第2話

「それで、このスケベな事件は解決したんですか?」

 御堂は急に話題を転じた。こうなったら嫌なことは、早く記憶から忘却した方がいいと思った。

「御堂くん、変なところで略さないでくれ。まるでこの事件が、卑猥な事件のように聞こえるじゃないか」

 課長はホワイトボードの波線で装飾された所を気にしながら、事件名を指差した。

「団地妻、透け透けスケベなパンティー、洗濯バサミ男殺人事件」

 御堂は何度見ても、卑猥な事件としか思えない。が、御堂はホワイトボードのある一点を凝視しながら、考え込んだ。

「一つ分からない事があるんですけど」

「何だね、御堂くん」

「何とかパンティーは兎に角として、洗濯バサミ男とは何なんですか?」

「知りたい?」

 課長は御堂に意地悪な目線を向けた。黒縁眼鏡の奥から眼球がギョロリと動いて、御堂は背筋をピンと伸ばした。

「課長、意地悪しないで下さい」

「別に意地悪じゃないよ。心外だな」

 課長は小娘の御堂に非難されたから、ちょっとすねている。篠崎が仕方なく助け舟を出した。

「ああ、これはね。頭部を殴打された光夫が、その時着用していたTシャツにたくさんの洗濯バサミを付けていたんだよ」

「ちょっと、ちょっと。今、俺が説明しようとしたのに、ずるいな篠崎くん」

 課長は一番いい所を持って行かれたので、声を大にして不満を漏らした。

「済みません」

 篠崎は悪びれた態度を見せた。が、それ程悪いとは思っていなかった。課長も大人気ないなと思いつつ、一応謝った。

「でも、どうして洗濯バサミなんかくっ付けていたんでしょう?」

 御堂が首を傾げる。

「そこが謎なんだよ。パンティーも頭に被っていたそうだよ」

「パンティー被った頭を殴られたんですか。それは当然ですよ。そんな変態、私でも殴りたくなる」

「おいおい、現職の警官がそんな不謹慎なこと言っていいのか」

「ごめんなさーい」

「何だよ。その謝り方は、全くなっとらんじゃないか」

 課長に咎められ、御堂は形だけでだらしない謝り方をしたから、文句を言われてもしょうがない。

「ごめんにゃさい」

 御堂は猫語で謝った。

「ふざけているのか!」

 課長はいきり立った。

「ごめんさい」

「ああ。今、馬鹿にしたな。俺のこと馬鹿にしただろ」

「まあまあ、そのくらいにして」

 そこで、篠崎が二人の間に割って入った。この犬と猫の醜い争いを止めるかのように、両手を振って睨み合う二人を制した。もっとも熱くなっているのは、課長一人だけだった。課長はしつこい性格だから、すぐには怒りが収まらなかった。

「どうして止めるんだ、篠崎くん」

「別に止めるつもりはありませんが、時間もありますから」

「それもそうだが、態度の悪い部下には、ガツンと言ってやらなければな」

「誰が態度が悪いんですか?」

 御堂が篠崎の背後に隠れ、挑発するように舌を出した。この醜い争いに勝者も敗者もいない。

「ちょっと今のは何だ!」

「えっ、何かしたんですか?」

「篠崎くん、あかんベーをしたんだ」

「まさか幾ら何でも、そんな失礼なことはしないでしょ」

「したよ。舌を出したんだ。おい、ちょっと待てよ。また余計なこと言った気がする」

 課長は仕舞ったと慌てて口を隠した。御堂はぷいとそっぽを向いて、ツッコミを入れなかった。それで、課長はやれやれと息を吐いた。

「そろそろ真面目に事件を解決しませんか」

 御堂が皮肉たっぷりに言った。皮肉と挽き肉似ているということは、面倒臭いことになるだろうから口にしなかった。

「おい、どの口が言う!」

 課長は不機嫌に御堂に噛み付いた。

「まあ、まあ。課長、それくらいにして」

 篠崎がいきり立っている課長をなだめる。課長は不本意ながらも、怒りを収めて尋ねた。

「それで、この事件はどうなんだ?」

「ええ、この事件は透け透けパンティーの持ち主、国見寛子が下着泥棒に襲われそうになったところを、部屋にあった鈍器のような物で頭部を殴った。ところがそれは間違えで、夫の光夫だったというのが概要です」

 篠崎がようやく本題に入れると、安堵した声を出した。

「鈍器のような物って、一体何なんですか?」

 御堂が遠慮無く疑問を投げ掛けた。

「金槌だよ」

 篠崎がクイズの正解を教えるように言った。

「それは痛そうですね」

 御堂がその時の光景を想像して、顔をしかめた。

「確かに金槌で殴られたら、火花が飛び散るどころの騒ぎではないな。これは歴とした殺人事件だろう」

 課長は右手でたるんだ顎を掴んで、ポーカーフェイスを気取った。

「そこなんですが。寛子は正当防衛を主張しています。ベランダは暗がりだったので、夫の光夫だとは分からなかったそうです」

 篠崎はホワイトボードの国見寛子、国見光夫と書いた所を、交互に指差した。

「しかもパンティーを頭から被っていたのだから。羨ましい話だが、それなら分からなくても仕方ないな」

 課長が、うんうんと納得したように頷いた。

「でも、夫がベランダに出ていたのなら、分かりそうなものですよね。一緒に住んでいるんだから」

 御堂が事件の疑問点を指摘した。ベテラン刑事でもないのに、鋭い所を突いてくる。

「それが、寛子がちょうど仕事から帰ったきた時に、光夫がベランダに出ていたようなんだ。それで扉が開いていて、不審に思って護身のために金槌を持って、ベランダを覗いたのだそうだ。そうしたら、パンティーを被った男が寛子に気づいて襲い掛かってきたのだという」

 篠崎が二人の行動を詳しく説明した。これなら子供にでも分かるという丁寧な説明だった。

「うむ。光夫は、どうして透け透けスケベなパンティーを被っていたんだ。変態か?」

 課長が滑らかな発音で聞いた。自分のことは棚に上げている。

「それは、まだ分かりません」

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