第152話 沙羅さんと柚葉

ピンポーン…


「はい…」


「橘です。迎えに来ました」


「……少々お待ち下さい」


ガチャ


ドアを開けて女性が出てくる。

笑顔はなく、どこか気まずそうな申し訳なさそうな、そんな様子だ


「橘くん…お久しぶりです。すみません、わざわざお迎えにきて頂いて…」


予め約束はしてあったので、準備は出来ていたようだ。

先に車に乗って貰い、俺が乗ると車は走り出す。目的地はもちろんパーティー会場だ。


「……ご面倒をおかけします。」


申し訳なさそうにそう呟く女性に、俺は思わず苦言染みたことを口にしてしまう


「そういうことは、俺ではなく一成に言って下さい。あいつはあなたのことを一切口に出しませんでしたが、俺から見れば無関係ではないと判断したまでです」


俺の言葉を受けて、女性はますます萎縮したように縮こまり俯く。


「電話でお話しした通りです。本当のことを知る覚悟はできていますね?」


俺の言葉にコクリと頷く。

大人の女性からこんな態度をとられると、まるで自分が悪いことをしているような錯覚を覚える

…勘弁してくれよ、全く


「一成は、あれだけのことをされても、最終的には柚葉の後悔と反省を期待しています。ですが、俺の考える限りアレはあのままでは無理だ。あなたも柚葉も、いつまで一成に迷惑をかけるつもりですか? 親として、一成に申し訳ないとは思わないのか?」


俺の言葉を受けて涙を滲ませる女性。

だが俺は一成ほど甘くない、自業自得だからな。


柚葉の母親…笹川久美子。

柚葉の家は昔からシングルマザーだった。

父親は柚葉が生まれてからすぐに病気で亡くなったそうで…これは俺も電話で聞いた話なんだが。

一成の親と交流があったこともあり、柚葉は預けられることも多く、結果、一成と遊ぶことが日常だったようだ。

だから何をするにもいつも一緒という構図だ。

甘ったれで、一成におんぶにだっこだった柚葉は幼稚なままで、一成に対する罪悪感も希薄なのかもしれない。


「一成くんには…本当に…」


この人には大まかのことしか伝えていないので、今から会場に着くまでの間に今日のことを含めて、過去のこと、先日のこと、俺の知っている範囲で全て話す。

そして一成の希望を叶えるなら、躾をするのは親の役目だ。一成がそこまでする必要はないのだから…


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目に涙を浮かべたまま、引きずられていく山崎の姿を茫然と見送っている柚葉に、俺は最後の詰めを開始する決意を固める


「柚葉…次はお前…」

「一成さん!…その前にお怪我を」


山崎に対する怒りが落ち着いたようで、いつもの様子に戻っていた沙羅さんが何かに気付いたらしい。


俺のことを言っているようだが…


沙羅さんが慌てて俺に近付いてくると、ポケットからハンカチを取り出して俺の口元を拭い始める。


「血が…! 申し訳ございません、私のせいで…」


目に涙を浮かべて俺の口元を拭う沙羅さん。

責任を感じてしまっているようだが、俺は好きで飛び出した訳だし、沙羅さんを守れたのだからいくら怪我をしようと…


「沙羅さんに怪我がなければ、俺は別にこの程度…」


考えていることをそのまま伝えると、沙羅さんが一層悲しそうな顔をした


「一成さん、あなたのお気持ちは本当に嬉しいのですよ。ですが、私のせいであなたが傷付く姿は見たくないのです…」


沙羅さんの気持ちはわかる。

もし逆の立場なら俺も同じ事を考えるだろうから。

だからこれは俺の自己満足でしかない。

それでも俺は、沙羅さんの為なら自分を投げ出すことを厭わないし、似たようなことがあれば次もそうする。

これだけは譲れないんだ。


「ねぇ…あなたの気持ちはわからなくもないけど、これは好きな女にいい格好したい男の自己満足。でも男の意地。」


花子さんの身も蓋もない言い方に、思わず膝が崩れそうになる

そうなんだけど…言い方をもう少し…


「男がそう思っているのなら、黙って受け入れてあげるのは女の役目。その分、優しくしてあげればいい」


何というか…

花子さんは今いる面子の中でも間違いなくロ…もとい、若い見た目をしているのに、達観しているというのか、もしくは耳年増なのか


「あ、ちょ、今そんなことを言ってしまうと!」


西川さんが、何故か焦ったような声を上げたが、今の流れでどこに焦る要素があったのかわからない。

と思っていたら、沙羅さんがどこか悲しそうな感じを残しながらも笑顔を浮かべた。


「そう…なのですね。わかりました。では、私の為に傷付いて下さった一成さんに、これまで以上に優しく、癒して差し上げるのが女として私の役目なのですね……望むところです。」


俄然やる気に満ちた「望むところです」という宣言が、妙に嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか…


血を拭い終わったのか、沙羅さんが「動かないで下さいね」と言いながら、殴られた辺りを触ったり、先程まで血が出ていたらしい口端に指先で触れて確認している。


「一成さん…ありがとうございました。私を守って下さって…本当に嬉しかったです。」


囁くような声音でお礼を言いながら 、沙羅さんは少し朱い顔で真っ直ぐ俺を見つめていた…と思うと、そのまま顔を寄せて


「大好き…」


ちゅ…


血が出ていた辺りにキスをしてくれた。

結構ギリギリな位置なのだが、やはりファーストキスを俺からして欲しいと言っていたこともあり、しっかり避けてはいるようだった。


……それにしても長い…いつもは一瞬くらいなんだけど…

五秒? 十秒? よくわからない

焦りを感じるくらいの長さだと思っていたら、やっと沙羅さんが口を離した。


そして俺の頭を、先程と同じように優しく胸に抱き寄せると、頬の殴られた辺りを擦りながら


「痛いの痛いの…とんでけ…」


と、近くにいる人しか聞こえないくらいの声で優しく囁いた。


「あぁ…もう、余計なことを言うから」

「ミステイク…」


西川さんの苦言に花子さん何故か謝っているようだ…謝っているのか?

沙羅さんはまだ俺の頬を擦っていて、俺も黙ってそれを受け入れていると…


バシン!!


何かを思いきり叩くような音がした。


バシン!!

バシン!!


連続で叩くような音が聞こえたと思うと


「何よ…何よ何よ何よ!!! 何なのよあんた達ぃぃぃ!!! 私は和馬くんから遊びだって言われて捨てられてんのに!!! なにイチャついてんよぉぉぉ!!!」


柚葉の絶叫するような声が会場に響いた。

沙羅さんが俺を離してくれたので振り返ると、床にへたり込んでいた柚葉が、床を叩きながら泣き叫んでいた。


「何なのよあんた達ぃぃぃ!!! そんなに見せつけたいの!? バカにしてるの!?」


頭を振りたくって大騒ぎする様は、思い通りにならない子供が癇癪を起こしたような姿だ。


子供…きっと柚葉はいまだに子供なのだろう。そう考えれば、今までの短慮な思考も、子供染みた言動も理解できる。


「バカにしているとは…あの男と同じで面白いことを言いますね? しているのではないですよ、あなたは正真正銘バカなんですから。」


沙羅さんが挑発するかのように、少しからかうような口調で柚葉を貶す。


「沙羅さん、柚葉は…」


俺の言葉を遮るように、沙羅さんの人差し指が俺の口を優しく噤む

でも優しい動きとは裏腹に、俺を見る目はとても真面目で、揺るぎない力強さを湛えていた。


「一成さん…暫く、私と笹川柚葉の二人で話をさせて下さいね」


俺にそう言うと、柚葉を鋭く射抜くような視線で見据える

…沙羅さんに任せよう


「…嫁と幼馴染みのバト…」

「花子さん、暫く黙ってましょうね」


藤堂さんが花子さんの口を塞ぐ。

立川さんと、西川さん、速人は固唾を飲むように見つめていた


「さて、ある意味このときを待っていたと言うべきでしょうか? 一成さんの辛い過去に、いつも邪魔臭く湧いて出るあなたとは、私も直接話をしたいと思っていましたので。」


「………な、何なのよあんた!? 一成の恋人みたいだけど、いきなりイチャついたり、和馬くんを叩いたり!!!」


柚葉も話をする気があるのか、逃げずに会話を始めた。

虚勢を張るように騒がしくしているが、怯えているのがよくわかる。

山崎がぶっ飛ばされた瞬間も見ているし、沙羅さんは今この瞬間も柚葉にかなりのプレッシャーをかけているだろうからな。


「そうですね、改めて挨拶をしておきましょうか。私は薩川沙羅と申します。ご存知の通り、一成さんの恋人としてお側におります。」


沙羅さんが淡々と自己紹介を始める。


「…そう。私は…」

「あなたの自己紹介は結構ですよ、笹川柚葉さん。不本意ながら、一成さんの幼馴染みということはわかっておりますが、それ以外のあなたの情報などどうでもいいです。宜しくして頂かなくて結構ですよ、どうせ今日でお別れですから。」


「ぐっ……」


沙羅さんと柚葉では役者が違いすぎる。

既に挨拶から沙羅さんに押されて何も言えない柚葉は、悔しそうに顔をしかめた。


「このような言い方はしたくありませんが、私は正直あなたが羨ましかったですよ?」


「……は? 何を急に」


沙羅さんがいきなり羨ましいと言い出したが…

柚葉も、いきなりのことで理解しきれないようで、きょとんとした表情を浮かべた


「一成さんの幼馴染みというポジションは、私がどれだけ欲しても手に入らないものですから。なぜあなたのような女が、そんな素敵なポジションなのでしょうか?」


「そ、そんなの知らないわよ!! 最初からそうだっただけだし、第一あんたは彼女なんだからもういいでしょ!?」


「小さい頃の一成さんはどうでしたか? 私が知らない子供の頃の一成さんを見てきたのですよね? あなたのような女にでも、どれ程の愛情を注いでくれたのでしょう?」


「………は?」


沙羅さんが、俺達の小さい頃の話に言及し始めた。

柚葉は、何でそんなことを聞かれているのかいまだに理解できないといった様子で、狼狽えるように視線をさ迷わせる。


あの頃の俺達…俺は何をするにも柚葉と一緒だった覚えしかない。柚葉と遊ぶことが楽しくて…


「幼稚園の頃はどうでしたか? 小学生の頃は?」


「……ずっと一緒だった」


矢継ぎ早に聞かれ、微妙に的外れな一言を絞り出すよう呟いた柚葉。


「一成さんをストーカー呼ばわりしていたようですが、私の印象では一成さんから離れなかったのはあなたですよね?」


「……………」


沙羅さんに尋問されているかのような雰囲気になり、柚葉は不思議そうだった表情から不安を感じてきたような様子に変わる。

口数もますます少なくなったな


「あなたは一成さんの何を見ていたのですか? 一成さんはずっとあなたと一緒に居てくれたでしょう? それは何故ですか?」


「…だって…私達は誰も友達になってくれなかったから…」


ボソボソと、言い難くそうにしながらも遂に柚葉が本音で語りだした。

俺からすると、あれだけ好き勝手に喋って人の話を聞かなかった柚葉がまさか…という感じだが。


「…一成さんはあなたの為に友達が作れなかったんですよ?」


「……え?」


「やはりわかっていませんでしたか? 一成さんは優しいですから、あなたを優先して友達ができなかった。もちろんそれは一成さんが勝手にしたことかもしれませんが…自分のことしか考えていなかったあなたは気付かなかったでしょう? 一成さんの優しさすら、さも当然のように見ていたのではないですか? …それをあなたは、ストーカー呼ばわりですか!!」


沙羅さんは段々怒りが込み上げてきたらしく、口調が強くなってきた。

………

確かに俺は、柚葉を独りにできないからと、遊びに誘われても断っていたけど…

その結果、誰からも誘われなくなったのは事実だ


「今も昔も自分のことだけ、そして自分の為だけに一成さんを貶めたんですよね!? ずっとあなたを見守ってくれた一成さんに、申し訳ないとは思わないのですか!!!」


「だって! 一成は私の好きにしていいって、全部許してくれるって…」


「黙りなさい!!!」


「!?」


遂に沙羅さんの怒りが限界を迎えたようで、まるで殺気まで込めたような一喝で柚葉を黙らせる


「自分の都合で解釈するのはやめなさい!!! 意味が違うことくらい、そのバカな頭でもわかっているでしょう!!!」


「………」


沙羅さんの言う通りだろう。

恐らく俺が言ったそれを免罪符にして、自分が好き放題しても最後は俺が許すという身勝手な思い込みをしていた…いや、思い込もうとしていたという感じだな


「本当に子供を相手にしているような気分です。あなた本当に高校生ですか? まるで善悪の区別もつかない幼稚園児ですね。そんな風だから、あんな屑男に最後まで利用されるんですよ」


沙羅さんが山崎のことを持ち出したことで、柚葉は今日のことを思い出したらしい。

目に涙を浮かべて沙羅さんを睨むと、泣き声で反論を始めた


「私だってあいつに騙されたんだよ!!! 幼馴染みなら謝れば許してくれるって言われたし、今日だって私とのことを遊びだって言われて…」

「あなたが今まで一成さんに何をしてきたか忘れたとは言わせませんよ!! 自分のしたことまで棚にあげて被害者ぶるのはやめなさい図々しい!!!!!!」


「ひっ……!?」


沙羅さんがいきなり至近距離まで接近して、柚葉を怒鳴り付ける。

柚葉はそれに恐怖を感じたようで、反論を止めて縮こまるように後ろに後ずさると、身体を丸めてしまった…

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