第184話 政臣さんとのお話し

今日は沙羅さんが帰ってくる!!


眠りから覚めた俺が、一番最初に考えたことはそれだった。

昨日の電話で話した通り、今日は沙羅さんが家に泊まることは無くなってしまったけれど、それでも会えるというだけで本当に嬉しい。


だけど、その前に最後のひと仕事…と言えるのかはわからないけど…政臣さんとの約束がある。

俺の我が儘の為に無理をして予定を作ってくれたのだから、沙羅さんのことを考えすぎて上の空…などということにならないように、しっかりと頭を切り替えて行かなければ…


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スマホを確認すると、いつも通りに沙羅さんからメッセージが入っていた。


「おはようございます、一成さん。遂に今日という日がやって参りました。本日お目にかかれるときを楽しみにしております。あなたの沙羅より。」


「俺も今日会えるということが本当に嬉しいです。今からその時間が待ち遠しいですよ。」


返事を返してみたが、やはりタイミング的に既読は付かなかった。時間が出来たときに読んでくれるだろう。


さて、支度をしようか…


今日は作業がないので、普段着寄りの服装にした。そして、昨日藤堂さんが巻いてくれた右手の包帯を外して、手のひらを確認する。

一番酷いのは薬指の付け根付近、次は中指の付け根付近…やはりバイトをする度に酷くなっているのは間違いないようだが、それもあと数回の我慢だ。


朝食のパンを食べて、まだ少し時間に余裕があるので部屋を確認する。

ここ二〜三日の洗濯物は、まとめてはあるもののそのまま残っていたりする。せっかく真由美さんが洗濯をしてくれると言ってくれたのだが、実際にお願いしたのは一度だけだった。


「もう、やっぱり沙羅ちゃんがいいのね?」


言葉では拗ねているように聞こえるが、表情はニヤけ顔だったので、からかわれているだけなのは直ぐにわかった。

ちなみに、遠慮したのはいくつかの理由はあったが、「沙羅さんがいないのにお母さんにそこまでして貰うのはどうしても気が引けた」というのが一番の理由だった。

そして真由美さんに洗って貰った洗濯物は、しっかり畳んでタンスにしまってある。

余談だが…我が家の洗剤は、沙羅さんが洗濯をしてくれるようになってから薩川家と同じ洗剤になっているので、匂いも同じだったりするのだ。


次に見るのは台所。

綺麗なものだな、自炊をしないから当然だけど。


……取り敢えずいいか。

今までの経験から考えて、沙羅さんに100%隠し通せるなんて思っていない。

どうせ誕生日が終わったら聞かれるだろうし、どちらにしても政臣さんに話をすることを沙羅さんに相談しよう考えているのだから、その流れで話すことになるだろう。

要は誕生日まで何とかなればいいのだ。


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政臣さんから連絡があり、今から迎えに来てくれるとのことだった。

既に準備は出来ているので、戸締まりをしてから家を出る。

いつも通りにアパート前で待機していると、暫くして見覚えのあるセダンがこちらへ向かってくる姿が視認できた。


「高梨くんお待たせ。乗ってくれ」


「ありがとうございます」


目の前で車が停車して、開いていた助手席の窓から政臣さんと言葉を交わしてからドアを開けて車に乗り込むと、直ぐにシートベルトを着ける。

政臣さんはそれを確認して車を発進させると、それから少し走ったところで話しかけてきた。


「今日はちゃんとした仕事じゃなくて済まないね。」


「とんでもないです。俺の方が無理を言ってしまいましたから。」


「そう言ってくれると助かるよ。本当に大したことじゃないんだ。雑談みたいなものだから、気楽にしてくれていいからね?」


仕事代わりの話し合いということで多少は身構えていた部分はあったが、言葉だけでなく雰囲気から察するに、どうやら本当に雑談のようだ。まぁ多少は作業内容に関わる話が出そうだけど、そこまででもないのかな…


軽く話をしている内に、車は薩川家に到着した。

ガレージのシャッターが開いて駐車をすると、車を降りて政臣さんの後に続く。

玄関を開けて、政臣さんが家の奥に「戻ったよ」と声をかければ「お帰りなさい」と返事だけが返ってきた。どうやら真由美さんは何かをしているらしい。


二人でリビングに入ると真由美さんは台所にいるようで、せわしなく動き回っていた。


「いらっしゃい高梨さん。ごめんなさいね、今少し手が離せなくて。」


「いえ、大丈夫ですよ。何かあるんですか?」


「今日は娘が修学旅行から帰ってくるんだよ。一週間ぶりだから、晩ご飯は豪勢にしようと思って妻が仕込みをしているんだ。」


「もう少しで終わりますから、ごめんなさいね。」


どうやら俺の判断は間違っていなかったようだ。

一週間ぶりに帰ってくる娘に会うのが嬉しくない訳がない。まして、薩川家の仲の良さを考えれば尚更楽しみにしていただろう。


……どうしよう。今日は無理をさせてまで沙羅さんを家に来させるのは止めた方がいいのではないだろうか?

俺だってそれは寂しいけど、政臣さんの嬉しそうな様子に加えて真由美さんの気合いの入れようを見るに、恐らくホームパーティー的な感じになるのは想像に難くない。


俺はこの光景を見てしまったことに、少しだけ後悔を覚えたのだった…


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真由美さんは仕込みが終わったらしく、ソファに座っていた俺と政臣さんに紅茶を持ってきてくれた。

ケーキも出してくれたのだが、どうやら仕込みと平行して作っていたらしい。

相変わらずの家事スキルで素直に驚いた。


「さて、それでは…高梨くん、改めてお仕事お疲れさまでした。まさか全て終わらせてくれるとは思っていなかったし、昨日確認させて貰ったけど間違いもなかった。工夫までしてくれてあったし、大満足の仕上がりだったよ。」


「いえ、俺の方こそ、お仕事を頂きありがとうございました。本当に助かりました。」


俺と政臣さんは、ソファに座りながらお互いで頭を下げる。意識した訳ではないが、頭を上げるタイミングが同じで思わず笑みが溢れた。


「では私からも。高梨さん、本当にお疲れさまでした。私だけだったらきっと一ヶ月くらいかかっていたと思うわ。一週間見ていた感想だけど…真面目なのはとてもいいことだけど、お仕事はしっかり休憩を入れないとダメよ?」


「は、はい…」


それはよく分かりました。毎回お仕置きをされるのはもう勘弁です…いや、本当に。

あんなの沙羅さんに見られたらと思うと、気が気でないし…


「まぁそれについてはゆくゆく慣れていくだろうさ。それよりも、仕事に対する真面目さや、自分なりに工夫するという柔軟さを持っているということは、この先必ず役に立つからね。是非忘れないで欲しい。」


「はい、ありがとうございます。」


これは、褒められたということでいいのかな…。例えお世辞でも、初めてのアルバイトで、初めての仕事で認めて貰えたというのはとても嬉しい気持ちだ。


「っと、済まないね、また話が硬くなってしまったようだ。とにかく、君に仕事を依頼して本当に良かったよ。それを伝えたかっただけなんだ。」


「はい」


「さぁ、難しいお話はこのくらいにして、お茶にしましょうか。今日のケーキも自信作なのよ」


今日のケーキはチーズタルトだった。

真由美さんの言葉通り、専門店に引けを取らないその味は販売しても不思議はないと思える出来だ。

そんなケーキに舌鼓を打ちながら、せっかくの機会なので以前から気になっていた政臣さんの役職がどういうものなのか聞いてみることにした。


「専務という役職は、会社の役員という意味合いはあるけど、具体的にこれをやるという仕事内容の定義はないんだよ。強いて言えば社長の補佐…ということになるんだけどね。だから、社員や各部署と、社長や役員の橋渡しになるように色々なことをやるのが仕事かな。」


「やることの範囲が大きくて、逆に大変そうですね。」


「明確な仕事の取り決めがないこの役職は、自分から動こうとしない人間にやらせてしまうと給料泥棒になってしまうこともあるんだよ。何もしま専務という言葉が生まれてしまうくらいにね。」


ダジャレだ…って、別に政臣さんがウケ狙いで言ったわけじゃなくて、そういう言葉があるってだけか。


「ちなみにあの会社は、私の叔父が社長を勤めているんだよ。でも叔父には息子がいなくてね…昔から私のことを可愛がってくれた繋がりで、私に専務などという役職が巡ってきたんだけどね。」


叔父さんが社長って…あんな大企業の社長とか想像がつかないぞ。

あ、でも西川さんも生粋の社長令嬢だから、本当なら俺なんかが交友を持てるような人じゃないよな。リアルで「お父様」呼びをする人を見たのは初めてだったし。


しかし、話だけ聞くと政臣さんは現社長の息子みたいなポジションってことなのかな?

つまり次期社長とか?

…いくらなんでも考えすぎか。


「だから私は、何もしま専務などと言われないように、積極的に各部署の意見を聞いたり報告や資料を受けてそれを役員会や社長に上げるようにしているんだよ。もっとも、受けすぎてあの様だったんだけどね…」


なるほど、それであの惨状に繋がるのか…。

大まかではあるけれど、政臣さんのことが何となくわかった。俺のことを真面目だと言うが、政臣さんも大概だと思うけどな。


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この時間も、いよいよ終わりに近付いていた。

何故か途中で、部署と課に関することを聞かれたりはしたが、それ以外は本当に雑談だった。


「さて、そろそろお開きにしようか。では高梨くん、これを…」


政臣さんが懐のポケットから取り出した封筒。それが何なのか勿論わかっているので、遠慮なく素直に受けとる。


「ありがとうございます。」


「しっかり中を確認しないとダメですよ?」


この場で開けるのは失礼だと思ったのだが、真由美さんにそう言われたことに加えて政臣さんもその言葉に頷いていたので、それに従って確認することにした。


何か緊張するな…


思えばアルバイトそのものが初めてだった俺は、こうして労働の対価として受けとる現金…つまり給料を貰うことが初めての経験なので、妙な緊張感があった。


封筒を変に破らないように気を付けながら開封して、中身を取り出すと…


あれ? 予定より多いような気が…

いやいや、気がするなんてものじゃないぞ、数えるまでもなく予定よりかなり多い!?


「あ、あの!! これは多過ぎ…」


「ん? そんなことはないよ。まぁ契約書も何もないのだから、私の一存で決めさせて貰ったけど。最初に話した時給だって、最低でも…って話だったはずたよ。」


確かに「最低でもこのくらいの時給は用意するよ」と言われたが、つまり最低額を聞いただけで明確な数字は聞いていなかった。俺はそれでも十分ありがたいと思っていたので、そのままの金額で考えていたのだが。


「ですが、これは」


「高梨くん、これは君の労働に対する対価と、私の想定を越えた結果を出してくれたことに対する追加報酬なんだよ。だから全く不思議なことはないし、君はそれを受けとる権利がある。」


政臣さんは至極当然と言わんばかりの様子なのだが、俺は本当にこれを受け取ってもいいのだろうか。

もちろん俺だって仕事はしっかりやったつもりだし、自分で言うのも何だがそれなりの出来だったと思う。


「高梨さん、それはしっかりと受け取って下さいね。主人も高梨さんの成果をしっかり考えた上で決めたことですから、高梨さんが遠慮をする必要など全くないのですよ?」


ここで真由美さんまで説得側に回ってしまった。こうなってくると、俺がこのまま遠慮を続けるのは逆に失礼になるだろう。

それによく考えてみれば、一度出したものを引っ込めるなど、政臣さんの面子を潰してしまうことになるのではないか?

であれば、ここはありがたく受けとるべきなんだろう。


「……わかりました。本当にありがとうございます。」


俺がそれをバッグにしまうと、政臣さんも笑顔を浮かべて満足そうに頷いてくれた。


「うん、それでいいんだよ。よし、これで本当に最後かな。」


「はい。本当にありがとうございます。短い間でしたが、お世話になりました。」


ソファから立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。


「こちらこそ、本当にありがとう。お礼のつもりだったのに、逆に助けられてしまった感じだよ。」


政臣さんが差し出した手を握り、握手を交わす。

本当にいいお父さんだ。ウチの冴えない親父も、せめて政臣さんの半分くらいは男前を見習って欲しい…


「また会えるかな? ひょっとしたらまたアルバイトをお願いしたくなるかもしれないし」


少し冗談を言うような軽さで、政臣さんがありがたいことを言ってくれる。

俺としても、このまま全く何も言わずにお別れするのは本当に気が引けた…それに、近い内に改めて挨拶をするつもりがあるのだ。


「政臣さん…次にお会いしたときにお話があります。」


「ん? そうなのかい?」


「はい。少し事情があるので次回になりますが…」


「いや、それならそれでいいんだよ。つまり、次にまた会える理由が出来たってことだからね。それなら、今日はさようならではなく、また今度という挨拶にしよう。」


「………はい!!」


次に会うときは必ず本当のことを伝えよう。

そして、俺も大人になるなら政臣さんのような大人になりたい…そんなことを感じたのは生まれて初めての経験だった。


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えー…沙羅との再会及び砂糖をご期待頂きました皆様…すみません次回になってしまいました…

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