第185話 家族との時間を

「それじゃあ、またね。」


「はい、また次の機会に。」


アパートの目の前で車を降りた俺は、開いている助手席の窓から政臣さんと別れの挨拶を済ます。

何だかんだで充実感を感じた薩川家でのアルバイトが、これで本当に終わったんだな。

仕事に対して報酬を貰うということ、自分の作業が認められるという嬉しさを感じたこと、貴重な経験を得たと思う。


そして、仲睦まじい幸せ家族という薩川家の空気も知った。

自分も一時ではあるがその一員になれたような気がしてしまったせいか、自分から始めた今の独り暮らしにどこか寂しさを覚えてしまったことも事実だった…


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家に戻った俺は、特にすることがなくなったので意味もなくスマホでネットを眺めていた。意味がないというのは、悩み事で頭の中が一杯であり、見ている内容が入ってこないからだ。


そして悩みの原因はもちろん今日のことだ。

俺は薩川家で、沙羅さんの帰りを楽しみに待っている政臣さんと真由美さんの姿を見てしまった。

嬉しそうな政臣さんの顔、午前中から仕込みまでして楽しそうに食事の支度をしている真由美さん…あの姿を見て、大切な家族の時間を誰が邪魔など出来ようか。


今日がダメだとしても、明日は沙羅さんが泊まってくれるのだから、もう一日我慢すればいいだけではないか。

もちろん自分でもその考えは強がりだという自覚はある。本音を言えばとても寂しいし辛いけど…

それに、沙羅さんにも寂しい思いをさせてしまうだろうと考えるのは、俺の思い上がりではないはずだ。

でも、それでも…


俺は沙羅さんの厚意にただただ甘え、その幸せの裏側にあることに気付かなかった。アルバイトのお陰で、あんなに素敵な両親と沙羅さんとの時間をずっと減らしていたことに気付いたのだ。

だからこそ、今日のような日は沙羅さんに家で両親との時間を大切にして貰いたい。

そう説得すると決めた。


それならせめて、会って話を…

そう考えた俺は真由美さんに電話をかけ、迎え時間の確認をする。


「んふふ〜、帰って来て直ぐに会いたいってことね? それなら少し遅れて行くから、その間にイチャイチャしてていいわよ〜」


少し恥ずかしかったが、理解が早くて助かったと言うべきか、深く聞かれずに済んで助かったと言うべきか…

でもここは素直に感謝しておこう。


こうして俺は、少しサプライズ感を演出したい下心もあり、沙羅さんには報告しないで学校に向かうのだった。


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二年生の到着予定時間まで一時間半。

誰もいない学校の正門から少しだけ外れた場所を選んで沙羅さんの帰りを待つ。

いくらなんでも早く来すぎだとは俺も思うが、家にいても落ち着かないのだから仕方ない。


時折スマホを弄り、時間が過ぎるのを刻一刻と待ちながら沙羅さんと何を話すか考えていた。言いたいことは色々とあるように思えても、実は話せることが少なかったりする。

この一週間はバイトばかりだった為に、それを話せないとなれば話題としては少なくなるのが当然だからだ。

もっとも、メインは沙羅さんのお土産話になる訳で、それでも問題はないのだけれど…


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迎えの家族がどんどん増えていく。

学校の正門前は混雑の様相になってきていた。俺は少し離れた場所にいるので影響はないが、ここまで人が増えてしまうと上手く会えるか心配になってくる。

そしてそんな俺の心配を余所に、遂に近付いてくるバスが見えた。


時間は概ね予定通り、一台、また一台とバスが近付いてくる。

そして最後のバスが到着した時点で、残念なからバスの中にいる沙羅さんを視認することはできなかった。

各バスの乗降口の回りには、既に迎えで来た家族の列が出来ており、もう少し落ち着くのを待つしかなさそうだ。


「ちょっと沙羅待ちなさい!!」


小さくそんな夏海先輩の声が聞こえたような気がした。あくまで気がしただけなので気のせいかもしれないが、どちらにしても家族でない俺があの混雑に飛び込む訳にはいかない。

だからもう暫く…


塀に寄りかかり下を向いていた俺は、直前までそれに気付かなかった。

走る足音がこちらに近付いてくることに気付き、顔を上げると…ガバァっと勢いよく飛び込んできた人影をギリギリで受け止める。

俺の胸に飛び込んできた人影…もちろん沙羅さんだ。

どうして俺がここにいることに気付いたのだろか…少なくともバスからはお互い見えなかったはずだが…

などと冷静なことを考えていられるのも今の内だけだった。


飛び込んできた沙羅さんは俺の背中に大きく腕を伸ばし、絶対に離れないと言わんばかりにきつく抱きついてきた。

そして俺も、自分の腕の中にいる人が待ち焦がれた最愛の人であるという認識が追い付いてくると、それまで冷静に色々と考えていた頭の中が愛しさで一杯になる。


俺が沙羅さんを包み込むように抱きしめると沙羅さんは小さな声で「一成さん…一成さん…会いたかったです…」と何度も呟いて、そのまま身体を預けてきた。


「沙羅さん…俺も会いたかった…会いたかったです…」


俺は沙羅さんを抱きしめながら、やっとその一言を伝えることができた。

それを聞いた沙羅さんが、身体を動かそうとしているのか、もじもじする動きを見せたので背中に回した腕を少し緩めてみる。

それで動けるようになったようで、今度は俺の首にスッと腕を回し、それと同時に背伸びをした沙羅さんの顔が急に近くなる。


ちゅ…


そのまま俺の頬にキスをした沙羅さんは暫く動きを止めて、その姿勢のまま暫く離れようとしなかった。

キスをしたままどれくらい経ったのだろう…唇を離し背伸びを止めると、沙羅さんは自分の定位置だと言わんばかりに再び俺の腕の中に収まる。


思わず動きが固まっていた俺に気付いたらしく、少し顔を離して正面から切なそうに見つめてくる


「一成さん…もっと…」


沙羅さんがおねだりをするのは珍しいことだ!

もちろん何を求めているのかわかっているので、最後まで言わせるような野暮はしない。俺は沙羅さんが苦しくならないように力を加減しながら、もう一度しっかりと抱きしめてあげると、嬉しそうに顔をすりすりと擦り付けてくる。

そんな風にイチャついている内にやっと気持ちが少し落ち着いた感じがした。


「一成さん…ただいま帰りました。」


「お帰りなさい、沙羅さん」


今頃になって挨拶を交わした俺達だが、もちろん沙羅さんは俺に抱きついたままだし、俺も抱きしめたままだったりする。

話をするのに一度離れようとは思ったけれど、俺が腕を離そうと力を緩めたら


「一成さん…もう少しこのままで…」


と、また切なそうに言われてしまう。

いつもと違い、甘えてくる沙羅さんが可愛くて俺も離れることができなくなってしまったのだ。


「…申し訳ございません、一成さんのお顔を見て我慢ができなくなってしまいました。私が一成さんを抱きしめて差し上げたいと思っていたのですが…」


「いえ、いつもは俺が甘えてしまってますから、たまには俺にさせて下さい」


そう言って、少しだけ沙羅さんを抱きしめる力を強めると、沙羅さんは嬉しそうに身体を預けてきた。

そして小さな声で


「では、この場は甘えさせて下さい。その代わり…一成さんのお家では、いっぱい私に甘えて下さいね?」


と囁いてから、また俺の腕の中に潜り込むように収まるのだった。


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やっとまともに話をできるくらいまで落ち着いたので、忘れないうちに今日の話をすることにした。


「一成さんが来て下さるとは伺っていなかったのですが、どうかなさったのですか?」


「沙羅さん…今日はこのままお家に帰って下さい。」


「え? はい、一度家に帰ってから、一成さんのお家に…」


「いえ、そうではなくて、今日はそのまま自宅にいて下さい。明日の朝待ってますから…」


「……え?」


俺が言っている事の意味を理解したらしく、短い言葉と共に沙羅さんは戸惑った様子を見せた。上手く説得できるといいんだけど…


「沙羅さん、今日はご両親も沙羅さんの帰りを楽しみに待っていると思うんです。何か連絡はありましたか?」


「…はい。今晩はパーティーだと…ですが私は」


「沙羅さん、俺はずっと沙羅さんに甘えてお世話になりっぱなしでした。朝から晩までほぼ毎日です。でも、ご両親だって沙羅さんとのひとときを大切に思っているはずです。今日はパーティーなんですよね? それなら、今日一日はご両親と楽しく過ごして下さい。ご両親を喜ばせてあげられるのは沙羅さんだけなんです…」


「……………」


返事をする代わりに、俺の腕の中で沙羅さんがぎゅっと手を握りしめた。

恐らく、俺の言っていることを受け入れてくれようとしているのだと思う。


「一成さん…私は」


「沙羅さん、俺は沙羅さんがいないと寂しいです。情けない話ですが、俺は沙羅さんがいないと生活が成り立たないです。これからもずっと一緒にいたいんです。でも、その為にご両親を蔑ろにさせるようなことになってしまったら、俺はそれが申し訳なくて素直に沙羅さん甘えられなくなってしまいます。だから沙羅さん、俺の為にも今日はご両親と一緒にいてあげて下さい。お願いします…」


「一成さん…」


俺は沙羅さんにわかって貰えるように、ゆっくり丁寧に説明した。

大丈夫だ、沙羅さんならわかってくれる。


「それに、いま会えましたから! もともと今日はお泊まりをしないことになってますから、そんなに大袈裟な話じゃないですよ!」


そう、そんなに大袈裟な話ではないはずだ。

確かに寂しさはあるけど、会うというだけなら明日の朝でも会える。

今日家で会う予定だった分を、今にしただけの話だ。


「……はい、畏まりました。一成さんの仰る通り、本日はこのまま自宅で両親と過ごすことに致します。」


沙羅さんは受け入れてくれたようで、腕の中でコクリと頷いてくれた。

良かった…これで政臣さんも真由美さんも喜んでくれるだろう。


「一成さん、少し離して頂けますか?」


沙羅さんの言葉通りに抱きしめていた腕を離すと、今度は沙羅さんが俺の後頭部に腕を回して胸に抱き寄せられる。一週間ぶりの暖かさと柔らかさに、このままずっと甘えていたくなる。


「薩川さんそろそろじか……お、お邪魔しました…」

「ふぇぇぇ…」

「や、やば…これマジでヤバいって…」

「はぁ、やっぱこうなったか。仕方ない…行くよあんたら。」


沙羅さんに抱かれてボーっとしてしまい、何か話し声が聞こえたような気がしたがよくわからなかった。


「私と両親の為にありがとうございます。一成さんが自身のお気持ちを我慢して下さっていることもわかっております。ですから、そのお気持ちに答える為にも私は一成さんの仰る通りに致します。」


俺の頭を撫でながら、今度は沙羅さんがゆっくりと話しかけてくる。

これで今日のことは決まった。決まってしまった…寂しいけど、後悔はしていない。


「ですからせめて今は…こうして私に甘えて下さい。一成さんに甘えて欲しいんです。」


そんなことを言われてしまうと、俺も抑えられなくなってしまう。

俺はその言葉に甘えて、自分から沙羅さんに抱きつくように身体を預けてしまった。

沙羅さんも俺の頭を深く抱きしめるように、ぎゅっと抱え込んでくる。


「一成さん…好き…本当に大好きです…」


沙羅さんの甘く囁くような言葉と、暖かさと、柔らかさに、このまま時間が止まればいいのに…と本気で思えた俺だった。



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〜せっかくのいい雰囲気の余韻を壊す、オマケのガールズサイド〜


「ちょっと沙羅待ちなさい!!」


バスを降りる前から急にソワソワし始めた沙羅は、降りた瞬間に突然走り出した。

急に何事かと思い声をかけたのだが、沙羅はこちらを全く見向きもせずに、人気のない方へ走っていった。


「あちゃ〜、我慢できなかったか」

「それは無理だよ、薩川さんずっと会いたがってたんだから」

「だから言うのは後にしろって注意したのに」


三人は事情がわかっているらしく、何か言い合っているようだ。


「何の話?」


私が問いかけると、少しバツの悪そうな顔をした悠里の代わりに二人が答えてくれた。


「悠里がね、高梨くんがそこにいるのバスの中から見つけたんだよ。でも、それを薩川さんに言ったら絶対に行っちゃうから、せめて解散になるまで黙ってろって忠告したんだけどね。」


「どうなるか面白そう〜とか言って、教えちゃったんだよ。そしたら薩川さん落ち着かなくなっちゃって…」


成る程、それであのダッシュな訳だ。

こうなると、寧ろ高梨くんが離れたところにいてくれたことが不幸中の幸いとも言えた。

もし近くにいたら、大変なことになっていたわね。


「まだ解散の挨拶終わってないのに…」


既に家族と話をしている生徒もいるので、少し時間をくれていた先生からボチボチ集まるように話が出る


「どうする?」


「呼びに行くしかないよね」


「大丈夫かなぁ」


そんなことを言いながら、三人は「ワクワクしています」と言わんばかりの様子だ。

沙羅を呼ばない訳にもいかないので、高梨くんがいたという場所へ私達も向かうと…


「薩川さんそろそろじか…お、お邪魔しました…」

「ふぇぇぇ…」

「や、や、やば…これマジでヤバいって…」

「はぁ、やっぱこうなったか。仕方ない…行くよあんたら。」


キスをしていなかっただけマシだと思うべきなのか…

沙羅は高梨くんを本当に愛しそうに抱きしめていた。普通逆のような気もするけど…沙羅だからね。


そして三人は、今回は会話だけでなくしっかりと現場を目撃してしまったので大興奮だった。


「情熱的すぎるでしょあれ…」

「薩川さんが抱きしめてたよね!? ひゃあぁぁぁぁ、凄いの見ちゃったよ!!」

「薩川さんすっごい優しい顔してたよ…あんな表情できるんだねぇ」

「恋する乙女…いや、あれはもう愛する乙女か!?」


はぁ…まあ今更か。

それよりも、先生に何て言って誤魔化すかなぁ。

点呼されなければ案外気付かれないかな?


そして私の期待通りに、点呼が無かったので気付かれずに済んだのだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


余韻を壊してしまいましたでしょうか…

蛇足だと感じたらごめんなさい!


次回は…しっかり甘くなりますw

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