4 ─ 5

 僕がお嬢様の墓を訪ねるとき、2つのパターンが存在する。

 1つは不穏。1つは平穏。

 不穏なとき、僕は持っている中で一番強靭なスコップを携帯して行く。

 平穏なとき、僕は持っている中で一番貧弱なスコップを携帯して行く。

 不穏なときは少女と刃を交え、平穏なときは少女と言葉を交わす。

 僕は断然、後者が良い。

 前者のパターンだと僕はひどく負傷して、その後何週間かお嬢様の墓を訪れることができなくなる。

 しかし、自分の都合の良いパターンだけを繰り返すことは、この場合肩書から大きく外れる。

 かくして今日、僕は前者のパターンでお嬢様の墓を訪れた。

「ごめんな」

 僕は少女に、先に謝罪をしておいた。

 少女はばつが悪そうな表情を浮かべた。

「謝ることはないでしょう、やめてください」

「うん。でも、ごめん」

「今日は不穏に行こう」僕はそう言って、お嬢様の墓を掘り返すためにスコップを地面に突き刺そうとした。

 瞬間、飛んでくる鉄棒。

 躱す。

 間髪入れずに次が飛んでくる。

 余裕がないにも関わらず、僕は少女の顔を一々見てしまう。

 次の手を避けるタイミングが遅くなり、身体の一部を強烈に打撃される。

 スコップを地面に突き刺して支えにし、体勢を直す。

 強かに振るわれる鉄棒が、それを握りしめる少女の手が、僕の視界の中央に映し出される。

 スコップのみねで、鉄棒を止めた。

 手が、腕が痺れる。

 ぐわんぐわんと、衝撃波が全身を駆けた。

 跳んで、受け止めて、躱して、倒れて、転がって、打たれて…。

 これまで何回もそうしてきたように、短い動作がランダムで繰り返される。その大半が受け身の動作である。

 疲れた。

 それは、今のこの状況に対してもそうなのだけれど、それだけではなくて。

 僕たちがいるこのせかいに気を遣うことに。

 それを自覚した途端、向かってくる鉄棒を見ても「避けなきゃ」と思えなくなってしまった。

 衝撃。

 少女の鉄棒をもろに喰らって、僕は比喩でなく飛んだ。

 数メートル後ろまで投げ飛ばされ、圧倒的な圧迫感と共に地面に帰還した。

 朦朧としかけている意識の片隅で、少女が喚いた。

「何で避けないんですか!っ馬鹿!」

 馬鹿でごめんな、僕はそう言ったつもりだけれど、上手く声に出せていたかはわからない。

 

 静かな眠りの底で、真っ白なせかいに出会った。

 何もなくて、探せば何かがあるような気がしてしまうけれど、やっぱり何もないせかい。

 あたりをきょろきょろと見回すけれど、視界は真っ白で、それ以外の情報はまるでない。

 どこまで続いているかわからない。

 ただただ終わりのない白さだけが、僕の周りを取り囲んでいる。

 音が聞こえたような気がした。

 否、幻聴だろう。

 こんなところにあのコがいるはずないんだ。

 僕は死んだのかなあ。そう言えば走馬灯と呼ぶべきものを見ていないなあ。

 人生の最後に脳内再生されるとい、自身の物語。

 脳内ムービー、とでも表現しようか。

 一回くらいそんなものを見てみたかった気がしないでもない。

 きっと、あのコとエラルドが登場するはずだ。

 …二人が登場しなかったら、それは多分走馬灯ではないな。

 幻聴は尚も鳴り響いている。

 素敵に不気味に可愛らしい鈴の音が、清かに漂っている。

 最後に見た少女の表情が脳裏に蘇る。

 少女は困惑し、目の端に涙さえ浮かべていた。

 僕のせいだなぁ、と自覚する。だけれど、それはあまりにも実感を伴わない自覚だった。

 真っ白で、何もなくて、誰もいなくて、静かな幻聴が鳴っているせかいなんて。

 こんなせかいがあったなんて。

 こんなせかいに来てしまったなんて。

 なんて、笑うしか無い状況なんだろう。

 口角が勝手に上がっていくのを、僕は止めることができない。

 それなのに、不思議と眉が下がっていく。

 僕はどうしてしまったんだろう。

 嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか、辛いのか、悔しいのか、もう、わからない。

 自分のことがわからなくなっていく。

 幻聴がぼんやりと鳴っていて、僕を眠りに誘う。

 重くなる瞼は僕の意思に反して閉じていく。

 やがて視界は暗転。

 先程の白さが嘘のように、黒いせかいが現れた。

 黒い世界に招かれて、そして僕は──


 目を開けた。

 眩しい光に、僕は呻いた。目が慣れていない。

 極めて自然的な光量の照明が、僕を照らしている。

 …何だか見知った風景が、目の前に広がっている。

 白いせかいと黒いせかいに迷い込み、僕はてっきり自分は死んでいるのだと考えていた。

 しかしどうやらそれは間違いだったらしい。

 今僕の視界に映るせかいは、いつものせかいだ。

 特別なことなどない、日常を過ごしていたせかい。

 エラルドと、少女のいるせかい。

 二人の顔を思い浮かべると、視界が歪みだした。

 僕は泣いているのか…。

 この涙の意味も、やっぱりわからないけれど。

 上体を起こし、エラルドの方を見遣る。

 彼はベッドのそばにある椅子に腰掛けたまま眠っていた。

 僕はきっと、兄を心配させたのだろうな。

 ごめん。

 心の中でそう呟いてから、僕は兄の頭を軽く小突いた。

 ぱちっと目をさました兄は一瞬、信じられないものを目撃してしまったかのような表情をした。

「──っ。ルエン!!」

 正面から抱きつかれ、いろいろな言葉を続けざまに浴びせられる。

 阿呆、馬鹿、というような罵詈雑言から始まり、たくさんの言葉たちを経て生きてて良かった、という言葉に着地した。

 そして、兄は僕の身体を解放した。

「行け」

 僕は言葉もなく頷く。

 どこへ?なんて野暮なことは訊かない。

 全身が痛む。

 そんなこと気にしていられない。気にならない。

 まったく取るに足らないことだ。

 できる限り速く、速く、速く。

 できなくても速く。

 僕は走る。

 地面を蹴り、勢いで小石を蹴飛ばし、雑草を踏み散らし。

 ぐっと方向を変え、少し勢いが削られた。

 そのまま、向かうべきところへ。

 その姿を確認してすぐに、僕は腕を広げた。

 少女は体勢を一切崩さずに、限界速度で走ってきた僕の勢いを丸々受け止めた。

「離れてください。私たちは、触れ合ってはいけないんです。」

「いいんだよ。そんなことはもうどうでもいい」

 少女は少し黙って、消えてしまいそうな声で僕に言う。

「死んでしまったかと、思いました」

「死んでない。君は僕を殺せないし、僕は君に殺されない」

「だけど、それは、あなたが私の攻撃を避けた場合です。あなたはあのとき、避けようとしなかった!」

 僕は少女の背にぎゅうと腕を回しながら、言葉を返す。

「でも、加減はしていたろ?」

「だけど、だけど…。私は強いんです。あなたより、ずっとずっと、ずっと。あなたみたいな弱い者からしてみたら、加減なんて、あってないようなものですよ」

「随分はっきり言うね。でも、そうだね。君はとても強くて、僕はとても弱い」

 少女の身体が小刻みに震え出した。

 しゃくりあげる声が聞こえる。

 僕は少女にしがみつかれたまま、空を見上げた。

 今宵も、星と月が清かにきらめいている。

 目を閉じて、夜風を感じる。

 冷たく、僕を戒める。

「顔を、見せてください」

 うん、と僕は静かに頷いて、少女の言う通りにする。

「……その顔は卑怯ですよ」

 同じ様に笑って、少女は僕に、言うのだった。

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grave keeper 識織しの木 @cala

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