第183話 待ち遠しい二人
「それじゃあ、明日はよろしくね」
「はい、お疲れさまでした。」
真由美さんの用意してくれた晩ご飯を食べて、帰りは政臣さんが車で送ってくれた。
挨拶をして車を降りると、短いクラクションの音と共に車が走り出し、あっという間に見えなくなった。
明日は作業ではなく話に付き合うだけとのことで、若干あやふやな感じになってしまった。それは勿論俺が無理を言ったからであり、申し訳ない気持ちも強いが、ありがたいというのが正直な気持ちだった。
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家で一息…と言いたいところだが、沙羅さんから電話がかかってくる前に次の準備をしておかなくてはならない。
だがその前に、しないよりはマシということで救急箱から絆創膏を取り出して右手のマメに被せる。
よくよく見ると明らかに酷くなっているようだが…酒屋のバイトもあと数日、それが終わればその内治るだろう。それまでの我慢だ。
救急箱を片付けて、次のバイトの準備をしながら今日のことを思い出す。
真由美さんに迷惑をかけてしまった。まさか沙羅さんのお母さんに膝枕をさせてしまうとは…
でも昼寝ができたお陰か、昨日よりは体調が良いと思う。今日は変な眠さも感じないし、これなら乗り切れるだろう。
ピロロピロロ
静かな室内にRAINの着信音が鳴り響く。
もちろん沙羅さんからの連絡であり、今日もビデオ通話で着信しているようだ。
受信を押す前に、疲れを見せないように深呼吸して……よし。
「こんばんは、沙羅さん」
「こんばんは、一成さん」
今日で六日目になるこのビデオ通話も、今回で終わりになる。
アルバイトのお陰で長かったような短かったような一週間だったが、寂しかったという気持ちだけは変わらなかった。
明日は沙羅さんが帰ってくると思うと、その時が本当に待ち遠しい。
「ふふ…どうかなさいましたか? とても嬉しそうに見えますよ?」
「いえ、明日は沙羅さんが帰ってくると思うと嬉しくて…」
思わず本音が溢れる。
でも仕方ないだろう? 嬉しいのは事実なんだから。
「…私もです。早く一成さんのお側に帰りたい」
沙羅さんが切なそうに画面越しの俺を見つめてくる。あと一日だというのに、その一日が本当に待ち遠しい。
「沙羅さん、明日の予定はどうなっているんですか?」
「学校に到着するのは夜になります。両親が車で迎えに来ると言っていたので、まずは家に帰ることになるでしょうか。」
「そうですか…」
「まずは」という言葉が指す意味は、もちろんその後でこちらへ来るつもりでいるということだろう。
俺としても明日はどうしても会いたいが、無理はさせたくないとも思う訳で、これはジレンマだな…
「一成さん、明日はお泊まりさせて頂いて宜しいですか?」
(!!!!!!)
?
また何か煩いような気がする。
最後の夜だから、騒いでいるのかな?
いや、そんなことより明日の事だ。
正直に言って、俺としても沙羅さんに泊まって欲しいし、寧ろ俺の方から泊まって欲しいとお願いしたいくらいだ。
でも…
「…沙羅さん、俺も本当は沙羅さんに泊まって欲しいです。でも、修学旅行から帰って来ていきなり外泊なんてしたら、真由美さん達も寂しがると思うんです。」
「それは…」
「沙羅さんのお土産話を待っているのは俺だけじゃないです。ここはご両親を優先させて下さい。」
などとカッコつけたことを言ったものの、それを言うのは俺としても断腸の思いだった。
だけど、政臣さんと真由美さん、二人と接した俺としてはご両親との時間も大切にして欲しいと尚更思う。
沙羅さんはこれまでも、毎日のように朝から晩まで俺の面倒を見てくれていたが、それはよく考えてみればその分ご両親との時間を削っていたということだ。
だからこんなときくらい、一家団欒の時間を設けるべきだと俺は思う。
前回と違い、沙羅さんと一週間会えなかったのは俺だけではないのだから…
「……畏まりました。一成さんの仰る通りだと私も思います。残念ですが明日はお会いするだけに致しますね。」
沙羅さんも納得してくれたようで、素直に俺の話を聞き入れてくれた。
良かった…良くないけど良かった。
「一成さんは本当にお優しいですね。私の両親のことまで考えて下さって。」
「…いえ、俺だって本当は」
「はい、わかっております。私も同じ気持ちですから。一成さんがそのお気持ちを飲み込んで、そう仰って下さったこともわかっております。」
だからみなまで言わないで下さい…
沙羅さんの表情がそう物語っているのが、俺にもわかった。
以心伝心などと言うつもりはないが、お互いの気持ちが分かりあえているようで嬉しくなってしまう。沙羅さんが微笑んでいるのも、ひょっとしたら同じ気持ちなのかもしれないな。
「幸い、私達は月曜と火曜はお休みになりますので、月曜日の夜こそお泊ま…」
「それは俺の方からお願いしたいです。沙羅さん、月曜日は俺の家に泊まってください」
(ぉぉぉぉ!!!!)
「はい!! 一週間も空けてしまいましたので、一成さんにして差し上げたいことがいっぱいあります。」
俺からお願いしたからなのか、まるで花が咲いたかのような眩しいの笑顔がスマホの画面に映る。
思わず頬が火照るのが、自分でもわかってしまった。
「帰ったらいっぱいお話ししましょうね。お食事も一成さんのお好きな物をいっぱい作りますし、夜も一緒に寝て…抱っこさせて下さいね?」
(カハァ!!!)
「は、はい。俺もその、嬉しいです…」
改めて言葉にされて言われてしまうと、気恥ずかしいというか何というか。
結局この日は、帰った後のことを語るだけでお互いの報告がなくなってしまった。
それだけ会いたい気持ちが強くなっているということなんだけど…
一つだけ気になったことは、話をしている最中に沙羅さんが俺の顔を見ながら何かを気にしている様子が伺えたことだ。
あるいは何かしら気付かれていることがあるのかもしれないが…肝心な部分さえ無事なら大丈夫だろう。
沙羅さんの誕生日まで約一週間。
俺のバイト生活も大詰めを迎えていた…
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「ね、ねぇ、沙羅、本当に泊まるだけなのよね?」
心ならずもこの修学旅行で、普段二人がどういう生活をしているのか知ってしまった私としては、こんな話を聞かされてしまうと気が気でない。
真由美さんが公認していることもわかったのだし、二人のことであるのだから、私が口を挟むべきではないというのは理屈ではわかっている。
でも沙羅は親友であり、高梨くんも大切な友人だと思っているので、その二人が…と考えしまうとどうしても複雑な思いがしてしまうのは許して欲しい。
「もちろんですが、何か気になることでもあるのですか?」
「ううん、それならいいんだよ。二人がそこまで仲良くなってるなんて嬉しいな〜ってさ。」
もちろんこれは本心だ。
二人をずっと心配してきた私としては、交際が順調であるなら素直に嬉しい。
「夏海…ありがとうございます。私も一成さんとのことでは夏海のお世話になりましたから、橘さんとの件で何かあれば相談して下さいね。一成さんも協力して下さいますから。」
「いや、だから私のことは…」
また私の方に話が飛んできて騒がれる……って、そういえばさっきからあの三人が静かなことに気が付いた。
周りを確認すると、三人は床に突っ伏して倒れたままだった。
ひょっとして、さっきの二人の会話で何かを吐いたまま?
「だ、抱っこして寝るって…」
「想像できない…マジで想像できない」
「薩川さんって双子だよね…学校にいる薩川さんはもう一人なんだよね…」
「普段高梨くんの家でどういう生活してるの? この修学旅行で薩川さんのイメージが跡形もなくなったんだけど…」
「でも、男子から声をかけられると、いつもの薩川さんなんだよねぇ」
三人はまだダメージが抜けないようで、お互いを支え合いながらボソボソと呟くように会話していた。
どうやら、最後の下りを聞かれていなかったようね…助かったわ。
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「高梨くん、お疲れさま」
最後の箱を車に乗せて、肺の空気を大きく吐き出したところで後ろから声をかけられた。
もちろん振り向くまでもなく、声の主は藤堂さんだと言うことはわかっている。
「お疲れさま。藤堂さんどうしたの?」
俺がこの店でアルバイトを初めてからというもの、藤堂さんは必ずこうして様子を見に来てくれていた。
家が近いらしく簡単に来れるのだそうだ。そうでなければ、俺だって夜に女の子が一人で動くのを見過ごしたりはしない。
一応、毎回は大変だからいいよと伝えてはあるのだが、藤堂さんからは「大丈夫だから気にしないで」と言われてしまい、それ以上無下に断ることも出来なかった…
「はいこれ、差し入れ!」
藤堂さんは、ニコッといつもの癒し系笑顔を浮かべて、後ろ手に持っていた何かをスッっと俺の目の前に差し出した。
その手には缶コーヒー…いや、缶カフェオレ? を持ってきてくれたようだ。
「ありがとう…つっ」
受け取ろうとして、思わず右手をそのまま出して缶を握ってしまった。それが変な握り方になってしまい、缶の上側の縁がマメに食い込んだ痛さで缶を離してしまった。
ガシャン!!
カフェオレの缶は大きめの音を出して地面を転がる。
「ご、ごめん!!」
急いで前屈みになって左手で缶を拾い上げた。藤堂さんも拾おうとしてくれたらしく若干前屈みになっていたが、先に俺の方が拾えたので身体を起こすと目が合った。
「ご、ごめんね、ちゃんと渡さなかったから」
「いや、俺が変な持ち方をしたから」
「ううん。ところで、ちょっと見せてね」
藤堂さんが少し強引に俺の右手をとると、着けていた軍手を外す。そこには当然、今朝よりまた少し酷くなったマメと、新たに形となったマメが二つ…
「え!? 何これ…高梨くん、これは?」
「いや、最初からあったんだけど…」
「嘘はダメだよ! こんなになるまで…」
瞬間的についた嘘だったが、やはり気付かれてしまった。藤堂さんとは最近一緒に花壇の作業をやっていたし、痛みで缶を落とすまで大きくなったマメが最初からあったなんて信じないよな…
「あ、だから昨日も花壇で右手を使わなかったんだね…。もう、こういうことはちゃんと言わなきゃダメ!」
どうやら既に違和感を覚えられていたらしい。
しかし…まさか藤堂さんに怒られる日がくるとは思わなかった。
藤堂さんは俺の右手をじっと眺めながら、時折マメを軽くチョンチョンと指で触ったりして様子を確認していた。そして顔を上げると、心配そうな表情で俺を見てくる。
「高梨くん、これはもうアルバイトを止めた方が…」
「ごめん、それはできないんだ。それにあと少しだから大丈夫だよ…」
「でも…」
「心配してくれてありがとう。本当に大丈夫だから」
俺は止めるつもりがないことを藤堂さんにわかって貰うために、話しを強制的に終わらせて背中を向け片付け作業に入る。
「…もう、仕方ないなぁ…」
そう一言を残し、藤堂さんの歩き出す足音が聞こえた。恐らく家に帰ったのだろう。せっかく心配してくれたのに、無下に断ってしまい申し訳ないことをしてしまった。
今度改めて謝らなければ…
片付けを再開して少しした頃、パタパタと少し急ぎ足でこちらへ近寄ってくる足音が聞こえた。振り向かずに作業を続けると、その誰かは真横まで来てフリーになっている俺の右手を掴んできた。
「高梨くん、ちょっとお仕事中断してね。」
「藤堂さん?」
俺の右手を掴んだのは、呆れて帰ってしまったと思っていた藤堂さんだった。
よく見ると救急箱を持っている。
まさかこれを取りに行ったのか?
「はい、ここに座ってね」
ビール瓶が入っていないP箱を縦に置いて椅子代わりにすると、俺に座るように指示をしてくる。
大人しくそれに座ると、俺が先程まで荷物を乗せていた軽自動車後部の荷物置きスペースに救急箱を置いて、その中から包帯や消毒薬などを取り出した。
「ちょっと染みるけど、いい子だから我慢してね〜」
もの凄く子供扱いされたような気がしたが、恐らく未央ちゃんにしてあげるような感覚なのかもしれない。
手慣れているようで、俺の右手を取るとさっと消毒を済まして大きめの絆創膏を貼る。そしてスルスルと包帯を巻いていき、最後に包帯止めを着けた。
「はい、完成! せめて明日の朝まではこうしておいてね。」
「あ、ありがとう」
「本当は、もうお仕事を止めて欲しいんだけど…」
「…ごめん」
「ううん。友達が大切な人の為に頑張ってるんだから、それを応援するのは当然なんだよ!」
藤堂さんは本当にいい子だよな…
速人と幸せになってくれるのであれば一番だけど、例えそうならなくても、俺は喜んで協力したい。
心からそう思えたひと時だった。
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