第173話 電話
どうしよう…と考えたところで、もう決定していることに今更「やっぱりいいです」などと言える訳がない。
いや、そもそも嫌ではないのだ。寧ろ嬉しいと言ってもいい。
それなら、何で俺はどうしようなどと困ってしまったのか?
その発端はこうだ。
「あなた、高梨さんはこのまま次のアルバイトに行くみたいなの。」
「え、今から? それじゃ食事はどうするんだい? 独り暮らしだったよね?」
「いや、適当に…」
「それはダメよ。あなた、うちでアルバイトをしている間、高梨さんも一緒にお食事したらどうかしら?」
「そうだな、この時間まで働いて貰って、そのまま帰らせてしまうのは宜しくないな。」
この会話の流れは、実に(真由美さんにとっての)予定調和であり、ここで遠慮すれば何を言われるかわかったものではない。
それに、政臣さんからも食べて行くように言われた以上、断るのもどうかと思った訳だ。
そして現在…
「はい、準備ができましたよ〜。あなた、高梨さん、席に着いて下さいね。」
「ありがとう、真由美。さぁ高梨くん、早速食べようか。」
「は、はい。ご馳走になります…」
席に着くと、テーブルの右側には政臣さん、左側には真由美さん…そして俺。
おかしい、これではまるで、親子の食卓風景みたいになっていないか?
そもそも二人は、あくまで沙羅さんの両親であって、決して俺の親ではない。
それなのに、肝心な沙羅さん抜きで食卓を囲むこの光景に違和感を覚えているのは俺だけなのだろうか?
本当にいいのかな?
そう思わずにはいられなかった…
席に着くと、目の前には結構なボリュームのご飯が並んでいる。
そしてメニューは嬉しいことにハンバーグだった。
でもこれは偶然か? 知っていてハンバーグなのか?
「はい高梨さん、いっぱい食べてね。遠慮したらダメですよ。」
少し山盛りになった茶碗を受けとり、政臣さんと真由美さんの準備が整うのを待つ。
「あ、ありがとうございます。」
「高梨さんはハンバーグが好きなんでしょう? だからお義母さんいつもより頑張ってみたのよ〜」
やっぱり知っていたんだな。
何故俺の好物を知っているのか…って、沙羅さんから聞いたとしか考えられないよな。
「高梨くんはハンバーグが好きなのかい? 真由美はよく知っていたね。」
「え? …あぁ高梨さんとお話をしたときに、そういう話題になったんですよ。ねぇ、高梨さん?」
「え!? は、はい。その、たまたまそんな話しになったような…」
お願いだからいきなり俺に話を振らないでくれ…というか、際どい話題をわざわざぶっ込むのを止めて欲しい。
「いただきます。」
ここまできて遠慮するのは逆に失礼なので、素直にお世話になることにした。
「どうですか、高梨さん?」
「美味しいです!」
「良かった、いっぱい食べてね」
「遠慮したらダメだぞ、高梨くん」
美味しい、本当に美味しい。
というか、味付けが沙羅さんと似ているので食べやすいんだ。いや、これは沙羅さんが似ているというべきなのか?
思わず食べるペースが上がってしまい、途中でしまったと思ったものの、政臣さんも真由美さんもニコニコしながら俺を見ていた。
沙羅さんの両親だけど、久しぶりに自分の両親と食事をしているような、そんな感じが少し嬉しく思えた俺だった。
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次のアルバイトの時間もそうだが、沙羅さんから電話がかかってくる時間も考えて、多少早めに食べ終わる。
そして帰ることを伝えると、ありがたいことに政臣さんが家まで車で送ってくれることになった。これで少しだけ時間に余裕ができるな。
「お疲れ様でした。ご飯までお世話になってしまって、本当にありがとうございます。」
「いいのよ〜、明日からもちゃんと用意するからね! それじゃお疲れ様。この後も頑張ってね。」
「高梨くん、今日はお疲れ様。また明日も宜しく頼むよ。」
何故か真由美さんまで車に一緒に乗って、家まで送ってくれたのだ。
何とか乗り切ったという感じだが、書類整理のバイト一日目がこれで終了となった。もっとも、色々な意味で思ったより疲れてしまったが…主に精神的に。
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そろそろ電話がかかってくる頃だな…と思っていたら、RAINの着信音が鳴った。
画面を見ると、ビデオ通話で着信しているようだ。
以前、沙羅さんが政臣さんの実家からかけてきたときは、電波が弱かったのかビデオ通話が上手く出来ずに音声通話だけだったのだ。
こうして顔を見ながら話ができるのはとても嬉しい
「もしもし〜」
「あ、繋がりました! こんばんは一成さん!!」
画面に映る沙羅さんが、とても嬉しそうな笑顔で挨拶をしてくる。
心なしか、いつもより声のテンションが高いようだ。
「こんばんは、沙羅さん」
「はい! …ふふ、少し不思議な感じが致しますね。こうして画面越しでお話しするのは初めてだからでしょうか」
「そうですね。いつも一緒でしたから、最近は電話で話すことも珍しかったくらいですし。」
はっきり言って毎日一緒にいるので、電話をする必要も無かったからな。
「一成さん、ご飯はしっかり食べましたか? カップラーメンは、めっですよ。」
(ドタドタドタ!!)
?
何か暴れているような音が聞こえたような…
まぁいいか。
「大丈夫ですよ。しっかりしたものを食べましたから。」
「それは良かったです。申し訳ございませんが、一週間だけ我慢して下さいね。帰ったら、一成さんのお好きなものをいっぱいお作りしますので」
「はい! ところで、沙羅さんの方は今日どんな感じだったんですか?」
食事のことを深く突っ込まれる前に、話題を変えてしまうことにした。
とは言え、もともと電話がかかってきたら聞こうと思っていたことだからな。
「そうですねぇ、あ、今日行った神社が恋愛成就で有名な神社だったのですよ。」
「そうなんですね。沙羅さんの班は女性で集まっているって言ってましたよね? それならかなり盛り上がったんじゃないですか?」
「はい。皆さんとても真面目にお祈りしておりました。ですが、私の恋愛は既に成就しておりますので、大好きな一成さんとこれからもずっと幸せに過ごせますように…とお祈り致しました。」
それは素直に嬉しいな。
真剣にお祈りしている沙羅さんの姿が目に浮かぶようで、実に微笑ましい感じがする。
「そういう場所だと、御守りとかも皆さん買ったんじゃないですか?」
「私も神社で御守りを見るのは久しぶりでしたが、とても可愛い御守りがあって、思わず色々買いたくなってしまいました。」
「あれ? 沙羅さんは買わなかったんですか?」
何となく思い付いた話題を振ってみただけであり、流れからこれを聞くのは極めて自然だったはずなのだが…
俺が問いかけると、何故か沙羅さんの顔が突然真っ赤になった。
「あの、その、私は交通安全や無病息災などの御守りにしようと考えていたのですよ! ですが夏海が勝手に! ですから、深い意味はないのです。一成さんはお気になさらないで下さい!」
捲し立てるように話す沙羅さんは、とても恥ずかしそうな様子だ。
いったい何を買ったのかとても気になるが、あの様子では答えてくれないだろう。
「わ、わかりました。とっても気になりますけど、沙羅さんが嫌なら聞かないことにします。」
「嫌? あ!? そ、それは誤解です! 私は嫌などと思っておりません! まだ先のことですから気が早いと言いますか、でもゆくゆくはそうなりたいと思う気持ちも……はっ!? も、もう一成さんったら、恥ずかしいです…」
沙羅さんがパニックを起こしたように一人で騒いで、そして再び真っ赤になって俯いてしまった。
え、何、俺は何か変なこと言ったのか!?
イマイチ状況がよくわからない俺の耳に、小さく「可愛いぃぃ」という声が聞こえたような気がする。
いや、それよりも沙羅さんだ、俺はどう反応すればいいのだろうか?
「えっと、沙羅さん? とにかく、沙羅さん的にはその御守りが嫌ではないけど、俺はそれを聞かない方がいいんですね?」
「は、はい。いつかお見せできるときが来たなら、そのときに…」
取りあえず、見せてくれるかもしれないということで納得しておこう。
沙羅さんを困らせるのは、俺としても本意では無いし。
そこからは話題変更を兼ねて、少し他愛ない話をしていたのだが
「あ、申し訳ございません、そろそろ先生方の巡回の時間になりますので、本日のお電話はここまでのようです…」
時間に気付いた沙羅さんが、とても残念そうに切り出した。
もうそんな時間なのか…とは言え、俺もそろそろ出かけなければならない時間だ。
電話がかかってくることを見越して、酒屋でのアルバイトは開始時間と終了時間を少し調整してあるのだが、それでも限界が近い。
「わかりました。でも、沙羅さんの顔を見ながら話しができて嬉しかったですよ。」
「はい。私も寂しかったので、一成さんのお顔を見れて元気が出ました。また明日もビデオ通話で宜しいでしょうか?」
「もちろんです。大好きな沙羅さんの顔を見ながら話ができれば、俺も寂しいのを我慢できそうです。」
やはり同じ電話でも、顔を見ながら話ができるというのは違いが大きいということを実感できた。
「私もです。触れることができないのは残念ですが…。そちらに帰ったら、今会えない分までいっぱい抱っこしましょうね。」
普段はこんなことを言う前に抱っこされてしまうので、改めて言われてしまうと少し照れ臭い。
そして、やっぱり電話の向こうが少し騒がしいような気がする。
「それでは、名残惜しいですけど本日はこの辺で…」
「はい、また明日の電話を楽しみにしてますね!」
「私も楽しみにしております。では一成さん、お休みなさい…大好き…ちゅ…」
ピロリン
キスの音を残して通話が終わってしまった。
愛しい…会いたくても会えないと思うと、余計に今すぐ沙羅さんに会いたいと思ってしまう。
早く一週間経たないだろうか…
さぁ、そろそろバイトの時間だ!
意識を切り換えて、支度をして出かけよう。
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「おはようございます! 宜しくお願いします!」
「おはよう。今日も宜しくね」
ここからは肉体労働の時間だ。
と言っても、慣れてきたこともあり手順含めて少しは効率よく動けるようになったと思う。
それに、身体を動かせば女々しいことを考えずに済む。
こうして、俺のバイト生活初日が終わりを告げるのだった。
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