第187話 男という生き物

沙羅さんが食べ終わった晩御飯の片付けを始めるので、それを手伝う為に少し強引に食器の片付けに手を出した。

最近は慣れてくれたのか、それとも妥協してくれたのか、一応は手伝わせてくれるようになったのだ。ただし食器を運ぶことだけなんだけどね。


「一成さん、私も直ぐに伺いますので、先にお風呂場でお待ち下さいね。」


わかっていた。

今日の沙羅さんは完全に俺を甘やかすつもりのようだから、きっとそうなると思っていたんだ。だから驚きはない。

早くも戦いの予感がする…孤独なオレの戦いが。

だが大丈夫、俺の理性は絶対に負けないから。


……だけど実際、沙羅さんは俺という男に対してあまりにも無防備だ。

お風呂にしても寝るときにしても、俺がもし誤解をしたら? 暴走したら?

とんでもないことになっていたとしても不思議はなかった。


あまりこういうことは考えたくない…というか、考えないようにしていたのだが、いくら沙羅さんが純心、無垢だとしても、「そういうこと」を知識としては知らないはずがないと思う。


もちろん沙羅さんに直接聞くなど絶対にするつもりはないから、これはあくまでも俺の予想だが…むしろ知らないのは「男がどういう生き物であるか?」ではないだろうか?


沙羅さんは今まで男を拒絶してきて、照れ臭いが、初めて俺という男に心を開いてくれた。つまり、これまでは友人としてすら男との接点が皆無であり、ついでに男そのものに興味も関心もなかった。

だから、自分の行動が男を「誤解」させる可能性があるということに全く気付いていないし、そもそも考えたことすらないのではないか? という予想が立つ。あながち間違っているとは思わない。

だからこその、純真であり無垢であると俺は思っているのだ。


沙羅さんは、純粋な愛情で俺に尽くしてくれているのは間違いない。例えそれが、一緒にお風呂など自身にとって少し恥ずかしいことだとしても、俺が喜ぶのであれば…と思ってくれているのだと思う。


つまりそれが最初からわかっていれば、そのままの沙羅さんでいて欲しいと願い、俺は誤解も暴走もしないように己と戦うだけという話になるのだ。

きっと真由美さんもそれに気付いていたから、釘を刺すときに俺が気を付けるだけでいいと言ったのだろう。


よし、考察完了!

なぜいきなりこんなことを考えたかというと、理解しているということを自分に言い聞かせただけだ。

今日も色々ありそうだからな。


------------------------------------------------------------------------


ふう…この待ち時間はいつも緊張するな…

風呂場の椅子に座り、沙羅さんが来てくれる時を待つ。

既に脱衣所でゴソゴソと動いている気配を感じるので、恐らく着が…準備をしているのであろう。


「一成さん、失礼致しますね。」


ガチャ


脱衣所から扉越しに俺へ声をかけると、沙羅さんが扉を開けた。

直視しないように視界の端に沙羅さんの姿を捉えると、今回は湯着を着ているようだ。

よかった、前回のバスタオルのような状況を何度もされたら、俺は倒れるかもしれない…


「お待たせして申し訳ございません、寒くはございませんでしたか?」


「大丈夫ですよ。まだ冬じゃな…」


ペタ…ペタ…


俺の肩や二の腕に、沙羅さんの温かい手のひらがゆっくりと触れられていく。

な、何を…


「少し冷たく…申し訳ございません、先に少し温まりましょうね」


沙羅さんはシャワーのノズルを手に取ると、温度を確認しているようで暫く出してから「大丈夫ですね」と呟いた。

そして肩からシャワーを当てられて、それがゆっくりと左右を移動する。温かさが心地よい。

そのまま俺の右腕を持って少し横に広げるようにすると、腕にもシャワーをかけてくる。


「…あら?」


不意に沙羅さんが、何かに気付いたように声を出す。


「え? どうかしましたか?」


なんだろう、別に変わったことはない筈だが…


「…いえ、申し訳ございません、気のせいだと思いますので」


よくわからないが、気のせいだと言うのならいいか。

正直俺もいっぱいいっぱいで、あまり他のことを気にしていられないし。


だが沙羅さんは、気のせいだとは言いながらやはり何かが気になるようで、俺の肩や上腕(二頭筋や二の腕)の辺りをペタペタ、スリスリと確認するように触っていた。


「あ、あの、沙羅さん、ちょっとくすぐったい…」


「え?」


どうやら無意識だったらしく、俺に指摘された沙羅さんは少し間の抜けた声を上げて動きが停止した。

自分が今まで、俺の肩回りや腕回りを撫でるように触っていたことを徐々に思い出してきたのだろうか? 無言ではあるが触れている手がぷるぷると震えだしている。


「も、申し訳ございません!! 不躾に…」


パっと手を離した沙羅さんが、焦りからかシャワーのノズルまで落としてしまった。

そしてそれは俺の方を向いており、シャワーのお湯が頭部に向かい、びっしょりと被ってしまうことになる。


「うわっ」


急に頭からシャワーがかかり思わず声を出してしまったのだが、それを聞いた沙羅さんがますます焦りを募らせてしまった。


「ああ! も、申し訳ございません!!」


急いでシャワーを止めてノズルを拾う沙羅さん。


「うう…」


姿を見なくても、背中から沙羅さんのしょんぼり具合が伝わってくる。

ここはフォローが必要だろう


「あの、沙羅さん? どうせ風呂なんで、別に頭からお湯を被ろうが濡れようが問題ないですよ。頭を洗うのに濡らす手間が省けたということで。」


「……ではせめて、私に一成さんの髪も洗わせて頂けませんか?」


え?

ま、まぁ頭を洗うくらい別にいいか。


「えっと、じゃあお願いします。」


「はい!」


一転して嬉しそうな返事が聞こえると、背中に気配が近寄ってきた。

どうやら沙羅さんが近付いたらしい。


「では、失礼致しますね」


シャカシャカシャカ…

泡立った頭を、沙羅さんが優しく洗ってくれる。

ときおりマッサージをするかのように、指で頭を揉んでくれる動作も入れてくれた。

それがまた気持ちよくて「ふぅ…」と思わずため息が漏れてしまう。


「ふふ…」


俺の耳に、沙羅さんが小さく溢した笑い声が届いた。


「どうかしましたか?」


「 いえ、嬉しいのです。こうして、一成さんのお身体を洗って差し上げて、今日は髪も…一成さんは、私がして差し上げたいと思ったことは、全て受け入れて下さるでしょう?」


「…沙羅さんを丸ごと受け入れるって決めてますから。」


「はい、それを実感させて頂けていることが嬉しいのです。」


シャワーで泡を流して頭は完成。

次は背中…だと思ったが、それがこない。

不思議に思っていると、ピトっと背中に二つ、手のひらの感触がした。

そして更に、その二つの間に別の感触が…何だろう?


「温かいです…私の大好きな一成さんのお背中…」


沙羅さんの声に合わせて背中の感触が少し動く。これは…顔? つまり、両手と顔で背中に寄り添っているような感じなのか?


「沙羅さん?」


「修学旅行中のお風呂で、班の友人がお互いの身体を洗いあっている姿を見る度に、戻ったら絶対に一成さんのお身体を洗って差し上げたいと思っておりました。そして今、目の前に一成さんのお背中があって、私は一成さんの元に帰って来たのだと実感して…。電話の画面ではなく、こうして一成さんに触れることができる、それが幸せで…」


沙羅さんは言葉を探るように、少したどたどしくなりながらも、自分の気持ちをゆっくりと説明してくれている。

当たり前のことができなくなって初めてそれにありがたみを感じる。毎日会えていた、触れ合えていたことができなくなれば、それがどれだけ大切なことだったか思い知る。

だから今こうしていられることが、どれだけ幸せなことなのか、俺も沙羅さんも身に染みたのだ。


沙羅さんは俺の背中に顔をつけたまま、触れている手を優しく撫でるように動かす。

少しくすぐったいが、我慢だ。


「服を着ているときは分かり難いのですが…ほら、私がこうしてもまだ広いのですよ? 一成さんのお背中は大きいですね。」


沙羅さんは少しはしゃいだような口調で、まるで壁に寄りかかるように顔と手を俺の背中につけてくる。


「一成さん…毎日ではなくてもいいです。こうしてお風呂でお背中を流すときだけでもいいのです。またこうして…甘えても宜しいですか?」


「普段は俺が甘えっぱなしですから、むしろもっと俺が…」


「申し訳ございません、私は我が儘な女なのです。こうして甘えたいと思うこともありますが、やはり普段は一成さんにもっと甘えて欲しいと思っております。なので、今日この後は存分に私に甘えて下さい、甘えて欲しいです。ですが…」


そこまで言うと、更にぴったりと俺の背中に寄り添うように身体を預けてくる。


「今だけは…こうして、あなたに甘えさせて下さい…」


風呂場という異色の場所ではあるが、流れている空気はとても優しく、愛情に満ちたものだった。背中に感じる沙羅さんの温かさに愛しさを感じ、状況が状況でなければ俺は迷わず抱きしめていただろう。


「本当に温かいです…一成さん…大好き…」


呟くように…溢すように、沙羅さんの優しい声が俺の耳に届く。

本当に、沙羅さんはどこまでも優しくて、可愛くて、愛しくて…。


沙羅さんがこうして甘えてくれるなら、むしろ俺から風呂に誘うことも吝かではないと思ってしまう。

もっとも、誘う言葉だけ聞けば危険極まりないだろうけど…


------------------------------------------------------------------------


己との戦いになると思っていた風呂タイムは、予想外に幸せ一色の時間で心が温かく満たされていた。


今は沙羅さんがお風呂に入っているので、その間に布団の支度だけしておこう。

中途半端に布団を離して敷いたところで、沙羅さんがすぐに直してしまうことはわかっている。なので最初から真横にくっ付けて敷くのだが…いつもながらとんでもない光景だと思う。


そんなことを考えていると、脱衣所のドアがガチャっという音と共に開き、お風呂上がりの沙羅さんが出てきた。そのままトランクケースに向かい荷物をしまうと、代わりに何かを取り出したようだ。

俺がそれを見ていることに気付くと、視線を誘導するように自身の顔の横までそれを上げて、指先で持ちながらふるふると手を振ってみせた。

うん、あれはどう見ても耳掻きだ。


ニッコリと笑顔を浮かべた沙羅さんは、そのまま俺の手を握りベッドへ誘導すると、そのままちょこんと縁に座った。もちろん手は握ったままなので、その手を少し引かれて俺も真横に座る形になる。

そして手を離し、自分の太股をポンポンと叩いてアピールしてきた。


「え…と」


「一成さん、お耳のお掃除もしましょうね?」


どうやらあの耳掻きは、自分用ではなく俺にしてくれるつもりで用意したものだったらしい。

つまり、膝枕をしながら耳掻きをしてくれるのか?

そう理解した俺は、遠慮せずにゆっくりと身体を横に倒すと、沙羅さんが頭に手を添えて位置を誘導してくれる。

その誘導に従い、衝撃を与えないように気を付けながら、ゆっくりと太股の上に頭を乗せてみた。薄いパジャマ生地のせいか、沙羅さんの太腿の柔らかい感触と温かさがモロに顔に伝わる。

これはお風呂上がりだからだろうか、ほんわかする温かさがとても心地良かった。


「動いてはいけませんよ? そのまま力を抜いて、楽にして下さい」


少し頭を撫でながらそう宣言して、俺の頭に手を添えるて顔の向きを真横にする。まずは左耳からのようだ


「始めますね」


沙羅さんの言葉通りに力を抜いて身体を預けると、耳の中にそっと何かが差し込まれる感覚があった。


♪〜


ご機嫌な様子で耳掻きを始めた沙羅さん。

結構慣れているようだが…


「沙羅さん、誰かに耳掻きをしたことがあるんですか?」


「実は以前夏海に協力して貰ったことがありまして、練習したんです」


「練習ですか?」


「はい、いつか一成さんにして差し上げたいと思いまして」


手を止めることなく俺と話を続ける沙羅さん。

顔を見ることはできないが、口調はどこか照れ臭そうな感じがした。


「やっとその成果をお見せするときが来て嬉しいです。ですがここから先は、実は練習しておりません。先日、母からやり方を口頭で教わっただけなので、上手く出来るとよいのですが…」


ここから先?

耳掻きでこれ以上やらなければならないことなどあっただろうか?


俺が不思議に思っていると、どうやら中の掃除は終わったようで耳掻きを反対に持ち替えたようだ。


「練習したことがないので少しくすぐったいかもしれませんが、我慢して下さいね」


白いふわふわ…梵天で耳の表面をコショコショとされてしまい、くすぐったい感じが走る。だが気持ちよさもあって、我慢という程ではなかった。

先を練習してないというのはこれのことか…


「はい、あとは仕上げですね」


「仕上げですか?」


「はい。いい子にしていてくださいね」


沙羅さんが少し前のめりになると、俺の耳に顔を寄せてくる。

同時に柔らかい何かが下りて…


「ふぅ~~~~~」


!!!!!!??????



…俺は生涯この衝撃を忘れないだろう。

というか、まだ片耳残っているのだが。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


続きは次回です。

そしてこの物語は健全なので、これからも健全であり続けます。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る