他人のセックス経験数がわかる能力を身につけた俺。

小林巡査

1

 俺が他人のセックスの経験人数がわかる能力を身につけたのは、交通事故で死の淵を彷徨ってからだ。

 危篤状態から意識が回復すると、父と母の頭上にゴシック体の数字が浮かんでいた。父は3、母は4。あとから検温にやってきた若い茶髪の看護婦は12だった。

 最初は何のことか分からず、ただ頭がおかしくなったのかと思って打ちひしがれていたが、朦朧とする意識の中、カーテンの隙間を往来する人々を眺め続けること幾日、その数字が何かの回数を表している事がわかってきた。


 そして、その意味をようやく理解したのは、体がやっと動けるようになって、トイレで鏡を見たときのことだ。

 俺の頭上には0が燦然と輝いていた。その瞬間、電光石火に確信した。俺にとって0回と言ったら一つしかない。セックスの回数だ。

 俺は童貞、35歳だ。


 かくして俺はこの能力に自信を得たのち、退院し、社会復帰した。するとまあ世界が違って見えた。その興味深さと言ったら!

 外に出れば、すれ違う人全員の頭上に経験人数が浮かんでいる。地下鉄に乗れば、それを見てるだけで退屈しない。ああ、やっぱイケメンやってんな、とか昨夜はお楽しみでしたねお嬢さん、とかこのオバさん処女なんだ……とか。


 会社に着くとなお面白い。まず、俺のクソ上司が0だったのは笑った。はやくも業務に穴があいたことに嫌味を言ってきたが、

「ぷぷぷ、その齢で童貞のくせに」と屁にも思わなくなった。

 ちょっといい女風で気になってた経理の山田さんは意外にも1だった。たしかに近寄りがたい雰囲気はあるし、飲み会にも顔を出さないから、なるほどと思った。

 一方、システムの百貫デブの奥山は16だった。16人!お前その顔でどうやって! 勇気をありがとう。


 道行く人々を観察し続けてわかった事なのだが、経験人数と顔の造作は必ずしも比例しない。というのも、イケメンは、モテそうなわりに経験人数が少なかったりする。上を目指しすぎるのか? 反面、ブサイクは10人以上がざらにいる。これはおそらく、深海魚が一生に一度会うか会わないかのメスと遭遇すれば命を投げ打って交尾するのと似たようなメンタルなんだろう。

 とすれば……ブサイクサイドに位置する俺が0なのは何故なんだ。なんだかすごく人生を損している気がする。遠慮してたらあかんで俺。


 あと、日本人が年々セックスをしなくなってきているというデータ。あれは本当だ。毎日、会社にいるといやでも全員の経験人数を覚えてしまうのだが、誰も一向に数字の変化が起きない。ヤリマンと噂の営業1課の畑中も、システムの百貫デブも年に1度か2度増えるくらい。

 ただ、ひとつ不思議なのは、増えるのは決まってお盆休みなのだ。海外旅行にでも行って開放的になるのだろうか? その本当の理由はわからないが……。


 そんなある日、俺は奇跡を見た。

 新しい取引先で、女子高生時代は無双だったと思われる元ギャルっぽい女の子が担当についた。名前は金子京子さんという。京子さんは0だった。俺は都会のエアポケットって本当にあったんだ、と思った。

 京子さんは俺よりずっと年下で可愛くてスタイルも良くて明るくて性格も良い。好印象しかない。第一印象で好きになった。これまで多くの男が京子さんと接しただろう。その好印象を目の当たりにしただろう。なのになぜ、手付かずだったのだろう。強度のワキガだろうか。きっと魅力的すぎて男が気後れしてしまう現象ではないか。それくらいしか思い当たらない。

 とにかく俺は浅ましくも、彼女が処女だという理由から、百貫デブでもヤリまくってるという理由から、アプローチをしかける勇気がわいてきた。思い切って連絡して、数回やり取りをするうちに意気投合した。

 そしてデートに誘った。付き合い始めた、バージン同士、初々しく。


 数回デートを重ねて、京子さんはやっぱり非の打ち所がない程いい子で、ますます好きになった。そろそろベッドインも辞さないという金曜の夜、約束のフレンチの店に入ってきた京子さんの頭上を見て思わず目を疑った。

 弾けるような笑顔の上に1が掲げられていた。

 何かの間違いであることを願った。俺は目をこすったり、違う方を向いてまた京子さんを見たりしてもだめだった。1だった。

 プラス1って、あなた、昨夜俺とラインしてたじゃないですか。

なんですか、その時間クンニされながらラインしてたんですか。そういうプレイですか。俺はあなたがたの興奮に火をつけるローターとして、ローションとして使われたですか。

 口にした青椒肉絲の味がなくなり、ゴムを噛んでるような気がした。ショックで意識が遠ざかっていった。

 結局、京子さんとは別れた。


 数カ月後、やめればいいのに京子さんとの最後のラインのやり取りを見てると、

中国の動画サイトにあがってる『火垂るの墓』のリンクがあった。

「明日早いけどこれ見るか迷うな〜」

 クンニされながら何が火垂るの墓だよ、この火照るのビッチめ!

 そう思いつつも、クリックしてしまい、あまりの面白さに最後まで見てしまった。京子さんとの思い出と節子が死んだ悲しさがごちゃまぜになって泣いた。

 自分の泣き顔をちょっと見たくなって鏡を見ると、思わず固まった。

 頭上に1が表示されていた。

「あ」

 この時、すべてがわかった。

 俺は『火垂るの墓』を見たのが、1回目だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

他人のセックス経験数がわかる能力を身につけた俺。 小林巡査 @junsakobayashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ