第4話
「済みません。飴ちゃんここに置かせて下さい。課長に見つかるとうるさいんです」
そう言って、御堂は取調室の机の上に黒糖飴の袋を置いていった。取調室を出る時に、食べてもいいですよと言い残して去った。御堂と入れ違いに課長が入ってきた。すぐに机の上の黒糖飴を見つけた。
「誰だ。こんな所に飴置いた奴は、けしからん。国見さん、これあなたの飴ですか?」
課長は寛子の物とは思っていなかったが、念のために確認してみた。
「いいえ」
寛子ははっきりと否定した。だが誰の物かは言わなかった。課長も追及しなかった。
「そうだよね。そんな訳ないか。ふん、誰だかけしからん」
課長は独り言を言って、黒糖飴の袋を掴むと、犯人を追い掛けるように取調室を出て行った。篠崎が取調室に戻ってきたのは、それから十分の後だった。
「済みません。お待たせして」
篠崎は椅子を引いて、素早く座った。寛子は、いえと軽く頭を下げた。
「先程の続きなんですが、どうしてあなたは夫の光夫の頭に、パンティーなんかはかせたのですか?」
篠崎は顔色を一つ変えずに尋ねた。それは少しでも邪心があれば、とんでもない誤解を生じる言葉だった。寛子はその言葉に嫌悪するわけでもなく、ただ篠崎を見詰めて黙っていた。
「あなたは、死体を別人にする必要があった。でもそれだけでは証明にならない。何か重要なことが足りない」
篠崎は、最後の言葉は独り言のように呟いた。取調室の扉が開いて、御堂がこっそり入ってきた。
「あれ、私の飴ちゃんが無い」
御堂は机の上を触ると、床まで探し回って、おろおろしている。
「どうしたの?」
篠崎が、御堂の行動を不審に思って聞いた。
「ここに飴ちゃんを置いていたんです。それが無くなっているんです」
御堂はまるで子供のようにあどけなく答えた。
「ここに入ってきた時には、無かったけど。無くなっている? ううん、あるべき物が無い。なるほどそう言うことか」
篠崎は、事件の糸口を見つけたように閃いた。
「何です? 飴ちゃんのこと」
御堂は、少し眉根を上げた。公園に捨てられた小犬のような顔をした。
「いや、この事件の謎が解けたんだ」
それから二日の後、事件に進展があった。篠崎は取調室で、寛子と向かい合わせに座っている。机の上に写真を一枚置いた。それには、この事件の凶器の金槌が写っていた。
「これは、光夫さんを殴った金槌ですね」
寛子は写真を一瞬見て頷いた。
「この金槌からは、あなたの指紋が検出されました」
はいと寛子はもう一度頷いた。
「ところが、凶器から検出されたのは、あなたの指紋だけでした。それにあなたはこう言いました。部屋にあった金槌を護身のために持ってベランダに出たと。それが部屋にあった物なら、光夫さんの指紋も付着していてもいいはずです。それが無いと言うことは、誰かが光夫さんを殺害するために金槌を持ち込んだことになります。あなたは誰が犯人か分かって、嘘を吐いたんですね」
寛子は慌てて首を振った。肩まである黒髪が流れるように揺れて、寛子の顔を隠した。それが見え透いた嘘だと見抜かれていても、そうするしかないのだった。そこへ課長が入ってきた。「篠崎くん、ちょっと」
課長は、立ち上がった篠崎に耳打ちした。それで事件が決着したような空気が取調室に漂った。篠崎は姿勢を正すように椅子に座って、俯いた寛子の頭を見た。寛子は既に嘘は突き通せないと覚悟しているようだ。
「富岡哲史をご存じですよね。富岡がホームセンターで、凶器と同じ金槌を買ったところが、防犯カメラに映っていたそうです。それに部屋から光夫さんの血液型と同じ血痕の付着したパーカーが見つかりました」
篠崎は話すべきことだけ簡潔にしゃべった。寛子はそれをじっと聞いていた。
「光夫さんを殺害したのは、富岡ですね。あなたは、それを隠すために嘘の証言をした」
「哲史は、夫と別れなくていいと言ってくれました。人妻でもいいと。でもそれは私の甘えでした。違っていたのです。哲史は、夫に凄い嫉妬を焼いていたのです。その日、夫に私と別れるように言いに来たそうです。でも夫は絶対に別れないと言った。それで口論になって」
寛子はゆっくりと顔を上げた。その表情は涙を流した後のように、清々しかった。事件は富岡の犯行だった。それを隠すために、寛子が死んだ光夫にパンティーをはかせ、虚偽の告白をしたのだった。
翌日、捜査九課の面子は事件解決に、束の間の安息を味わっていた。
「ちょっと、ここホテルや自宅の部屋じゃないんだから、もっとちゃんとしなさい」
警部補の遠藤美根子が、御堂をたしなめた。篠崎とは同期である。
「えー、ちゃんとしてますよ。ちゃんと歯も磨いてますし」
隣に居た課長が眉をひそめて、御堂の爪先から頭の先までを素早く眺めた。パジャマに、ウサギのスリッパ、頭には色違いのカーラーを二三個巻いて、不機嫌に口を尖らせている。その口先から、歯磨き粉の泡の垂れた歯ブラシの柄が突き出していた。彼女はそれをしっかり握っていた。課長のただならぬ視線を感じて、御堂は思わず身をよじらせ、片手で胸を隠す真似をした。
「嫌らしい!」
「な、何を言ってるんだ。君は」
課長は急に声を上擦らせ、御堂に抗議の目を向けた。
「大体、そんな格好で何しているんだ。ここは職場だぞ」
「昨日、宿直だったんですから仕方ないでしょ」
御堂は口の周りを泡だらけにして、ぶくぶくしゃべった。
「それで光夫は、どうしてTシャツに洗濯バサミなんか付けていたんですか?」
御堂がシャボン玉を飛ばしながら聞いた。
「ベランダで洗濯物を取り込んでいたんだ」
篠崎は、光夫が健気に洗濯物を取り込んでいるところを思い浮かべた。何ともやるせない気分になった。
死体はスケベなパンティを被っている つばきとよたろう @tubaki10
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