第38話 最後に
母が亡くなった時、私は悲しく無かった。
母が亡くなった時の事は「私という人間」にてご覧ください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886651354/episodes/1177354054889238593
それは多分、母に対する感情が無感情だったからでは無い。
一人で色々な手配をしなければいけなかった事で、感傷に浸る余裕が無かったのだ。
けれど夫の母から「誰もが通る道だからね」と言われた事がとてもショックだったのだ。
自分でも驚くほどに傷ついた。
母が無くなって5日ぐらいの時だったのだが、その電話での言葉で私はハッと我に返るように、母の死が私にとって悲しいのかどうか分からないけれど大きな影響を及ぼしていた事を自覚したのだ。
母に対して無感情、無関心だったはずの私なのに、何で義母の言葉にあんなに傷ついたのだろう。
天涯孤独になったからだろうか?
私にとって母は他の人にとっての親とは違う感情対象だったと思う。
けれど母から受けた傷はそれなりにあったと自覚している。
その傷はいくら母の晩年に親孝行の真似事を出来るようになったからと言っても消えたものではない。
私にとっては「誰もが通る道だからね」は親の死というものから立ち直るには早過ぎる時期だったからこそ
「私はまだ何も母との死と向き合えていないし、気持ちの整理も出来ていなかったんだ」
というのがガツンときてしまい、傷ついたのだと思う。
そして思ったのだ、もしかしたら「誰もが通る道だからね」の言葉は、例のいつもの「甘やかされて育った」に近い言葉に感じたのではないだろうか。
「この複雑な思い、悲しいのとは違う、けれど平気でもいられない思い、これ本当に誰もが通る道なのだろうか」と。
今回こうやって毒親であった母の事を綴っていくことで、この母が亡くなった直後の色々な思いを自分なりに見つめなおせたように思います。
憎んでいるとか、嫌いだとか、そういう分かりやすい感情を持てていたらもっと違っていたのかもしれません。
けれどそれが無かったからこそ、私は母が亡くなる前に母との思いに決着が付けられたのかもしれません。
一旦、この毒親の母についてを書いた連載は終わりますが、また私の子どもの頃の事や昔の事など思い出した事などは折をみて何等かのシリーズとして綴っていければと思っています。
読んでくださって、ありがとうございました。
母は毒親でした ピューレラ @natusiiko2
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