「おめでとう」

清野勝寛

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「おめでとう」




「本日深夜2時8分、第一子が産まれましたー!」


 昼休憩、スマートフォンを見ると、そんな通知が届いていた。

 もう直ぐ梅雨が明ける、そんな季節の外仕事はもうじき三十を迎える体には堪える。スマートフォンの液晶に滴る汗を粗雑にシャツの裾で拭ってから、俺はスマートフォンをポケットにしまう。昼飯を食ってから返信しよう。


 彼女と俺は、十年前、友人の友人として飲み屋で知り合い、六年ほど前に偶然再会して、それから親しくなった。とにかく口の動く女で、モノを食べている時以外黙っているということがなかったと記憶している。ただ、そんな彼女と過ごしているうちに、俺は彼女の隣がずいぶんと居心地良くなってしまっていた。





「フラれた……! 他に好きな女が出来たんだとさっ、なんだよチキショウ、正直に言えよ飽きたってよぅ……」


 四年前、家で呑むぞと呼ばれて行ったその場所で、そんな告白を受けた。なるほど、慰みに付き合えということか。直ぐに理解した俺は、買い込んだつまみ一式をテーブルの上に広げ、「まぁ呑めよ」と話半分で彼女の話を聞いていた。


「私のどこがダメだったのかねぇ、まぁ、生きてればコンプレックスなんてものは当然持っているものだけれども、そういうことじゃないっぽい……っていうかよく考えたら付き合ってる間から女漁りしてたのかもアイツ……! いや、まぁ見抜けない私が馬鹿だったのか。こっちは割りとガチめに将来のこととか考えようかなあとか、考えてたのにさぁ」


 酒のせいで拍車がかかったのか、良く回る舌だ。不貞腐れている顔はずいぶんと幼く見えた。不意に、大きな溜め息が彼女から漏れる。


「……なんだろうね、大人になるとさ、人と人の距離感っていうか、そういうの良く分かんなくなってく気がする。や、もしかすると私が馬鹿で気付かなかっただけで、周りじゃ色々過激なことしてる人とか、いたのかもしれないけれど。まぁいたんだろうな。人間不信になるわぁマジで。誰の言うこと信じればいいんだろ。いや、誰かといる前提なところがそもそも餓鬼くさいのかな……一人で生きていけるようにならないと、そういう人間に食い物にされるのか……」


 たしかに、こいつを振った男とは何度か会っていて、とても優しくて気配りの出来る、こいつには勿体ない人間だったと記憶している。何の前触れもなく別れ話をされれば、こんな状態にもなるだろう。陰鬱な言葉ばかりが並ぶのは、こちらとしても気分が良いものではない。何か気の利いた言葉でも言うべきだろう。


「それじゃあなにか、お前は俺のことも信用してないってことか?」

「それは……うーん、そんなこと、ない……けど」


 だと言うのに、乱暴な言葉が上から下に流れる湯水のように勝手に流れる。返答の歯切れが悪い。それに僅かに苛ついた。追い打ちをかけるように言葉を投げつける。


「急に電話来て、家に来いって呼び出されて、ちょっと声のトーンがいつもより暗いなって心配で来てみた俺のことを、信用してないのか? 冷たい人間だなお前は。ちょっとショックだよ」

「違うってば。何急に……」

「いや、悪ぃ、つい……」


 柄にもなく責め立てるようなことを言ってしまった。どこか釈然としない。


「あぁ、そっか。私、あんたみたいな人と一緒にいた方が良いのかも。ほら、なんだかんだいつも面倒見てくれるし、呼んだら直ぐ来るし、友達いないから。私と一緒で」

「なんだそりゃ」


 そう言われた瞬間、鼓動が高鳴った。どうにか平静を装う。缶ビールを飲み干してから、チラと彼女を見ると、目が合った。上気したように赤い顔が俺を見つめている。不自然な間が出来た。一瞬頭が真っ白になって、何か言おうとしても言葉にならない。


「……や、ちょっと言ってみただけだよ」

「……そうか」


 気まずい空気のまま、お互い無言でつまみを食べたり酒を呑んだりして、その日は帰ることにした。

簡単に言うと、逃げたのだ、俺は。


居心地の良いこの空間を、壊したくなかったから。





 それから半年もしないうちに、彼女は今の旦那と交際を始めた。そして先日、お互いもう年だよなあと話している間に彼女は結婚し、子を授かったらしい。



 結果的に、俺が居たかったあの空間は、もうどこにもなくなった。彼女とはもう一年以上会っていない。そりゃそうだ、向こうには家庭がある。俺には、何もない。

 いつまでもあるものなど、永遠など、どこにもない。分かりきっていたことなのに、どうして俺はそれを求めてしまったのだろう。

あの日、彼女を求めていたら、何か変わっただろうか。少なくとも、この胸の奥にある、吐き出せない何かは、なかったのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、俺は彼女の出産を祝う文章を炎天下で書き連ねた。


「おめでとう。体調は平気なのか? これからは母親なんだな。お前みたいのでも、母親になれるだなんて、ちょっと信じられないけど。まぁ色々と大変なこと、これからたくさんあるんだろうけど、夫婦二人三脚で頑張れよ」


 送信してから、そう言えば似たようなことを、結婚報告の数日後に送った気がする。


 語彙がないな、俺は。

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「おめでとう」 清野勝寛 @seino_katsuhiro

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