第2話 小説家になりたい。(テーマ:霊)

 学校が嫌いだった。先生はすぐに怒るし、授業はつまらない。給食に嫌いな野菜がたくさん出るのも許せなかった。あなたたち子どもの健康を考えて栄養士さんがうんぬんかんぬん。くそくらえだと俺は思った。みんなが同じ方向を見ていなければ許されない退屈な場所に押し込められて、当時の俺は今にも爆発しそうだった。そんなとき国語の授業で書いた俺の作文を先生がクラスのみんなの前で褒めた。


 カワダ君は文章が上手ね。


 たった一言。いや他にももちろんなんだかんだと言われていたが、難しい褒め言葉は俺にはわからなかった。カワダ君は文章が上手ね。俺はその日、ずっと先生の言葉を頭の中で繰り返してはにやにやして過ごした。


 きっかけは些細なことだったが、俺は自分でも物語を書くようになった。なんせ物語を書くのに必要な道具は鉛筆と紙だけだ。母にねだることなく俺はそれらを用意できた。


 文章を書くのは苦ではなかった。両親が離婚していて一人で過ごすことが多かった俺はそのほとんどを本を読んで過ごしていた。ほんとは同級生たちみたいにゲームで遊びたかったが、「ゲームをしたら頭が悪くなる」という母の勘違いの一点張りで俺は買ってもらえなかった。ゲームしようがしまいが馬鹿は馬鹿だよと俺は思っていたが、母が遅くまで働く背中を見ていたらとてもじゃないが言えなかった。俺の家は貧乏だった。


 高校で文学部に入部した俺は運命的な出会いをする。相手は女じゃない、同級生のサダというぱっとしない顔の男だった。しかし、このぱっとしない顔の男、文章がべらぼうにうまかった。俺は高校に入るまで同年代の中で一番文章がうまいのは自分だと思って生きてきた。だからサダとの出会いは衝撃的だった。


 入部して二か月がたった頃、俺たち一年生だけで部誌をつくることになった。もちろん俺ははりきって物語を書いた。俺が一番うまいんだ。サダなんかには負けねえ。その気持ちを込め過ぎたのか、俺の小説はえらく肩ひじ張ったものになってしまった。


「なんかカワダ君の小説は強そう、だね」


 出来上がった部誌を読んで一言、サダは言った。強そう。額面通りに受け取っても意味がよくわからず、俺はサダに訊いた。するとサダはうーんと首を傾げ腕を組んだ。


「もちろん悪い意味じゃないよ。なんというか勢いがあるというか」


「なんだおまえ褒めてんじゃねえかよ。紛らわしい言い方するんじゃねえ。もっとストレートに褒めろよ。俺の小説は面白れぇだろ」


 がはは。俺は豪快に笑いながらサダの背中を叩いた。サダの背中は薄っぺらく、まるで紙でも叩いているようだった。


 俺たちは高校を卒業して別々の道に行っても時々連絡を取り合った。サダは大学に進学して文芸サークルに所属。一方俺はというとそんな金も学力もあるわけなく、工事現場や引っ越しの作業員のバイトをしながら生活していた。体調を崩した母親に代わって生計をたてながら、真夜中小説を書いては応募する。そんな生活が三年続いた。


 確かあれは春だったか。風呂上り、携帯を確認するとサダから着信が入っていた。メールでのやりとりはあったが、電話などめったにしなかった。なにかあったのだろうか。かけなおすと、ワンコール目でサダの鼻にかかった声がした。


「やったぞ!」


 サダの第一声はこれだった。熱に浮かされたような声に俺は訊いた。


「おまえが電話してくるなんて珍しいな。ついに童貞でも卒業したか」


 笑いながら言うと、「そんなことじゃない」とムッとした声がもごもごと聞こえた。


「決まったんだよ。カワダ君、僕、デビューするんだ」


 デビュー。俺が喉から手が出るほどに欲しいその言葉をサダは嬉々として何度も口にした。それからのことはあまり覚えていない。多分、俺は「おめでとう」とか「本が出たら買うよ」とかそういうことを言ったように思う。電話を切ったあと俺は泣いた。悔しかった。けれど、それと同じくらい俺は嬉しかった。どうだ、俺の親友はすごいだろ。俺が先にこの才能に気づいていたんだよ。サダが書く話は面白いんだ……。




 どうやら俺はうたた寝をしていたらしい。夕陽が赤々と俺の部屋の畳を照らしている。最近、面白い話を書こうと思えば思うほど俺の指は動かない。いったいどれだけ書けば俺はサダと同じ土俵で戦える? 俺は考えながらペンを握ろうとした。しかし、ペンは掴めない。そうか。俺はため息を吐いた。何度繰り返せば俺は自分が死んだことを自覚するのだろう。


ああ、もっと小説を書いていたかった。

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短い話まとめ 麦野陽 @rrr-8

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