第178話 お仕事二日目

今日は政臣さんが仕事で迎えに来ることができないとの連絡があり、代わりに真由美さんが迎えに来てくれることになった。

俺は歩いて行くと伝えたのだが「私が迎えに行きますからね〜」と半ば強引に押し切られてしまい、大人しく待つ以外に選択の余地がなかったりする。


家に着いた俺は着替えを済ませ、弁当箱を洗ってバッグに入れると準備完了。そもそも準備と言っても着替えるくらいしかないのだが。

アパート前の道路際で待機しながら、目の前を通りすぎる車をぼんやりと眺めていると、やがて見覚えのある白のワンボックスがこちらに向かって走ってくる姿を確認した。

車はそのまま速度を落として俺の目の前に停車、既に開いていた助手席の窓から真由美さんが声をかけてきた。


「高梨さん、お待たせしました〜」


「すみません、ありがとうございます。」


「いいえ〜、それじゃ行きましょうか。」


助手席のドアを開けて車に乗り込みシートベルトを着ける。真由美さんはそれ確認してから車を走らせた。


「今日主人は帰りが遅くなるみたいなんですよ。ですから、帰りも私が送りますね。」


「あ、それなら俺は歩いて…」

「それはダメですよ〜」


まぁそう言われるのはわかっていたけど、それでも一応遠慮しておいたのだが。

なぜって「それじゃお願いします」なんて簡単に言えるほど、俺はずうずうしくはなれないから。


流れていく景色が駅前付近から住宅街エリアに代わり、車はゆっくりと進んでいく。

薩川家に到着すると、昨日と同じように開いたガレージ車を停車させて、そのまま俺達は車を降りる。


そのまま玄関へ向かい、真由美さんはバッグから鍵を取り出してドアの鍵を開けると…何故か、そそくさと先に家へ入りドアを閉めてしまった。


え?

どういうこと?


よくわからないが、とりあえず自分でドアを開けると…玄関から一段上がった場所に笑顔の真由美さんが立っていて、こちらを見つめていた。


「おかえりなさい、高梨さん」


「え?」


「おかえりなさい、高梨さん」


「いや…」


「おかえりなさい、高梨さん」


「ただいまです…」


「はい。それではお茶にしましょう。ソファでいい子にしてて下さいね。」


どうやら正解だったようだ。

真由美さんがニッコリと微笑むと、スリッパをパタパタと鳴らしながら奥に引っ込んでいく。お茶の準備をする為に台所へ向かったのだろうが…リピートされると機械に話しかけられているみたいでちょっと怖いぞ。


そういえば、以前沙羅さんと同じようなやり取りをしたことがあったような…?

あれは自宅だったから別にいいけど、薩川家で「ただいま」はどうなんだろう。


真由美さんが出してくれたスリッパを履いてリビングに入ると、とりあえずいつも通りの席に座っておいた。


…いや、仕事をする為に来たのに、何を普通にティータイム始めようとしてるんだ俺は。

昨日はかなり中途半端な状態で作業を終わらせてしまったので、今日は早く続きを始める気満々だったんだけどな…


とは言え、真由美さんは既にお茶の準備を始めてしまっている訳で、このまま大人しく待っているしかないのだ。


「今日は時間があったからシフォンケーキを焼いてみたのよ。良かったら食べてみて下さいね」


準備ができたらしく、真由美さんは手にトレーを持って戻ってきた。

そしてテーブルにティーポット、ティーカップ、ケーキと順番に置いていく。


その中で一際存在感を放つシフォンケーキに目を奪われてしまった。ホイップクリームによるデコレーションもされており、見た目もお店で出されるケーキと謙遜ない。

そういえば、沙羅さんもケーキを作るのが上手いんだよな。

やはりこの辺りも真由美さん直伝なんだろうか?


「沙羅ちゃんは小さい頃から私のお手伝いをしてくれていたから、その分色々教えてあるのよ。だから、結婚しても家事で困ることはないと思うわ。旦那様になる人は幸せね〜」


そんなことを言いながら、意味深な視線でニヤニヤと俺を見てくる真由美さん。

もちろん俺に対して言っていることはわかっているのだが、どう反応すればいいのか正直困る。


沙羅さんとのことは、勿論この先もずっと仲良くしていきたいと考えている。

そしてそれが続いて行けば、やがてそういう話に行き着くのだろうということも、話としては俺だって理解できる。


ただ、俺は恋人という存在そのものが初めてであり、男女の交際というものも初めてだ。

あらゆることで初心者の俺に、いきなり将来や結婚のことを言われても全然想像がつかないというか…そもそも卒業後の進路だってまだ考えてないし。


「深く考えなくていいから、今は沙羅ちゃんと仲良く過ごすことだけ考えてね。」


俺がリアクションに困っている様子が見て取れたのか、真由美さんは自分が言ったことなのに俺をフォローしてくれた。

そうだな、とりあえず今の俺が頑張らなければならないことは、プレゼントを手に入れてサプライズ誕生日会を何としても成功させることだ。

日頃のお礼の意味も込めて、沙羅さんには喜んでもらいたい。それに集中しよう。


「という訳で、はい高梨さん、あーん」


「は? い、いや、そういうのはさすがに…」


どの辺が「という訳」なのかわからないけどな。

イタズラっぽい表情を見れば、俺をからかっているだけだということはよくわかる。

それでも照れ臭くなってしまうのは、真由美さんを見ていると沙羅さんが大人になったらこんな感じになるのかな…と、つい連想してしまうからなのか…


「んふふ、高梨さん可愛い〜。でもあまりやり過ぎちゃうと沙羅ちゃんに怒られちゃうかしら? ごめんなさいね、高梨さんの反応を見ているとつい。」


そう言いながら、差し出したフォークを引っ込めるとそのまま自分の口へ運んだ。

そのまま二口、三口とケーキを食べながら、「うん、美味しい」と満足そうに呟いた。


「あの…何で真由美さんはそこまで俺に…」


いい機会だったので、俺は以前から気になっていたことを問いかけてみた。

真由美さんが俺のことを気に入ってくれているのは何となくわかっているのだが、娘の恋人というだけでお母さんがここまでしてくれるというのはどうなのだろうか?


「そうねぇ。一番の理由は、沙羅ちゃんを変えてくれたことかしら。今の沙羅ちゃんは本当に幸せそうで、見ている私まで嬉しくなってしまうのよ。だから、高梨さんには本当に感謝してるの。今の私の行動は、そのお礼の意味もあるのよ。」


これは親として…ということなのだろう。

お礼というのであれば、ありがたく受け取っておけばいいのだろうか


「あとは、もう一つオマケの理由があるのだけれど…そちらは秘密ですね。私が高梨さんについ構いたくなるのは、どちらかと言えばそちらが理由かもしれません。ですが…」


口の前に人差し指を立てて、「ナイショです」というポーズをとる真由美さん。こういう可愛らしい動作が似合うのはずるいと思う。

正直気になるが、秘密というならしかたないか。

でも、真由美さんには真由美さんなりの理由があって、それで俺に色々してくれているということはよくわかった。

それならからかうのは…せめて程々にして欲しいかも。


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ケーキをしっかりと頂いて、さぁ仕事に取りかかろうと思ったところで、弁当箱を返し忘れていたことを思い出した。

もちろん持って来ているので、バッグから空になった弁当箱を取り出して真由美さんに渡す。


「ありがとうございました。とっても美味しかったです。一応洗ってあります」


「あら、そのままでも良かったのに。でも美味しいって言って貰えて嬉しいわ。また明日持って行きますから、楽しみにしていて下さいね。」


「は、はい…ありがとうございます」


お礼だと言うのであれば素直に受け取ろうと思うので、大人しくお礼だけ伝えておく。

断っても持ってくるだろうし、そもそも断る理由がないからな。


「ふふ、それでいいんですよ。お義母さんに任せて下さいね。」


俺が素直に受け入れたことに満足したようで、嬉しそうに微笑む真由美さんだった。


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俺は玄関から母屋を出て、離れに移動する。

鍵をあけてオフィスに入ると、作業途中だった昨日状態を確認して、直ぐに作業を再開させる。

昨日政臣さんから許可を貰ったので、自分なりにやり易い作業エリア作り、どんどん仕分けしていく。


途中、真由美さんが様子を見に来てくれたが、確認したいことを聞くだけにして母屋に戻って貰った。俺は仕事としてこの作業を請け負っているのだから、真由美さんを不必要に手伝わせるのは違うと思ったからだ。


俺の様子をガラス張りの壁越しに見ていた真由美さんは、ふっと微笑むとそのまま母屋へ戻っていった。

そんな後ろ姿に、俺はせっかくの厚意を断ってしまったことを謝るのだった…


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「またしても、すみませんでした…」


真由美さんの熱烈なハグから解放された俺は、とりあえず謝罪の言葉を口にする。

何があったかというと…今日も作業に夢中になり、休憩を取ることを忘れていたのだ。

そしてそれを聞かれて誤魔化すこともできなかった俺は、昨日に引き続き問答無用でお仕置き(ご褒美?)されてしまった訳だ。


文字通りすっぽりと収まってしまう凶悪なまでのそれは、解放されるまで俺に言葉を発するという抵抗すらさせない。

なので、必然的に謝ることができるのは解放後ということになる。


「高梨さんったら。休憩を取ることもお仕事の内なんですよ? あ、それとも…」


真由美さんは「ニヤ~」という擬音が聞こえてきそうなくらいの、わかりやすいくらいなニヤケ顔で俺を眺めてくる。

それともなんだ?


「私にこうして欲しくて、わざとなんでしょうか? もう、私で良ければいい子いい子してあげますよ? さあ、いらっしゃい」


バッチこいと言わんばかりに、俺に向かって両手を開いて待機している真由美さん。

冗談だよな?


「いや、そういうのはその…」


嬉しいか嬉しくないかで言えばもちろん嬉しいのだろうが、やはり俺はこういったことは沙羅さんとしたいので…


「あら…そうなんですね、やっぱり沙羅ちゃんの方がいいと。お義母さん寂しいわ。」


俺に向けていた手を下ろして、見るからにしょんぼりとする真由美さんだが、口許が笑っていることを俺は見落とさなかった。


「んふふ、沙羅ちゃんはまだ大きくなってるみたいだから、高梨さんはこの先もっと嬉しいことになると思いますよ」


俺が反応を示さなかったので真由美さんは直ぐに話題を変えてきたようだ。

そして話題の大きくなってるという部分だが


身長のことだよな、うん。


「よし、高梨さんのその表情が見れたからお義母さんは満足です! さぁ、お仕事はここまでにして、ご飯にしましょうね?」


「わ、わかりました。」


何かに満足したらしい真由美さんは、俺を引っ張るように母屋へ向かう。

その表情ってなんだ? 俺はごく普通にしていたはずなんだけど。


母屋に戻りリビンクのテーブルに着くと、用意される食事は二人分だった。

今日は政臣さんがいないと言っていたから、当然、真由美さんと二人で食事になるのだが。

改めて考えてみると、彼女のお母さんと二人だけで食事って、これはどういう状況なんだろう?

悪いことをしている訳ではないのに、何か引っかかるものを感じる俺だった

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