第186話 真由美さんの失敗
さて、そろそろいいかしら。
一週間ぶりに高梨くんに会えてあの子も嬉しかったでしょうから、このまま一時的にとはいえ引き離してしまうのが可哀想に思えてしまうけれど…
でも政臣さんがとても楽しみにしているし、それは私もだから、たまには許して下さいね。もちろんその後でこっそり送ってあげますから。
それにしても、今回の高梨さんのアルバイトはとても良い機会だったわね。政臣さんと高梨さんが、あんなに仲良くなれたのは本当に嬉しいこと。これならきっと、「その時」が来ても大丈夫でしょうね。
あぁ、その時と言えば、高梨さんは政臣さんに沙羅ちゃんとのことを打ち明ける決心をしたみたいね。私の目の前で沙羅ちゃんに告白したときもそうだけど、あんなにハッキリと予告するなんて…相変わらず思いきりがいいというか度胸があるというか…んふふ。
「真由美、そろそろいいんじゃないか?」
「そうね、今から向かえば混雑も落ち着いてくる頃合いでしょう。そろそろ行きましょうか。」
一週間ぶりに会えるからか、政臣さんは張り切っているわね。
正直なところ、沙羅ちゃんはお父さんに対しても若干厳しい感じがあるのだけれど…もちろん嫌っているとかではないのはわかっているのよ。年頃だしね。
だからこそ、沙羅ちゃんがあそこまでベタ惚れになる男性が現れるなんてねぇ。
しかも愛し方が私に似てしまうとは何とも…
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車に乗り込み学校へ向かう途中、政臣さんが思い出したように口を開いた。
「そうだ真由美、高梨くんのことなんだが」
「はい」
「家に同年代の男の子が来ていたと知れば、沙羅はいい顔をしないだろう。だから、高梨くんのアルバイトについては、なるべく触れないようにしよう。」
「……そうね、わかりました。」
確かに、高梨さん以外の男の子なら沙羅は嫌がったでしょうから、政臣さんの懸念も決して間違ってはいないでしょうけど。
さてさて、高梨さんが改めて自己紹介をしたときに、あなたはどんな反応をするのかしら?
でも、可愛い愛娘にやっと現れた運命の男性なんですから、しっかり受け入れてあげて欲しいですね。
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学校に到着すると、思っていたよりも混雑はしていない様子。
時間を多少遅くしたことは、却って良かったかもしれないわね。
政臣さんには車で待機して貰い、私は沙羅ちゃんを迎えに車を降りる。
えーと、沙羅ちゃんのクラスは…
バスの前にいる沙羅ちゃんの姿を確認できた。横には夏海ちゃんと…あら、他にもいるわね。楽しそうに話しているようだし、お友達かしら。
「あ、沙羅、真由美さんが来たわよ」
夏海ちゃんがこちらに気付いて手を振ってくれる。沙羅ちゃんにも教えてくれたみたい。
「え!? あ、あれ薩川さんのお母さん!?」
「うっそ、お姉さんだよ!」
「ちょ、薩川さん似てるし! 将来安泰じゃん、羨ましい…」
あら〜、私もまだまだいけるのかしら(笑)
でも沙羅ちゃんに仲のいい友達が増えてくれるのは嬉しいわね。
沙羅ちゃんが皆に挨拶をしてこちらに向かってくるので、私もお辞儀をして皆さんに挨拶をしてから沙羅ちゃんを迎え入れる。
「お帰りなさい、沙羅ちゃん」
「ただいま、お母さん」
あら、少しだけ浮かない顔をしているわね。
何かあったのかしら…
「どうしたの、沙羅ちゃん?」
「いえ、何でもないです」
何でもないと言うのなら、そんな顔をしていてはいけないのよ。
まぁ、後で高梨さんとイチャイチャすれば大丈夫でしょうけど。
「高梨さんはもうお家に帰ったの?」
「はい、先程お帰りになりました。」
「そう、後で送ってあげるから、思いっきりに甘えてきなさい。その後に、思いっきり甘えさせてあげて。」
「いえ、今日はもう家にいますから。」
……あら、その答えは予想外ね。
むしろ今日は高梨さんのお家に泊まると言い出すくらいは予想していたのに。
「本当にいいの?」
「…はい。一成さんから、今日は自分よりも両親を優先して欲しいと…」
え?
今までそんな話は出たことがないのに、何でいきなり…
もちろん、ただ溺れるように夢中になるのではなく、周りにも気遣いができるようになるということはとても良いこと。
だけど、まだそこまで無理に大人にならなくてもいいと私は思っているし、実際そんな気配はなかったはず。
それが突然私達に気を使うなんて…ひょっとして高梨さんはアルバイトで何か思うことがあったのかしら?
そう言えば、今日の高梨さんの様子はどうだったかしら? 今日は家で…
私はそこまで考えて、自分達が…いや、政臣さんは知らないのだから、自分が失敗した可能性に思い至る。
高梨さんが突然高校生らしからぬ気遣いを見せたのは、何かを見て気付いてしまったのでは?
では何を見て気付いたのか…今日、高梨さんが家に来たときに、目の前で何を見せた?
沙羅ちゃんが帰ってくるからパーティーをしようという話になった。
政臣さんも嬉しそうにしていたし、私も楽しみで朝から準備をしていたのだけれど…
「ねぇ沙羅ちゃん、高梨さんに今日の話をした?」
「はい、今日は家でパーティーをするようだと…」
これで私は自分の予想が確信に変わった。
私のミスだ…今更悔やんでも遅いが、高梨さんが帰ってから準備を始めるべきだった。
高梨さんは優しい子だから、きっと私達の様子を見て邪魔をしたくないと考えたに違いない。
でも、沙羅ちゃんにはそれを見たとは言えないだろうから、そこを抜いて説得したのだろう。あくまで自分が勝手に思ったというスタンスで。
もう…そんないじらしいことをするから、可愛がってあげたくなっちゃうのよね。
家族パーティーなら、本当であれば高梨さんも一緒に…政臣さんが二人の交際を認めたら、私も高梨さんを本当の息子だと思って接してあげたい。
といっても、既に私の中では息子も同然なんだけど。
いけない、今はそれよりも…
「沙羅ちゃん、ご飯を食べたらお泊まりの支度をしなさい。」
「え? でも、私は一成さんから」
「それが高梨さんの本心ではないことはわかっているでしょう? だから浮かない顔をしていたのよね?」
「………」
「私達はパーティーをするだけで満足だから、後は高梨さんのところへ行きなさい。私の分まで高梨さんを甘えさせてあげてね」
「は? なぜそこでお母さんの分が出るのですか? 一成さんに甘えて頂くのも、甘えさせて差し上げるのも、私だけです。」
ちょっとした冗談のつもりだったのに、こんなにしっかり噛みついてくるなんて…
高梨さんのアルバイト中のことを言ってしまったら大変なことになりそうねぇ。
家族ぐるみのお付き合いになったら、程々にしないと可哀想かしらね。
さて、そうと決まれば早く帰ってパーティーをしましょうか。
政臣さんも待っているでしょうし、高梨さんのお家に早く連れていってあげないと。
高梨さんに余計な気を使わせてしまったことは、いつか埋め合わせをしないといけないわね…寂しい気持ちにさせてしまったことは沙羅ちゃんに任せて大丈夫でしょう。
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あの後家に帰って来た俺は、着替えを済ませて寝転がりながらずっとスマホを見ていた。
早い時間から学校で待機していたのでまだ晩御飯を食べていなかったのだが、特に腹も減らずにただゴロゴロとしていただけだ。もう一度着替えて買い物に行くのは面倒なので、どうしても腹が減ったらパンでも食べようか。
沙羅さんは、今頃楽しんでいるかな…
大丈夫だ、今晩会えないというだけで明日には会える。
沙羅さんはいつも通りに朝はきっと来てくれるから、そこまで深刻になるような話じゃない。
……強がりだっていうのは自分でもわかってるんだけどな。
さて、今日は特にすることはないし、アルバイトもない。
思いきってこのまま寝てしま…
コンコン…
ガチャ
チャイムを鳴らさずにノックだけして、鍵を開けて入ってくるなんて一人しかない。
ドアが開けばそこには、旅行用のトランクを片手に佇む沙羅さんが…
「な、なんで…」
俺の驚いた顔に笑顔を返す沙羅さんは少し急いだ様子で、いつもなら丁寧に揃える靴も、持っていたトランクも、そのまま玄関に残して部屋に上がり、ポカンとしていた俺を抱き寄せる。
沙羅さんの胸に自分の顔が収まり、俺の大好きな温もりと柔らかさ…これが現実であると思考が追い付いてきた。
なぜ沙羅さんがここにいるのか?
パーティーはどうなったのか?
政臣さんと真由美さんは?
本来なら浮かぶであろう疑問は全て消え去り、俺の頭に残ったことは「沙羅さんが来てくれた」という、ただ一つのことだけになってしまっていた。「来てくれた」、それが本当に嬉しくて自分からも抱きついてしまった。
沙羅さんは、俺が素直に抱きついたことを感じたらしく「ふふ…」と小さく笑い声を溢し、より深く抱きしめるように腕の位置を変えて頭も撫でてくれる。
「改めまして、ただいま戻りました。」
その体勢のまま、沙羅さんはもう一度帰宅の挨拶を口にした。
そうか、この家に帰って来たという意味ではまだ挨拶をしていないのか。
「お帰りなさい、沙羅さん。」
「はい! 帰ってきました。」
俺の家でも「帰る」と言ってくれた。それは沙羅さんがこの家を「そういう場所」だと思ってくれていることであり、それが嬉しい。
「でも、どうして…。今日はご両親と」
「追い出されてしまいました。」
「追い出された?」
「はい。母から、パーティーは終わったのにいつまで居るのかと。自分の居るべき場所へ戻るように言われてしまいまして…であれば、私が居るべき場所は一成さんのお側しかございません。」
「な、成る程。」
どうやら真由美さんが仕向けてくれたようだ。
それはもちろん嬉しいんだけど、これでは俺の痩せ我慢の意味が…
「母から、家を追い出された責任は一成さんに取って頂くようにと言われております。」
「せ、責任ですか?」
「はい。ですから…」
そこまで言うと、沙羅さんは俺を抱きしめたままの体勢で耳元に口を寄せてくる
「責任……とって下さいますか?」
甘えるような声音で囁くように言われてしまい、自分の顔が一瞬で朱くなったことが直ぐにわかった。
「は、はい…。ではその、今日はこのまま泊まって下さい」
「畏まりました。もちろん、明日の朝までずっと抱っこさせて下さいね?」
「……ずっとですか?」
「ずっとです。今日はずっと私に甘えて…甘えて欲しいです…一成さん」
甘さ、そして切なさを感じさせる沙羅さんの声色に、俺は激しくドキドキしてしまう。
今の沙羅さんは俺を甘やかす気満々だということは良くわかった。
お姉さんモードの沙羅さんは、俺をひたすら甘やかそうとするのだ。
そしてそれは、俺の「孤独な戦い」が幕を開けることも意味している。
あまりにも幸せで辛いという、意味深な戦いが…
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沙羅さんは、ここに来る前から俺が晩御飯を食べていないことを見抜いていたらしく、しっかりと食事の材料まで持参して来てくれたらしい。
トン、トン、トン…
包丁がまな板に当たるこのリズミカルな音も一週間ぶりだ。
台所に立つ沙羅さんを見ていても、実は現実ではなく夢を見ているのではないか? そんなことを考えていたら自分でも気付かない内に側に寄っていた。
「ふふ…どうかなさいましたか?」
声をかけられて、自分がいつの間にか沙羅さんの真横まで来ていることに気がつく。
「えっ!? あれ、俺は…」
「はい、一成さん、あーん」
沙羅さんが親指と人差し指で何かを摘まんで、それを俺の口元にそっと差し出す。
条件反射的に口を開くとそのまま差し込しこんできたので、指を噛まないように気を付けながら摘ままれていたものだけを食べてみた。
ぱくっ…
もぐもぐ
ごくん
ちょっと甘めの玉子焼きは、俺の好みを完璧に把握した絶妙の味付けだった。
美味い…
「如何ですか?」
「……完璧です。」
「良かったです。もう少しで終わりますからね?」
「…………」
沙羅さんの優しい笑顔に目を奪われて、思わず固まってしまった。
「一成さん?」
「……………」
ちゅ…
「!?」
頬に感じた唇の感触で我に返ると、沙羅さんが俺にキスをしている姿が視界に入る。
そのまま顔を離すと、俺が戻っていることに気付いたようで再び笑顔を浮かべた。
「いい子にしていて下さいね?」
「はい」
その返事は、自分でも驚く程にすんなりと出た一言だった…
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前半が思ったより長くなってしまったので、「続く」とさせて下さい。
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