第177話 雄二と夏海先輩は?

ピピピ…ピピピ…


沙羅さんの優しい声が聞こえない。

包丁とまな板の音も聞こえない。

無機質なスマホの目覚ましアラーム音が鳴り響き、俺の意識を強引に覚醒させた。


おはようございます


ここには居ない沙羅さんに朝の挨拶を済ませ、スマホを手に取るとRAINにメッセージが入っていた。


「一成さん、おはようございます。しっかり朝食は食べて下さいね。面倒だからと抜いてはいけませんよ? 今晩、またお話できる時間を楽しみにしております。まだ二日目ですが、頑張りましょうね。貴方の沙羅より…」


RAINとは思えない、実に沙羅さんらしい丁寧な文面がとても愛しい。

そして「貴方の沙羅」という表現に思わず照れてしまった。

返信のメッセージはどうしよう…

「貴方の沙羅」の対になる言葉を考えたが「貴女の一成」は変か?

結局いい言葉が思い浮かばなったので、無難なメッセージになってしまった。

暫く画面を眺めていたが、忙しいのか既読が付くことはなかった。



今日は沙羅さんの修学旅行二日目、そして俺のアルバイト生活二日目だ。


顔を洗い髪をセット。鏡に映る俺は、今日も相変わらずの冴えない男だな。

沙羅さんが洗ってくれたシャツに着替えて、トースターに仕掛けておいたパンを立ったままかじる。


「もう、一成さんったらお行儀が悪いですよ、めっ」


…沙羅さんが居たら、きっとそんな風に優しく注意されるんだろうな。


静けさを紛らわす役目をTVに任せようとスイッチを入れれば…芸能人の不倫だ離婚だと、本当にどうでもいいニュースが流れだした。


せめてもう少しマシな番組にしとこう…とリモコンを持ったところで


ピンポーン…


は? こんな時間に?


この家に住み始めて半年を越えたが、こんな時間に来客があったことは沙羅さん以外にない。


ピンポーン…

二度目のチャイムが部屋に鳴り響く

とりあえず出てみるか…


「はい」


ドアを開ける前に、外にいるであろう誰かに声をかけみると、返ってきた声は聞き覚えのあるほんわりとした女性の声だった。


「高梨さん、おはようございます〜」


!?

な、なんで真由美さんが?


ガチャ


急いでロックを外してドアを開ければ、そこには沙羅さんの面影がある大人の女性…声でもうわかってはいたが、真由美さんが立っていた。


「ま、真由美さん?」


「高梨さん、おはようございます。少々上がらせて頂いても大丈夫ですか?」


「あ、はい、どうぞ!」


「では、お邪魔しますね」


さすがに玄関先で立たせておく訳にはいかないから、とりあえず真由美さんに上がって貰う。

時間は…俺一人だからまだ余裕はあるな。

いや、よく考えてみれば、夏海先輩との待ち合わせもないから別にギリギリでもいいのか?


「ごめんなさいね、いきなり押し掛けてしまって。」


「いえ、でもどうしたんですか?」


「うふふ…これを渡そうと思って…」


そう言って、真由美さんが持っていたバッグの中に手を突っ込むと…中から現れたのは花柄の巾着袋に包まれた「何か」だった。


「はい、高梨さん。今日のお弁当ですよ。」


真由美さんはニコニコしながら巾着袋を俺に差し出してくるので、条件反射的にそれを受け取ってしまう。


「え…お弁当ですか? な、なんで…」


「だって、沙羅ちゃんがいないからお昼ご飯がないでしょう? そこでお義母さんの登場です!」


ビシィ!


その理論はよくわからないが、ドヤ顔でポーズを決める真由美さんに微笑ましさを感じてしまう。

せっかく作ってくれたんだ、ここはありがたく受け取らせて貰おう。


「…ありがとうございます。でも、ひょっとしてこれの為だけに…」


「大丈夫。あの人もお弁当持っていくから一緒に作ったのよ。」


「それなら遠慮なく頂きますね。でも、俺が家に居なかったらどうするつもりだったんですか?」


「それはもちろん、学校に届けに行きますよ。私もあの学校のOGだから顔の利く先生もいるし、他にも伝手はありますからね」


あ、危なかった…真由美さんが弁当を持って学校に押しかけてきたら、あれは誰だという話で俺がクラスで尋問されかねないぞ。


俺はそうならなかったことにホッとしながら、お弁当を丁寧に入れたバッグを持ってテレビを消す。真由美さんは俺が出掛けようとしている空気を読んでくれたらしく、何も言わなくてもそのまま玄関に戻り、靴を履いて家を出る準備をしてくれた。

そして振り返ると少し部屋を眺めている様子だったが、突然何かを思い出したように「あっ」と小声で呟いた。なんだろう?


「そうそう、洗濯物があればまとめて渡して下さいね。私がお洗濯してきますから」


「え? いや、そのくらいは自分で」


「いいからお義母さんに任せなさい。もし渡してくれないなら…高梨さんのお家でお洗濯しちゃおうかしら〜」


うぉぉ、それは勘弁して下さい!

そんなことになれば、真由美さんは絶対に洗濯だけで終わらないような気がするぞ。

只でさえ沙羅さんにはお世話になりっぱなしなのに、お母さんにまでそんなことをさせてしまうのはいくらなんでも…とは思うのだが。どうせ断れないのなら、せめて下着だけは外して渡すか…


「あ、下着だけ外すとかはダメですからね?」


!?

な、なんでわかった…?

俺の顔を見ていた真由美さんが、ニヤリと笑うと俺のおでこを突っついてくる。


「んふふ、誰かさんと一緒だからわかりやすいのよねぇ。でも、そう考えたってことは、沙羅ちゃんは高梨さんの下着を洗っていないの? あの子は高梨さんのことなら絶対に嫌がったりしないから、全部任せちゃっても大丈夫なのに」


「は、はぁ…」


そうは言われても、沙羅さんに自分の下着まで洗わせるなんて…申し訳なさすぎるというか。


「まぁ、その内沙羅ちゃんが強引に洗っちゃうだろうけど。とにかく、遠慮しないこと!」


「は、はい!」


真由美さんの笑顔に逆らうことができない俺は、素直に言うことを聞くしか道が残されていないのだった…


------------------------------------------


キーンコーン…


四時限目の終了を知らせるチャイムが校内に鳴り響き、教師の退出と共にクライスメイトが一斉に動き始めた。

さて、今日どうしよう…


「失礼しまーす。」


律儀に挨拶をしながら入ってくる癒し系ボイスは、もちろん藤堂さんだ。


「高梨くん、お昼ご飯だよ~」


端から聞くと小学生のようなやり取りにも聞こえるんだけど、藤堂さんの雰囲気が全くと言っていい程に違和感を感じさせないのだ


近づいてくるのはもちろん藤堂さんだけでなく、今日も速人が並んで教室に入ってくる。そして教室の視線(主に女子)も当然集まる。

それはさておき、とりあえずは順調そうで何よりだな。


「一成、行こうか?」


「あぁ」


俺はバッグから巾着袋を取り出して教室のドアに向かうと、二人もそれに並ぶように歩き教室を出る。

どうやら二人は俺の手にぶら下がる巾着袋が気になっているようだ。

まぁ、沙羅さんが居ないのに俺が弁当持参なのは不思議に思うだろうな…


------------------------------------------


いつも通りに人気のない花壇に着いた俺達は、昨日と同じようにベンチに座る。

速人、藤堂さん、俺、という順番も昨日と同じだ。


「ねぇねぇ高梨くん! そのお弁当どうしたの?」


さっそく来たか。

二人が気になっていたであろうことは、俺もわかっていたしな。

そして口火を切ったのはやはり藤堂さんだった。

この話題になることは最初からわかっていたので、どうせなら薩川家でバイトをしていることも説明をしておこうか。

適当に説明することもできるが、友達にそんなことをする理由もないしな。


「一成は自炊しないよね? 薩川先輩もいないし…」


「いや、このお弁当は真由美さんが…」


俺は事の経緯として、政臣さんの好意で薩川家でバイトをすることになったこと、沙羅さんのお父さんだと知らなかったこと、晩御飯だけでなくお弁当まで真由美さんが作ってくれたことを説明した。

そして、真由美さんのことを知らない藤堂さんには、その辺りの説明もしておいた。


「へぇ、そんな偶然あるんだね。前に薩川先輩が、高梨くんとの出会いは運命だって言ったけど…ここまで繋がると本当にそうなんじゃないかって思えるよね! いいなぁ…運命の出会いかぁ」


実に藤堂さんらしく、こういう話題はかなり好きそうな様子だ。

「運命の出会い」というフレーズに憧れがあるのか、しきりに感動したような様子を見せている。


だが俺としても、沙羅さんとの出会いは運命だったと常日頃から思っている訳で…

こうも出来過ぎなくらいに偶然が重なると、やはり本当に運命だったのだ確信を持って言えてしまうのではないか?

…ちょっとロマンチックすぎるかな?


「でも、実際どうするんだい? いつかはお父さんにも話をするんだろう?」


「そこなんだよなぁ。真由美さんからは普通にしていればいいって言われてるんだけど…でも沙羅さんに可能な限り悟られたくないから、サプライズ誕生日が終わるまではこのまま行こうと思ってる。それが一段落したら、改めて俺からしっかり挨拶をさせて貰おうかなと」


政臣さんが沙羅さんのお父さんだと知らなかったのは事実だし、その辺も含めて正直に伝えようと思う。それに真由美さんも後で協力してくれるとは言っていたし…


「うわぁ、それってやっぱり、お嬢さんを僕に下さいって言うの!? ドラマみたいだね!」


「いや、それは結婚前の挨拶…」


目をキラキラさせた藤堂さんが、興奮した様子で先走ったことを言い出した。

まぁ、俺も昨日パニクって同じ事を考えてしまったけど、それは黙っておこう。


「確かに、サプライズを計画してるってこともあるからね。挨拶の時にその辺りまでしっかり話すなら、誕生日が終わってからでもいいのかな。いや、それにしても一成は遂に薩川先輩のお父さんに挨拶するのか…自分と同い年なのにそこまでやるなんて、素直に尊敬するよ。」


速人はお世辞でも冗談でもなく本当にそう思っているようで、真面目な顔で何度も頷いている。

よくわからないが、これは尊敬されるようなことなんだろうか…


そして話が一段落したところでお弁当タイムになった。

真由美さんのお弁当はとても美味しく頂きましたよ。

やはり沙羅さんの味付けに近いということが、俺的に食べていて安心感のようなものを覚えてしまうのかもしれないな。

それが俺にはありがたくもあり、余計に沙羅さんのご飯が恋しくなってしまうという…これは贅沢な悩みだよなきっと…


------------------------------------------


二人が手伝ってくれるので花壇の手入れも早く終わってしまった。

俺は自販機に寄る為に二人と別れて行動していたのだが、その途中にスマホが震えたのでポケットからスマホを出して確認。

RAINメッセージは雄二からか…

内容的には俺の現状の確認と心配だったので、メッセージを打ち返すより通話の方が早いと判断した俺は呼び出しを行うことにした。

呼び出し音が少しだけ鳴ると、すぐに通話が繋がる。


「どうした一成?」


「いや、電話の方が早いからさ。そっちは時間大丈夫か?」


「ああ、大丈夫だ。それで、結局バイトはどんな感じなんだ?」


雄二にも同じこと伝えておくか。

俺は速人や藤堂さんに話したことと同じように、薩川家でバイトをすることになった

経緯を、順を追って説明していく。


「なるほど。偶然もそこまで来ると、俺でもそれは運命だと言いたくなるな。」


黙って俺の話を聞いていた雄二が漏らした感想は、やはり速人や藤堂さんと同じようなものだった。

やっぱりそう思うんだな。


「わかった。くれぐれも無理はするなよ? 夏海さんも心配していたからな。」


ここで夏海先輩の名前が出てくるのか?

うーん、俺ってそんなに危なっかしい人間だと思われているのだろうか…ってそんなことよりも


「そっか。なら、次に会ったら謝っておくよ。ところで雄二、お前夏海先輩と連絡取り合ってるのか?」


「な、なんだ急に?」


「いや、心配していたなんて、随分と直近の話っぽい言い回しだからさ。」


「夏海さんからお前の近況を確認する連絡がきたからな。それだけの話なんだが」


うーん、それを同じ学校の速人ではなく雄二に問い合わせている時点で、何となく意味があるような気がするんだけどなぁ。


「おっと、すまんがこっちは時間がギリギリになった」


「あ、悪い。とにかく、俺はそんな感じだからさ。」


「わかった。夏海さんには俺の方から話しておくよ。」


「助かる。それじゃまたな!」


通話終了のボタンを押して、時計を表示させると思っていたよりギリギリの時間になっていた。

やべ、俺も急いで教室に戻らないと。

スマホをポケットに戻し、教室に向かって歩きながら、何となく先程の雄二との会話を思い出す。


雄二は夏海先輩を「夏海さん」と呼んだ。確か前は「夕月さん」って呼んでいたよな?


ひょっとしたら、俺が思っていた以上に雄二と夏海先輩の仲は良いのかもしれない。

もし雄二と夏海先輩がそういうことであるのなら、俺はそれを全力で応援でしたいと思う。

これは是非とも沙羅さんと相談してみよう。


しかし今考えると、雄二と速人と夏海先輩が三角関係にならなくて本当に良かったな…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る