甘味料がない人生

酸化する人

第1話心象世界

どこだ?ここは…。

気がつくと、森の中にいた。

周りは白い霧で包まれており、見通すことができない。


いったいどういうことだ?さっきまで自宅にいたはずなのだが。


仕方がない。

とりあえず、歩いてみよう。


1時間は歩き続けただろうか?

額から汗が噴き出てくる。

相変わらず目の前には、森と白い霧。

本当は、進んでいないのではないだろうかとさえ思えてきた。


さらに歩く。

歩いて歩いて歩き続ける。

しかし一向に景色は変わらない。

とうとう疲れ果てて倒れ込んでしまった。


まさか遭難するなんて…。このままじゃ。


死―という言葉が頭をよぎる。

今まで人ごとだと思ってきたこと。


しかし今は、否が応でも考えさせられること。


そして同時に後悔する。今までの時間の使い方に対して。


もっと生きるということを、楽しんでおけばよかったな。

なんて無意味な人生だったのだろう。


学生として勉学に追われていたあの日々。

毎日残業に追われていたあの日々。

そして無理し続けたのが原因で、鬱になり自宅でずっと過ごしている今。

なにもかもが無意味で―。


「お客さん。ですか?」

人の声!?


力を振り絞って立ち上がる。

無我夢中で、生にすがりつくように。


白い霧のせいでぼやけているが、明らかに人影らしきモノが見える。

そして、その影が俺の方に近づいてきた。


だんだん声の持ち主の姿が露わになってくる。


はかなげな印象を抱かせる真っ白な髪の毛をもっていて、目が怪しげに赤く光っている女の人だった。

彼女の人間離れした美しさに目を奪われる。


「体が冷えているようですね。この辺りで喫茶店をやっているんです。そこで休んでいってくださいな。」


少し歩くと、レンガ調の壁で作られた小さな建物が見えてきた。

こんなところに喫茶店?

お客さんとか来るのか?

いろいろな疑問を持ちながら、女の人の後を追う。


中に入ると、カウンター越しに木の椅子が置かれた、いかにも喫茶店という感じの風景が目に飛び込んできた。それに続いて甘い香りが鼻腔を刺激してくる。


「お好きな所に座ってもらって構いませんよ。」

「あ、ありがとうございます。」

遠慮がちに席へと座る。

「すぐにコーヒーを用意いたします。…どのくらいの甘さがお好みしょうか?」

甘さ?

ああ。砂糖のことか。

「ブラックコーヒーでお願いします。」

甘いのはあまり好きではない。


それから数分が経過した。

外の霧がかった景色を見ながら、くつろぐ。


「はい。できましたよ。どうぞ。」

コトッ

目の前にコーヒーカップが置かれる。

コーヒー豆の香ばしい香りとほのかに甘い砂糖の香りが漂ってきた。


んっ?砂糖?

さっきブラックで頼んだような。

間違えたのか。

だが助けられた身。

文句は言えない。

「ありがとうございます。では、いただきます。」


コーヒーを口につけた瞬間、衝撃がはしる。

「あ、甘い!」

思わずそう言ってしまった。

しかしそのぐらい、甘いのだ。


「ブラックがお好きなあなたには、甘すぎましたか。…ですが、その甘さはあなたにとって必要なものだと思いまして、入れさせていただきました。」

「俺にとって必要なもの…?」

この甘さが俺に必要なもの...。

よく分からない。


「甘みが今のあなたに必要なものであり、足りないもの。このコーヒーの味をどうか忘れないでください。」

その声を最後に、目の前が暗転する。


目を開けると自宅の見慣れた天井がみえてきた。

「いき…てる。」

また失敗したのか。

睡眠薬での自殺はやはり無理か。


やっぱり首つりの方が成功率はいいよな。

本当は苦しそうだからやりたくなかったんだが…しょうがない。


既に用意していた縄を天井にくくりつけて、椅子を足下にもってくる。


よし準備は整った。

これで死ねる。

こんなクソみたいな世の中ともお別れだ。

さようなら。


その瞬間、口の中が強い刺激にさらされる。

これは…。

甘み?

久しぶりに感じた。

いつ以来だろう?


ああ。

そうだ。思い出した。


小学生のとき、お母さんと行った喫茶店。

そこで食べたアイスクリーム。

そのときぶりじゃねぇか。


「なんだよ、それ。」

なぜか、涙があふれてくる。

押さえられない。

泣くことも久しぶりすぎて、なにがなんだか…。


それから何時間も、ずっと泣きっぱなしだった。

今までの分を取り戻すかのように。

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