43ミリ口径の銃創

稀山 美波

断つ弾丸

 言葉は弾丸に似ている。


 脇目も振らずただ目標までの距離を最短で飛び、対象の息の根を止めんと心臓を撃ち抜くその様は、まさに弾丸と呼ぶに相応しい。思考という指先が、喉という引き金にかかり、唇という銃口から、言葉という弾丸を放つ。


「子供ができたの」


 撃ち抜かれた部位がその後に痛むのもまた、弾丸と似ているかもしれない。彼女の小さな口径から放たれた弾丸は、俺の左胸を貫通し、その痕は未だ銃創となって俺を蝕んでいる。


「あなたの子じゃないわ」


 何度も愛を囁き、何度も俺のそれと重ね合わせ、何度も幸福を語ってきた口は、もうそこにはない。飽きる程に見てきた彼女の小さな口は、目一杯に開けると月のように丸い。端から端まで、ちょうど43ミリであったはずだ。


「別れましょう」


 真昼のアパートに、もう月は昇らない。

 俺に突きつけられたのは、43ミリ口径の銃口だった。


「意味がわからない」

「わかってよ。あなた以外の子を孕んだのよ。あなたのアパートで、あなたのいない時に、あなた以外の人に抱かれて」


 俺と彼女が三年間ともに過ごしたアパートであるというのに、ひどい疎外感が俺の中を走った。

 幾度となく彼女と愛し合ったこの布団は、こんなに綿がへたっていただろうか。窓から見える街路樹は、こんなに青々しさを失っていただろうか。壁に生えたカビは、ここまで広がっていただろうか。天井の灯りは、ここまで切れかかっていただろうか。


 彼女の口は、こんなにも鋭い弾丸を放つものだっただろうか。


「あなたと違って、面構えが良くて筋肉質で、稼ぎのいい男よ。あなたに抱かれるより、数十倍良かったわ」


 43ミリ口径の銃口は何度も弾丸を放つ。

 銃身は一切のぶれなく、銃口は俺の左胸を捉えて離さない。


「流されるがままにあなたの告白に頷いたけれど、正直好きでもなんでもなかったのようね」


 43ミリ口径から放たれた弾丸は、確実に俺の心臓を撃ち抜き続ける。その度に体は揺れ、どす黒い血が口から湧き、胸は硝煙に汚されていった。視界はすでにぼやけていて、思考や感情も散り散りになって自室の床へと転がっていく。


「ふざけるなよ」


 思考とは、指先だ。

 喉とは、引き金だ。


「ふざけるなこのくそ女。それ以上口をきくな。口を開くな。汚らわしい口から汚らわしい煙をたててくれるな」


 思考を手放しては、喉は抑制がきかない。

 指先が何度も震えては、引き金は何度も押し込まれる。

 理性を失った銃身は、安全装置のない散弾銃のようなものだ。


「殺す。ぶっ殺してやる。その汚ねえ口から汚ねえ言葉が二度と吐けないよう、ぶっ殺す。死ね、死ねよくそやろう」


 彼女ものよりも一回り大きい銃口はあちらこちらへと向きを変え、汚れた弾丸を放ち続ける。


 彼女との思い出に満ちた六畳一間のアパートは、見るも無残な姿に成り果てた。壁も天井も家具も、俺の放った弾丸で風穴が開いてしまっている。戦闘行為のあった現場さながらの惨状だ。


「くそ、くそが」


 すすにまみれる弾丸に、涙と嗚咽が混じる。

 窓のすぐ傍に走る電線で羽を休めていた鳥たちが、俺の発砲とともに飛び立つ。痩せた街路樹が、銃声に驚き枝先を揺らす。


 南中したばかりの太陽だけが微動だにせず、惨劇の中に憮然とした光を送り続けていた。


「言いたいことは言えたかしら」


 彼女は一歩も動くことなく、弾丸の雨を掻い潜っていた。

 その身に銃弾を受けてもなお、彼女の心と体には弾痕のひとつもない。



「そこまで暴言吐ける元気があるなら大丈夫かな。死んだりしないでよね、後味悪いから」



 真直ぐに俺を見据える43ミリ口径の弾丸は、俺の左胸に強烈な一撃を穿つ。痛みに伏せる俺には目もくれず、俺の弾丸でぼろぼろになった玄関を抜けた彼女の背中は、閉じる扉とその音に遮られやがて見えなくなった。




 あれから五年が経った今も、彼女の放った弾丸の痕が左胸に色濃く残っている。胸骨に刻まれた銃創は今もなお軋み続け、日々俺を蝕んでいく。


 新しい恋を始めようにも、その度に彼女に刻まれた銃創が疼き、一歩先に進むことが叶わない。女性に声をかけられるたび、その歪んだ口元が銃身に見えて仕方がない。すべてを忘れようと酒に走ってみても、43ミリ口径が夢の中で俺を追い詰める。


 言葉は弾丸に似ている。

 その弾丸に撃たれた傷は、銃創となって体に刻まれ、死ぬまで人を苦しませるのだ。傷口からは、硝煙の匂いが弾丸を放った者の匂いが、こびりついて離れない。


 抉られた骨は、元には戻らない。

 ひりつく左胸の弾痕は、今だ灼け続けている。


「そこにいるのは誰かしら」


 俺はもう、この疼きに耐えられない。

 ふとした拍子に熱くなるこの銃創を左胸に宿して生きるのに、いささか疲れてしまった。彼女の放った弾丸の痕が俺を苦しめるのならば、それから逃れるために用いるのは、やはり弾丸以外ありえない。



「私を殺しにきた死神かな」



 終わりにしよう。

 右手に握りしめた、この銃で。


「いいよ、持っていきなよ」


 あらゆる手を尽くし、俺はこの銃を手に入れた。

 そのために命を投げ捨てるが如く危ない橋を何度も渡ってきたが、迷いや憂いは一切なかったと言い切れる。恐怖が俺を襲う時はいつだって、左胸の銃創が痛んだ。


 彼女に撃たれた左胸の痛みを取り除くために、今度は俺自身が眉間を撃ち抜く。そして、言葉の弾丸で彼女の胸を、実弾で眉間を撃つ。その目的を果たすのではないのかと、銃創が疼くのだ。


 別れ際、俺は彼女に『殺す』という言葉の弾丸を放った。

 それが彼女に直撃したか、それは今でも銃創となって彼女を苦しめているか、それはわからない。どちらにせよ、弾丸を放った責任が、意思が、俺にはある。


 実弾に意思を込め、彼女を撃つ。

 実弾に願いを込め、俺を撃つ。


 軋む胸を抑えるには、もうこれしか方法がないと思われた。


「こんな命でよかったら、いくらでも」


 口を三日月みたいにして自嘲気味に笑う彼女から放たれる弾丸は、五年前に比べて随分と弱々しい。ひょろひょろとした弾丸の軌跡は、俺に掠ることもせず、窓の外に浮かぶ満月の中へと消えていく。


 彼女の弾丸は、俺には当たらない。

 だが、何故だろう。銃創はこれまでにないくらいに疼き、胸骨は軋んで、俺の心臓は何かに撃ち抜かれたようにひどく痛む。



「どうせ、明日にはなくなってるかもしれない命だし」



 彼女が身に纏う患者衣は、白装束のように見える。

 彼女の横たわる病室のベッドは、霊安室に見える。


 彼女の放つ弱々しい弾丸は、消えゆく命の灯に見える。


「もう、ほとんど目も見えないんだ」


 銃を手にした俺は、次に現在の彼女の居所を探した。

 大枚をはたいてでも突き止める覚悟であったが、はじめに訪れた探偵事務所の調査で実にあっさりとそれは判明した。


 彼女の所在は、県庁所在地にある大学病院、その一室となっていた。それは五年前、俺と別れた直後からずっと変わっていないらしい。病名までは覚えていないが、余命が宣告させる程度には重篤であったらしく、後遺症で視力もすっかりと衰え、今では僅かに光を感じる程度のものだそうだ。


 かつて薄紅色に煌めいていた43ミリ口径は、すっかりと青白く錆びついてしまっている。そこから放たれる弾丸には、かつて俺の左胸を抉ったほどの威力はもうない。


 俺の放った『死ね』という弾丸が、彼女を撃ち抜いたのか。俺の放った『殺す』という弾丸が彼女の体に銃創を刻み、呪いのように彼女を蝕んだのか。

 探偵からの調査結果を聞いた時は、そんなことを思った。


「持病がここまで悪化するなんて、思ってもいなかった」


 だが、そうではなかった。

 俺の弾丸が彼女を貫いたのかどうかはさておき、彼女の病気は生まれつきのもので、それがここにきて急激に悪くなっていったらしい。

 彼女と交際していたのは三年間だったが、持病があるだなんて聞いたこともなかったし、考えたこともなかった。


 てっきり、彼女は強い人間だとばかり思っていた。

 言いたいことははっきりと言う、正しいものには正しいと言う、悪いものには悪いと言う。彼女の放つ弾丸は、いつだって人を思いやったものだったと思う。


 だからこそ、俺に左胸に銃創を刻むにいたった弾丸だけが、違和感となって俺の胸骨を軋ませる。



「もう長くない、って言われたから、恋人にも嘘をついて別れたのよ」



 てっきり、彼女は強い人間だとばかり思っていた。

 実のところ、やはり強い人間であったのだ。


「私の死に、彼を巻き込みたくなかった。でも彼は、ちょっと弱い人だから。私が別れをきりだしたらもう立ち上がれなくなるんじゃないかなって思ったわ。憎しみでも、恨みでも、なんでもいい。強い感情を持ってほしかった。私を憎むことで彼が前に進めるのならば、それで」


 彼女に刻まれた銃創が、やけに痛む。

 この痛みと疼きと軋みのせいで、この五年間、随分と苦しい思いをしてきた。だが同時に、その痛みが俺の頬を叩き、こうして生きながらえてきたのかも知れない。今だって、銃創を刻んだ彼女と銃創を刻まれた俺を殺すことを原動力として、ここに立っている。


 五年前、彼女が放った弾丸が、俺の中を駆け巡っていく。

 彼女の横たわる過去から、俺の立つ現在まで、弾丸が一直線に走る。



『そこまで暴言吐ける元気があるなら大丈夫かな。死んだりしないでよね、後味悪いから』



 彼女が五年前に放った弾丸の一つが、俺の眉間を貫いた。


「そこにいるのが死神でもなんでもいいわ。彼に三つ、伝えて欲しい」


 息も絶え絶えの俺を見ることが叶わない彼女は、弾丸を三つ、ゆっくりと込めていく。その銃口は天井に向かっている。それにも関わらず、必ず弾丸は俺を撃ち抜くのだという確信があった。



「ごめんなさい」



 一つ目の弾丸は、かつて彼女が刻んだ左胸の銃創に。



「愛してた」



 二つ目の弾丸は、こめかみを的確に撃ち抜いた。


 言葉は弾丸に似ている。

 思考という指先が、喉という引き金にかかり、唇という銃口から、言葉という弾丸を放つ。


「ありがと――」

「ありがとう」


 彼女の三つ弾丸が放たれるのと同時。

 俺の思考は喉を引き、弾丸を放った。


 彼女の放とうとした『ありがとう』という弾丸は、最期まで放たれることはなかった。俺の放った弾丸に掻き消されたのだ。『う』と発しようとしたその口が、美しい真円を形づくったまま、動かない。



「俺も愛していたよ」



 俺の放った弾丸が、彼女の眉間を貫いた。

 43ミリ口径の銃口から、もう弾丸が飛ぶことはない。



「さようなら」



 俺の放った弾丸は、俺自身のこめかみを撃つ。


 彼女がかつて刻んだ銃創が、かつてないほど熱を帯びる。

 だがそれを皮切りにして、疼くことがなくなった。

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43ミリ口径の銃創 稀山 美波 @mareyama0730

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