第3話


「透け透けスケベなパンティーって、具体的にどう言うのです?」

 御堂が細い目を大きく見開いて、大いに関心を示した。

「見たい?」

 篠崎が聞き返した。御堂はちょっと瞳に光を宿して、興味ある様子を見せた。篠崎は御堂の返事を待たず、どこからか写真を一枚取り出した。

「これが写真なんだけど。光夫が被っていた物を証拠品として押収しているんだ。実物もある」

 それからまたどこからか、ビニール袋に入れられた黒のレースのパンティーを持ってきて机の上に置いた。それは隠す所の方が少ない、見るのも恥ずかしいような透け透けのパンティーだった。

「こんなの一体誰がはくんですか?」

 御堂はパンティーをじっと見つめて、こんな物世の中に存在するのはおかしいという顔をした。

「国見寛子だよ」

 篠崎がさらりと言った。

「これをはける女も、なかなかいないだろう」

 課長はにやにやしながら、証拠品のパンティーに目が釘付けになった。その目は二人がいなかったら、ビニールから出して手に取ってしまいそうだった。

「ああ、いやらしい」

 御堂が軽蔑の眼差しで、課長をチラリと見た。

「おい、おい。何だよ、それ。また俺を馬鹿にしたな」

 課長の大きな声に、御堂はプイッと顔を背けた。

「おい、篠崎。俺、何か悪いことしたか?」

「男だったら、こんな物見せられたら当然の反応です」

「そうだろう。いや待て、それでいいのか?」

 課長は納得いかないと、額を掌でぴしゃりと打った。御堂は、どうでもいいやと小さく溜め息を吐いた。

「それで、事件は解決でいいのか?」

 課長は気を取り直して、蟻の穴を埋めるように聞いた。篠崎は浮かぬ顔をした。

「それが、どうも気になることがあるんですよ」

「一体、何だね。おい、御堂くん。君はさっきから何をしているのかね?」

 見れば、御堂は靴を脱いで片足立ちになっている。弥次郎兵衛のように危なっかしく揺れている。

「それで」課長がもう一度尋ねた。

「光夫が被っていた透け透けのパンティーなんです」

 篠崎は照れもせずに、真面目な顔をした。

「それはそうだろ。男ならこんな透け透けスケベなパンティーを見ると気になるだろ」

 課長はにやりとしながら、証拠品を一瞥した。

「いえ、いえ。そうではなくて。例えば、間違え探しをさせられているみたいな違和感があるんです」

 篠崎はパンティーを被って倒れている光夫の写真を見て、頭をひねった。仏様には気の毒だが、ちょっと滑稽に見える。一瞬部屋の中に、静寂が訪れた。が、それも束の間、御堂の大声で静寂は簡単に破られた。

「ああ」

「おい、何だよ。急に大きな声出して」

 課長は寿命が縮まったように、体をピクリとさせた。顔は厳めしいが、根は臆病なのだ。

「私、ストッキング裏返しだった。今まで気付かなかった。きゃあ、恥ずかしい」

 御堂は両手を当てて、真っ赤な顔を隠した。

「そんな事言わなければ、誰も気付かなかっただろに」

 篠崎が苦笑した。が、すぐに顔を明るくして何か閃いたように叫んだ。

「ちょっと待った。裏返しだ」

「どうしたんだい。篠崎くんまで大声を出して。二人して、俺を驚かそうという魂胆なのか?」

 課長は額の皺を眉間に集めて、か細い声を出した。

「裏返しですよ。いや、正確には後ろ前です」

「えっ?」

「何の話だね?」

 御堂と課長がカタツムリに躓いたみたいに、同時に首を傾げた。篠崎は続けた。

「普通パンティーを持つ時って、自分ではく時は別として、前が見えるように持つじゃないですか。そしてそれを頭に被ると自然に前が額に来るようになる。前が前に来るようになるはずです」

「そう言われれば、そうかもしれないが。実際にパンティーを被ったことないからな」

 課長はちょっと想像して、口元をほころばした。実際に目の前に現物があるのだから、想像も容易だっただろう。

「それでは、この写真を見て下さい」

 篠崎がホワイトボードから一枚の写真を指差した。それは光夫がベランダで、俯せに倒れている写真だった。が、頭にすっぽりパンティーが被さっていた。

「ほら、このパンティー。後頭部に前が来ているでしょ」

「偶然じゃないのかね」

 課長は一瞥しただけで目を逸らした。あまり人が死んだところの、写真を見たくないと見える。

「そうでしょうか」

 篠崎の自信に満ちた態度に、課長は弱気になった。

「だったら、どうだというんだね」

「ええ、これは明らかに光夫以外の誰かが、パンティーを被せたという証拠です」

 篠崎は指先からレーザーを出すような勢いで、写真を指差した。

「夫婦仲はどうだったんだ。殺人なら寛子には、動機があるはずだ」

「寛子には浮気相手がいるそうです。富岡哲史、美容師です。近所の住人が見ていました」

「おお、こわ。迂闊なことは出来ないな。どこで誰かが見ているか知れないからな。なら十分な動機があるじゃないか」

 課長が腕組みして、唸るような声を上げた。

「浮気をしていたからと言って、夫に殺意を抱くとはならないでしょう」

 篠崎は淡々と答えた。既に確かめることは決まっていた。

 殺風景な取調室には、簡素な一脚の机とそれに向き合う二脚の椅子が置かれていた。その椅子の一脚には、生気の無い女が座っていた。が、端正な顔立ちのドキッとするような美人で、しかも厚い唇は大人の色艶を漂わせていた。国見寛子だった。もう一脚の椅子には、篠崎が座っていた。

「下着泥棒と間違えて、光夫と分からずに金槌で殴って殺害してしまった。この場合、正当防衛が成立するかもしれません。それで間違いありませんね?」

 寛子は小さく頷いた。それを見て、篠崎は一枚の写真を机の上に置いた。寛子は一瞥して目を背けた。誰だって、そんな遺体の写真を見たくはない。それはパンティーを被った国見光夫の倒れている写真だった。

「この写真、おかしな所があるの分かります?」

 篠崎は世間話でもするように、気軽に尋ねた。寛子は黙っていた。それは想定していたと篠崎は続けた。

「この下着、前が後頭部の方になっているんです。光夫本人が自ら被ったならこうはなりません。反対です」

 寛子の目が一瞬、動いた。写真を確認したのだ。

「光夫の頭に下着を被せたのは、あなたですね。寛子さん」

 篠崎は丁寧な言葉を使った。

「私が夫と分かって殺害し、それを誤魔化すために下着をはかせたと言いたいのですか?」

 寛子は単刀直入な言い方をした。はっきりとした性格の持ち主だ。

「いえ。ぼくは、あなたが夫を殺したとは思っていません。ただパンティーをはかせたのは、あなたです」

 寛子は黙って、篠崎を見詰めた。その瞳からは、僅かに怯えた光が読み取れた。目の前の警官に、心の中を見透かされていると思ったのだろう。しばらく二人の間に沈黙が続いた。が、それも長くは続かなかった。沈黙を破って、取調室の扉が開いた。

「篠崎くん、ちょっと」

 課長に呼ばれて、篠崎は素早く椅子から立ち上がった。小声で、課長は伝言を伝えた。篠崎は、ちょっと失礼しますと寛子に断って取調室を出て行った。代わりに御堂が入ってきた。手にはなぜか黒糖飴の袋を持っていた。御堂は無理に寛子に話し掛けようとはしなかった。が、寛子の視線が、黒糖飴に注がれると、食べますと御堂は児童のように飴の袋を突き出した。当然、寛子はいえと簡単に断った。それには頓着せず、急に何かを思い出して慌てだした。

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