすぐったいですか? もう少しいい子にしていて下さいね〜」
終始楽しそうな沙羅さんだったが、この幸せな耳掻きタイムも遂に終わりを迎える。
「はい、あとは仕上げで終わりです。」
来る…そう思い身構えていると、耳に口を寄せようとしてもっと前のめりになる沙羅さん。
そして、寄ってくるのは口や顔だけではないということに気付いてしまった。
もの凄く幸せな感触が俺の顔を襲う。いつも抱きしめられるときとはまた違うそれに驚き、意識がそちらに集中して身構えを無くしてしまった。
「ふぅ~~~~~」
!!!!!!!!!!
骨抜きになるとはこういうことを言うのだろうか。暫く立てないかもしれません…
またしても顔に熱が集まってくる感覚があり、せっかくなので先程のように沙羅さんのお腹に隠れさせてもらうことにした。単に甘えたかった訳ではないのだ。
「ん…一成さんが甘えたさんになってしまいました。」
どうせ恥ずかしいついでだから、返事代わりにもう少し顔を押し付けてみると、そのまま後頭部に手が添えられてゆっくりと撫でてくれる。
「一成さんは、私の……がお好きなのでしょうか…」
沙羅さんがポツリと呟いた声が俺の耳に届く。肝心な部分は聞こえなかったが、大まかには聞こえてしまった。
「え!?」
「はっ!? な、何でもございません!」
リアクション的に、どうやら無意識の一言だったらしい。
…いや、お腹の話だよな。うん。
そして俺は、どうやら今回も無事に乗り越えたらしい。
ギリギリのところで頑張っているので、直接的なお言葉はキツいのですよ…
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耳掃除は終わったものの、骨抜きにされた上に久し振りの膝枕が心地良くて、起き上がろうという気持ちがまるで湧いてこない。
沙羅さんも俺の好きにさせてくれるつもりのようで、ニコニコと笑顔を浮かべながら頭を撫でてくれている。
「本当に大はしゃぎで、このままでは泳いでしまうと思いまして…」
現在は、膝枕をして貰いながら修学旅行での思い出を聞いていた。
楽しそうに話してくれる沙羅さんの様子に、約束通りに楽しんでくれたことがよくわかり俺は素直に嬉しかった。
「…の景色が本当に綺麗で…一成さんから告白して頂いたあの場所の夜景を思い出しました。」
俺も目を閉じればあのときの夜景は鮮明に浮かんでくる。
そして俺の行動も…勢いだったとはいえ、友人だけでなく沙羅さんのお母さんもいたのに。
だが今となってはどれもこれも沙羅さんとの大切な思い出であり、あの場所は生涯忘れないだろう。
「またいつか行きましょうね。」
「はい、私も絶対に行きたいと思っております。あの場所は私達の出発点ですから…生涯忘れません。一成さんに告白して頂いた、大切な思い出の場所です。」
そしてこの後も、沙羅さんのお土産話を聞きながら幸せな時間が過ぎていく。
要所要所で俺と会いたかった気持ちの話が出てくることは仕方ないだろう。
俺だってずっとそう思っていたのだから。
「一成さん?」
「………あ、はい」
いつの間にかウトウトしていたようで、反応が少し遅れてしまった。
膝枕の心地良さに加えて、ずっと撫でて貰っていたので、あまりの気持ち良さに眠気を覚えてしまったらしい。
「ふふ…おねむさんですか? ではそろそろお休み致しましょう。」
「すみません…」
「お話ならこれから毎日できますから、お気になさらないで下さい。さあ、お布団に入りましょうね。一度起きられますか?」
ゆっくり身体を起こしてベッドから降りると、沙羅さんも立ち上がり布団に移動する。横になるときに、両手を広げて俺を抱き込むように身体を引き寄せてくるので、それに抵抗せずにそのまま抱きしめてもらった。部屋の明かりが消えたのは沙羅さんがリモコンで消してくれたようだ。
そのまま頭を撫でられると直ぐに眠気が戻ってくる。
「お休みなさい、一成さん。よい夢を…」
「はい…お休みなさい、沙羅さん」
とくん…とくん…
一定のリズムで刻まれる沙羅さんの鼓動を子守唄代わりに、意識が眠りに誘われていく。
ちゅ…
おでこに感じた柔らかい感触と、温もりと幸福感に包まれて…一週間ぶりの夜が終わりを告げるのだった。
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