死体はスケベなパンティを被っている

つばきとよたろう

第1話

「団地妻、透け透けスケベなパンティー、洗濯バサミ男殺人事件」

 古びたビルの倉庫に等しい部屋の奥の壁際には、可動式のホワイトボードに、角張った文字で、そう横書きに記されていた。その前には、三人の警官が難しい顔をして、頭を並べていた。

 ホワイトボードには、先週発生した奇怪な事件の概要が記されている。被害者は国見光夫、三十三歳で、マンションの一階のベランダで鈍器のような物で、後頭部を殴打し倒れていた。

「透け透けスケベなパンティーか。うむ、惜しいなー。ノーパンにエプロンという方が、どちらかというと男のロマンをそそるのだがな」

 捜査九課長の高木昇が、黒縁眼鏡に天然パーマの頭で、たるんだ顎を撫でながら、さも感慨深そうに唸った。

「ノーパンのはずがあるわけないでしょ。それ、今のセクハラ発言ですよ」

 巡査部長の御堂早苗が童顔の顔で、子供のように眉をひそめた。その幼い顔付きのお陰で、二十代後半にしては、随分若く見える。

「そもそも、ここの表現がおかしくないですか?」

「どこが?」

 課長は疲れた目を細めて、ホワイトボードに鋭い視線を走らせた。鋭い眼光は、まだ現役のそこらの警官には負けていないつもりだった。

「確かに三十代で、十歳も離れた妻をめとるのは、些か羨ましくもあるが」

「そこじゃなくて、ここです」

 二十三歳人妻を飛び越えて、御堂は、団地妻の文字に波線で装飾を加えた。そして、ちょっと気分が乗ってきた。

「これって、学生時代を思い出しません?」

「何が?」課長を憮然と答えた。

「ああ、ああ。参考書に教科書、やったやった。赤ペンや蛍光ペンで大事な箇所に線を引いた」

 そう答えたのは、いつも眠そうな顔のその年、三十歳になるの巡査部長の篠崎林太だった。見た目は冴えないが、これでも幾つもの難事件を解決に導いた優秀な警官だった。

「えー、そんな事したの?」

 課長は、篠崎を否定した。

「えっ、しませんでした?」

「しないよ。だって、俺教科書に書き込むの好きじゃないし」

「えっ? それじゃあ、先生の言った大事な所は、どうするんですか?」

 疑うような表情で、御堂が聞いた。

「えっ、ノートがあるでしょ」

「ああ。でもそれって面倒くさくないですか?」

 篠崎が、課長に聞き返した。課長はけろりとした顔で言う。

「そんな事無いよ。だって、俺学生の頃真面目だったからな」

 課長の意味有り気な言葉に、御堂が噛み付いた。一度噛み付いたら、スッポンの如き離さない。

「それって、安易に私たちが不真面目だって、非難していますよね」

「え、そう聞こえた?」

「やっぱりね」御堂が語気を強めた。

「舌打ちした? おいおい。上司に向かって、その態度はないじゃないの」

「何か聞こえましたか?」

「また、ちぇってやっただろう!」

「違いますよ。昨日、食べた焼き鳥が歯の隙間に挟まっていただけですよ。へへへ」

「そうやって、また馬鹿にして」

 課長が八つ当たりするように、篠崎を突っついた。篠崎は課長に脇を突かれ、頓狂な声を上げた。

「えっ、僕ですか? 僕関係ないでしょ」

「そうだけど、つい。――御堂くん、昔はもっと純で可愛かったのにな」

 課長は、太い眉をだらしなく下げた。制服だけは、いつもアイロンが掛かって、奇麗な折り目が付いている。

「今、何か悪口みたいな言葉が、私の耳に入ってきましたよ。気のせいですか? それともパワハラですか?」

 御堂が片耳に手を当て、何ですかという仕草をした。

「セクハラでも、パワハラでもない。これは俺の歴とした独り言だ」

 課長は抑揚のない調子で、台詞を棒読みするように言った。その側から、御堂の舌打ちが響いた。課長は眉間に皺を寄せて、同時に深い溜め息を漏らした。

「課長、止めて下さい。呪われますよ」

 御堂が非難した。

「それって、確か幸せが逃げるって奴でしょう」

 篠崎が助言した。

「そうでしたっけ?」

「俺も、そうだと思ってた。それ世代によって解釈が違うのかな?」

 課長が考え込むように頭を傾ける。

「そんな訳ないでしょ。ただの勘違いですよ」

 御堂は、皮肉たっぷりに薄い唇の端を吊り上げた。それがちょっと小悪魔的に見えた。学生の頃はあまり目立たなかったつもりだが、実はそこそこ美人で通っていて、今もその面影は残ると思っている。

「ふうん、別にいいけど」

「あれ。今、微妙な駄洒落入れましたよね?」

 御堂が課長に軽いツッコミを入れた。課長は突然のツッコミに、思わず不審な顔を作る。

「えっ? 何か変なこと言ったかなあ」

「今、不運って言いましたよね」

「ええ、言ったかな? 言ってないよ」

 課長はくるくるっと渦を巻いた天然パーマの頭を斜めにする。もう五十を優に過ぎているというのに、髪は藪のように茂っていた。

「言いましたよ」

 御堂は透かさず追求する。

「えっ、何て?」

「不運って」

 御堂は目を尖らせて、少しも譲らない。

「言ってないよ」

 譲らないのは、課長も同じだ。

「言いましたよ。私がそんな訳ないででしょ。ただの勘違いですよと言いました」

「そしたら。ふうん、別にいいけど」

「ほら、言いました」

 御堂は勝ち誇ったように、ふんぞり返った。

「えっ、どこが?」

 課長はまだ気づかない。

「そんな訳ないでしょ。ただの勘違いですよと言いました」

「そしたら」

「そうじゃなくて、そんな訳ないでしょ。ただの勘違いですよと言いました」

「別にいいけど」

「課長、わざとやっていません。そんな訳ないでしょ。ただの勘違いですよと言いました」

 御堂は苛立たしく強い口調になった。

「ふうん、別にいいけど」

「そらね。不運と言った」

「ふうんと言っただけだ」

 課長は納得がいかない。

「だから、不運ですよ」

「ふうんと、不運を掛けたんだ」

 横で二人のやり取り見ていた、篠崎が世話を焼くように説明した。

「ふうんと不運。はは、御堂くん面白いこと言うね」

 課長は白い歯を見せて笑った。

「課長が言ったんですよ。もう」

 御堂は完全に鼻白んでしまった。余計なこと言わなければ良かったとさえ思った。急に酷い疲労を感じた。

「ふうんと不運ね」

 課長はまだ言っている。

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