第171話 絶好調な真由美さん

「ごめんなさい、こんなところで立ち話なんてさせてしまって。さぁさぁ、上がって下さい。今お茶を用意しますから」


真由美さんはそれだけ言うと、ご機嫌な様子を振り撒いてスリッパをパタパタ鳴らしながら奥へ引っ込んで行った。恐らく台所へ向かったのであろう。


俺は政臣さんに続いて家に上がると、前回と同じようにソファに座り真由美さんを待つ。

そして真由美さんがお茶を用意してくれたところで改めて自己紹介を済ませ、話が一段落したところで政臣さんが立ち上がった。


「高梨くん、申し訳ないんだが、私はこの後会社に戻らなくてはならないんだ。仕事は妻が把握しているから、細かいことは実際に場所を見ながら聞いてくれ。」


「はい、わかりました。頑張ります!」


俺の返事を聞いて満足そうに頷く政臣さん。

見送りの為に同じく立ち上がった真由美さんに「あとは頼む」と告げて出掛けて行った。

真由美さんは、政臣さんが出て行った玄関のドアが閉まるまで見送っていたのだが、それを確認し終わると、なぜか今まで座っていた場所ではなく前回沙羅さんが座っていた位置に座った。

それはつまり、俺のすぐ横…隣なんだが。

ポスンという音を立ててソファに座ると、俺の顔を覗き込みながら再びニヤけた表情を浮かべる。

何だろう、この玩具を見つけたと言わんばかりの表情は…


「うふふふふ。もう高梨さんったら、驚きましたよ? あの人から話を聞いて、妙に貴方達を連想させる話だとは思いましたが…でもアルバイトに来たのが高梨さんで嬉しいわ。まさか既に主人とも接点があったなんて」


つんつん…


「いや、俺は沙羅さんのお父さんが政臣さんだとは知らなかったんですよ…」


「お義父さんでいいのよ?」


つんつん…


このやり取りに近いことを以前もやったような気がする。

確かに沙羅さんのお父さんだが、俺がそう呼ぶのは変だろう?


ところで、なぜ真由美さんはさっきから俺の頬を指で突っついているのだろうか…


「い、いえ、政臣さんで。」


「あら、そう? まだ少し早かったかしら。」


つんつん…


早い遅いの問題なのか?

よくわからないが、真由美さんは一人で納得しているようだ。


……ダメだ。

突っ込まないと気になって仕方ない


「あの、真由美さん…指を…」


「あら、指がどうかしたかしら?」


つんつん…


そんなことを言いながら、まだ突っつくのを止めようとしない真由美さんは凄く楽しそうだ。

でもその笑顔はやはり親子だからなのか、どことなく沙羅さんを連想させるだけに余計にタチが悪いのだ


「いや…その」


からかわれているのはわかっているのだが、真っ直ぐ見つめられると何となく照れ臭くなってしまい、上手く言うことが出来なくなってきた。

そしてそんな俺の様子に間違いなく気付いている真由美さんは、いたずらっぽい表情を浮かべてあからさまにお互いの距離を詰めてくる。


つんつん…


「んふふふふ、高梨さん可愛い〜。沙羅ちゃんがお世話したくなる気持ちがよくわかるわ。」


完全にペースを握られていることはわかっているので、さっさと話題を変えてしまおうと俺は考えた。

だがそれよりも早く、真由美さんが話題を変えてきた。


「それで、わざわざ沙羅ちゃんの修学旅行に合わせてくるなんて、ナイショで働いてるのよね?」


「はい。なので、沙羅さんには黙っていて貰えると…」


「もちろんよ。ふふ…そういうロマンチストなところもそっくり…沙羅ちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶわ。」


そっくり?

何の話かよくわからないが、悪い意味ではない…と思う。


「細かいお話をする前に、高梨さんの予定を先に確認させてね。お仕事が終わったら何か予定はあるの?」


「はい、もう一つアルバイトをしているんで、夜は毎日それがあります。」


学校に行って、放課後はギリギリまでここで仕事をして、飯を食って酒屋で仕事。これを一週間繰り返す。

こうやって考えると結構忙しい感じたな。


「え? 掛け持ちしているの? もう、学校があるのに無理をしてはダメよ。」


「一週間だけですから。」


俺は、これについては妥協するつもりがないことをハッキリと主張する意味も込めて、スッパリと答えた


「はぁ…そんなところまで似てるのね。でも仕方ないわよね、私の娘の彼氏さんなんだから。」


口では呆れているようなことを言っているが、表情はとても優しい真由美さん。

何か思うところがあるような素振りを見せている


「わかったわ。でも絶対に無理をしてはダメよ? あと、晩御飯は私が作るから食べて行くこと! これは絶対条件だから拒否は認めません!」


「え!?」


食事は適当にコンビニで済まそうと考えていた俺に、真由美さんから衝撃的な発言が飛んで来る。


「沙羅ちゃんがいないんだから、その代わりを勤めるのは当然親である私でしょう? 大丈夫、こんなときはお義母さんに甘えなさい。」


真由美さんは、お母さんという部分を殊更強調しながら俺を説得しにかかる。

だけどそれは申し訳ないというか、いくらなんでもそこまで世話にはなれないという気持ちが強い。


「い、いえ、晩飯は適当に済ま…」

「え!?…そうなの、やっぱり沙羅ちゃんのご飯じゃないとダメだって言うのね? お義母さんのご飯なんか食べられないって…くすん」


「ごめんなさい! 宜しくお願いします!!」


そんな激しくショックを受けたような顔で、悲しそうにされたらこう答えるしかないだろう?

嘘泣きだとわかっているのに逆らいにくい…


俺が折れると、真由美さんに勢いよく抱きよせられてしまう。突然のことでされるがままになってしまった。


「わかってくれて嬉しいわ! んふふ〜、(将来の)息子にご飯を食べて貰えるんだから、お義母さん張り切っちゃう!」


満面の笑みを浮かべて、実に嬉しそうはしゃぐ真由美さん。まぁ、そんな風に喜んで貰えるなら俺としても素直に甘えてしまおうと思えてくる。

すっかり真由美さんのペースに乗せられているのはわかっているが、それでも悪い気がしない俺だった。

だけどそれはともかく、このままだと凶悪なまでに大きいものがですね…


「あの、そろそろ離してく…」

「いつも沙羅ちゃんにはさせてあげるのに、お義母さんはダメなの!?」


いや、沙羅さんは恋人なので。

というか、なぜいつも沙羅さんにこうされていることを知っているのでしょうか…


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真由美さんに続いて一度玄関から出て庭に回ると、確かに小さい建物があった。

プレハブとは違うのだが、一部ガラス張りになっており、そこから中が見える。ちょっとした秘密基地のような雰囲気もあり、こういうのもを見ると少しわくわくしてくるな。


そんな俺の様子を楽しそうに見ていた真由美さんが、ドアを開けてくれた。


まずはちょっとした玄関スペースがあり、靴を脱いでスリッパに履き替える。

中を見渡すと、大きめの机と椅子を中心に、壁に添うように大きい本棚が並べられている。だが並べられているのは、本よりもファイルケースやバインダーといったものが多く入っていた。


「これはね、殆どが資料と報告書なの。理由があって、どうしてもデータではなく紙媒体で用意されているものが多くて、会社じゃなくてここで纏めることも多いから定期的に整理しているのよ。」


なるほど…

何となく眺めていると◯◯部◯◯課といった様々な区分けがされているようだ。

そしてその区分けが……多いなぁ


「色んな部署からの資料や報告書があるから、それを仕分けたりファイリングするのが高梨さんの主なお仕事なの。会社が大きいから、部署が細かいのよ…」


会社のことはよくわからないけど、大変だということはわかった。

つまり、机の上に所狭しと置かれているこれを仕分けるのが仕事だと…油断すると雪崩を起こしそうで触るのが怖い。


「私もお家のことの合間に手伝うから、頑張りましょうね。あと、根を詰めたらダメよ? 休憩もしっかり取ること。もしお義母さんの言うことを聞かなかったら…んふふふぅ」


うわ…

真由美さんの意味深な含み笑いは、嫌な予感しかしない。何をされてしまうのかとても不安を覚えてしまう。


全く知らないところでアルバイトするより気分的には楽なんだけど、違う意味で疲れるバイト先になってしまった。

それが良いのか悪いのか…

微妙な気分を残したまま、俺のアルバイト生活が始まる。

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